人生のBGMのように、ふとしたときに口ずさみたくなる山下達郎の音楽。時には人生の後押しをしてくれることもある。30代女性は曲に背中を押され、東京を離れて離島で暮らす決断をした。
長崎県対馬。晴れた日には、海の彼方に韓国がみえる「国境の島」だ。松野由起子さん(34)は昨年4月、東京からやってきて、「対馬市 島おこし協働隊・島デザイナー」の嘱託職員として働いている。多摩美術大学で油絵を学んだ経歴を生かし、島の特産「佐護ツシマヤマネコ米」のパッケージ画などを手がける。
30代目前、手がけていた消しゴム版画の腕を見込まれ、都内のカルチャーセンターで講師を始めた。大きな作品の制作を依頼されたのを機に講座の数を削り、制作に集中するうちに仕事がなくなった。面識のあった対馬市職員からメールを受けとったのは、そんなときだった。
「島おこしの職員を探しています。誰かご存じないですか」
「自分じゃダメだろうか」。だが同時に、「東京を捨てるのか」という思いも募り、決断を下せなかった。その時に頭の中に浮かんだのが、20年以上もファンだった山下の「蒼氓(そうぼう)」だった。
「遠く翳(かげ)る空から たそがれが舞い降りる」で始まる、内省的達郎ソングの代表曲。ライブアルバム「JOY」に収録され、挿入歌として、ジ・インプレッションズ「ピープル・ゲット・レディ」をカバーする。日本語訳を読むと、自分に向けられているような気がした。
「荷物なんていらないさ ただ乗ればいい 必要なのは信念だけ エンジンがうなるのが聞こえるよ 乗車券なんて要らない」
島の古民家で暮らし、庭の雑草と格闘しながら、毎日思う。
「焦っちゃいけない。暮らしを積み上げることでチャンスを待っていたい」
対馬市との契約は1年半後に切れるが、松野さんはこのままデザイナーとして島に残るのもいいなと思い始めている。
※AERA 2012年10月1日号