「どうしてそこまで怒るの?」「そこまで言わなくてもいいのに」――。このところ、イライラする人や罵詈雑言を目にする機会が多いとは思いませんか? あそこでもここにもいる「感情決壊」する人々。なぜ私たちはかくも怒りに振りまわれるようになったのか。それにはちゃんと理由がありました。アエラ9月11日号では「炎上人(えんじょうびと)の感情決壊」を大特集。怒りの謎に迫ります。
喜怒哀楽のなかで、怒りだけは忌むべきワルモノ──。そんなことはありません。賢く建設的にスカッと燃やせば幸せに。「怒活」、はじめませんか。
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怒りを決壊させ、やりすぎた。それを未熟だ、ダメだと決めつけないでほしい。その裏には、やむにやまれぬ事情もあるのだ。
<花を出さないなんて、プロデューサーとしてありえない。社長は人を見る目がない>
テレビ業界で働いていた男性(37)は、その日、番組出演者の舞台に花を出していないことを知り、何かが決壊。憤懣に任せ、ツイッターにこう投稿した。
しばらく前、この男性は、プロデューサーからADへ、突然降格されていた。ミスを犯したわけではない。社長から告げられた降格理由は、事実と異なる内容ばかり。関係者をまわって証言を集め、社長に報告した。だが、社長は言った。
「そうか。でも、採用した時から、きみとは合わないと思っていたんだ」
男性は茫然とした。
●怒りを超える無力感
「それが理由か。なぜ採用したのか。それをいま言うのか」
心に押し寄せたのは、怒りとそれを超える無力感。同じ立場だった同僚男性の下に配属され、ADとして働く日々。取引先は驚き、同僚たちは気の毒そうな視線を向けた。取引先に事情を説明してくれる同僚もいたが、それもいたたまれなかった。
呟いたのは、フォロワー100人足らず、匿名のアカウント。仕事柄つながりのある業界人はいるが、社内の人間はおらず、職業も本名も社名も明かしていなかった。「いいね」は、ひとつもつかなかった。
それなのに数日後、社長に呼び出された。社長は社員のツイッターアカウントを特定し、監視していたと、後に知った。ただちに謝罪し、発言を削除したが、気持ちはさらにどん底。
その翌日、上司に呼ばれた。上司は言った。
「確かに花は出すべきだったね。だけど、本当はそれだけじゃないだろう」
自身の事情を話すと、気分が少し晴れた。気持ちを切り替えて、転職活動に打ち込んだ──。