AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL

「話題の新刊」に関する記事一覧

SNS時代の写真ルールとマナー
SNS時代の写真ルールとマナー スマートフォンの普及とともに激変する写真環境。今日、新たに発生する肖像権・著作権の問題点を、実例とともにQ&A形式で解説した。 「アマチュア写真家がインターネット上で写真を公開すると問題があるのか?」「ママ友同士の集まりで撮った写真をSNSにアップしたい」といった素朴な疑問から「見えているものを撮る自由はどこまで許されるのか」「公人・私人の肖像権はどう異なるのか」などやや抽象度の高い問いに至るまでが、幅広く網羅される。  写真は撮影者と被撮影者のコミュニケーションの産物であり、「撮られる側」への配慮や感謝が大切であるという視点が、繰り返し強調される。「権利侵害」を意識しすぎては何も撮れない。写真を「楽しむ」という気持ちを忘れないためにこそ、目を通したい。
日の鳥 2
日の鳥 2 「妻よ」と呼びかけながら、東日本の地を尋ね回る一羽の雄鶏の物語。『夕凪の街 桜の国』の漫画家の最新作だ。  1ページに繊細なスケッチ1枚と雄鶏のつぶやきが載る。消えた妻を捜し、3年、4年をかけ2度、3度と大震災の被災地を訪れる。夏草が茂る線路や「釜石市役所」のステッカーが貼られた元ピザ屋のバイクなど、何気ない「日常」が切り取られる。フーテンの寅さんを思わす雄鶏のキャラが、とぼけた面白みに哀歓を醸し出す。「妻」は巨体で、怒らせると怖い存在でもあるらしい。明言はないが、原子の力を宿した金色の怪鳥を想像させるのが著者のすごいところだ。  外在者の眼による定点観測の手法は新鮮で、こうした「あの日」の伝承の仕方もあるのかと驚かされる。続けてほしいし、読み続けてもいきたい。
ぶらり昼酒・散歩酒
ぶらり昼酒・散歩酒 昼酒は幸せだ。休日にソファでごろ寝しての一杯もたまらないが、あてもなくぶらつきながら、日が高い内に暖簾をくぐるのが楽しくなるエッセー集だ。  酒を飲みたいと願いながらも、人の目が気になり、デイパックに忍ばせたウイスキーを隠し飲む、修行のような鎌倉でのハイキング。葛飾、台東、新宿と東から西に計8軒、14時間のルマン耐久レースも驚きの梯子酒。レモンサワーをがぶ飲みして、舟券を握りしめる平日の競艇場。昼間に外で飲む非日常感が、家飲みでは得られない幸福をもたらす。 「もう一軒」と著者の50歳を過ぎたとは思えぬ脚力に舌を巻く。場所を変え、飲んで飲んでひたすら飲みまくる。散歩ついでの酒なのか昼酒のための散歩なのか。正直、わからなくなるのだが、今度の休みには真似してみたい。
日本で老いて死ぬということ
日本で老いて死ぬということ 約650万人いる「団塊の世代」が75歳以上となり、医療や介護の提供が追いつかなくなる「2025年問題」。最期を、あるいは終末期をどう迎えるか。朝日新聞横浜総局の記者が、約3年かけて介護現場などを歩き、書き上げた。  本書では、妻と両親を一度に介護する「3人介護」、親の介護と子育てが同時期に訪れる「ダブルケア」などの体験や、1970年代末にできた高齢化が激しく進む団地の実像などを通じ、容易に解決できない「根の深さ」を鮮明に描く。  その一方、家族のように接する在宅医や訪問看護師らの奔走する姿や先進的な取り組みから、記者らは「幸福な看取りや介護は可能なのか」という問いかけを念頭に、その糸口を探ろうと模索する。  現場は主に神奈川だが、そこからは日本が抱える課題が見えてくる。
三の隣は五号室
三の隣は五号室 築50年のアパートの五号室に暮らした住人たちの物語。のようで、実は無言の「部屋」が主人公の長編小説だ。  大家のどら息子・藤岡一平(1966~70年居住)から諸木十三(2012~16年居住)まで13組。彼ら彼女らは順番に登場しない(自前で住人年譜を作ってしまった)。  たとえば、エアコンは誰が設置したのか。浴槽の微妙な漏水はいつからなのか。犯罪捜査の証人のように住人が登場する。その独特な感じがいい。住人たちは、障子戸を取り払うなどそれぞれ工夫して暮らすが、謎の男・三輪密人を除き、ふつうの女子学生、単身赴任者、若夫婦である。  泣けたのは、病気で亡くなった奥さんが縫った雑巾を、後の住人が愛用する場面だ。「ふつう」が、こんなにいとおしい小説はなかなかないだろう。
息子ってヤツは
息子ってヤツは タレントでエッセイストの著者による、息子と二人三脚で挑んだ中学受験記。入塾テストに落ちた小学3年生時から受験をへて寮に入って中学生活を謳歌するまでを収める。  息子は小さくても男である。洗脳されやすく、自分の言葉には責任をとらねばと思い込む男。挫折に弱く、ストイックぶるのが大好きだ。著者は息子を調子づかせる一方で、国語が偏差値29だったと知ると、受験の物語文は人が死ぬ話、淡い恋の話、主人公がひねくれる話の三つに集約されるとして、おおよその暗記用の答えを作ってやる。塾の面談で、息子さんのタイプは全勝するか全落ちするかだと言われて思い悩んだり、編集者と飲みにいった先から電話をかけると、「オレが勉強しているのに、おまえはなに飲んだくれてるんだよ」と返されたり。大らかな関係が楽しい。

この人と一緒に考える

まじめに生きるって損ですか?
まじめに生きるって損ですか? ライター雨宮まみが20代から40代まで様々な世代の女性から寄せられた愚痴に答えていく。愚痴は恋愛、見た目、生き方の問題まで多岐にわたる。そこから滲み出るものは今の社会における生きづらさだ。  雨宮は安易に解決法を提示しようとせず、下町のスナックママのように人々の愚痴に親身に耳を傾ける。そして自身の失敗談や苦労談を聞かせながら、自分の気持ちに素直になるよう呼びかけていく。AVライターとして活躍しながら様々な経験を重ねてきた著者自身が、数多い失敗を糧に得た結論だからこそ、その訴えには説得力がある。 「正しい」とは何かと問いかけながら雨宮はこう述べる。「世の中は正しくありません。正しくないんですから、安心して間違えてください」と。爽快な気持ちと癒やしが読後に残る一冊だ。
その島のひとたちは、ひとの話をきかない
その島のひとたちは、ひとの話をきかない 一人の精神科医による類まれなフィールドワークの記録だ。診察中心の医療体制に物足りなさを感じていた著者は、全国5カ所の「自殺希少地域」を訪ね歩く旅に出る。旅の中で、医師の立場を離れて旅行者として遭遇したエピソードが紹介される。  徳島県旧海部町を旅行中、歯痛に襲われた著者に、宿主は「82キロ先の歯医者まで送ろう」と声をかける。困ったひとがいれば、解決するまで関わろうとする──それは、地域を超えた共通点だった。「同調」とは違い、住民たちは自身の意見を明瞭に持つ。東京都神津島村のある若者はその様子を指してこういう。「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」。自分をどう持ち、他人といかに関わるか──日々の実践がそれ自体、病の「予防」なのだ。医療への発想が転換する一冊。
煉瓦を運ぶ
煉瓦を運ぶ カナダ人作家による、斜陽化する街ウィンザーに暮らす、主に労働者階級の人々を描いた七つの短篇小説集。  表題作は、灼熱の太陽の下、煉瓦敷きに励む男たちを描く。「僕」の同僚は、皮膚を刺青で覆った男と、過去に身近な誰かを叩きのめしたという噂の男だ。アルバイトの学生が一人いて、ひと夏中仕事が続いたことをねぎらい、最終日のランチタイムにバーへ連れて行く。しかし乱闘騒ぎに。 「ループ」は自転車に乗って薬を配達する少年が主人公だ。雇い主の一番のお得意は、恐ろしげで太って裸同然の、小さい男の子に手を出さずにはいられないらしい男。ある日、彼が倒れていた。巧妙なトリックに違いないと思うも、信念を破って部屋に踏み込む。  人物の筋肉の緊張と、曖昧さを省いた誠実な語りが魅力のデビュー作。
カレー粉・スパイスではじめる 旨い! 家カレー
カレー粉・スパイスではじめる 旨い! 家カレー ホフディラン・小宮山雄飛。ミュージシャンの彼が、なぜ「カレー本」なのか。簡単。カレーが大好きだから。  もともと食べること、料理が大好き。料理にとどまらず、コラム執筆、Tシャツデザイン、ウェブプロデュース、興味を持ったものを仕事につなげていく、ある意味“プロの趣味人”によるレシピ本。  ハードルをあげず、材料や器具、作り方などはシンプルに。誰でも気軽に、“旨い”カレーが作れる構成。本書のコラムで、“家カレー”と銘打ちながら、家庭でいわゆる「おうちカレー」を食べた経験がないという衝撃。外で食べて「なんだ、このおいしい食べ物は!」と感激した食べ物、それがカレーだったことに再び衝撃。  シンプルでありながら奥の深いスパイスの海へ、自宅から漕ぎ出すための海図的一冊。
生姜(センガン)
生姜(センガン) 暴力性の問題に関心を抱き続けてきた韓国の女性作家が、軍事政権だった1980年代の韓国を舞台に描いた長編小説だ。  80年代の韓国は「アカ狩り」が唱えられ、罪のない人までが壮絶すぎる拷問を加えられていた時代だった。主人公のソニは自分の父が拷問技術者であるとはつゆ知らず、入学したての大学で幸せなキャンパスライフを思い描く。だが、父が人を殺しまでした悪名高い拷問技術者だと知ってから平和だった彼女の人生は奈落に落ちる。  ソニの父は本当の悪人なのだろうか。彼は「アカ狩り」が正義だという時代の信念を鵜呑みにしてしまっただけではないか。しかし、間違った信念は殺人の罪を犯すこともある。  正義とはなにか、権力とはなにかを考えさせてくれる良作だ。
おとなのための俊太郎
おとなのための俊太郎 歌、サックス、チェンバロで中世・ルネッサンス音楽から創作歌謡までを歌いあげる3人のユニットが、谷川俊太郎の詩に遊び心を刺激され、音楽にした。15篇の詩集にヴォーカル入りのCDがつく。 「スーパーマンは駅前の本屋さんで スーパーマンの漫画を五さつ買いました」とチェンバロに弾むような「スーパーマン」。「うんこよ きょうも げんきに でてこい」と優雅ささえ感じさせる調子の「うんこ」。ソフトに始まるが、「大臣がなんどかわろうが うそつきはやっぱりいやだな」とふいに歯切れの良さを利かせる「あくび」。讃美歌風の歌い出しにサックスが寄りそう「春の臨終」。ユーモアたっぷりの自由詩がジャズ、あるいはバロック風の洒落た音楽に乗る。作品ごとに活字の色やフォントが変わり、とぼけたイラストが愉しい本。

特集special feature

    社会をちょっと変えてみた
    社会をちょっと変えてみた 社会の中で生きづらさを強いられる人たちがいる。性的少数者や身体障害者、子育てしながら働く母親たち。そういう社会の仕組みを変えようと奮闘してきた7人が紹介されている。  7人はみな「フツーの人たち」だ。東京都杉並区で保育園増設を働きかけた「保育園一揆」の発起人は、働く2児の母。SNSで保活の相談を受けるうち、行政への異議申し立てへと活動が広がった。思いを共有する人を集め、政治家と会い、パイプを作る。有効だと判断すれば、車いす集団でデモを行うパフォーマンスもやる。行政との対立は避け、政策形成や法改正につなげる。  したたかに動き、着実に状況を変えた7人に感服させられる。社会を変える手段は選挙やデモだけではない。誰もが市民として持つ権利を行使した一般人たちの軌跡が詰まった一冊だ。
    ルポ 父親たちの葛藤
    ルポ 父親たちの葛藤 「イクメン」はブームに終わったに違いない。著者の主張に思わずうなずいてしまう。正論や理想をおおっぴらに宣伝して、父親の「家庭進出」を促してきたのだろうが、「理想のイクメン像」が独り歩きし、そもそもブームの高め方が短絡的だったのではないか、と著者は問いかける。 「ワーク・ライフ・バランス」と言うが、収入を落としても生活できるような高所得の人でもない限り、多くの人は膨大な仕事を24時間のうちに押し込めることに精いっぱいだ。夫婦の愛情が急激に冷めて対立する「産後クライシス」、家事にいそしむ夫に妻がダメ出しして夫の意欲をそぐ「家事ハラ」──。会社や家庭との板挟みに葛藤し、「一人ブラック企業」に陥る父親の現状を解決する八つのヒントは、妻も人事担当者も読んでおきたい内容だ。
    串田孫一 緑の色鉛筆
    串田孫一 緑の色鉛筆 哲学者で博物学者、さらには登山家だった文人の、日常の些事から広がる想像を丹念に綴った随筆集。  表題作は78歳のときに書かれた。山旅から帰って画帳を広げると、山の緑を眺めて味わった清々しさが一向に蘇らず、色が不自然だったり濁っていたりする。それは、生物にとって特別なはずの草木の緑に人間だけが気づいていないからではないか。玄関先で幼い子供から手渡された6本の、それぞれ色の違った緑の色鉛筆から想いを馳せる。  静けさが沁みるなか、ユーモアが冴えるのは46歳のときに書かれた「黒い雀」だ。黒という色は、知的ささえ感じさせ、見ることで気持ちが安心したり忘れていた奥ゆかしさを想い出したりする色だと、その独特の魅力を描く。煙突から連日のように真っ黒けで落ちてきた雀の話が愉快。
    沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか
    沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか 「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」「左翼勢力に乗っ取られている」。自民党周辺から、琉球新報、沖縄タイムスの2紙を目の敵にするような発言が昨年以降、相次いでいる。沖縄の新聞は特殊なのか。著者は2紙で働く現場の記者に会い、真意を探る。  出身も年齢も基地問題への距離も異なる。基地問題を安全保障でなく、人権問題と捉えている点だけが共通する。オスプレイの爆音に耐え、米国軍人の犯罪が見逃される日常。なぜ、沖縄だけが不条理に苦しむのか。  記者の視点を通している時点で完全な客観性は存在しない。それは基地賛成派の意見も同じだ。2紙の記者たちも偏向と指摘されることを否定はしない。ネットで拡散する情報を疑い、自分の頭で考えてほしい。彼らの「偏向」は思考停止になっている人々への怒りである。
    「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄
    「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄 元中国共産党のエリート副教授の逃亡記だ。著者が官僚の私財公開要求の運動に携わっただけで、当局は監視を強め、仲間が次々と拘束される。妻子に別れをつげ、身を隠すことを決断し、逃亡は2年で2万キロに及んだ。  時にはチベットの雪山を歩いて越え、バスの貨物室で10時間以上、揺られる。途中、当局に2度拘束されながらも、軟禁下のホテルから脱出。逃げても逃げても、潜伏場所には追っ手が迫るが紙一重で追跡を振り切る。チベットやミャンマーなどに身を隠し、現在もタイに潜伏。スパイ映画がかすむほどの緊迫感が全体に張り詰める。  逃亡先では著者と同じ理想を抱える仲間たちが無償で支援の手を差し伸べる。カネや地位を投げ出しての著者の行動は、経済が富んでも社会が豊かにならない中国の現状を浮き彫りにする。
    須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通
    須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通 夫を亡くし、イタリアから帰国したのちの随筆家が心を許した友人に宛てて綴った書簡集。便箋にびっしりと綴られた青インクの筆跡や封筒の表書きが写真に収まる。  娘ほども年の離れた「おすまさん」に書く。怠け者で、まったく仕事をする気がなくて、と論文が書けないことを嘆き、「鏡にうつった私の顔はインテリ女みたいだったので心からぞっとして助けてくれというかんじでした」。イタリア政府から功労章を受けると、「私はクンショーよりも馬の方がほしいくらいだったのですが、そんなワガママはきいてもらえないらしくて」。故意に、アメリカにかたくなに背を向けて生きてきたことを残念がる。あるいは、イタリアを去って、自分はむだな年月を過ごしたのではないかと恐れていたことを吐露。筆は少女のようにのびやかだ。

    カテゴリから探す