競り勝った相手のエルアバシがその後、2時間4分43秒の自己記録を出したことも、自信を深めるひとつの材料になっている。
「自分もやれるという気持ちになりますし、そういう選手に勝った身としては、同じくらいに走れないと申し訳ない」
アジア大会の次に選んだレースは今年4月のボストン。123回を迎える伝統のレースは終盤に“心臓破りの丘”と呼ばれる上りがある。東京五輪(MGC)のコースも37キロ付近から緩やかに上り、さらに40キロ以降は急な上りと下りがある。どの選手も勝負どころに挙げるポイントだ。ペースメーカーがつかず、序盤から駆け引きが必要になるレースでもあった。
ただ、「世界レベルの選手にもまれて、しっかり勝ち切れればいい」というレース前の抱負とは裏腹に、本番では30キロ過ぎに失速し、2時間11分53秒で12位に終わった。本人は帰国後、レースを振り返り、「結果以上に手応えを感じた。力不足なりにも力がついている」と語った。一方で世界との差を改めて感じたのも事実だった。
「国内でちまちまやっていてもしょうがない。日本人トップとかはいらない。そういうのは取っ払って、もっと上を見ていかないといけない」と、強い口調で言った。
黒木監督はボストンでの戦いぶりについて「もうちょっとやれると思ったけれど……」と言う。「レースまでの準備期間が長くて、ちょっと集中力を欠いたところがあった。スピードも足りなかった」と敗因を分析した。4強に挙げられる選手たちはみんな、MGC進出を決めてから少しつまずいている。
大迫は東京マラソンで途中棄権した。設楽は元日の全日本実業団対抗駅伝の直前に発熱し、体調がなかなか戻らず、出場を予定していた東京マラソンなどを回避せざるをえなかった。服部は4月末に虫垂炎の手術をした。
マラソン選手の好調期間など1年も続かない。ケガはしないに越したことはないが、失敗レースやアクシデントがあって反省したり、ひと息入れたりすることが、その後の成長のきっかけになることがある。