日本側が反応しなくなったら帰すと言われていたので、安田さんはこのパキスタン人と一緒に釈放された場合、そういう状況証拠になると考えたという。

「11月22日にパキスタン人に「明日また帰す」と言いに来ました。22日は一週間後の29日が私の写真が公開された半年後です。日程的なものを考え、解放ではという気がしました。彼らの食事を持ってくる連中は指を立てる。それは解放だと言っているのかと期待しました。

 この頃、周囲にいる囚人と話をしたいなと思っていました。横の部屋にパキスタン人、上の部屋にはシリア人の親子がいました。話している様子を聞いていると、シリア人親子も人質だったようです。親子のブローカーがきて、英語で話し始めました。近所に住み始めたバングラデシュ人が求婚をしてきたので断ったら、仲間を連れてきて一家まるごと連れらさられたと。それが一年以上前だと。半年前に妹が出ていったと言っていたので、人身売買されているんだなと思いました。人身売買のマーケットがあり、彼らも関与しているなと。売っているかは分かりませんが、買ってきて身代金を請求する組織なのだと思いました。彼らは人質ではなく、外国人の義勇兵がたくさん使われているようでエジプト人やヨルダン人、パキスタン人、アフガニスタン人とお互いに言っていました。彼らは自分がヌスラであると言ったり、イスラム国であると言ったりと会話で言っているんです。そういった会話を聞いて、ヌスラの囚人がいるんだ、ということがどういうことなのか分からなかった。これについて、今でもどうして彼らが捕まっているのかは分かりません。彼らもあと何人で解放だと話していて、食事を持ってくる看守とも怒鳴り合ったりと深刻な立場にある囚人という印象ではありませんでした。

 アサド政権の兵士も捕まっていたようで、彼らは度々拷問を受けていて叫び声が聞こえてきました。棒のようなもので殴っているような。それから、ハシシ(大麻)の売人もいました。彼ら自身が治安維持をしていて、そういった人々を捕まえて何カ月か監禁するということをやっているのではと周りの声を聞いてうかがえました。

 周りの囚人が喋っていたということが彼らにバレてしまい、このあたりがジャバル・ザウイーヤであるということを言ったとバレてしまい、1週間後くらいにフロアに囚人が連れられて、見せしめのような拷問が始まりました。本当に知られたくないことだったのだと思います。途中から部屋を移され、彼らの事務所の隣にある部屋で、尋問がよく聞こえてくる。周りに他の囚人がいないので話せない環境でしたが、尋問の様子を聞いているとやはりヌスラの捕虜に対する尋問をしている様子が聞こえてきました。

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