当時、三恵さんは“アマチュア無線”をやっていて、家にも車にも無線機を積んでいた。免許制ではあるが、アマチュア無線は車で移動中でも通信し合える便利な通信手段だった。そしてまた康弘さんも。
「彼は中学生の頃に免許を取り、免許保持者はまだまだ少なく、アマチュア無線界ではちょっとした有名人で、当時専門誌で連載も持ってたほどでした」
そのうち、小学生の娘さんも三恵さんの影響でアマチュア無線の免許を取り、娘さんから直で康弘さんに無線で連絡するように。
「携帯もメールもない時代です。固定電話でなく、無線であれば気軽に連絡できたんでしょう。また、娘はお父さんが欲しかったのかもしれません。別れた夫はすぐ結婚しましたし、連絡を取っていなかったから」
康弘さんは、「実は僕も妻とは別居していて、三恵の娘が慕ってくれることは嬉しかったですよ。もしかしたら彼女は、ボクのことをいちばん理解してくれているかもしれない。学校のこと、進路のこと、いろいろ相談を受けたし、話をしたから」と言う。
もともと文系だった三恵さんの娘さんは、なにくれとなく康弘さんに相談するうちに、理系に興味がわき、進路まで変更することになる。
■娘が取り持ってくれた縁
三恵さんの一人娘は康弘さんの助言の甲斐あって、無事進学した。
「彼に子育てしてもらったと言ってもいいかもしれませんね」と三恵さんは当時を振り返って言った。
「つき合いが長かったので、いつから、とははっきり覚えていませんが、娘が父のように慕う彼に徐々に私も惹かれていったのかもしれません。今思い出しても、『つき合おう!』なんて告白された記憶もないし、自然とそういうことになっていました。今から10年ちょっと前です。娘が私の手を離れたこともあるんでしょうかね。無線で告白された、なんてことがあったら記憶に残っているんでしょうけど(笑)」
すでに康弘さんの離婚も成立していた。三恵さんは40代後半、康弘さんは60歳、大人のつき合いが自然に始まっていた。(取材・文/時政美由紀)
時政美由紀(ときまさみゆき)
(株)マッチボックス代表。出版社勤務後、フリー編集者に。暮らし、食、健康などの実用書の企画、編集を多数手がけている