SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機の『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「臭かった」。

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 誰にでも、楽しかった思い出や悲しかった思い出はあるだろう。では、臭かった思い出はどうだろう。

「人生で、一番臭かった思い出を教えてください」

 と問われて、即答できるだろうか。

 以前、香水を作っている調香師の話を聞く機会があった。仮にSさんとしておくが、さすがは香りの専門家だけあって臭かった思い出を明確にお持ちであった。

「子供のころ家族で逗子海岸に遊びにいったとき、砂浜にイワシが打ち上げられていたのです。尻尾を持ち上げてみたら腐っていましてね、そりゃあ、ものすごく臭かったですよ」

 そりゃあ、ものすごく臭そうだ。さらにSさんは、こんなことを教えてくれた。

「プルースト効果といって、ある臭いを嗅ぐと、過去にその臭いを嗅いだときの情景や感情を、まるで映画でも見るように鮮明に思い出すことがあるんですよ」

 
 なんでも、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説の中に、マドレーヌを紅茶につけて食べようとした瞬間、過去の記憶が鮮明に蘇るという場面が出てくるそうだ。

 Sさんは、鮮度の悪いイワシの臭いを嗅ぐ度にプルースト効果が起こって、逗子海岸の風景やそのときの家族の会話までが、はっきり蘇ってくると言っていた。

 では、大センセイ、臭かった思い出はあるのかと問われたら、あるんである。それも飛び切りのやつが。

 時は、すでに何度か触れた阿佐ケ谷貧乏アパート時代に遡るが、隣の部屋にO君という若者が住んでいた。

 O君はいつも一眼レフのカメラをぶら下げていたので「カメラン」とあだ名していたのだが、カメランは学生なんだか社会人なんだかよくわからない、謎の人物であった。

 最大の謎は、何といっても、休日に何十人という老若男女がカメランの部屋を訪ねてくることであった。間取りはどの部屋も同じだったから、二十人も入れば全員が立っている以外にないはずである。

 
 大センセイ、新興宗教の集会に違いないと思って壁に耳を押し当ててみたが、コトリとも音がしない。シーンと静まり返っているのである。

 実に怪しい……。

 そんな人物だったから極力接触を避けていたのだが、引っ越しをするとき、ウィンドウ・ファン(窓専用の簡易型エアコン)が不要になってしまったのだ。粗大ごみで出せばお金がかかるし、だいいちもったいない。

 そこで、どうせすぐにお別れだと思って、思い切ってカメランに声を掛けてみたのである。すると慎重にも、「貰う前に下見したい」という。

 どうぞどうぞと部屋に招じ入れると、臭ったのである。何かが強烈に臭ったのである。しかも、カメランが立ち去った後も、その臭いは消えなかったのである。

 
 臭いの正体を突き止めるべく、カメランの“立ち回り先”を点検してみると、リノリウムの床の表面にかすかにテカっている部分がある。何だろうと思って膝をかがめた、その瞬間、

「うへっ、くっせー」

 犯人はなんと、カメランの足跡であった。吐きそうになりながら雑巾で何度も拭き清めたが、恐るべし、カメランの足跡はその後三日間も強烈な臭いを放ち続けたのであった。

 いつか、息子の昭和君がニキビ面の脂っぽい若者に成長したとき、うっかり彼の運動靴の臭いを嗅いでしまったりしたら、眩暈のするようなプルースト効果が起こるかもしれない。

週刊朝日 2018年3月9日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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