SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「少年野球の監督」。

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 休日の多摩川の河原は、少年野球のチームでごった返している。

 野球やサッカーのように集団でやるスポーツはやるのも見るのも好きではないから、特段、少年野球に興味があるわけではないのだが、多摩川の河原を走っていると否応なく練習風景が目に飛び込んでくる。

 実を言えば大センセイ、紅顔の美少年だった頃、一年間だけ少年野球チームに所属していたことがある。ドッジボール大会を見に来ていた監督に速球を見込まれて、ピッチャーとしてスカウトされたのだ。だが、途方もないノーコンだったので、一度ミットで受けてくれた切り、監督はピッチャーの「ピ」の字も言わなくなってしまったのだった。

 それはともかく、往時と比べて明らかに異なるのは、山のような付き添いの親の存在であろう。かつては、練習どころか試合を見に来る親すらほとんどいなかったが、いまや大きなチームともなると、二〇人を超える親たちがグラウンドの周囲を取り巻いている。

 
 しかも、ただ見に来ているだけではないのだ。練習の様子をビデオに収め、飲み物を提供し、チームによっては、昼食の炊き出しまでやっている。ありゃいったい、何であろうか。

 大きなお世話かもしれないが、河原には水道があるんだし、昼食なんてオニギリがあれば十分ではないか。毎週毎週、河原にガスコンロを持ち込んで炊き出しまでやる必要性がいったいどこにあるのか、まったくの謎である。

 そして、輪をかけて謎なのが……。

「オラオラ、ぼさっと突っ立ってんじゃねぇぞこの野郎。声出せ、声」

「テメエ、何回同じこと言わせんだよ、脳みそ入ってんのか、このボケ」

「どこ見てんだアホンダラ、球見ろ、球」

 聞いてるだけで腹が立ってくるが、わが子が監督やコーチからこうした罵詈雑言を目の前で浴びせられているというのに、付き添いの親たちはまったく抗議をしないのである。

 
 もしも昭和君がこんな罵声を浴びせられるのを見たら、大センセイ、即座にこう叫ぶであろう。

「テメエ、大切な息子になに言うんじゃ。脳みそ入ってんのか、このボケ」

 だが、休日の多摩川の河原で起こっていることは、正反対なのである。一部のチームだけのことかもしれないが、わが子に罵声を浴びせている張本人に、親たちは感謝をし、奉仕すらしているんである。

 ここには、わが日本国が抱える重大な、そして根深い問題が潜んでいると大センセイは思うぞ。

 親たちは、わが子がああやって罵声を浴びて、泣きながら球拾いなんかをすることによって強くなると信じているのだろう。叩かれて叩かれて、その悔しさをバネにして人間的に成長していくのだと……。

 
 言うまでもないが、そんなことで人間は強くなりはしない。心が歪むだけだ。そして、大きく歪んだ心は、無意識のうちに叩かれた屈辱を晴らすことを企図(きと)するようになる。叩かれた人間は、ちっぽけな権限を握るや否や、必ず自分より弱い存在を叩くようになる。

 いったい、少年野球の監督がいかなる資格を持って子供たちを罵倒しているのか知らないが、やっていることは紛れもなく人格の否定である。それが罷り通っているのは、人格の否定を肯(うべな)う社会が彼らの背後に広がっているからだろう。

 大センセイ、つくづくノーコンでよかった。

週刊朝日 2018年3月23日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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