最初の感染者が出た後は、またたく間にキャンパスに感染が広がった。クラスメートの8割以上が感染。教員もほとんど罹患し、連日400人あまりの感染者が出ているという情報も流れた。
「私自身、感染しなかったのが不思議なくらいです。ただ大学のサポートがあったのと、軽い症状の人が多そうだったので、あまり悲壮感はなかったですね。むしろ、かかったら仕方がないというあきらめに似たような気持ちでした。このあたりは、日本と空気感が似ているかもしれません」
秋学期の授業は最後まで対面に戻ることはなく、オンライン授業のまま12月末に終了。一方で政策は緩み、都市の封鎖もなくなってどこでも自由に行けるようになった。学内の感染者数も落ち着き、生活は元に戻っているという。
大学の授業は23年の6月までだが、佐藤さんはその後も中国に残ろうと思っている。佐藤さんが芸術大学に在学していた時の研究テーマは、中華圏のファッションだった。
「中国の文化が好きなんです。長い歴史があるので、物事をひもとこうとすると次々といろんな発見があります。ファッションも時代が変わるとガラリと様変わりし、日本にはない面白さがありました」
18年に大学を卒業しアパレル業界に就職。仕事をするなかで、アパレル業界の重要なステークホルダーである中国のことをより理解するためにも、大学までの学びをさらに深めるためにも、中国語を習得する必要性を感じての留学だった。
「清華大は理系のイメージが強いかもしれませんが、実はファッション研究が盛んな大学でもあるんです。コロナ禍の留学生活でしたが、キャンパス内には大きな図書館が8棟あったり、オンラインシステム上でもジャーナルが読み放題なので関心のあるファッション関連の文献を読み漁ったりと、それなりに充実した環境で過ごせていると思います。ただ、中国語の習熟度はまだまだ足りません。もう少しこちらにとどまり、語学をもっと鍛えようと考えています」
加藤隆則(かとう・たかのり)さん
1962年東京生まれ。86年早稲田大学卒業後、北京言語学院大学院に留学。88年読売新聞社に入社。2005年から10年間中国に駐在し中国総局長上海支局長、編集委員を歴任。16年から汕頭大学ジャーナリズム・コミュニケーション学部の教授に就任。定年退職後22年から昆明分離文理大学院外国語学部で日本語の教師を務める。
(文・柿崎明子)