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「話題の新刊」に関する記事一覧

正直に語る100の講義
正直に語る100の講義 『すべてがFになる』などで人気の作家・森博嗣による「100の講義」シリーズ第5弾。言葉や現代の日本社会、身の回りのことをめぐる著者の独特なものの見方がユーモアある語り口で披露される。  私たちが慣習的に使っている言葉も、よく考えれば実に変だ。「穴のあいた靴下」というと人々は「使い古された靴下」だと思う。だが、靴下には新品の時から穴が開いているのだ。そうでないと足を入れることができない。おやじギャグのように聞こえる話だが、いかに「言葉が言葉どおりに通じていない」かを表している。  正確な言葉の伝達を邪魔したのは、私たちの中にある慣習だろう。森は惰性的に、慣習に従って考えるのではなく自分の頭で合理的に物事を考える方法を本書で伝えている。自分だけの視点を得られる第一歩になるはずだ。
愛の棘
愛の棘 作家であり、島尾敏雄夫人でもある著者のエッセイ集。  奄美大島の南に浮かぶ加計呂麻島で、旧家のひとり娘として育った。戦時中、島の国民学校で教鞭をとっていた彼女は、特攻隊長としてやってきた海軍士官の敏雄と出会い、逢瀬を重ねる。しかし結婚して東京に住居を構えると、敏雄は家に居つかなくなり、著者は精神に異常をきたす。  敏雄について、彼の作品について、あるいは奄美と沖縄について。著者の回想は豊かな抒情をたたえ、遠い日のきらめきを濃やかに甦らせる。月の美しい夜の島で、まだ恋人だった夫から童話風の小説「はまべのうた」を贈られたこと。そして彼に会うために満ち潮の海岸を着物を着たまま泳いで渡ったこと。かつて敏雄が、島には古事記の世界がそのまま生きていると感じたような心が偲ばれる。
プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年 刑務所の読書会運営に携わったカナダの女性ジャーナリストによるノンフィクション。殺人や強盗などで服役する受刑者に囲まれ、当初は恐る恐る関わっていた著者だが、受刑者たちと交流するにつれ、のめり込んでいく。  参加者が読書を通じて切実に人生に向き合おうとするから、「刑務所の単なる読書会の記録」にならず、読み手を惹きつける。受刑者の一人は会話といえば犯罪自慢ばかりの現実からの唯一の逃げ場であったと振り返る。別の参加者は「おもしろいだけの小説にはもう興味がない」と語る。罪を犯した経験から発せられる言葉は重みがある。  取り上げる本は、日本では馴染みのない本もあるが、読みたくなる。自由が制限される中で必死に読み込み、感想を述べているのだから、面白くないわけがない。
漂流
漂流 1994年3月、沖縄のマグロ延縄漁船の船長本村実が、37日間におよぶ太平洋での漂流から生還を果たした。その8年後、本村は再びマグロ漁に出たまま消息を絶ってしまう。  死ぬ思いをしながらも、なぜ彼はまた船に乗ったのか。当人に聞けないがゆえ、今も帰りを待ち続ける妻や親族、同郷の沖縄・伊良部島「佐良浜」の漁師たち、救助したフィリピンの人々へと取材の網をひろげていく。  証言の数は膨大だ。探検家でもある著者は、マグロ漁船に乗船し、船酔いでへろへろになりながらも、漁民のあり方に思いをめぐらせる。表に現れない「行方不明船」の多さにも驚かされる。  蟻の穴を塞ぐかのような執拗な聞き取りの積み重ねから見えてくるのは、遠洋マグロ漁の栄枯盛衰であり、海以外に術を持たない「海洋民」の生活史である。
腸がよろこぶ料理
腸がよろこぶ料理 “レシピ本”ではある。しかし、表紙には半ば「お約束」の、おいしそう、食べてみたい!的写真はない。アイボリー一色の上にタイトルと著者名、そして〈はじめてみましょう〉の言葉と、七つの食材の組み合わせ。「ホワイトアルバム」的シンプル。  健康に生きるためには、腸の正しい働きが重要。それはもともと虚弱体質だったが、料理で「今が一番健康!」を毎年更新中という著者がたどりついた、腸をよろこばせる75のレシピ。  腸内細菌の正しい働きのためには腸内細菌がニガテなものを遠ざければいい。著者の経験にもとづいた理論で、エッセイ的な文章とともに記されたレシピは、説得力が高い。  腸のよろこばせかたが理解できたとき、表紙のシンプルさの意味がわかる。
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか ベストセラーとなった『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の続刊。戦後の日米密約史でもある。  前著を読んでいない読者のために、その内容が「序章」でわかりやすく紹介されていて、本書のテーマである「基地権」と「指揮権」という二つの軍事密約を理解するうえでも格好の手引きになっている。  戦後70年が過ぎても日本がいまだにアメリカに従属しているのは何故か。著者はアメリカの公文書をはじめ、埋もれていた日米の資料などを綿密に調べ、多くの政治家や官僚でさえも正確に知ることのなかった日米戦後外交の「秘密」を暴いていき、アメリカの言いなりにしか動けない日本の「正体」を浮き彫りにする。  昨年、安倍政権が強行した安保法制制定のほか、改憲・護憲論争についても考えさせられる一冊だ。

この人と一緒に考える

少年少女のための文学全集があったころ
少年少女のための文学全集があったころ 新聞記者だった歌人が、幼少期の読書体験に基づいてさまざまな文学作品を読み解くエッセイ集。  小学生のころ、メロンを食べるとルナールの『にんじん』を思い出した著者。母親に「お前の分はないよ」と冷たくされる少年の物語から食べ物にまつわる話はふくらむ。そして『不思議の国のアリス』の主人公の「アリス」という名前が、「愛ちゃん」「綾子さん」などに置きかえられた旧訳や、新訳でよみがえった『百まいのドレス』には、半世紀前の「~~わよ」「~~かしら」といった語尾が減ったことに触れる。  1950年代から60年代にかけては子ども向けの文学全集の黄金期で、国や地域別に編まれ、世界の広さと多様性を伝えた。子ども時代の大切な思いや記憶を読書感想文に書かせる是非など、本を慈しむ気持ちが滲む。
海と山のピアノ
海と山のピアノ 河合隼雄賞受賞後、1作目となる短編集。読了後、収められた九つの物語それぞれが頭の中で溶けあい、本を読んでいたというより、口伝えの民話を聞いていたような心地にさせられた。  舞台や登場人物は、1話ごとに異なる。共通するのは、水の存在だ。たとえば表題作「海と山のピアノ」では、海からピアノとともに流れついた少女が町に変化をもたらす。「ルル」では、「あの日」以来、心に大きな傷を負った子どもたちが登場する。そうとは明言しないが、震災が下敷きになっていることを読者に想像させる。「海賊のうた」「野島沖」では、海と主人公との間の命のやりとりが印象的だ。海が命をうばい、命をはぐくむ。その事実を描くことは以前より難しくなったのではないか。本書はそれを正面から扱った意欲作である。
「南京事件」を調査せよ
「南京事件」を調査せよ 日中戦争時、日本軍が中国で捕虜虐殺を行ったとされる「南京事件」。本書は「あった/なかった」をめぐり、今なお激しく論争が続くこの事件を素材に放映されたドキュメンタリー番組の取材回顧録だ。  事件そのものに関心がなくても本書は面白い。独自取材にもとづく「調査報道」を標榜する著者は戦中に書かれた日本軍兵士の日記や編者への直接取材をもとに、事件に関する「事実」を積み重ねていく。当初中国に飛んだ折には、虐殺記念館の様子にうんざりし帰国した著者。しかし取材が進むにつれ、自身の中国に対する負の感情をも徐々に「発見」してゆく。「政治的」な「過去の」出来事と捉える限り、事件の話題は日常から敬遠され続けるだろう。本書からは、歴史を「自分に関わる」「現在の」出来事として捉え直す視点を教えられる。
寂しさが歌の源だから
寂しさが歌の源だから 副題は「穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈」。歌人の半生をインタビュー形式で浮き彫りにする。  実母が結核を患い、祖母と継母に育てられた馬場。現在でもみなし児のような〈孤〉の感覚があるという。無口で友達も作れず、やや自閉気味な子供だったが、それを気にかけることもなかった。焼け野原で校舎さえもない大学の風呂に入り、講義を受ける。教員として新仮名遣いを苦労して覚え、第7歌集までは新仮名表記で出版。安保闘争のデモに通い、社会派の女流歌人といわれるも職場を変わるよう促される。両手をついて婚家の家族と暮らす家を出、若手を中心に集った短歌結社から独立。そして歌の前衛的な手法を探る中で、能の型と、体を支配することばのリズムを学び、短歌と融合させる。精力的な生きざまが刺激的だ。
セクシュアル・マイノリティQ&A
セクシュアル・マイノリティQ&A 体は「男」でも自己認識は「女」、同性の人を好きになる、など「性的少数者」の人生において発生する問題と対処策に関して、法律家を中心に編まれたQ&A集。 「修学旅行の就寝のとき、別室に移るように学校から言われた」「友人にゲイであることをばらすと脅されている」など個別具体的なケースを想定、それに沿った対処策が示される。本人がオープンにしない性的指向のばらしは「アウティング」と呼ばれプライバシー権の侵害になる──など、最近よく聞く用語の背景が解説される。  Q&Aの合間や巻末には当事者コラム、電話を中心とした相談機関一覧、性的少数者に関する本やサイト情報など、多角的な情報が網羅される。少数者への攻撃が止まない2016年現在、性の問題に関して最前線を行く「実践書」だ。
国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動
国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 著者は2001年に海上自衛隊内に創設された「特別警備隊」の初代先任小隊長(突入部隊の指揮官)だ。拉致被害者の奪還は容易だが、犠牲は必至。問題は「行け」と命じるに値するものをこの国が有しているかどうかだと説く。  部隊に集まったのは敬礼すら怠るような隊員ばかり。これを肯定的にとらえ、特殊任務の遂行にはその場で判断ができる「自己完結」した個が求められると著者はいう。一命がかかっているのだから、納得できない命令に従う必要はないとも。論じる先は「国」のあり方だ。少年期に交わした陸軍中野学校出身の父との会話。退職後のフィリピン・ミンダナオ島での生活など、冒険小説を読む面白さがある。特殊な人生の独白と思いかけた最終章。一冊の国語辞典をめぐる話の意外性にその思いはひっくり返される。

特集special feature

    あの午後の椅子
    あの午後の椅子 歌人で生物学者の著者によるエッセイ集。表題は、「あの午後の椅子は静かに泣いてゐた あなたであつたかわたしであつたか」の歌より。庭草に半ば埋もれるようにして腰かけた妻の、再発した病を思って泣いていた姿を想う。  結婚式以来、散髪屋に行ったことがなく、長くなったら後ろの髪も含めて自分で適当に切るという。「親父の背中」という言葉に父親自身の強がりの響きを感じ取り、「若者らしく」「自分らしく」などの「らしく」という言葉に胡散臭さを感じる。「らしくなく」とは、意志力と破壊力を要求される難しい生き方だが、自分の可能性を拡げていくことにつながるはずだという。また、〈新しさ〉を切り開くのは価値のあることとしつつも、それのみのために歌を作るのはあまりにさびしくはないかと問いかける。
    ヤクザになる理由
    ヤクザになる理由 10代で非行に走った者の全てが暴力団に加入するわけではない。個人の資質なのか、環境なのか。元暴力団員への取材を通じて、家庭や学校、仲間、地域社会との関わりから原因を探る。  インタビューは組員たちが他者からの評価や地位を強く求め、ヤクザ社会に入った背景を浮き彫りにする。親とのつながりの密度が薄く、幼少時に家庭で教育の機会が与えられなかったことが、一般社会では評価を得られない下地をつくりあげると指摘する。  興味深いのは、著者自身が、やんちゃな思春期を過ごし、23歳で働きながら高校に進学、大学院修了の経歴を持つ点。なぜ、自分は踏みとどまり犯罪社会学者になり、彼らはあちら側に行ったのか。その自覚は、組脱退後の社会復帰など「出口」の問題にも、冷静ながら温かいまなざしを向ける。
    文字を作る仕事
    文字を作る仕事 著者はヒラギノシリーズなど100書体以上を制作してきた書体設計士。本書では今までの仕事や交流関係を振り返りつつ、これからの理想の文字作りに挑む心構えまでを明かしてくれる。  とりわけ「宮沢賢治の自己犠牲的な童話」や「まど・みちおの自然のままが一番いいといったような詩集」などの読書体験は「水のような、空気のような」書体作りに影響を与えた。「人間臭を消して、誰にも気付かれることなく遠い昔からひっそりとそこにあったがごとく振る舞う」こと。著者の目指す究極の文字である。  究極に挑むことはそう簡単ではない。必要最小限の線を残すまで無駄を削る必要があるのだ。時代の変化とともに書体も変わるものだが、100年の風雪にも耐える文字を作る至難の作業に著者は挑もうとしている。
    わたしの容れもの
    わたしの容れもの 年をとるとともに、体にも変化が現れる。脂肪がつきやすくなる、ぎっくり腰になる、肌が乾燥しやすくなる。40代後半を迎えた著者は、そうした自身の「容れもの」の変化を、加齢のマイナス面だけでなく、むしろ好奇心を軸として積極的に探っていく。  たとえば、視力が低下して眼鏡を作った際、周りの人や物がはっきり見えるのに驚いたり、やがて訪れる老眼にちょっとした期待を覚えたり。また食事に関する興味が増大し、自炊の際に一緒に暮らす家族の健康に配慮するようになったり。  老いはネガティブなものと認識されがちだが、著者は年輪を確実に刻んでいく身体と、その速さに追いつかない意識とのギャップに自然な笑いを見いだしている。だから、年をとることが微笑ましく、読んでいるこちらも楽しみになる一冊だ。
    海の詩集
    海の詩集 近現代の、物故詩人を含む詩人69名の、海にちなんだ作品を集めたアンソロジー。真正面から海を捉えた創作のほか、言葉の海など比喩的な海も含まれる。  三浦半島で生命誕生の営みをつぶさに見つめた「アカテガニの産卵」。かつて厚岸から出港し、沈められた船から無言で帰還した兵士らを偲んだ「ニシン」。指先まで霧に濡れ、耳元に一瞬ケルトの歌声を聴く「釧路の夏」……。郷愁や遠い種への憧れと交歓のほか、東日本大震災の原発事故を予言するかのような作品も興味深い。また、「遠い深い重たい底から。/暗い見えない涯のない過去から。/づづづづ わーる」と轟く草野心平の「夜の海」を始め、河邨文一郎の「サロベツ原野」、更科源蔵の「怒るオホーツク」、中原中也の「月夜の浜辺」などよく知られた詩群も味わえる。
    ねこのおうち
    ねこのおうち 「ニーコや、よくお聞き。おまえは、わたしとこの世を結び付けてくれている最後のリボンなんだよ」  生と死を描き、救いのある成熟した作品を創っている柳美里らしい連作短篇集。一匹の捨て猫ニーコとその6匹の子猫たち、そしてその飼い主となる人間たちを描く。毒だんごで殺されたり、もらわれてもすぐに衰弱死したりするなど猫にも波瀾万丈あるのだが、その飼い主となる人間たちにもまた様々なドラマがある。引きこもり、妻の死、孤独。悩み、苦しみながら、猫との暮らしに救われる人間たち。  人間の都合で捨てられ、殺処分される猫たちは、そんな人間にただただ寄り添い、人間と生を結び付ける「リボン」となる。幸せな「ねこのおうち」はまた、われわれにとっても幸せな「おうち」であることに気づく、優しい作品。

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