だからと言って、「自分は秋帆さんのことを大事に思っている」と博隆さんが主張するのは、NGです。実際に博隆さんは、秋帆さんに「私のことなんかどうでもいいんでしょ?」と問い詰められて、「そんなことない」と答えています。それによって、「自分(博隆さん)は大事に思っているのに、それを分からない君(秋帆さん)が悪い」というメッセージとして相手に伝わりかねません。

 一方、秋保さんからしたらいくら説得されても、実感を持てるようにはなりにくく、それどころか、この平行線は解決する気がしない、と感じてしまいかねません。

 そうなると、人はどうしてもわかりやすいところだけを理解して、わかった気になってしまう傾向があります。博隆さんにとっては、明確に語られていない「自分のことを大事に思ってくれていると実感したい」という本質的なニーズより、秋帆さんの

「私がこんなに体調悪いのに、なんで平然と会社行けるの?」

というような発言のほうがわかりやすいと感じます。<妻の体調が悪い時には、会社に行かなければいい>という方法論も明快なので、そういう方向で理解してしまうのです。

 つまり、こういった表面的な発言に振り回されず、「自分のことを大事に思ってくれていることを実感したい」というニーズを分かった上で、それを実感するためにどうしてほしいのかという方法も分かる必要があります。

 これが、相手のニーズを満たす難しさです。

(3)の方法ですが、現実的なことでいえば、人は自分がしてもらってうれしいことは、体験としてわかります。例えば、私は果物の皮をむいてもらえると嬉しいです。また、一般的にこういうことをしたら人は嬉しいはずだというのは知識としてあります。女性は花をもらうと嬉しいとか、男性は手料理をふるまってもらえると嬉しいとかです。問題は、これらの経験と知識が、今、目の前にいる相手に通用するとは限らないことです。

 冒頭の「花束をもらっても、うれしいと感じない」という秋帆さんのケースは、まさに一般論が通じなかった例です。

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「食器ぐらい洗って!」と言う妻の本心