年を重ねるごとになんとなく気まずさが出てくる、独身の子とその親。関係性を再構築するための処方箋は?(編集部・高橋有紀)
実家に帰るたび、思うことがある。
運転席に父、助手席に母。後部座席左に33歳の私、右に妹。30年近くも変わらないポジションだ。変わったのは車種とBGMだけ。小学生だった頃には、学校で習った「グリーングリーン」なんかを家族みんなで歌っていたが、今はカーステレオからクラシックが流れる。後部座席に座って、両親の後頭部に増えてきた白髪を眺めながら考える。
“この車の運転手は、いつになったら交代の日が来るんだろう”
仕事で取材に行った帰りに何げなくそんな話をしたら、同じようなことを、同僚の男性カメラマン(27)が言った。
「うちの地元では、『かまどを譲る』っていう言葉があるんですよ。家長が代わることを意味するんですが、昔は長男が嫁をもらったときに、一家の主が交代した。うちは兄弟みんな独身で、家を出ちゃってるから、かまどは譲られてない。食卓での上座もずっと変わらないまま」
帰省するたび、子どもの側も年を重ねていく。いい年した大人だけが家の中に数人いる状態。そして何となく漂う気まずさ。この気まずさの正体は何だろうと考え、ある結論に達する。そうだ、「孫」がいないからだ。
無邪気でかわいい幼子がいれば、きっとここで場が和む会話のひとつでも生まれ、両親にも祖父母としての役割ができる。成人した子と親のぎくしゃくした感覚を中和する存在になってくれるはずなのだ。
●「子どものくせに」
面倒を見る相手がいないものだから、親たちはいつまでも子の面倒を見ようとする。
周囲の30代以上の独身たち(同居・別居問わず)に聞いてみると、笑えるようで笑えない、面倒を見たがる親たちのエピソードがわんさか出てきた。