「ご両親が、保育園でできた友だちとの関係性や、その子に合った環境を考えて学校を選択できたのは、大日向小学校と公立の小学校の両方が存在していたからで、それは大きな価値だと思っています」(中川さん)

 大日向小学校やイエナプランが掲げる「自立」や「個人の尊重」、「共に生きる」などは、それ自体決して新しい言葉ではない。教育現場でも広く語られてきた理念の一つだ。一方で、それを実現できている現場は決して多くない。

■学びを求める移住者も

 桑原昌之校長も就任前は神奈川の公立小学校で長く教員を務めていた。15年ほど前から、だんだんと学校現場に余裕がなくなってきたと感じていたという。

「先生一人ひとりは個人を尊重しようと思っているし、試行錯誤を繰り返して本当に頑張っている人が多い。それでも、特に大規模校では一律の方法で教えることや決まったペースで授業を進めることが求められがちです。私自身は幸いにも教職員のアイデアが大事にされる行政区にいましたが、それがかなわない状況も何度も見聞きしました」

 長男が大日向小学校に通う豊田陽介さんも個人が尊重される教育環境を求めて移住した一人だ。長男は19年の開校に合わせて編入し、今は5年生になった。

「息子は2年生までは普通の公立小学校に通っていました。学校を嫌がるようなことはなかったけれど、親の目から見てクラス運営を円滑に進めるためのルールが優先されすぎ、個々が持つ独自の良さが失われるのではと思うことがあった。もっと彼自身の意思を前に出せるところで育ったほうがプラスになるんじゃないかと思い、移住を決めました」

 自身の反省もあるという。豊田さんは早稲田大学を卒業後、大手食品メーカーに入社。順調に成果を出しながら、様々な部署を渡り歩いた。

「でも、結局それは人が敷いたレールの上で頑張ってきていただけで、限界が見えてしまったんです。自分の内側から湧き出てくる『これが好き』『これがやりたい』という何かがないと、エネルギーが発揮できない。勉強よりも自分が好きなものに素直に向き合って、それを積み上げていくことが大切だと今になって感じるし、息子にはそう生きていってほしいです」

 皆が同じように学び、できる子だけが勝ち残っていく。そんな価値観とは対極にある学びの場が、ここにはある。(編集部・川口穣)

AERA 2021年6月21日号より抜粋

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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