これまで妻の母親を介護してきたお笑い芸人の島田洋七氏。漫才師として活躍していた島田氏は、その経験が介護にも役立ったという。
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この年になって改めて思うのは、良い嘘と悪い嘘があるということ。
最近のバラエティー番組を見ていると、笑い声を足している番組がたくさんある。俺らの漫才ブームの頃は、ありがたいことに笑い声を足すということはなかったから、必死になって目の前のお客さんを笑かそうとしていた。でも、今はすぐに笑い声を足してしまうから、芸人が鍛えられる機会がなくなってしまった。面白くもないのに笑い声を足す――そういう嘘はいかんと思う。
どんなことでも、嘘をついてやっていたら苦しくなるだけだ。「介護しなくちゃ」という思いで自分に嘘をついたり、誰かに見えを張ってええかっこしいして介護をやっていたら、長続きしない。
見えを張るなというのは、ばあちゃんの教えでもある。
ばあちゃんの料理には、よく“伊勢海老”が使われていた。ザリガニのことを「伊勢海老」と言って俺に食べさせていたのである。そのことを本に書くと、同級生から意外な反響があった。
「うちでもザリガニを食べてたけど、貧乏くさくて今まで言えんかった。子供に向かって『お父さんは小さい頃ザリガニを食べてたんだぞ』なんて話すのは恥ずかしくて。でも、貧乏話をしても別に構わないんやね」
俺が子供の頃は、世の中の大半の人が貧乏だった。俺らはザリガニだって食べていたし、子供が何人か集まると、皆おなかが減っていたから柿を盗みに行っていた。大人になったからといって、見えを張って隠す必要などないのである。
本気で正直に生きていたら、そんなことで苦しむ必要もない。逆に言えば、悪いことをして年を取ったら、人は絶対に苦しんで死ぬことになると思う。
一番最低なのは金の絡んだ嘘だ。何年も前から振り込め詐欺が話題になっているけれど、いまだに「老後のためにとっておいたお金を騙し取られた」という話が絶えない。嘘をついて人の金を取る、しかも高齢者から騙し取るというのは、最低の嘘だ。
同じ嘘であっても、お金のかからない嘘はいいと思う。どんなホラ話であっても、それが笑いにつながっていくのであれば、それは良い嘘だ。
俺は漫才をやっているときもホラ話をしていたようなものだから、その経験は介護をする上でも役に立った。介護をするとき、適度にホラをまぜて話すのは、決して悪いことではないと思っている。目の前にいる相手を何とか楽しませようと思っていれば、段々ホラの表現力も豊かになってくるはずだ。
しゃべくりが下手な若手漫才師でも、何年か介護を経験して、目の前にいる相手を笑かす練習を積めば、漫才がうまくなるかもしれない。
※週刊朝日 2014年7月25日号