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「今週の名言奇言」に関する記事一覧

Masato
Masato デビュー作『さようなら、オレンジ』が大江健三郎賞を受賞して話題になったオーストラリア在住の作家・岩城けい。『Masato』は彼女の2年ぶりの新作だ。  語り手の「ぼく」こと安藤真人は車関係の会社に勤める父の転勤で、家族とともにオーストラリアに引っ越してきた。地元の公立小学校に編入した真人は、最初こそ英語がわからず孤立するが、サッカークラブに入ったことで自分の居場所を見つけ、友達も得て、急速に現地になじんでいく。しかしその頃、母親は……。 <真人くんはこっちの学校に行っているんだから、もう英語はペラペラでしょう、って大人は顔を見るたびに言う><英語が話せたらかっこいいよ、それに将来、ぜったい仕事に困らない。これからの時代、英語、プラス、コンピューターでもスポーツでも、なにかやれればいうことなしだ。世界で対等にやりあえる>  このような幻想を抱いている人は多いだろう。真人の両親もそうだった。しかし翌年、6年生に進級した真人の前に立ちはだかったのは「サッカークラブをやめて日本語の補習校に通え」という母の命令だった。 <6年生の漢字もまるで知らないでしょう、算数だって追いつかないと。まあくん、日本だったらこの4月から中学生なのよ、そんな調子で日本の中学なんてとても通えない>  真人は叫ぶ。「I hate you!(お母さんなんか、大嫌いだ!)」  海外駐在員となった親と子の葛藤をこれほど細やかに、かつストレートにつづった小説は珍しいかも。英語のほうが得意な息子と英語が話せない母。現地の学校に進学したい息子と日本に帰りたい母。<大人はみんな、あんなに英語ができたらいいって口ぐせみたいに言うのに、ぼくらが英語でしゃべると「日本語でしゃべりなさい」「日本人だろう」ってイライラした声で怒る>  でも、わかるよねえ、真人の母が感じる「置いてけぼり」感も。ナショナリズムとは案外、こういう疎外感からはじまるのかもしれない。
東京零年
東京零年 帯には〈暴走する権力に抗え〉のメッセージ。赤川次郎『東京零年』は警察国家と化した近未来らしき社会が舞台のサスペンスである。  因縁浅からぬ関係にある親世代と子世代の物語が進行する。  生田目健司は19歳の大学生。父の生田目重治は元検察官で、引退したいまも政界やメディアに強い影響力を持つ。一方、永沢亜紀は24歳。昼は保険会社で、夜は弁当屋で働いている。電車のホームから落ちた健司を亜紀が助けたことで二人は知り合うが、健司の名字から、彼の父が元検事の重治と知って、亜紀は逆上する。「あんたなんか、助けるんじゃなかったわ!」。生田目重治はかつて亜紀の父・永沢浩介をおとしいれた人物だったのだ。  いまは介護施設に入っている永沢浩介は、かつては反権力のジャーナリストで、数々の集会にゲストとして招かれる有名人だった。ところがある日、生田目重治に呼び出された浩介は、さる反戦集会についての取引を打診される。加えて同志だと思っていた男女の背信。浩介に着せられた殺人の濡れ衣。  浩介に容疑がかかった殺人事件の被害者・湯浅道男が生きていると知った健司と亜紀は、元刑事の喜多村ともども湯浅の行方を追うが……。  ここで描かれているのは、どこにも正義が存在せず、裏切りが横行し、誰が味方か敵かも判然としない社会の恐怖だろう。権力に不都合な人物は容赦なく抹殺される。メディアも権力の一味である。「当局発表じゃ、誰も信じないだろう。だから、どこかが〈真相をスクープ!〉とやらなきゃならん」「つまり、当局が知らせたい〈真相〉を、うちがスクープするってことですね」  こういう社会にすでに片足を突っ込んでいるんじゃないかと思われる現在の日本。「人の命なんて、今の政権にとっちゃ鳥の羽より軽いさ」とは喜多村の言葉だが、「そんなバカな」なことが現に国会でも起きているわけで。自由なき社会はすぐそこに、という警告の書だ。
原水爆漫画コレクション(1)曙光
原水爆漫画コレクション(1)曙光 戦後70年、同時に原爆投下から70年の今年は戦争を考えさせる多種多様な本が出版されている。  平凡社の『原水爆漫画コレクション』全4巻もそのひとつ。原爆を描いた漫画といえば、誰でも思い出すのはおそらく中沢啓治『はだしのゲン』だろう。『はだしのゲン』の雑誌連載がスタートしたのは1973年。だが日本には、それ以前から知られざる多様な「原水爆漫画」があった。『原水爆漫画コレクション(1)曙光』には1950年代に発表された4編が収録されている。 「大洪水時代」が描き出すのは核開発と家族の葛藤だ。海老原家の父は実業家。長男の鮫男は原子力要塞建設の重要な任務を担う濃縮ウランの研究委員。原爆に反対する次男の鯛二は父や兄と対立していた。  そんな弟に兄はいうのだ。〈ばかっ 世界で原子力要塞をもっていないのは日本だけだぞっ〉〈国のためをかんがえろ 原爆は ぜったいにいるんだぞ おまえは世間しらずだ〉  思いあまった鯛二は、ある日、兄の部屋に忍びこみ、要塞の設計図を破損しようとするが、見つかって死刑を免れる代わりに精神科病院に入れられてしまうのだが……。  作者は手塚治虫。ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被曝した1954年の翌年の作品である。  読者を震撼させるのは、あってはならない事故が起きることである。〈しょくん! 北極海上に建設中のわが原子力要塞が……とつじょとして大ばくはつをおこしたのだ〉。秒速20メートルの速さで大津波が起こり、2日後には日本の東海岸を襲うとの予測。海岸線から50キロ以内の住人に避難命令が下り、町は疎開する人々で埋まる。〈われわれの血の涙をしぼってつくった原子力要塞があべこべにわれわれに大洪水をもたらす…まるで飼犬に手をかまれたようなものである〉。  子ども向けの雑誌や貸本漫画の中に埋もれていた貴重な作品を発掘しての全4巻。3・11後のいまだからこそ身につまされる。
ぐにゃり東京
ぐにゃり東京 1964年、東京オリンピックを前に、開高健は『ずばり東京』というタイトルの連作ルポを書いた。平井玄『ぐにゃり東京』は、これを意識しつつ「2度目の東京オリンピック」を前にした東京の風景を描くルポルタージュ風のエッセイだ。 〈東京の街は「怪物」になってしまった。/人を殴りつけるバケモノになった。数十階のタワーが道を行く人間をなぎ倒す。そういう腕が地面から何百本と突き出ている。そう感じたことはないだろうか?〉  いわれてみれば、たしかにそうだ。続けて著者はいうのである。 〈毎朝、IDカードをかざしてこういうタワーに出入りする人たちはそんなことは思わない。空調のようにセキュリティの効いたホールを入り、大きなエレベーターで静かに昇る。幾何学的な世界を方程式のように進むと、自分たちのオフィスである。座り心地のいいイスがそこにある〉。東京の景色は見る人の意識、もっといえば階層(階級)によって異なるという視点はきわめて新鮮。  副題は「アンダークラスの漂流地図」。派遣フリーターとして東京中の出版社や印刷工場に赴く著者の目は街の細部もとらえる。〈「おはようございま~す」と声をかけても、どこからも返事がない。みんな正社員のように見えてもほとんど派遣だと、こんな感じなのだ。それが分かってきた〉。土日の朝早く、駅から15分以上かかる裏道に〈ハイヒールや細身のスーツが似合いそうにない人たち〉が歩いている。彼らは裏路地の3~7階くらいのビルの裏口に消えていく。〈各種データの打ち込みオペレーターや通販の電話アポインター、契約のシステム・エンジニアから印刷フリーター、ビル清掃のパートさん、ってとこだろう〉  格差社会という言葉でなんとなくわかった気でいた人々のリアルな姿が、東京の町々の描写を通じて浮かび上がる。著者の言葉を借りれば「階級地理」。断片的な景色の寄せ集めなのに、知っていたはずの東京がまさにぐにゃりと歪んで見える!
神さまのいる書店 まほろばの夏
神さまのいる書店 まほろばの夏 本がストーリーの中で重要なアイテムだったり、書店や図書館が舞台だったりする物語。ダ・ヴィンチ「本の物語」大賞は、そんなコンセプトで創設された公募の賞。三萩せんや『神さまのいる書店 まほろばの夏』は、160作品の中から選ばれた第2回大賞受賞作である。  主人公は女子高生の紙山ヨミ。図書館員をやってる姉のアパートに居候中だ。夏休み、司書教諭のノリコ先生の紹介で、大宮の書店でバイトをはじめたヨミ。ところが、そこは普通の書店ではなかった!  店内にはさまざまな植物が繁茂し、鳥や小動物が駆け回っている。〈これでは植物園か動物園だ!〉  店長のナラブはいった。〈ここに並んでるの、全部まほろ本なんですよ〉〈まほろ本っていうのは、生きている本なんです〉。この世には希に本に宿ってしまう魂があるのだという。〈まほろ本に入った魂にとって、本が肉体の代わりです。(略)だから彼らを触ろうとしても、本以外の場所には触れられません、ちょうど立体映像のようにね〉  半信半疑のまま、ヨミは傷んだ本の補修を手伝うことになるが……。  なんとなくこう、メリハリのない物語だなあ。と感じるのは「まほろ本」の概念が微妙なせい? 単にファンタジーにノレない年齢になったせい? まほろ本の中には人間の姿をした本もあって、不良っぽい金髪の美少年サクヤもそれだった。  ヨミはいつしかサクヤに恋をするが、サクヤは人知れず悩んでいた。〈人間に、なりたくて〉〈俺は、肉体が欲しい。確かな存在になりたい〉 〈まほろ本にも死という概念があってね。破損がひどかったり劣化が激しくなると、人と同じように死んでしまうんだ〉。魂が抜けた本の呼び名は「むくろ本」。〈まほろ本の死体ってところかな〉  本に魂が宿ってて、その魂が肉体を持ちたがるって、いったいなんなんだか。まあ、それでもいいですけどね。素材はたしかに本だけど、結局はラブ・ストーリーだから。
ぼくは愛を証明しようと思う。
ぼくは愛を証明しようと思う。 「僕」こと渡辺正樹は27歳。特許事務所で働く弁理士だが、恋人に捨てられ、他の女性にも相手にされず、「掃き溜めのような人生」をおくっていた。ところが!  藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』は、そんなモテない青年が「恋愛工学」のテクノロジーの修行を続けることでモテモテの男に大変身するまでを描いた小説、というか小説仕立ての恋愛マニュアルだ。  彼に「恋愛工学」を伝授したのは永沢圭一。〈いいか、わたなべ。恋愛というのは運とスキルのゲームなんだよ。頭を使って戦略的にプレイしないとダメなんだ〉。そう豪語する永沢が渡辺に命じた最初のミッションは50人の女性にアタックすること。〈1年に50人もですか?〉とひるむ渡辺に永沢はいった。〈いいや。1日に50人だよ〉 「恋愛工学」といえば聞こえはいいが、要は新手のナンパ(スケコマシといいますか)術。とはいえ昔の「ホットドッグ・プレス」に載ってたような牧歌的なナンパ術ではない。そこはルーティーン(女性に話しかけたり会話をはずませるために使う台本)、オープナー(道を尋ねる、写真を撮ってあげるなど、初対面の女性に声をかける方法)、タイムコンストレイントメソッド(説明略)、スタティスティカル・アービトラージ戦略(説明略)、セックストライorストップロス戦略(説明略)などの専門用語が飛び交う100%テクノロジーの世界であった。〈恋愛も、勉強する者だけが救われるのだ〉  街コンからはじめた渡辺は、徐々にスキルアップし、1年後には永沢とこんな会話をかわすまでになる。〈「この東京の街は、僕たちのでっかいソープランドみたいなもんですね」/「ああ、無料のな」〉  ったくもう。こんな軽佻浮薄な男には天罰が下ってしまえ!という読者の心情を見透かしたように、終盤、渡辺にはほんとに天罰が下るのだが。要するに「やりたい」だけじゃん。なんだけど「やる」ための惜しみない情熱と努力には脱帽する。

この人と一緒に考える

金魚姫
金魚姫 語り手の「僕」こと江沢潤は29歳。仏壇仏具を売る会社の営業マンだ。会社はブラック企業で、めったに契約をとれない潤はパワハラ地獄に苦しんでいる。そのうえ同棲していた彼女までマンションを出ていった。一時は死のうとまで思い詰めた潤は、ある日、縁日の金魚すくいで1匹の琉金を手に入れるが……。  荻原浩『金魚姫』は、金魚の化身が男の家に棲みつく「鶴の恩返し」もかくやの物語である。〈すぐ後ろに、昨日の幻覚と夢そのままの女が、いた。/中国の古めかしい衣裳の裾をたっぷりふくらませて、床にへばりつくように座っている。赤いというより紅い、その衣のせいか、顔がやけに白く、髪は漆黒に見えた〉〈「君は誰? なぜここにいるの」〉〈「お前が連れてきた」「あ?」「お前が私を釣ったのだろう」〉  潤は彼女をリュウと呼び、奇妙な同居生活がはじまった。リュウが来てから潤は死者の姿が見えるようになり、死者の声を聞き取ることで高価な仏壇が次々売れはじめる。  恋人のいないブラック企業にお勤めのサラリーマンには夢のような話ですよね。とはいえ、リュウはそもそも金魚である。人間の姿でいられるのはせいぜい1時間。定期的に水の中に戻らないと生きていけない。潤が古書店で買った『金魚傳』なる古い本によれば〈金魚にとって水は人における大気と心得よ〉。出かけるときには水を入れた4リットルのペットボトルを持参し、リュウの姿が見えなくなれば、ポットの中やバスタブを探しまくり……。  しかも、物語はそこでは終わらない。前世のリュウは古代中国(晋の時代?)の娘であり、憎き相手との婚儀から逃れて沼に飛び込んだのだった。はたしてリュウはなんのために金魚に身をやつし、古代の中国から現代の日本にまで渡ってきたのか。ちょっと大人な『崖の上のポニョ』ともいうべきキュートなファンタジー。中国の故事めいた物語に金魚の歴史までからみ、観賞魚ファンにも受けること必至の一冊です。
スクラップ・アンド・ビルド
スクラップ・アンド・ビルド 羽田圭介が文藝賞をとってデビューしたのは17歳。デビュー作の『黒冷水』は高校生の兄と中学生の弟が壮絶なバトルをくり広げる前代未聞の兄弟ゲンカ小説だった。『スクラップ・アンド・ビルド』はその羽田圭介の芥川賞受賞作である。  主人公の田中健斗は28歳。失業中で、単発のバイトや資格試験の勉強をしながら再就職に向けて活動中だ。父はすでに亡く、現在は母と87歳になる祖父との3人暮らし。要介護の祖父を母が引き取ったのは3年前。祖父の口癖は「早く死にたい」だ。〈早う迎えにきてほしか〉〈健斗にもお母さんにも、迷惑かけて……本当に情けなか。もうじいちゃんは死んだらいい〉  優しい慰めを期待して家族に甘える祖父。が、リハビリのためには祖父を甘やかすべきではないと考える母は容赦がない。〈ったく甘えんじゃないよ、楽ばっかしてると寝たきりになるよ〉。薬を飲んだほうがいいかと聞けば〈勝手にしなよ、そんなの本当は飲まなくてもいい薬なんだから〉。〈健斗、水くれる?〉といえば〈健斗に甘えるな! 自分でくみに行け!〉。  一方、祖父は本当に死にたいと思っているのではないか、そう考えた健斗は、緩慢な尊厳死をアシストすべく「過剰な介護」に乗り出すのだ。筋肉をなるべく使わせず、食事からたんぱく質を排除し、自立歩行の能力も失わせ……。〈本当の孝行孫たる自分は今後、祖父が社会復帰するための訓練機会を、しらみ潰しに奪ってゆかなければならない〉  読む人がつい心配になるような心理戦は『黒冷水』以来、羽田の得意技である。使わない機能が衰えるなら、逆をいけば自分の能力は上がるかもと考えた健斗が、筋力トレーニングに励むくだりがおもしろい。 〈素人は引っこんでろ! これだから、目先の優しさを与えてやればいいとだけ考える人間は困る〉とは、祖父を思いやって手を出す人々に向けられた健斗の感慨。笑わせながらも介護の本質に迫った佳編です。
読み聞かせる戦争 新装版
読み聞かせる戦争 新装版 戦後70年の8月は図らずも(あるいは謀ったのか!?)、国中で「戦争法案反対」のプラカードがゆれる夏になった。誰も頼んでいないのに、憲法を無視して戦争にわざわざ近づいていく政府与党の愚。  日本ペンクラブ編、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんの選による『読み聞かせる戦争』は、もともとは2002年、米国同時多発テロの翌年に、ある危機感をもって出版された本だった。それが今年「新装版」として復刊された理由はいうまでもないだろう。収録された27編の文章は、大岡昇平『レイテ戦記』、火野葦平『麦と兵隊』のような有名な戦争文学の一部から、無名の書き手の詩や手記まで多種多様。 〈やっとたどりついたヒロシマは/死人を焼く匂いにみちていた/それはサンマを焼くにおい〉(林幸子「ヒロシマの空」)。〈何か宗教の本をお送り願えれば幸甚です。何派のものでもいいのです。(略)たとえ一時的でもいい、心の平衡が求められればいいのです〉(瀬田万之助『きけわだつみのこえ』より)。  こうした悲しみを誘う声だけではなく、人の命をないがしろにした軍や国への怒りをこめた文章が多数収められているのも、この本の特徴だ。 〈火は消さねばならぬものとする法律「防空法」が、人びとの避難をはばむことになったのでした〉と書き、国がはじめた戦争の惨禍と犠牲は一般市民にいく理不尽を告発するのは早乙女勝元『母と子でみる東京大空襲』。戦争末期に回天の搭乗員として戦死した友を悼み、後に〈終戦はもう前からわかっていた〉という当時の参謀の発言を知って〈もしもこれが事実であれば、帝国海軍は若者達を、むざむざと死地へ追いやったことになる〉と書くのは武田五郎『回天特攻学徒隊員の記録』。  大きな文字で、すべてふりがなつき。加賀美さんの朗読を収めたCDつきのお得な本。「国民の命を守る」と称する政府の言い分には必ず裏切られる! そんな歴史も証明する、戦争のエッセンスを集めた一冊だ。
晴れたらいいね
晴れたらいいね 都内の病院で働く看護師の高橋紗穂は24歳。夜勤で病室を回っている最中に大きな揺れを感じ、気がつくと、そこは1944年8月のマニラだった! 藤岡陽子『晴れたらいいね』はここからはじまる、女性を主役にした異色の戦争小説だ。  現代の若者が戦時中の日本にタイムスリップするというのは小説や映画でわりとよくある設定だけど、ここでは現代の看護師が日赤の従軍看護婦になっちゃうのだ。それも紗穂が働く病院に入院している95歳の雪野サエに乗り移る形で。  主人公は後方を守る救護班ですからね。『永遠の0』みたいなヒロイズムも、血湧き肉躍る戦闘シーンもまったくない。雪野サエ(中身は高橋紗穂)たちに課せられた任務は、包帯の洗濯、重症患者を収容した隔離病棟での排泄の世話、負傷者の手当て、死んだ兵士の遺品の整理、防空壕への患者の移送……。  だが、本当の苦労がはじまったのは、バギオへの突然の異動を命じられてからだった。設定は荒唐無稽だが、戦地の描写はシリアスで、夜間の行軍を描いたくだりなど、ちょっと大岡昇平を読んでる気分。  そんな重苦しさを救うのが、いわゆる「白衣の天使」のイメージには収まらない看護婦たちの溌剌とした姿である。〈どうしてそんなに人のために尽くせるの?〉と問うサエ(紗穂)に仲良しの美津は〈怒っているからよ〉と答える。〈私は心底この戦争を憎んでいるの〉。一方、自決用の手榴弾の使い方を指導する上官に、サエ(紗穂)は断固として逆らうのだ。〈私は、自決なんて絶対にしません。命が尽きる最期まで、自分の命を守りますよ。敵が目前に迫っているのなら降伏します〉  サエ(紗穂)の唯一の強みは戦争が終わる日を知っていること。彼女らはその日まで生き延びることができるのか。作者は現役の看護師でもあり、丹念に調べられた細部はリアル。映像化されないかしら。主題歌はもちろん、彼女たちが行軍中に歌うドリカムのあの名曲だ。
君の膵臓をたべたい
君の膵臓をたべたい 特大サイズの新聞広告と猟奇的なタイトルにびっくりした人も多いのではないか。住野よる『君の膵臓をたべたい』。〈読後、きっとこのタイトルに涙する〉と帯のコピーが豪語する新人作家のデビュー作だ。  書き出しはズバリ〈クラスメイトであった山内桜良の葬儀は、生前の彼女にはまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた〉。  語り手の「僕」は高校2年生。友達も彼女もいない冷めた男子だ。その日、盲腸炎手術後の抜糸で病院にいた「僕」は、ロビーで『共病文庫』と題された文庫本サイズの日記を見つける。〈私は、あと数年で死んじゃう。それを受け止めて、病気と一緒に生きる為に書く〉。持ち主は同級生の山内桜良。彼女は重い膵臓の病気を抱えていた。家族以外には隠していた病気のことを「僕」に知られた桜良は、以後、彼に気を許し、あちこちに彼を引っ張り回す。食べ放題の焼肉店、スイーツバイキング、そして博多への1泊旅行。  ジャンルでいえば、まあジュニア小説ですかね。女の子が難病で死ぬと最初からわかっているという意味では、あの大ベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』と同じタイプ。ひと頃流行ったケータイ小説のテイストもひきずっている。ただし「悲恋」といえないのは、2人が恋人同士ではなく友達ともいえず、「仲良し」という微妙な関係にあることで、このへんが今っぽいのかも。  ま、こういうのは中高生が涙してくださればいい本で、私ごときがとやかくいうことではないが、でもこの死に方はどうなんですかね。  ちょっとおもしろかったのは2人の焼肉屋デート。ギアラ、コブクロ、テッポウ、ハチノス……。はじめて聞く名に〈牛ってそんな面白い名前のパーツ持ってるの?〉と驚く「僕」。〈ちなみに膵臓はシビレね〉と答えるホルモン好きの桜良。それでこの子は〈私、火葬は嫌なんだよね〉とかいうしさ、焼肉屋で。  表題の意味はしかし、焼肉とは関係ありません。あしからず。
読書をお金に換える技術
読書をお金に換える技術 先週に続き、再びタイトルに目が釘付けになった。千田琢哉『読書をお金に換える技術』。〈教養人になんてなれなくてもいいので、お金を稼げる本の読み方を教えてください〉という要望に応えた本だという。それはスゴイ。教えて教えて!  最初の教えはいきなりこれだ。〈つべこべ言わず、まずベストセラーを買え〉。う、そうなんだ。〈仮に読まなくても、傍に置いておくだけで売れている商品の空気を感じることができる〉からだという。かと思うと〈「ビジネス書・自己啓発書ばかり読んでいるとバカになる」は、嘘〉。なぜってシンプルなコピー(本の場合はタイトルや見出し)には〈人とお金が殺到する〉から。〈断言してもいいが、稼ぎたければビジネス書や自己啓発書を読むのが一番の近道だ。たいていは歴史や哲学の豆知識なども頻繁に登場するから、頭も良くなるのは間違いない〉  なるほどねえ。一流の商品(ベストセラー)に親しみ、効率的な読書にいそしめってことね。実際、この本も〈20年以上増刷を繰り返している成功哲学書は、本物〉〈「やっぱり原書を読むべきだ」という正論は、無視していい〉と「シンプルなコピー」の50本連続攻撃だ。  感心したのはここ。〈創業社長の本は、苦労話より自慢話に注目しろ〉。自慢話には稼ぐヒントが満載。〈他人の自慢話を喜んで聞けるようになれば、あなたが成功する日も近い。/自慢話を喜んで聞いてくれる人に、人とお金は殺到するからだ〉  そして一番驚いたのはここ。〈マルクスの『資本論』は、今すぐ読んでおけ〉。おいおい、岩波文庫の『資本論』は全9冊だぞ。「シンプルなコピー」も皆無だし、むしろ稼がないためのバイブルだぞ。だが著者はいうのだ。〈なぜ人に使われる立場ではいつまでも稼げるようにはならないのか〉が学べると。著者は100冊以上のビジネス書・自己啓発書を上梓している成功者。自慢話も喜んで聞けないと、成功者への道は遠いらしい。どうりで!

特集special feature

    精神科医が教える 読んだら忘れない読書術
    精神科医が教える 読んだら忘れない読書術 タイトルに目が釘付けになった。樺沢紫苑『精神科医が教える 読んだら忘れない読書術』。自慢じゃないが、私は本の内容を忘れる名人だ。書評した本の内容さえ、すぐ忘れる。もし「読んだら忘れない読書術」があるなら、教えて教えて!  1日1冊、月に30冊は読むという読書家の著者はいう。〈ネット情報というのは、デパ地下の試食のようなものです〉〈1年たって古くなるのが「情報」、10年たっても古くならないのが「知識」です〉〈私が考える「本を読んだ」の定義は、「内容を説明できること」、そして「内容について議論できること」です〉。ふむふむ、なるほど。納得したので、線を引いておこう。 〈読書量と年収は、比例する〉〈年収の高い人は読書量も多いという結果が出ています〉という話は、逆は真ならず(読書量が多い人の年収が高いとは限らない)だと思うので脇に「?」と書き込む。  肝心の「読んだら忘れない読書術」はこれだ。〈「アウトプット」と「スキマ時間」。この2つを意識するだけで、あなたも「記憶に残る読書」ができるようになります〉。 「アウトプット読書術」とは、マーカーでラインを引く、本の内容を人に伝える、感想をSNSでシェアする、書評を書くなど。  そういうことは全部やってるんですけどね、と思ったら次の「スキマ時間記憶強化読書術」にこんな教えが。〈まとめて読書するよりも、スキマ時間に読書したほうが「記憶」において有利な点が多いのです〉。60分連続で読むより15分単位の細切れ読書のほうが効率的なのだと。  ガーン、私の読書は一気読みだよ。なので〈高い集中力が維持できる限界が15分〉のところに線を引いたが、一番ツボにハマったのはここ。〈厳しいようですが、そんな「読んでも忘れてしまう読書」で年に100冊読んだとしても、ザルで水をすくうようなもので、時間の無駄です〉。す、すみません。でも細切れ読書だと仕事にならないんですよ。
    けんぽうのえほん あなたこそたからもの
    けんぽうのえほん あなたこそたからもの 安保法制は憲法違反だとの見解が、憲法学者からも元内閣法制局長官からも出されている。にもかかわらず、頑として聞く耳もたぬ安倍政権。憲法をイチから学び直したほうがいいんじゃないだろうか。  いとうまこと(伊藤真)の文・たるいしまこ(垂石眞子)の絵による『けんぽうのえほん あなたこそたからもの』は幼い子どもたちのために日本国憲法について説いた絵本である。条文ごとの解説ではなく、その精神を子どもの生活実感によりそって説明してくれるのが新鮮。  たとえば〈ドッジボールでまけそうになると、ルールをやぶって、かとうとする。わがままで、いばってるこ、いるよね。ゲームはめちゃくちゃ、みんなおろおろ〉。ほらね、だれかさんのことみたい。 〈つよくて、ちからのあるひとが、かってにルールをやぶったり、あたらしいルールをおしつけてきたら、いやでしょ。こまることもでてくるよね。だから、じてんしゃにブレーキがついているように、わたしたちのくにには、けんぽうがある〉  そうなんですよ、政治家のみなさん。〈つよくて、ちからのあるひとたちにつけたブレーキ。それが、けんぽう。いちばんつよいルール〉ってね。  言葉つきは易しいが、相当高級な理念をこの本は語っている。憲法でいちばん大切なのは13条「個人の尊重」であると強調。〈けんぽうがひつようなのは、よわいがわにいるひとたち〉といい切るとこか。  人権を獲得するまでの経緯にも言及。〈ながいれきしのなかで、たくさんのひとびとが、ぐんたいやけんりょくによって、くるしめられてきた。けんりょくというのは、いやなことでもむりやりさせる、おおきなちからのこと。もっとじゆうに、もっとしあわせにいきるために、ひとびとは、たたかってきた〉。だから〈わたしたちのけんぽうは、たくさんのひとたちからの、おくりもの〉。  子どもたちに与えるというよりは読んでやりたい本。「憲法ってなーに」の原点に立ち戻れる。
    明治維新という過ち
    明治維新という過ち この種の歴史読み物としては、ありえないほど売れている本である。原田伊織『明治維新という過ち』。サブタイトルはなんと「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」。  いうことが、ともかく過激なの。勤皇志士とは〈現代流にいえば「暗殺者集団」、つまりテロリストたちである。我が国の初代内閣総理大臣は「暗殺者集団」の構成員であったことを知っておくべきである〉。 〈長州テロリストが行った多くの暗殺は、その残虐さにおいて後世のヤクザの比ではない〉〈彼らは、これらの行為を『天誅』と称した。天の裁きだというのである。これは、もともと「水戸学」の思想に由来する。そして、自分たちが天に代わってそれを行うのだという。もはや狂気と断じるしかない〉  私たちが学校で教わった、あるいは小説やドラマを通じて刷り込まれた近代の幕開けとしての維新の歴史がことごとく覆される爽快感。 〈豊かな教養環境とはほど遠い下層階級から政治闘争(実際には過激なテロ活動)に身を投じた彼らは、俄か仕立ての水戸学だけを頼りに「大和への復古」を唱えて「廃仏毀釈」という徹底した日本文化の破壊を行った挙句に、今度は一転して「脱亜入欧」に精魂を傾けたのである〉  そういわれると、たしかに彼らはクメール・ルージュやタリバンや文革時代の紅衛兵と同類に思えてくる。著者はしかも彼ら長州テロリストの発想が、山県有朋らを通じて旧日本軍に伝染し、先の侵略戦争にまで直結しているというのだ。 〈平成日本は今、危険な局面に差しかかっている。彗星の如く国民の不満を吸収する政治勢力が現れるのは常にこういう時期であり、それが正しい社会の指針を提示することは少ないのだ〉。そ、それは……。  もっか違憲の疑いが濃い安保法案のゴリ押しに邁進する安倍晋三首相は山口4区、高村正彦自民党副総裁は山口1区の選出だ。それとこれとは関係ない? だとは思うが、でもあまりに感じが似ていてさ。
    もう食材をダメにしない!お料理&キッチン整理術!
    もう食材をダメにしない!お料理&キッチン整理術! 池田暁子はコミックエッセイの名手である。しかし、生活者としてはダメダメだ。そんな彼女が達人の知恵を借りつつ脱ダメ生活を目指すのが『片づけられない女のためのこんどこそ! 片づける技術』(2007年・文藝春秋)にはじまる「人生立て直し」シリーズで、片づけ、貯金、ダイエット、時間管理、はては結婚生活にいたるまで私生活を開陳してきた彼女が9年目にしてたどりついたのはキッチンだった。 『もう食材をダメにしない! お料理&キッチン整理術!』で、このたび池田暁子が目指すのは〈残りものでぱぱっと おいしいお料理をこしらえる〉こと。目的達成への道は遠い。なにしろ片づけが大の苦手だった彼女は料理も苦手。レパートリーは〈焼いた肉(焼き肉のタレで!)/気まぐれ肉野菜炒め(家族に不評!)/切ったキュウリ(マヨネーズ添え)/切ったキュウリ(もろみ添え)/卵かけごはん/おにぎり/カレー(ごくたまに気が向いたら)/肉ジャガ(同上)/みそ汁(インスタント)〉。以上終わりだ。  それでもレシピ本と首っ引きで作ってみた「豚のしょうが焼き」は美味だった。が、毎回レシピを見るのが面倒くさい。彼女は達人の言葉に衝撃を受ける。〈レシピは見ませんが その代わり 必ずちょこちょこ味見しながら作ります〉。彼女は味見をしていなかったのである。〈あらためて味見してみて思ったんですが…〉〈お米って…洗ってから炊いた方が美味しいですね?〉。そ、そこからかい! 「ワタシはちゃんとした主婦」と自負する人はあきれ返るだろう。でもね、世の中、誰も彼もがちゃんとなんかしてないわけよ。世の片づけ本やレシピ本の大半は、その道の達人やカリスマが(自慢タラタラに)伝授する秘訣集である。池田暁子はまったく逆だ。ダメ生活者だからこそわかる小さな工夫、心の機微。ひとり暮らしの若者や、家事を一切したことのない男性にもオススメ。コンプレックスから解放されます。
    まずは、ゲイの友だちをつくりなさい
    まずは、ゲイの友だちをつくりなさい 3月に渋谷区で同性カップルに「パートナーシップ証明書」の発行を認める条例が可決されるなど、LGBTへの理解が急激に進んでいる昨今。でもLGBTって何?  という人は松中権『まずは、ゲイの友だちをつくりなさい』を読まれたし。副題は「LGBT初級講座」。LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(生まれながらの性にとらわれない生き方を選ぶ人)の頭文字を並べた言葉で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)を指す総称。「でも、そういう人は周りにいないし」という人に著者はサラッと釘を刺すのである。〈それはLGBTが少ないからではなく、LGBTであることを公にしていない人が多いからで、LGBTの多くは、常に「バレないよう」細心の注意を払って生活しているのです〉。  ここからはじまる著者(1976年生まれ。電通勤務。NPO法人も主宰)の「バレないよう」人生はもう涙と笑いなしに読めない。男の子が好きと自覚しつつも「異常性愛」という言葉を辞書で見つけて打ちひしがれた小学生時代。ゲイ雑誌に興奮しながらも〈いつか治るんじゃないか症候群〉に取りつかれた中学時代。いい感じになりかけた先輩がいたのに〈まあ、それは……〉で逃げた大学時代。  しかし、彼は発見するのだ。LGBTには〈「バレないよう」生きていくうえで得た、考え方や視点、身についた能力〉があるんじゃないかと。近くの人をゲイだと見抜く「見抜くチカラ=ゲイレーダー」、話をそらす技から生まれた「座持ち力」、異性の恋愛感情を「すり抜けるチカラ」……。カミングアウトの思わぬ効用は「なるほどね」である。  本文中に頻出する「(笑)」はちょっとウザイが、〈LGBTは今が旬〉。〈そろそろ、「知らなかったから」では済まされない時代に入ろうとしています〉という言葉を重く、かつ軽やかに受け止めたい。
    【至急】塩を止められて困っています【信玄】
    【至急】塩を止められて困っています【信玄】 「くだらねえ!」が褒め言葉になる本ってのがあって『【至急】塩を止められて困っています【信玄】』はさしずめその見本である。  登場するのは〈戦国時代に東急ハンズがあったら〉という想定のフロアガイド、戦国時代に発行されていたかもしれない「週刊火縄銃ダイジェスト」の表紙、〈1549年/8月15日12:00~布教開始〉と記された〈フランシスコ・ザビエル来日決定!〉のポスター、「三本の矢」を折るための取扱説明書……。  書名になった武田信玄の窮状の訴えはYahoo!知恵袋ならぬ〈SENGOKU!知恵袋〉への投稿からはじまる。質問者は〈信玄@甲斐さん〉。〈甲斐に住んでいる者です。/先日、同盟を破ったことが原因で塩の流通を止められてしまいました。甲斐は内陸国なので塩の生産ができず、大変困っております。/なにか良い方法はないでしょうか?〉。〈ベストアンサーに選ばれた回答〉は〈窮地のときほど、普段意識していなかった人からの助けがあることも多いので、あせって行動せず、しばらく様子を見られてはいかがでしょうか?〉。そして〈質問した人からのコメント〉。〈おっしゃる通りしばらく様子を見ていたら、近隣の方から塩をいただくことができました!〉  この話にはまだ先がある。上杉謙信からヤマト運輸ならぬ〈センゴク城急便〉で塩が届くも城が留守だったための「ご不在連絡票」。最後は信玄のお礼メールだ。〈上杉様/お世話になっております、甲斐の武田です。/川中島の戦いでは大変お世話になりました。/霧の日はばったり敵軍に出くわさないか、/いまだにビクビクしております(笑)〉  驚くべき芸の細かさ。私たちの周囲にはこれほど多くの「文体」があったのかと思い知らされる。これはもう現物を見ていただくしかない。  日本史嫌いのお子様にも歴史音痴の会社員にも好適な副読本(嘘)。副題は「日本史パロディ 戦国~江戸時代篇」。著者のスエヒロ氏はウェブメディアの編集者だそうだ。

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