井上は、6月末の日本選手権の5千メートルではいまひとつの結果に終わったが、7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会の1万メートルで28分8秒10を記録するなど、走り込みと並行してスピード感も取り戻している。7月中旬には、高地トレーニングのために米コロラド州ボルダーへ旅立った。
■視線は東京五輪の先へ。世界と戦う力を磨く
井上は中学時代に、渋谷幸則という外部からのコーチと出会った。すでに故人となっているその人に陸上の楽しさを教わった。「最初は遊び感覚でちょっとずつ真剣になっていった感じ。小学校時代に何もできなかった自分が、陸上で誰かに勝ったり、記録が伸びたりして褒められた。それがうれしかった」。陸上人生の原点がそこにある。
黒木はコーチのすすめで中学時代の井上を見ている。
「いいピッチ、いいリズムで走る選手だと思った。本当は高校卒業後に採りたかったんですが……」
山梨学院大の駅伝監督(当時)だった上田誠仁が井上を勧誘していた。同大出身の黒木は「さすがに恩師の前でウチに来いとは言えないので4年間待っていました」と笑う。
大学時代、井上にとってはケニア留学生との練習が世界と戦うことの意識付けになった。
「目の前で海外選手の実力を見ると、日本の感覚で、今日はこれができたから俺は強い、といった感情は一切なくなる。いい刺激というよりいい薬だった」
4年連続で箱根駅伝にも出場したが、上田監督から言われていたことは「大学で出し切るな」ということだった。練習は抑えめで、じっくり地力をつけていく方針だった。
そうして磨かれた井上の走りを黒木はこう評価する。「ピッチが速い上に、走りがケニア人のように大きい。バネが利いている。天性の部分もあります」。少し跳ねるような走法が気になったこともあったが、あえてフォームはいじらずにきた。きつい場面で、肩や首に力が入り過ぎる癖も最近は解消されている。
東京五輪でのメダル獲得がひとつの目標であることは間違いない。ただ、井上の視線は常に五輪の先にある。「MGCだ、東京五輪だと散々言われるけれど、それだけじゃない。世界と戦う力を磨いていかないと」
(取材・文/朝日新聞スポーツ部 堀川貴弘)
※『マラソングランドチャンピオンシップGUIDE』より抜粋