イスラエルの北、地中海に面しているハイファという町は人口28万人。ここに日本美術に特化したユニークな美術館があります。アジアコレクションの一部としてではなく、日本美術だけを集めた美術館は海外ではおそらくここだけでしょう。フェリックス・ティコティン氏の名前をとった「ティコティン日本美術館」です。
ティコティン氏はドイツ生まれ。ホロコーストを生き延びた人です。生涯をかけて蒐集してきたコレクションを持って1956年にイスラエルに移住。同時に膨大なコレクションをハイファ市に寄贈し、1960年にこの美術館は開館しました。ここはハイファで最も有名なスポットで、毎年数多くの人が訪れます。
イスラエルという文化的にも地理的にも日本から遠い場所で、このような美術館がどのようにしてできたのか。美術を通して日本とイスラエルを近づけることに大きな貢献をした3人のイスラエル人について話をします。
ティコティン氏は1893年、ドイツのグローガウという小さな町に生まれました。若い時代をドレスデンで過ごし、建築を学び、ドイツ軍に徴兵され第一次世界大戦に士官として従軍。戦後、シベリア鉄道で日本に旅行に行き、すぐに日本文化に魅せられ、1927年から日本美術の蒐集をたいへん熱心に始めました。
まもなくベルリンで最初のギャラリーをオープンさせ、第二次世界大戦までは欧州のいたるところで日本美術の展覧会を開催してきました。ところが、戦争が始まると、ユダヤ人のティコティン氏と家族はナチスの追及から逃れるためにオランダへ渡ります。幸いなことに彼と家族は難を免れましたが、貴重な日本美術コレクションは失われてしまいました。
戦後、ティコティン氏は再び日本美術コレクションを立て直すことを決意し、かつての人脈をたどって何度も来日しました。間もなく欧州の個人蒐集家としては最も際立つコレクターとなったのです。
ティコティン氏亡き後、現在はイラナ・ジンガー博士のもとで、9000品目もの日本の美術品が管理されています。鈴木春信の錦絵「輿入れ」、喜多川歌麿「忠臣蔵六段目」の錦絵など主に17世紀から19世紀のもので、日本画、浮世絵、茶器、根付、漆器、刀剣などが並んでいます。
もうひとつの重要な日本美術のコレクションは、ヤコブ・ピンス氏の蒐集です。ピンス氏もまた、1917年にドイツの小さな町ホクスターで生まれました。獣医の父親からは科学の道を勧められましたが、美術に魅せられてしまいました。1936年、当時はパレスチナと呼ばれていた建国前のイスラエルに移住しエルサレムで美術を勉強します。その後、残念なことに彼の両親はホロコーストで殺されてしまいました。