3万年前に南西諸島で生きていた人類とはいったい何者なのか。

 台東県大武を出発したいかだの行く手を阻んだのは潮の流れだけではない。強い日差しが漕ぎ手の体力を奪い、台湾島にかかる雲が地形を読む目印を隠した。航海は3万年前を前提に進められているのだから、冷たい飲み物が常備してあるわけではなく、漕ぎ手は時折海に飛び込んで体に熱が溜まるのに抗った。この日のテストは結局、海上のしけでいかだのかじが利かなくなり、日没を迎えたため、緑島に到達する前に終了した。

●草か、竹か、木か

 失敗だったとも言いうるテスト航海だが、海部氏は「黒潮の海に慣れたということが大きい」と言う。手を入れただけですぐに流れを感じ取れる川とは違い、海上ではここからが黒潮といった具合にはっきりとした切れ目はない。いかだの漕ぎ手たちは、じわじわと黒潮に流されていく自らのポジションを、陸上の地形を目印にして把握していかなければならない。だから、黒潮を知ることが与那国島へ到達する条件のひとつとなる。海部氏は「土地勘のない人が漕ぐのだから、苦労するのは分かっていた。GPSを持たず、太古のやり方に慣れること。慣れてきたら、雲で陸上が部分的にしか見えなくても位置をつかめる可能性はある」と話す。

 プロジェクトでは旧石器時代から時計の針をぐっと進めて、縄文時代を意識した試みも検討している。縄文時代の遺跡から見つかった丸木舟を再現し、実験航海を行うことを視野に入れているのだ。「縄文人に何ができたかを押さえておけば、3万年前の人類が行ったのはそれ以上のことではないということが分かる」という狙いだ。

 与那国の草か、台湾の竹か、それとも木か。プロジェクトチームはさらに課題を整理し、舟の素材や形、漕ぎ方などを詰めていくことにしている。黒潮を越えて台湾から与那国を目指す航海の本番は19年度である。(ライター・松田良孝)

AERA 2017年8月14-21日号