そうした逆風に吹かれつつ、仕事に奔走しました。結婚もしましたが、10年で離婚しました。だんだんと「一人で仕事がしたい」という気持ちが大きくなり、どこか後ろめたさもあったのでしょう。私のわがままで、申し訳ないことをしたと思っています。
おかげさまで、日本テレビに33年間在籍した後、文化女子大学の教授を22年間務め、仕事を続けてこられました。今は、脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症と第二腰椎(ようつい)圧迫骨折で毎日、強い痛み止めを飲みながらですが、やっぱり働くことが好きなんでしょうね。
――最後に、渡邉さんがもし、令和の時代に生まれていたら、どんな人生を生きたいか、聞いてみた。
日本テレビ時代、皇室番組とは別に、私がライフワークとしていた番組に、三つ子の成長とその子育てに奮闘する父親の姿を追った「太・平・洋シリーズ」があります。その一本が日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞を受賞したとき、記者会見でこう質問されたんです。
「なぜ、ここまで三つ子の家族に執着したのか?」
見栄っ張りの私は、本当のことを答えられませんでした。
「自分が欠損家庭で、父の愛がほしかったから」
と、本心では思っていたのです。
やはり、「普通の家庭」への憧れは強くあります。それでも結局、自身の結婚生活も続きませんでしたし、流産も2度経験し、子どもを授かることもありませんでした。
ですから、もし令和に生まれたなら、子どもをたくさん産みたい。そして子どもを育てながら仕事もしたいですね。平凡すぎますか? けれども、それが私の生きた時代にはとても難しく、「非常識」なことだったんです。
(聞き手/小川由希子)
※週刊朝日 2019年9月13日号