独自の経営哲学を持つ高田さんに「採用したいシニア像」を聞いてみた。

「前向きな方。実年齢が65でも、65だという意識ではなく、青年と同じ気持ちを持っていることが大事です。それと喋(しゃべ)るときは大きな声で表情豊かに、しっかり言葉を伝えられる方です」

 ちなみに、声は甲高くなくていいそうだ。(本誌・菊地武顕)

■ロザンナ・ザンボン「働くのをやめたら死んじゃう」

 17歳でイタリアから来日し、18歳のときにデュオ「ヒデとロザンナ」でデビューしたロザンナ・ザンボンさんは、60歳ぐらいのころから、

「母は63歳のときに亡くなったけど、自分はいったい何歳まで生きるのか」

 と気になり始めた。

「だいたい長くて80歳くらいかなと。身の回りをきれいにしておこうと、家を売って老後資金を確保。その後は細々と生きていこうと考えたんです」

 それは「終活」のようなものだった。1975年に結婚したヒデ(出門英)さんは90年に結腸がんで亡くなった。何より考えたのは、愛する3人の子供たちのことだった。

「お墓は日本にあるんです。ヒデが亡くなったときに、クリスチャンの私も一緒に入れるように、お寺ではなくて霊園にしました。でも、手続きが大変。たとえば、死亡届。ヒデは日本人だから死亡診断書を書いてもらって役所に届ければよかったけど、イタリア人の私が死んだときにはそうはいかない。イタリアから書類を取り寄せたりする必要がある。子供たちはイタリア語ができないので、それは大変だろうって」

 子供たちに面倒をかけたくないという思いが決定打となり、決意した。

「国籍を日本に変えよう!」

 ただし、国籍変更は簡単ではない。大変だったのは、70種類を超える書類をイタリアから取り寄せなければならなかったことと、日本語の習得だ。イタリア在住の姉に頼んで書類を取り寄せ、苦手だった漢字も毎日こつこつ勉強した。

「姉は本当に大変だったと思います。書類を取り寄せてわかったのは、私はイタリア人として生きてきたけど、イタリアのことを何も知らなかったこと。両親がいつどこで結婚したのかを証明する書類を取り寄せてわかったのは母の名前。私はずっと、『マリア・ルイザ』だと思っていたら、『マリア・ルイージャ』だった。面白いでしょ?」

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