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「今週の名言奇言」に関する記事一覧

脱・限界集落株式会社
脱・限界集落株式会社 黒野伸一『脱・限界集落株式会社』。以前、この欄で紹介した『限界集落株式会社』の続編である。  前作では、都会から移住した人々の活躍と「ベジタ坊」なるご当地キャラの成功で、危機から脱した幕悦町の山間部に位置する止(とどめ)村。それから4年。止村には近隣の20万人都市をあてこんだ東京資本のショッピングモールが進出し、一方、同じ幕悦町の中心部にある上元商店街はシャッター通り化いちじるしく、閑古鳥が鳴いていた。そこに降って湧いた上元地区の再開発計画。くだんの東京資本の手によって、今度はここに大型商業施設のほかに高層マンションや住民広場や公共施設を備えた「コンパクトシティ」を建設する予定という。上元の住民は賛成派と反対派に分かれ、反対派の人々はシャッター街の活性化を図るべく移住者も巻きこんで策を練るが……。 『限界集落株式会社』に関しては結局アキバ系のオタクが地域経済活性化の鍵を握るのか、ってな苦言を呈しちゃったが、続編に登場する商店街の抵抗はもうちょっと地に足がついている。活動の拠点になるのは「コトカフェ」というコミュニティカフェ。高齢者のたまり場だった喫茶店に子ども連れの母親たちが集まり、やがて託児所のような機能を持ちはじめ、地場野菜を使ったワークショップが立ち上がる。こうした地域密着型の商店街と大型ショッピングモールの生き残りをかけた戦いがこの小説の読みどころである。  よくある構図ではあるけれど、掛け声ばかりでさっぱり内実が見えない安倍政権の「地方創生」政策を念頭に読むと、けっこう意味深。  モールの責任者を評し、ここに根を下ろした多岐川優はいう。〈あいつはここの人間じゃない。六本木にオシャレなオフィスを構えて、夜な夜な銀座で豪遊してるんだ。幕悦には月に一、二度しか来ない。あいつにとって、この町は金儲けの道具に過ぎないんだ〉。東京の実業家も政治家も地方を見る目はだいたいこんなもん。騙されちゃダメなのよ。
バカになったか、日本人
バカになったか、日本人 書名を見ただけで「まったくだよなあ」と思った人も多いかも。この間の選挙もあんな結果になっちゃうし……。橋本治『バカになったか、日本人』は2011年3月の大震災から、14年12月のくだんの解散総選挙までを視野に入れたコラム集である。主なテーマは震災復興、原発、そして政治。必然的にそれはため息の集積とならざるをえない。  たとえば、なぜ私たちには投票したいと思える政党がないのか。  理由は単純。<戦後社会の日本人のあり方にふさわしい政党が今になってもまだ存在しない>からである。「改革」を叫ぶしか芸のない小泉純一郎や橋下徹や安倍晋三が支持されるのも同じ理由だ。<だって、日本にはロクな政党がない。官僚組織もなんだか知らないが、ドローンとしている。二つ合わせた「既成勢力」がどうしようもなくだめだということは、みんな知っている。そこに「改革」を叫ぶ新勢力が現れれば、大体勝てる>のだ。そもそも<日本人は抽象的な「政策」の方面ではあまり善し悪しの判断が出来なくて、「あいつはいい、あいつはだめだ」という個人レベルでの判断しか出来ないのかもしれない>。  こうしてしだいに明らかになるのは日本人と民主主義との情けない関係である。<「民主主義の結果、日本人はバカばっかりだ」という考え方が知らない間に一般化して、政治家が「私たちに任せておけばいいのです。あなたたちは、私たちを支持していればいいのです」と囁きかけるようになってしまった>  やれやれ。その通りだと思えば思うほど意気阻喪。<日本の社会には烏合の衆のような市民がいるばかりで、「機能的な政党組織」も「リーダー」もいない>この現実!  それでも、言うべきことは言えと橋本サン。<誰もが口を開くネット時代になったんだから、もう少し「言うべきことはなんだ?」と考えるべきなんじゃないだろうか>。これがバカから脱皮する第一歩。言論の数より質を問えってことだね。
あかんメール
あかんメール メールやLINEを使っていれば、誰でも誤変換や誤送信の経験があるだろう。意味不明なメールが送られてきて頭をひねった経験も。 『おかんメール』(扶桑社)はそんな中でも特にシュールな「母のメール」に着目した本だった。〈いま小学校、占拠してるからあんたも来なさい!〉はテロではなく選挙当日の投票の誘い。〈おばあちゃん食べた?─END─〉は省略しすぎて娘を恐怖させたメール。  その続編が『あかんメール』。仕事場や、家族や恋人や友人との間で交わされたメールの、ゾッとするような(でも野次馬にはおもしろい)事例がこれでもかと集められている。  まず非常に気まずいのは、相手先を間違って送った誤送信。 〈了解、よろしく頼む 明日はこちらで対応します〉という上司からのLINE。ところが次に同じ上司から来たメッセージは〈今日は残業しない●から美味しい~■★食べたいな~ ××のために早く帰るからね~!〉(●には犬、■はビール、★はカレーの絵文字。××は名前と思ってください)。なんだ、この差は。上司は妻に送ったつもりだったのだ(意外に恐妻家)。恋人や友人のつもりで上司や親にエロいメールを送る事故も多いみたい。  もっと単純なのもあります。〈裸婦にハマって大変だったよ〉はゴルフ場からの報告。地震の日に送って相手を仰天させた〈家は大爆発だよ〉は「大丈夫」の誤変換。同じく〈信玄は山梨だって〉という「知ってるってば」なメールは「震源」の変換ミス。15分のつもりで〈わりぃ 15年遅れる〉と送った人。待ち合わせの相手に〈あと45分くらい?〉と問われ〈そんなにかからないと思う!だって海賊だから!〉と「快速」のつもりで返した人。  メールには予測変換という機能が着いている殻、誤爆に至る霊も大井。一時違え場、底はもう別世界。〈大学卒業したら一緒に相撲〉がプロポーズの言葉と知っても御道路かないこと。それがメールの大ゴミだ。
肉小説集
肉小説集 グルメ番組はもちろん、小説に料理が出てくる場合でも、「いかに美味しいか」の描写に伝える人は心を砕く。が、坂木司『肉小説集』は逆。なぜか不味さにこだわるのだ。  豚足が苦手な男の言い分は〈ねちねちと冷たい皮を噛んでいると、やがてねっとりとした質感に変わる。豚が自分の体温と同化して、溶け出したのだ。そう思うと、ぞっとした〉(「武闘派の爪先」)。  婚約者の豪快な父とトンカツ屋に入った趣味にうるさいデザイナーは満を持して小さめのトンカツを口に入れるや〈ざくっ、じゅわり。うわあ。口の中が脂と脂で大変なことに〉(「アメリカ人の王様」)。  専門店のホルモン焼きをはじめて食べた歯の悪い中年男は〈口の中に、ゴムのような塊がずっとある。/それをいつ呑み込めばいいか、わからない〉(「肩の荷(+9)」)。  料理下手な母の豚バラ炒めを前にした中学生は〈ぺらぺらの肉は火を通しすぎてかたいし、味つけは市販の焼肉のタレをからめただけで、しょっぱすぎる〉と文句をいうし(「君の好きなバラ」)、手作り派の母を持った小学生は小学生で〈手作りのマヨネーズ(どろどろしてて、味が薄い)〉や〈手作りのカッテージチーズ(牛乳にお酢を入れたやつ。口に入れると、超きもい)〉(「ほんの一部」)にウンザリしている。  自分の偏食を棚に上げて、ともいえるけど、何でもかんでも旨い旨いと持ち上げる「食レポ」が横行する昨今、こういうのはむしろ新鮮。速水健朗『フード左翼とフード右翼』じゃないけれど、日本人の食は相当複雑なことになっているのだ。  とはいえ、いちばんおもしろかったのは、ほら吹きの祖父から嘘八百を教えられた大学生の話(「魚のヒレ」)である。〈「早起きはサーモンの得」〉。〈早起きするとサーモンが河に返ってくるみたいに、いいことが戻ってくるって意味〉。  豚の部位図がそのまま目次になったような、脱力系の短編集。微妙にゆるいところが魅力です。
奇跡の人
奇跡の人 去場安(さりばあん)は25歳。明治4年、9歳のときに岩倉使節団の留学生として渡米、最高の教育を受けた後、20歳をすぎて帰国した。が、女子教育に専心したいという願いがかなわず消沈していた矢先、青森県弘前町の男爵家から伊藤博文経由で「娘の教育係になってほしい」という依頼が来る。令嬢の名は介良れん。6歳になるれんは、見ることも聞くことも話すこともできなかった……。  ちょっと待って。これってもしやヘレン・ケラーとアン・サリバンを描いた『奇跡の人』の日本版?  はい、ご明察。原田マハ『奇跡の人』は明治20年の津軽を舞台に、盲聾の少女が言葉を習得するまでを描いた異色の長編小説だ。1歳で視覚と聴覚を失ったれんは3歳のころから蔵に閉じこめられ、虐待に近い扱いを受けていたが、安の強力な指導でしだいに心の扉を開いていく。だが、介良家はれんの存在を隠したがった。長男の縁談が進んでおり、障害のある娘は邪魔だったのである。  とまあ、そんな設定ではじまる物語は試練の連続。娘の行儀さえよくなればいいとする父と娘をひたすら甘やかす母によって、開花しかけたれんの能力は何度も後退し、安は深い苦悩の中に沈んでいく。  ふざけているのは去場安、介良れんという名前だけ。ヘレン・ケラーの物語とはまた違ったドキドキの展開が待つ。ことに「ボサマ」と呼ばれるこの地独特の門付け芸人で、10歳になる盲目の少女キワとれんの友情は涙なしには読めませぬ。 〈おら、れんさと一緒にいで。れんさのそばに、いで〉と望み、安の希望でれんと一緒に手文字を習得するも〈おら、れんさと、こんなふうに一緒にいたら、いけねえ。れんさまで、意地悪言われる〉と思い続けて去ったキワ。〈あの……もひとつ、唄コ、唄っでもええが〉なんていう津軽弁にやられた!  津軽三味線の名手であるキワとれんははたして再会できるのか。『奇跡の人』という表題に納得がいく実話みたいなフィクションである。
マララ
マララ マララ・ユスフザイ著・道傳愛子訳『マララ』。「教育のために立ち上がり、世界を変えた少女」という副題がまぶしい。今年史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞した、あのマララさんの自伝である。 〈覆いをかぶって生きるのは、あまりに不公平だし、きゅうくつそうな気がした。小さいころから、わたしは両親に宣言していた。ほかの女の子たちがどうしようと、わたしはぜったいあんなふうに顔をかくさないからね、と〉  マララはパキスタン北部のスワート県に住むパシュトゥン人。自ら学校を経営する父は、女の子だからとマララを差別しなかった。〈おまえの自由は父さんが守るよ。夢にむかって進みなさい〉と父はいった。  しかし、2005年、パキスタンを襲った大地震に政府は適切な対応をせず、この隙に乗じて勢力を伸ばしたタリバンが07年に実権を握ると、指導者のファズルッラーは学校を次々に爆破した。父には脅迫状が届き、イスラムの教えに反するとして多くの人が殺された。学校で平和に関する発表をしたのを機に、マララはBBCの求めに応じ、タリバンに支配された町のようすを匿名のブログの形で公開。11歳にして世界の注目を浴びる少女になってしまった。  こうして11年、マララはパキスタン国民平和賞を受賞するが、翌12年、タリバンはマララに対する殺害予告を出す。そして同年10月、タリバンはスクールバスを襲撃、マララは左目近くに銃弾を受けた。イギリスの病院に移送されたマララは奇跡的に一命をとりとめるが……。  この経験を憎みながらも〈でもその暴力と悲劇から、チャンスが生まれた。そのことを、忘れないようにしたい〉と書くマララ。政府への強い不信の念を抱き、早くから政治家を志した少女は、すでにして筋金入りの政治家だ。立派すぎてため息が出ちゃうけど、日本の子どもたちが世界で起きていることを知るには好適な本。小学校高学年から読める児童書として出版されています。

この人と一緒に考える

オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。
オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。 〈全国の迷えるオヤジ様、毎日明るい気分で生きてますか?〉〈そこの無口で無表情なオヤジ様! 今、どんな気分ですか?〉。そんな呼びかけではじまるコラムが「あ」から「ん」まで46本。瀧波ユカリ『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』は「週刊文春」の人気コラムを集めた、中年男性に「正しいオヤジ道」を説くエッセイ集だ。  特製かるたも付いてます。〈あ 明るい オヤジは いいオヤジ〉〈い イライラは わかりやすく お願いね〉〈う 後ろ姿に ご用心〉  クラブホステスも派遣社員も経験した著者は男性の気持ちも女性の気持ちもわかっちゃう。かくて繰り出されるアドバイスは〈「女は愛嬌」と言われ育ってきた女子は、男性に明るく接するのにいいかげん疲れています。(略)あなたの明るさで、女子を喜ばせてあげてください。さすれば、必ずやあなたの周りには女子たちが群がり始めるでしょう〉。  おーそうなのか。でも本当か?  10年か20年前だったら、もっと楽しく読めたかもしれない。 〈この世で一番生命力の強そうな生物は何でしょう。(略)私は即座に「オヤジ」と答えます〉〈そう思うからこそ私達女子は、安心してオヤジ様に冷たくできます〉  だよね。私も前はそう思ってたわ。だからオヤジやっつけ系の文章を書くのも読むのも好きだった。しかしこの頃、オヤジの生命力が落ちていると感じるのは私だけ? 〈地面に座り込んだギャルの、ずり下がったジーパンからお尻の割れ目がコンニチハしている後ろ姿を見るのが大好きな、そこのオヤジ様!〉や〈家にも帰らず運動もせず毎晩おいしいものばかり食べ歩いている、そこのオヤジ様!〉がウヨウヨいるとはどうも思えないのである。  思い出したのはバブルの頃のオヤジ像。そんなオヤジは今いずこ。  著者は1980年生まれの34歳。30代女子には今もオヤジがこう見える(お気をつけあそばせ)というメッセージとしては意味があるかも。
螺旋階段
螺旋階段 阿子島洋介、54歳。大手総合デベロッパー、中武地所の都市開発企画部長である。大学の同期生だった妻の美晴は日本商工業団体連合会で企業会計を担当しており、長男の勝信は国立大学の医学部を出た研修医。高校を中退した次男の優樹だけが憂鬱のタネで、自身は胃痛持ち、妻は大腸の精密検査を受ける予定という屈託をかかえながらも、おおむね平穏無事な人生をおくってきた。  そんな洋介にある朝、妻から電話が入る。おりしも彼は、出張先の大阪に向かう新幹線の中にいた。〈今ね、インターホンが鳴ったんで出てみたら、警察の人なのよ〉〈優樹にね……、覚せい剤を使った疑いがかけられているみたいなの〉。  ええーっ! 山本譲司『螺旋階段』は、そんなエピソードからはじまる壮年のサラリーマンとその家族の物語である。〈あの馬鹿息子が〉という台詞を辛うじて呑み込み、息子の犯罪を会社に知られまいと気をもむ洋介と、覚せい剤の使用後に車を逆走させたという優樹の行動に不審を抱き、〈優樹は覚せい剤なんかやってないわ〉と主張する美晴。その矢先、今度は順風満帆だったはずの長男の勝信が自殺を図り……。  次から次へと一家を襲う不幸がもうてんこ盛り! 夫婦のすれ違いに加え、洋介の会社が関西の大手家電メーカーの工場跡地に大型複合施設を建設する「南大阪ユートピア計画」がからみ、仕事と家庭、両方が崩壊する感覚を洋介は味わうが、一方、妻の美晴も夫には打ち明けられない重大な秘密を抱えていた。  作者はかつての民主党衆院議員。秘書給与詐欺事件で懲役1年6カ月の一審判決を受け服役。その体験を描いたノンフィクション『獄窓記』が高く評価され、これが『覚醒』に続く2冊目の小説作品となる。 〈白々しい。何がユートピアタウンだ、何がユートピア計画だ〉とは、終盤、洋介が自身の仕事を顧みて抱く感慨。雰囲気は、そうだな、21世紀の『抱擁家族』かな。ありそうな展開に思わず引き込まれる。
考える力、やり抜く力 私の方法
考える力、やり抜く力 私の方法 先日ノーベル物理学賞の受賞が決まった中村修二さんがこんな本を出していたとは。ビジネスマン向けの自己啓発書? 『考える力、やり抜く力 私の方法』は2001年発行だが、ノーベル賞効果で増刷され、もっか書店でも平積みである。  読んでみると、これは青色発光ダイオードの開発秘話、あるいは〈アメリカ人でも羨むような別天地へ、つい先日まで徳島県の山奥でうらぶれたサラリーマンをしていた男がなぜ住めるようになったのか〉を語った「どんなもんだい本」だった。  自分には2度の「コンチクショー」があったと中村さんはいう。  1度目は徳島の会社にいた頃。徳島大学の修士課程を終え、京セラを蹴って徳島県の日亜化学工業に就職。10年間で三つの製品を開発するも、無名の会社ゆえにまったく売れず、〈ボロクソに言われた〉。しかも給料は上がらず、いつまでも平社員。キレた彼は〈好き放題やってやれ、それでダメなら会社を辞めてやると決心したのだ〉。  2度目はアメリカに短期留学したとき。ドクター(博士号)を持たず、会社の機密保持という理由で論文もなかったために〈研究者から、装置の組み立てなど人手がいる時だけに呼ばれる一労働者におとしめられてしまったのだ〉。ならば〈自分を馬鹿にした奴らを、論文を書いてギャフンと言わせてやる〉。  こういう立志伝は、万民受けするよね。一種の復讐劇だから。  こうして20世紀中の完成は無理といわれていた青色発光ダイオードの研究に着手。それも成功の可能性が高いセレン化亜鉛ではなく、可能性はゼロに近かった窒化ガリウムを材料に選んでのチャレンジが、後の成功につながるわけだが……。 〈私にとってはあくまでもアメリカン・ドリームが目的なのであって、ノーベル賞は通過点の一つにすぎない〉。受賞決定後の会見と同じことを十数年前にもう書いちゃってる自信家ぶり。産学協同時代を生き抜くには大言壮語も芸のうちってことか。 ※週刊朝日 2014年11月14日号
ジャパン・ディグニティ
ジャパン・ディグニティ 「暮らしの小説大賞」というのがあるんだそうだ。ウェブ上の応募要項によれば、賞のコンセプトは〈生活・暮らしの基本を構成する「衣食住」のどれか一つか、もしくは複数がテーマあるいはモチーフとして含まれた小説であること〉。で、その第1回受賞作が高森美由紀『ジャパン・ディグニティ』である。  語り手の「私」こと美也子は22歳。スーパーのレジ係である。父は津軽塗の職人だが、48もの工程があるうえ、1回塗るごとに乾燥しては凝固させる津軽塗はおそろしく手間と時間がかかる。副業にしたら、という母の提案にも〈漆塗ぁ片手間ではでぎね〉と耳を貸さぬ父。母はついにブチ切れた。〈わあ、前がらへってらったべ。漆でままは食ってげねって。もう我慢なんね、えさ帰る!〉。「え」とはすなわち実家のこと。  こうして父母は離婚し、家には父と美也子と20歳になる弟のユウが残ったが、弟のユウは「オネエ」で〈アタシ、ママンが出てっちゃって一番悲しいのが、ママンのご飯を二度と食べられなくなるってことだったのよね〉なんて呑気な感想をもらすだけ。なんやかんやで美也子はスーパーを辞め、父の仕事を手伝うことになるのだが……。  作者は1980年生まれ、青森県在住で、受賞作の舞台も青森だ。後半、ユウが恋人と同性婚を認めるオランダに渡り、津軽塗の修業をはじめた美也子がオランダの工芸展に塗のピアノを出品し……というあたりは出来すぎの感あれど、津軽塗と津軽弁が圧倒的な存在感を示す。  怒ったお母さんがお父さんを責めるくだりなんて、もー最高。〈したがら、生活でぎねぐなって来たのよっ。じぇんこ(お金)ねえのよ!(略)あんだ、わんつかでもそごんどご考えだごどあんのっ。自分のごどばっかしでねくて、わんつかでも家族のごども考えでけへ〉。こういうとこだけ、ずーっと読んでいたい。  就職先がない現実などもさりげなくすべり込ませた佳編。地方発の小説にはパワーがあるね。
日本人は人を殺しに行くのか
日本人は人を殺しに行くのか 数ある集団的自衛権関係の本の中でも、今日の国際情勢を見すえているという点では、これがいちばんリアルだった。伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』。副題は「戦場からの集団的自衛権入門」だ。  そもそも安倍晋三首相はなぜ集団的自衛権の行使容認を急ぐのか。「アメリカが自衛隊の派遣を望んでいるからだ」というのを信じている人は少なくないだろう。でも、その前提が勘違いだったら? 〈日本政府(外務省)を、自衛隊の海外派遣へと駆り立てたのは、「湾岸戦争のトラウマ」という名の取り返しのつかない勘違いです〉と著者はいいきる。湾岸戦争時に130億ドル(1兆7千億円)もの資金協力を行いながら、国際社会で評価されなかった日本。「だから日本も汗を流さなきゃダメなんだ」。さんざん聞かされた話だが、実際はクウェートへの伝言ミスが原因だった。アメリカ同時多発テロの後、当時のアーミテージ米国務副長官が口にした「Show the flag」という言葉も実際は「旗幟を鮮明にしろ(日本側が決めろ)」という話で、日本政府に協力を求める言葉ではなかった。  日本政府と外務省の軍事音痴、外交音痴ぶりはすさまじい。「軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない」と安倍首相はいうが、軍事同盟とはもっとプラグマティックだ。〈「血の絆」みたいなウェットで曖昧な関係は、私が接してきたNATOやPKOの統合司令部には存在しません〉  03年のイラク戦争によるイラク人死者は10万人超。その戦争に加担したのは「国益」にかなっていたと公言する日本の政府関係者。〈イラクの民の血を差し出すかわりに、自国の安全をアメリカから買う〉なんて、〈私は、日本のこんな行いが、日本人として本当に恥ずかしい〉。  石破茂『日本人のための「集団的自衛権」入門』(新潮新書)とセットで読まれたし。政府の言い分がいかに机上の空論か、よーくわかる。
アは「愛国」のア
アは「愛国」のア この本を読むと、議論がいかに難しいかが、イヤッというほどよくわかる。『アは「愛国」のア』。森達也と6人の若者たちが語り合った激論バトルの記録である。テーマはズバリ「安倍的なるもの」。  参加者は雑誌編集者のAさん、会社員のBさん、大学生のC君とD君、契約社員として働くEさん、そして司会者。森達也以外、年齢や性別などのプロフィールがいまいち不明な点が観客としては不満だが、見どころは議論のかみ合わなさである。  新聞やテレビ離れとネット活用、安倍支持率の高さの間には相関関係があるのではないか、というAさんの発言に対してBさんいわく。 〈新聞やテレビといった「マスゴミ」は、本当のことを伝えないじゃないですか。朝日新聞は、従軍慰安婦をはじめ、反日的な記事しか載せない。(略)テレビはもっとひどい。在日系企業である電通がテレビを牛耳っている以上、どうしたって韓国や中国寄りになる〉。いきなりそれかい。〈電通って在日系企業なんですか?〉〈悪いけど、ほぼ陰謀論〉という森のツッコミにも、Bさんは頑として自説を曲げない。  あるいは、首相の靖国参拝について。〈行くのがいいとも悪いとも思いません〉というC君、〈どっちでもいいというのが正直な感想です〉と答えるD君に対し、Bさんは毅然と〈国のために戦って、命を落とした先人たちを悼むことに、なぜ中国や韓国が文句を言うのか〉。  知識レベルがあまりに違うので、参加者が不利なのはわかる。が、明確な意見を持っているのは、ある種紋切り型の思想に染まったBさんだけで、あとの4人はどっちつかず。むしろ調整に腐心している印象だ。これが現実なんですね。  とはいえ似たような意見の持ち主が集まった予定調和の政治談義よりずっとスリリング。〈そんなからくりなんて、はっきり言ってどうでもいいんです〉。Bさんの決めぜりふである。でもこれ、右の人も左の人もいいそうだもんな。ため息。

特集special feature

    反論が苦手な人の議論トレーニング
    反論が苦手な人の議論トレーニング 私がどうかと思うのは「あくまで個人的な意見なんですが」と前置きして話す人である。いったい「個人的じゃない意見」なんてものがあるのだろうか。あと「たいした意見じゃないので無視してもらっていいんですが」と言う人。じゃあ言うな、である。このようなエクスキューズの背後にあるのは、自分の意見が結論に影響して責任を持たされるのは嫌だ、という逃げの姿勢だ。  吉岡友治『反論が苦手な人の議論トレーニング』が批判するのは「もっと議論をすべきである」という意見である。「本当に、それが必要なのか、よく考える必要があります」もダメ。これらは議論を妨害し、話を停滞させるだけ。「どちらの気持ちもよく分かる」にいたっては〈自分は局外にいて対立に巻き込まれたくない、議論に参加したくない、という意思表明に過ぎない〉。  いやはや、耳の痛いお言葉である。でも、いますよね、こういう人。 「私はこう思うけれど、人それぞれ、いろいろな考えがあると思うし、それでいい」。今般の学生によくあるこのような発想を著者は相対主義と呼んで断罪する。〈「人それぞれでいい」と言った途端に、複数の意見・主張を比較する意味はなくなる。だから、互いのコミュニケーションもできなくなるのだ〉  もっとも今あげたのは導入部で、後半には議論とはいかにあるべきかを示す実例が続々と登場する。ブラックバス駆除の是非、自治体の「待機児童ゼロ」問題、東京裁判に対する賛否……。とはいえ、これで書名通り反論が苦手な人の議論レベルが上がるかとなるとやや疑問。ペーパーを前にした論理的思考と、反射神経が要求される実際の議論の場とは性質を異にするからだ。実例が大学や大学院の入試問題ばかりなのも「机上の空論」感を増幅させる。  それでも〈「主張が出てきたら、その直後に『なぜなら……からだ』があるかどうか探せ!」〉などの助言は有効だろう。私だったら国会の論戦をネタにするけどね。 ※週刊朝日 2014年10月17日号
    ひとりぼっちを笑うな
    ひとりぼっちを笑うな 先週紹介した太川陽介『ルイルイ仕切り術』は、どうやって人間関係を円滑に進めるかを語った本だった。一方、こちら、蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』のコンセプトはまるで逆。なにせ帯のコピーが「人づきあいって必要ですか?」だ。  とにかく束縛されたり自由を奪われたりするのが大嫌い。どんな群れにもグループにも属したくない。食事会や飲み会も苦手。テレビの地方ロケ後の食事でも、みなで大皿料理はつつきたくない。〈誰とわけるでもなく誰になにを言われるでもなく、あくまでも自分の好きなペースで食べる。もちろん、できれば誰もいない場所でひとりぼっちになって食べたい〉という徹底ぶり。  では、あくまでワガママ放題を貫くのかというと、〈僕の場合、子どものころから“目立ちたい”という発想が、ほぼ皆無でした〉。〈他人より一歩先に出たいとか、誰かを押しのけて自分が前に出たいとかいう欲望が、そもそも希薄な人間なのでしょうね〉。贅沢品には興味がない。洋服にも興味がない。〈ちなみに、いま着ているシャツは、番組のロケ中にとおりすがりの商店街で、「あ、これ目立たないしちょうどいいや」と思って買ったものです。確か1000円ぐらいだったかな?〉。  小心といえば小心、大胆といえば大胆。蛭子能収、薹の立った中学生みたいな人格である。それでも30年、漫画と芸能界の二足のわらじでなんとなくやって来れたのは、限りなく無根拠に近い自己肯定感のゆえであろう。〈生まれてこのかた、誰かに「嫌われている」って思ったことがないんです〉。なぜならば〈“僕は誰かに嫌われるようなことをなにひとつしていない”からです〉。  嫌われてはいなくても始終イラつかせているかも……などとは考えないのが楽しく生きる秘訣。〈僕は、むしろみんなと同じになりたいんですよ。“オンリーワン”ではなく、むしろ“ワンオブゼム”になりたい〉。芸能界においては希少種だろう。むろん、だからこそ目立つのだ。 ※週刊朝日 2014年10月10日号
    ルイルイ仕切り術
    ルイルイ仕切り術 太川陽介+蛭子能収の名コンビにマドンナと呼ばれる女性タレントが加わってのガチンコ旅。『ルイルイ仕切り術』は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ東京)で、そのリーダーぶりをいかんなく発揮している太川陽介の初の著作だ。 〈「蛭子さん! 台風が来たらこれは本当にピンチだよ」/そういったボクに蛭子さん、一体なんていったと思います。/「あっ、そ」/その一言ですよ。(略)/「ほら、台風が来たらバスが止まっちゃうかもしれないよ」/そうしたら蛭子さん、/「あ、そうね」/ですって。これにはさすがにカチンときましたね〉  で、太川陽介はどうしたか。 〈この時ばかりはボクも蛭子さんにアドバイスしましたね。/「ああいう時は、ちゃんと番組のことを考えてノッてこないとダメですよ」/って〉。ここで「年上の人に注意する時は裏で2人だけで」という教訓が入るのだが〈ただ、ボクの場合は相手が蛭子さんですからね、大事な話と気付いたかどうか〉。  蛭子さんといえば、どこへ行ってもトンカツ、カレー、オムライス。その姿勢を評価して〈ブレない姿勢は失敗することがない〉という教訓を引き出しつつも、こういう態度は〈蛭子さん以外になかなかできる芸当ではないんですけど〉。  副題は「人生も会社も路線バスの旅も成功に導く40のツボ」。「蛭子さん級」の怪獣をどう調教するかを前面に出し、ハウツー本の体裁にむりやり落とし込もうとはしているものの、優等生は怪獣に結局はかなわないというのが全体の印象。  もっとも太川陽介は苦労人である。10代でデビューし、NHK「レッツゴーヤング」の司会で人気を博すも、ピタッと仕事がなくなった20代後半。「50歳をすぎても好青年」な彼のイメージは、旅番組の前には洋服をすべて新調するという律儀さによるのかも。ちなみに推薦文を兼ねた蛭子能収の太川評は「もしかしたら子供なんじゃないか?と思うときもある」。あんたがいうな、だよな。 ※週刊朝日 2014年10月3日号
    従軍慰安婦と靖国神社
    従軍慰安婦と靖国神社 田中克彦『従軍慰安婦と靖国神社』には「一言語学者の随想」という副題がついている。言語学の碩学による、意外にも初のエッセイである。天然なふりをしてじつは挑発的な田中流の論法は、このテーマでも健在。なにせいきなりコレだもん。 <まずぼくは従軍慰安婦のことを、資料を読んだりして調べたことは一度もなく、靖国神社の由来や来歴などを書いた研究書がいくつも出ているのを知っているが、それらの一冊も読んだことはない>。何かにつけて「ソースは?」と迫るお若い衆には真似のできない芸当である。  実際、「日本軍の強制連行を示す資料はない」などの言い方で問題を狭くとらえようとする論調の中、本書は政治ではなく文化の文脈から問題を広く外へと開いていく。  たとえば、海外に設置された慰安婦像。韓国人の日本に対する憎悪がどれほど強いか承知したうえで、それが哀悼の意を高める結果になっただろうかと著者は問う。一方、短絡的に像の撤去を求める日本政府にも厳しい視線は向けられる。 <なぜ日本軍だけが慰安婦を必要としたかという、諸外国からの質問にぼくはこう答える。/オトコがオンナを求めたい気持が、日本人も諸外国人も、人種のちがいをこえて差がないとするならば、日本のオトコにかぎって、オンナに言い寄り、「させてください」と頼み、相手もしたくなるようにさそう教養と技術に欠けていたからだと>  かつての日本には恋愛を尊ぶ文化がなく、それが男女関係において自立できない男をつくり、慰安婦制度をも許した。<国民教育の欠陥を反映していて恥であり、大いに反省すべきことはここに尽きる>。慰安婦は日本の兵士たちのために働いた。<日本人は彼女たちをうやまい、感謝しなければならない>。誤解もおそれぬ大胆不敵な筆致。が、兵士も慰安婦も貧農の子どもたちだった。日本の男たちは慰安婦に対する敬意がない、そのことに田中先生は怒っているのである。
    吾輩ハ猫ニナル
    吾輩ハ猫ニナル これまでもさんざっぱらパロディにされてきた『吾輩は猫である』。その最新版にして、ふざけっぷりは歴代随一かも、と思わせるのが横山悠太『吾輩ハ猫ニナル』である。  語り手の「自分」こと「駿(カケル)」は日本人の父と中国人の母の間に生まれた青年。5歳までは父のいる日本で、その後は母とともに上海で育ったが、蘇州の科技学院に入学した今はひとり暮らしを満喫中だ。その彼が母の命で東京に行くハメになり、ひょんなことから秋葉原の女僕珈琲店(メイドカフェ)に入ってしまい……というのが一応の筋書きである。なんだけど、本書のミソは中国語式の漢字表記と日本語風のルビを駆使した特異な文体である。 <雷帝(レディー)・ガガの粉絲(ファン)>である友人は<ガガがしていたという奇抜な米老鼠型(ミッキーマウスモデル)の太陽鏡(サングラス)を模倣して工作したものを戴(か)けて>みせるし、男子学生の間では<邁克尓・傑克遜(マイケル・ジャクソン)の月球漫歩(ムーンウォーク)>が流行るし、<銀狐犬(スピッツ)という日本の楽隊(バンド)の「魯濱遜(ロビンソン)」という歌曲(うた)>も登場するし、かと思えば<優衣庫(ユニクロ)だって日本の企業だったはずだ>とか<相機(カメラ)であれば尼康(ニコン)も索尼(ソニー)も佳能(キヤノン)も奥林巴斯(オリンパス)も一見日本の企業らしくない名前だが>なんて話まであって、日本語PCユーザー泣かせの単語(漢字)がもう満載。 <それにしても、日語という語言(げんご)は実に怪体(けったい)である>。3種類も文字があるうえ<可憎(にっくき)はあの片假名である>。日本語学習中のそんな中国人のために日本人留学生が書いた、という設定の小説。アイディア勝負の一発ギャグみたいなもの?  もっとも騒々しい表面塗装をはがしてみれば、中から現れるのは意外に素朴な青春小説の顔である。なじみの三毛猫に「先生」というあだ名をつけて崇拝するカケル君。近ごろ険悪な日中関係の架け橋は無理でも相互理解の一助にはなるかも。作者は北京に留学中の新人。この作品で群像新人文学賞を受賞した。「猫ニナル」ってそういうことかい、という末尾に横転(コケ)つつも、ま、怪体な才能の出現であるのはまちがいない。 ※週刊朝日 2014年9月19日号
    メタモルフォシス
    メタモルフォシス 奥多摩で発見された身元不明遺体には奇妙な刺青(背中に大きなハローキティ!)が彫られていた。  主人公のサトウはとっさに理解する。死者は彼となじみの同好の士であった。〈かねてより切腹プレイを至上の目標にかかげ日々研鑽を積んでいた彼が、ついに自ら死亡記事の中の人物となった〉のだ!  せ、切腹プレイって……。なーにそれは。その人は変態なの?  はい、変態です。なんたってタイトルが『メタモルフォシス』ですから。メタモルフォシスは日本語に直せば変態(ただし昆虫の)で、カフカの『変身』も英語では『ザ・メタモルフォシス』だ。もっとも羽田圭介『メタモルフォシス』はマゾヒストの心境をとことん追究した純文学系の変態小説。女王様にいたぶられる「調教」を通して自らの存在感を確かめる男たちの物語である。  サトウが愛好するのは、たとえば恥ずかしい格好で屋外を出歩く「野外放置プレイ」である。みじめな姿になればなるほど〈サトウはこの絶望的状況に恍惚となった〉。プレイの中身はしかし多種多様で、人に糾弾されるようすを録音して聞く音声データプレイ(?)あり、自身の恥ずかしい過去を文章にして公表する自費出版露出プレイ(?)あり。危険なプレイをやりすぎて病院に運び込まれれば、医師や看護師の軽蔑的な視線がまた〈素人にしか成し得ない技〉として彼に〈恥じらいの念と快楽〉をもたらすのである。  気持ち悪い描写の数々に途中で本を投げ出したくなるのを我慢して読み続けると、心身の苦痛をこれほどまでに探求する彼らの求道的な姿勢に興味が湧く。悪徳証券会社の社員として富裕層の老人を日々だましているサトウは、実生活ではサディズムを生きているともいえるわけで。死の恐怖を味わおうと、ついに彼は危険な賭けに出るのだが……。  今期芥川賞を最後まで争った問題作。これが受賞していたら世間は仰天、侃々諤々になったかも。それが見られなかったのはちょっと残念。 ※週刊朝日 2014年9月12日号

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