もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は音楽評論家・作詞家の湯川れい子さんです。
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私は、フランスの海洋学者のジャック=イヴ・クストーになりたかった。もし、パラレルワールドがあってもうひとつの人生を歩むならば、地球環境の保護を仕事として本格的に取り組んでみたいのです。
――湯川れい子といえば、音楽評論家、作詞家、DJなど音楽評論活動に加えて、反核運動、環境保護活動に熱心であることでも知られる。長男の存在が環境問題に関心を寄せる大きなきっかけとなった。
子どもが2歳半ごろだったでしょうか。小児ぜんそくの症状が出始め、お医者さんのアドバイスを受けて、呼吸器を少しでも鍛えるために水泳を始めたんです。都営プールのスイミングスクールに入れたんですけど、水からあがってきた息子の目が真っ赤なの。息子だけじゃない、アトピーの子も多くて、どの子もみんなそうでした。そばにくると、ぷーんと消毒薬のにおい。
それにね、脱衣所にハンバーガーの自動販売機があったんです。息子はそれが大好きで、行くたびにねだられた。でもちょっと待って。ひき肉の料理なんて半日放置しただけでいたむのに、機械の中でずっと加熱してるハンバーグは大丈夫なの? いつ作ったものなの? 何が入っているの? プールの水には、どんな薬品がどのぐらい入ってるの?
プールの管理人に聞いても「規定通り。どこも同じですよ」。ハンバーガーの包みには、成分表や添加物の表記はない。そこからですね、「知りたい!」「おかしい!」と声をあげるようになったのは。