
枕の千両
〈おれの母親はよく泣く女だった。〉の一行から始まる、「千両」という名の枕男の物語。 泣き虫だった母親は、産婦人科医から画像を見せられ、赤ちゃんの体内にあるのは「蕎麦殻」だと告げられる。家族や親類が絶望の涙を流す中、彼女は産むと決める。生まれた子供の姿は枕にしか見えなかったという。 カフカの『変身』を思わす設定だが、「異形」の千両は差別にも挫けず成人する。荒唐無稽ではあるが、するすると読め、早々に千両を身近に感じるのは作者の筆力、文体ゆえだろう。きまじめにして、おかしみが漂う。カバー絵の江口寿史とのマッチングもいい。 物語のヤマ場は、大人になった千両が、かわいそうな娘を助け、卑劣な悪党に立ち向かう活劇場面だ。ただの「枕」だが、そのアクションが素晴らしい。マカロニウエスタンの名優ジュリアーノ・ジェンマや、北方謙三の初期の小説のように気持ちは高揚し、滑走していく。その一方で、千両が7歳のときに非業の死を遂げた母親の面影が、物語の倍音として流れる。小説の醍醐味を味わえる長編だ。