レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとってLGBT。性的マイノリティーを表すために生まれ、定着しつつある言葉だ。たしかに一定の理解は進んだ。だが、LGBTとひとくくりにすることで、塗りつぶされてしまった「個」や思いがあるのではないか。性的マジョリティー側は「わかったような気持ち」になっているだけではないのか。AERA6月12号の特集は「LGBTフレンドリーという幻想」。虹色の輝きの影で見落とされがちな、LGBTの現実に迫る。
LGBTに対する差別や偏見は、とくに地方で根深い。根底にあるのは教育だ。授業でLGBTを教える小学校も出てきた。
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「ずっと、着ぐるみを着ているような気分です」
愛知県に暮らす大学2年のりぃなさん(19)は、静かな口調でこう話した。
女の子が好きかも。そう思い始めたのは、小学校高学年くらい。小学6年の時、同じ学校の女の子に一目ぼれした。
女性なのか男性なのかわからない、不思議な自分。人にどう思われるのか、怖かった。親にも友だちにも言えず苦しんだ。自己肯定感を持てなかった。
大人になるとそのうち治るだろうと思ったが、高校になっても好きになるのは女性。私はみんなと違うんだ。一人で悩み、生きているのがつらくなった。通学途中、電車のホームに立つと、そのまま線路に引き込まれそうになった。
昨春、大学生になった。大学生のLGBT当事者が集まるインカレサークルに参加したり、昨年10月にはLGBTの居場所をつくろうと「名古屋あおぞら部」を立ち上げ、活動する。ブログでも思いを発信する。
「今は超元気です」
と笑顔を見せる。
それでも、顔と実名は決して出せないという。大学に入学してしばらく経ったころ、仲がよくなった同級生の女子たちと地元トークで盛り上がっていると、一人の子が言った。
「中学の時に女性同士のカップルがいたんだけど、キモイよね」
その場にいた全員が笑った。