2020年の東京五輪に向けて、新卒採用だけでなく、40代以上も含めた転職市場が活況だ。気になるのは転職後の年収のアップダウンだが、自己実現を優先しようと地方に移る人、お金に価値を置かない転職も増えている。AERA 5月22日号では「転職のリアル」を大特集。転職をまじめに考えている人、うっすら意識している人にも読んで欲しい。
転職に迷いはつきものだ。うまくいくのか、この選択肢で良かったのか。不安さえ前進する力に変える人は、何が違うのか。安定の都職員を辞め、北海道夕張市の市長となった鈴木直道さんに、転職についてお話を伺った。
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東京都職員を辞し、北海道夕張市長選に立候補を決めたのは29歳のときです。私は2008年1月から2年2カ月間、都から夕張市に出向しました。その後、約半年ぶりに夕張に戻った際、一緒に地域活動をしていた仲間から出馬要請されました。
とても悩みました。というのも、当時交際を続けていた現在の妻との結婚を控え、出身地の埼玉県三郷市に新居を確保したばかり。07年の財政破綻以降、夕張市長の給与は70%カットされています。月額25万9千円。退職金はゼロです。しかも、選挙運動には数百万円の費用がかかります。法律上、都職員を退職しないと立候補できません。片道切符なんです。当選しても身分が保障されるのは4年間。落選したらすべてを失う。
一方、都職員としての当時の年収は約500万円。市長に当選しても半分近くに減ってしまいます。悶々と考えていましたが、答えを出せませんでした。これだけ断るべき要素がたくさんあるのに、断れない自分がいた。何でだろうと考えたとき、こうした不安をいったんテーブルからおろして自問してみたのです。そうしたら、挑戦したい自分がいるから断れないんだ、と気づいたんです。
●高校生で母子家庭に
見ず知らずの人たちにも支援者になってもらうぐらいの熱意がなければ、どんな仕事も成し遂げられません。そう考え、自分の中で答えが出るまで誰にも相談しませんでした。こんな考え方をするのは、高校生のときに母子家庭となり、経済的苦境に陥った経験が大きいと思います。当然視していた大学進学を一旦断念し、食べるのにも苦労することになり、世の中は自分で切り開いて渡らなければいけないものだと痛感したのです。