私が本当に驚くのは、彼らが「とても楽しそう」なことだ。女性を罵倒し、性的なことを言ってはゲヒヒと笑い、女性が真剣に怒れば怒るほど楽しげに振る舞うことだ。オンライン上に溢れる匿名の下卑た連帯が、そのままリアルに目の前で動く衝撃は、やはり強い。女性たちが少女を支援する現場にわざわざやって来て、女虐めの「悦楽」に浸る男たちを目の前に、凄い世界になったと言葉を失う。苦しいのは、彼らが「特殊な一部の先鋭的な集団」に思えないことでもある。実際に行動に移すのは一部の人たちであるとしても、彼らが街に繰り出すまでの煽りの空気は、十分にもうこの社会にある。陰湿に女性を排除してきた社会がじわじわと育ててきた結果だ。
そんな世界から自分の心を取り戻すために、今月はオータニが必要だったのかもしれない。ミソジニーでホモソーシャルな空気をまとっていない(ように見える)オータニさんの“正しさ”に、ようやく深い呼吸ができた。男どうしの「な?」が通じそうもない男に、ある種の男たちが感じる不安の正体を知ることもできた。そして、そんな男どうしの「な?」の通じない世界の風通しの良さを私は心から願っていて、その象徴にオータニさんがいたのかもしれない。女虐めを悦楽にする男たちの下卑た笑いをオータニの最強の光で燃やしてくれればいいのにな。まじで、オータニさんがいなければ3月を乗り切れなかったかも。ありがとう、オータニ。そして東京都は、Colaboのバスカフェ、再開を認めてください。