つまり、オータニは一部の男たちにとり「正しく」、それ故に「息苦しい」存在ということのようだ。ライターの意向は他にあるのかもしれないが、Twitterでは思い思いの解釈でバズったのだろう。なかなかの島国的発言、ホモソ(男性中心社会ですね)の日本男子的な正直な感覚に私には見える。そしてそれ故に……オータニの正しさと、その正しさで焼かれている男たちの存在が見えるからこそ、女はオータニに希望と未来を見いだしオータニを語りたがるのかもしれない。
ある種の男性たちは、オータニが「男というだけでは連帯しないタイプの男」であることを繊細に敏感に見抜いているのだ。どこかで目にした記事だが、オータニは男どうしの下ネタに交わろうとせず、女性を性的に嘲笑する仲間をたしなめたことがあるという。そのエピソードが事実かどうかは分からないが、「そういうこと、オータニさんならあるだろうな」と思わせる説得力がオータニにはなぜかある。根拠はないが、なぜか、ある。それが先の男性たちの「オータニが性的な成人男性に思えない」発言につながるのだろう。この場合の「男」とは、間違ったことも、キモいことも、不正義も、男どうしならば……と互いに目をつむり許しあえる、ぬるい男湯で生きられる日本の男ジェンダーのことである。オータニはそのぬるま湯には入ってこない、そもそもそのぬるま湯が嫌なのでは……というのが伝わるからこそ、ある種の男たちはオータニに傷つくのかもしれない。
と、野球に全く関心ないくせに、エラソーにオータニさんを語ってしまってすみません。でも私には今月、オータニが必要だったのだ。
今年に入ってから女性支援団体Colaboへの誹謗中傷が激しさを増している。私も何度か歌舞伎町に通い、この目でColaboを攻撃する男性たちの姿を見てきた。「女性を尊敬してます~」とヘラヘラし自慰行為のフリをする男性、「帰れ!」と抗議する女性たちに「バレンタインだから」とチョコレートを無理やり渡そうとする男性、「公金チューチュー」と楽しそうに罵倒する男性、「ババアか? 気持ち悪いんだよ、ババア」とババアババアを連呼する男性……。デマからはじまったColabo叩きは、東京都が助成金の過払いはなく、返還請求は行わないことを明らかにした今も熾烈化している。都は「安全が確保できない」として、Colaboが新宿区役所前で続けてきたバスカフェの中止を要請した。中止はきっと妨害者たちの成功体験になってしまったことだろう。