主人には、社会人と大学生の2人の息子がいました。当然ですが、初めは息子たちから観察され、チクチクしました。料理好きの私は、ご飯で手なずけようと頑張りました。

 その後、息子たちは独立して家庭を持ちました。一方、主人は耳下腺がんを患いました。術後、再発せず、「良かったなあ」と喜んでいた矢先、肺炎で入院。その時の血液検査で骨髄異形成症候群(血液の難病)と診断されました。3カ月の入院を経て、在宅医療に切り替えてから約1年後に旅立ちました。

 救いだったのは、当時保護した一匹のの存在でした。猫と主人は相思相愛の仲。猫は、病院から戻った主人の介護ベッドで一日中過ごし、ずーっと主人の腕の中。そのことを知らない新しい看護師さんが、採血のため布団をめくると猫がいて、「キャー!」。主人は、びっくりされるのを楽しんでいました。自分が死んだらちゃー君(猫)を生きたまま一緒に棺に入れて、と無理なことを言っていました。

 ちゃー君は、病院から冷たくなって帰宅した主人の腕の中で一晩過ごし、半年後、主人の後を追うように逝ってしまいました。

 18年間の短い結婚生活。私が残り、先妻さんを亡くした主人に再び寂しい思いをさせなくてよかったと思っています。

 3年経てば悲しみは薄れるとよく聞きますが、私には当てはまりません。几帳面に書かれた夫の病床日記を読むと涙が出てくるので、いつも途中で閉じます。

 2組の息子夫婦は、入れ代わり立ち代わりにご飯を食べに来てくれます。有り難いような、有り難くないような。ご飯で釣ったから仕方がないか。食費で年金生活危うしの日々を過ごしています。

■君知るやあの荻窪の夜 古澤孝明(81歳・千葉県)

 20代半ば、教職3年目の夏だった。勤め先に近い東京・荻窪の割烹(かっぽう)で、先輩教師ら3人と談論風発。そこへ、同じ年の婚約者である君が仕事終わりに来てくれた。半年後に結婚を控えていたので、先輩たちに紹介するいい機会だった。君はすぐにその場の雰囲気になれ、お酌をしながら返杯も受けて気遣ってくれていた。

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