イスラエル建国の3年前にあたる1945年、ピンス氏はエルサレムの旧市街にある骨董屋で、日本の浮世絵に目を奪われます。日本の木版画の芸術的な出来栄えに感動を覚え、すぐさま購入しました。この経験以降、妻エルサとともに熱狂的な日本美術の蒐集家になっていったのです。

 ピンス氏はエルサレムに広い庭付きの小ぶりな家を購入しました。そこで自らの蒐集品を展示し、88歳で亡くなるまでに多くの人が彼の家を訪れ日本美術の説明に耳を傾けました。死後、そのコレクションはイスラエル美術館に寄贈されています。

 現在、ユダヤ人の蒐集家として知られているのは、オフェル・シャガン氏です。彼はイスラエルの地中海沿いにあるカエサリア近郊の町で生まれました。小さいながらも古代ローマ時代に港町として栄えた町です。シャガン氏はこの古代の港町で元気よく遊んで育ちましたが、アンティークや美術にも関心が強い子どもでした。

 1980年代、エジプトに数年住んだ後、来日を果たします。すぐに熱心な日本美術の蒐集家となり、都内にギャラリーを数店舗構えるほど事業を成功させました。いまでは東京の一等地である表参道に住んでいます。種類豊富な彼の蒐集品は主に浮世絵、陶器、漆器、刀剣などで、いずれも貴重なものばかり。中には12世紀のものもあります。

 とくに1万点を超える「春画」のコレクションは世界最多を誇ります。しかも、彼を有名にしたのはその蒐集数だけではなく、彼の日本美術に関する才能豊かな文筆力。すでに日本語で14冊もの本を出版しています。朝日新聞出版でも新書「わらう春画」を上梓していますので、読んでみてください。

 2015年、彼は15~19世紀にかけての浮世絵、春画、能面など300点の蒐集品をヘブライ大学アジア研究所に、姉のオラニットさんの追悼として寄贈しました。これらは日本美術の研究生にとって貴重な研究素材となっています。シャガン氏は他にもイスラエル美術館、ティコティン美術館にも寄付をしています。

 彼ら3人のユダヤ人を日本に惹きつけたものとは何だったのでしょうか。その答えは簡単には見つけられませんが、ティコティン氏、ピンス氏、シャガン氏の人生やその功績が物語るように、文化には国と国との距離や違いを超越する大きな力があるということだけは言えるでしょう。

○Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。07年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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