出向時は土日も深夜まで働きました。財政破綻後、約260人いた市職員が半分以下になり、仕事は常に山積みでした。忘れ難いのは、都から市に出向した勤務初日。赴任は1月21日、最も寒い時期でした。配属先は市民の窓口対応をする市民課でしたが、午後4時になると、周りの職員がおもむろに席を立ち、スキーウェアを着込み、手袋を着けてパソコンに向かうんです。
この時間になると、経費節減のため暖房が切られるんですね。屋外はマイナス20度近く。市民課のある1階は入り口から風が入りこみ、氷点下になります。私は初日、こうした「装備」を持参していなかったので、午後10時ぐらいには指先がかじかんでキーボードを打てなくなりました。限界だと思い、同僚の人たちに、今日は早退させてくださいと申し出ました。
国内最大の石炭供給地として日本の近代を支えた夕張の歴史は理不尽そのものです。国のエネルギー政策の転換に伴い、炭鉱から観光へシフトしたのが裏目に出て財政破綻の憂き目に遭いました。約3千人が炭鉱事故で死亡しています。かつて夫を炭鉱事故で亡くした女性が「私はそんなに悪いことを、この人生でしてきたんだろうか」と嘆く姿を見て、申し訳ない、見て見ないふりはできない、絶対この状況を変えてやる、と思いました。夕張市の子どもたちにまで責任を負わせるのはあまりに理不尽ではないですか。
「大義ある逆境に挑戦する」が私の持論です。逆境でもそこに大義があれば必ず道は開けます。財政破綻から10年を経た今年、「不可能」とされた財政再生計画見直しを図ることができました。信じて身を投じるのが大事と思っています。
収入の多寡とは別に、人生でやりたいことと仕事が重なるのはすごく幸せなことです。もちろん仕事は苦しい。でも、人間は99%苦しい中で、1%楽しいことがあれば救われます。厳しい環境に身を置くことで見えてくるものもあるし、自分が成長している実感を得られます。もっと頑張らなきゃと思います。
(構成/編集部・渡辺豪)
※AERA 2017年5月22日号