会見を行った安田純平さん(撮影/福井しほ)
会見を行った安田純平さん(撮影/福井しほ)
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会見を行った安田純平さん(撮影/福井しほ)
会見を行った安田純平さん(撮影/福井しほ)

安田純平さんの手帳(撮影/福井しほ)
安田純平さんの手帳(撮影/福井しほ)

 シリアに2015年に入国して武装勢力に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、東京都内の日本記者クラブで帰国後初めて記者会見した。

【安田さんが残した手書きメッセージはあの漫画の名セリフだった】

 午前11時ごろ、スーツ姿で厳しい表情を浮かべて現れた安田さんは、解放時に長く伸びていたひげは、短く整えられていた。

 会見の冒頭は立って、「解放にご尽力いただいた皆さんに深く感謝します」と感謝の気持ちを述べて頭を下げた。さらに「私の行動によって、日本政府が当事者にされてしまったことも申し訳なく思っている」「何があったか、可能な限り明らかにすることが私の責任だと思っています」と発言した。体調を考慮し、着席後のフラッシュ撮影NGとなる中、拉致に至った経緯の説明を始めた。トルコに入ったのは2015年5月末で、反体制派武装勢力「自由シリア軍」から、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)に関する資料を入手したことが深入りするきっかけとなったという。

 冷静に3年4カ月の間に起こった出来事を振り返った安田さん。会見の主な 全文は以下の通り。

*  *  *

「自由シリア軍からイスラム国に関する資料を入手し、表に出ていなかった資料であると説明された。『ヌスラ戦線』(イスラム過激組織)の人質だったスウェーデン人の資料もあり、信憑性が高いと考えました。(イスラム国構成員の)家族構成や給料が違うとか、月の予算など、イスラム国が単なる『ならず者』というより、国家のような組織であると感じ、更に取材をしたいと思いました。15年5月ごろ、反政府側組織がイスラム国に対抗するため、いがみ合っていた組織が協力関係を作り始め、シリア北西部イドリブ県を中心として反政府側の地域が一定の安定をみせ始めた時期でした。

 主要都市を政府側から奪い取り、勢力を伸ばし始めていた時期です。イスラム国が注目される中で凶悪な組織と言われていた一方で、アサド政権の空爆によって多くの死傷者を出していた。

 反政府側の組織を見たいと思っていました。絶対的権力のない地域で、武装勢力と人々の地域社会がどのように安定しているのか。おそらく人々の共通の価値観、倫理観であるイスラムが地域の安定に寄与しているであろうと思いました。イドリブ県にはイスラム法廷が設置されていたり、警察組織を組んで治安維持も始めていました。そういった状況でキリスト教徒とか、少数派の人がどういう生活をしているのか、ぜひ見たいと思っていました。イスラムに基づく地域社会というものが外部の人間から見て理解しうるものなのか、探りたいな、というのが今回の目的でした。
 

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「シリアに入る」と案内する人物から…