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思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。
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「中央公論」8月号の「英語一強時代」特集の中に、機械翻訳が長足の進歩を遂げているという記事があった。自動翻訳はいま3世代目に当たる。第1世代は文法をプログラム化するタイプ、第2世代が大量の対訳データを覚えさせて、ある表現文が何を意味する場合が多いかを統計的に処理するタイプ。そして、第3世代が「ニューラル翻訳」。対訳データを大量に覚えるのは第2世代と変わらないが、学習方法に「深層学習」というAIのアルゴリズムを用いるところが違うのだという。
今の自動翻訳はすでにTOEIC600点くらいのところまで来ていて、2020年には700点か800点に達する見込みだそうである。これがスマートフォンに実装されると、日本語をしゃべれば、英語音声に翻訳することができる。『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」と変わらない。ニュアンスの難しい文の仕上げは最終的に人間に頼るしかないが、日常会話で頻用されるストックフレーズや学術論文のように定型的でかつ一意的な文の場合は機械翻訳で用を便じるに足りるのだそうである。自動翻訳の専門家である隅田英一郎氏はこう言う。
「翻訳者、通訳者、外交官などは英語を勉強しなきゃいけないと思います。そういう人たちって何%ぐらいでしょうか。1%ぐらい? だとすると、99%の人は中学校や高校で英語を勉強しなくてもいいじゃないかと思うんです。今や小学校でも英語を勉強することになっていますが、自動翻訳機で代替できるという意味ではその必要はないのではないか」
機械翻訳の発達は非英語圏の人間に課されている英語習得のための膨大な手間を一気に縮減してくれるという点では朗報である。今、英語習得に投じられている学習資源をそれ以外の教科に投じることができたら教育は一変するだろう。
誤解してほしくないが、私自身は外国語の習得は教育のなくてはならぬ柱の一つだと思っている。それは私たちがおのれの民族誌的偏見から自己解放するための有効な手がかりだからである。学校教育における外国語学習がその「本義」に立ち戻ることを私は切に願っている。
※AERA 2017年9月11日号
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