もうすぐ、お月見シーズン。料理研究家の柳谷晃子氏は団子との歴史をこう説明する。

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 かつて3兄弟で国民的人気になった団子。米やその他の穀類の粉を練って丸くしたものを一般的にそう呼び、日本全国で親しまれてきました。お彼岸など仏事や供物によく使われていて、故人の枕元に団子を置く「枕飾り」をする地域もあります。

 この団子の原型ともいえるのが「シトギ(粢)」です。水に漬けてふやかした生米を、挽いて粉にして丸めたもののことで、その始まりは古墳時代。皇族への献上品だったといわれています。

 現在でも、青森ではタラ漁を始めるときの儀式として、丸める前の練ったシトギを顔に塗り、大漁を祈願する祭りがあります。また、お盆にお墓参りをするときに、米を漬けた水を墓にかける地域もあります。料理であんかけを作るときに片栗粉を水に溶かしますよね。あのようなトロッとした状態のものをお墓にかけて、安らかに眠ってくださいと願う、古くからの慣習です。

「餅」はこのシトギから生まれました。面白いことに、シトギの文化は広くアジア地域にあるのに、餅に発展したのは日本だけです。

「餅」という漢字を使う食べ物は、中国にもありますが、中国では米ではなく、小麦粉の加工品を意味します。お菓子の「月餅」は小麦粉で作られているし、「薄餅」は北京ダックを包む皮のこと。いずれも小麦粉を水で練って作ります。そうした点からも、日本の餅が独自の発展をしたことが想像できます。

 シトギは団子や餅へと形を変えましたが、鎌倉時代に栄西禅師が中国から喫茶の風習を伝えた時期と、菓子が普及するタイミングが合って、日本の菓子文化が発展していきました。

 桃太郎は家来を集めるのにきび団子を使ったと伝わっていますね。しかし民族学的には団子には死者の霊を弔う枕飯という意味があり、鬼退治の鬼に手向けるために持っていたと解釈することもできるのです。

 さて、同じ仲間の団子と餅ですが、団子はケの食べ物、日常的に用います。逆にハレの食べ物の餅を毎日いただくのはお正月ぐらいではないでしょうか。

 なぜそのような関係になったのか。それは和菓子の成り立ちが関係しているようです。

 伝統的な菓子の世界では、上菓子屋と餅菓子屋が作る菓子は別の種類です。上菓子屋に並ぶのは、お茶席に使う上生菓子が主流。宮中や幕府に献上されていた華やかさをまとっています。そして、餡の製法などが上菓子屋と異なる餅菓子屋のお菓子は、普段のおやつについ手が伸びる、親しみやすいものが中心です。

 そろそろお月見の季節。やはり月には団子が似合います。

週刊朝日  2013年9月20日号