もともと池上電気鉄道という会社が、池上本門寺への参詣者輸送のために、免許申請が行ったのが1912(明治45)年、さまざまな問題が山積していたため実際の開業は1922(大正11)年となるが、これもお会式直前に間に合わせるかのように営業が始まっている。のちに東急電鉄によって合併され、今でもお会式には臨時列車が走っている。

●池上の大堂は清正寄進

 江戸時代になり、徳川家をはじめ加藤清正、前田利家などの大名からの寄進を受け大伽藍(がらん)を持つようになった。有名な江戸っ子たちの口上に「池上(本門寺)の大堂、上野(寛永寺)の中堂、芝(増上寺)の小堂」というものがある。大戦中の戦火でほとんどを焼き尽くされたが、加藤清正が寄進したというその大堂(祖師堂)は、清正が兜(かぶと)をかぶったままでも縁の下を通ることができたほどだったとか。また墓所には奥絵師・狩野探幽をはじめとした狩野家、市川雷蔵、初代松本白鸚など著名人が多く眠る。中でも力道山のお墓は、格闘技ファンにとっては聖地としても知られている。

●官軍が逗留した本陣

 奥庭にあたる「松涛園」は小堀遠州作の名庭で、西郷隆盛と勝海舟による江戸城無血開城の会見場所とも言われている。これは、官軍が、本門寺を本陣として逗留していたため、会談の申し入れが行われたものだと考えられているようだ。のちに会談の行われた薩摩藩蔵屋敷跡には、「江戸開城西郷南洲 勝海舟會見之地」碑が建てられているが、松涛園の庭園内にも会見の碑が建っている。

 本門寺の墓所入り口付近に立つ五重塔は、関東に残るもののうち一番古いものだ。これは徳川2代将軍・秀忠の乳母が、秀忠15歳の折、疱瘡からの平癒のお礼に建立したものである。ほとんどの堂宇を戦火で焼かれた本門寺において、この貴重な塔と、日蓮の荼毘(だび)所と伝わる場所に立つ多宝塔が残ったのは、魔除けの「赤色」が効いたのだろうか。広い境内を歩きながらふとそんなことを思ってしまった。

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