信長は生まれつき本物を見抜く目を持っていたといわれている(※写真はイメージ)
信長は生まれつき本物を見抜く目を持っていたといわれている(※写真はイメージ)

“とうらぶ”という言葉が生まれるなど、空前の刀剣ブームが到来している。その妖しい美しさ、何百年と語り継がれる刀剣の物語は、今も人々を魅了してやまない。そこで本誌は、戦国武将らが愛した名刀、その末裔が語る秘話の連載をスタートさせる。歴史ファンは必見です。

 司馬遼太郎は、戦国史上三大英傑といわれる徳川家康を「高級官僚」、豊臣秀吉を「蓄財政治家」、織田信長を「前衛芸術家」と定義した。

 確かに近年、信長は「残虐非道な独裁者」から「茶の湯の普及」に貢献した文化人、「安土城を築城」したアーティストとしての側面がクローズアップされてきていて、女性のファンも急増している。その文化人としての信長の美意識は、「九十九(つくも)髪茄子」「紹鴎茄子」などの名茶道具のコレクションと、「義元左文字」(別名「宗三左文字」)、「へし切長谷部」「長篠一文字」「無銘藤四郎」などの名刀の収集に表れていて、高い審美眼と抜群のセンスのよさを証明している。

「信長は生まれつき本物を見抜く目を持っていたと私は考えています。時に奇抜な着物を着た姿が描かれることもありますが、所持していたものは確かな名品ばかりだと思います。もしかすると刀を一種のブランドにしたのは信長がはじめだったのではないでしょうかね」(織田信孝さん)

 刀のうちでも、へし切長谷部については、信長に無礼を働いた僧を隠れていた棚ごと圧し切ってしまったという逸話が伝わる。

「信長と刀に関するエピソードは数あり、その真偽のほどはともかく、刀とはそういうストーリーを孕(はら)んでいますよね。信長の場合は、それが信長らしさを描き出しているところもあると思います」(同)

「名物狩り」(名茶器や名刀の強制的召し上げ)によって集められたそれらの名品の数々は、織田政権の富と権力の象徴として誇示され、部下への恩賞として織田家臣団の統制にも利用された。恩賞としての土地は有限だが、茶器や刀剣は生産可能でとても有益だと考えたのかもしれない。

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