AERA(2017年8月14-21日号)では「日本の境界線」について特集。「日本」といっても、東日本と西日本では言葉から味覚まで大きな違いがあり、時代、世代でもずいぶん異なる。お盆の時期、日本について考えてみよう。
台湾に自生する竹でいかだを組み、100キロ以上離れた与那国島まで人の手だけを使って漕ぎ渡る──。冒険のようなこのイベントは、3万年前の人類の姿に近づこうという目論見から始まった。
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「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、国立科学博物館人類研究部人類史研究グループの海部陽介グループ長(人類学)が進めているプロジェクトだ。南西諸島に点在する旧石器時代の遺跡では近年、新たな発見が相次いでいるが、ではその人類はいったいどのようにして海を渡ってきたのか──。
ことし6月11日、台湾南東部にある台東県大武の海岸を一艘のいかだが離れ始めた。長さ10.5メートル、幅1メートルというこのいかだに乗り込んでいるのは日本人と台湾人の男女合わせて5人。目指すのは、東北東に約70キロ離れたところに浮かぶ台東県の緑島である。台湾島と緑島の間には黒潮が流れており、プロジェクトチームの推計ではその流速は5ノット。これに対して、竹のいかだは最速でも2ノットほどしか出せず、このいかだで黒潮の海を渡り切ることができるのかを試すのがこの航海の目的である。
●沖縄が一番難しい
人類が日本列島に渡ってきたルートとしては北海道と対馬、沖縄の3ルートがある。プロジェクトチームがこの中から選んだのは沖縄。なぜなのか。
「沖縄は一番難しい。圧倒的に難しい。それにチャレンジした」(海部氏)
南西諸島と台湾島との間を北上する黒潮の流れは3万年前の人々が舟を操ろうとするのを苦しめただろうし、黒潮を無事に渡り切ったとしても南西諸島を次々に渡っていかなければ、現在知られているような旧石器時代の遺跡の分布は形成されない。さらに、一定の人々が生活の痕跡を残すには、予期せぬ漂流によって何人かが島にたどり着いたというのでは不十分で、まとまった人数の男女が移住を目的に計画的に漕ぎ出していったはずだという仮説がプロジェクトの前提になっている。