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「話題の新刊」に関する記事一覧

枕の千両
枕の千両 〈おれの母親はよく泣く女だった。〉の一行から始まる、「千両」という名の枕男の物語。  泣き虫だった母親は、産婦人科医から画像を見せられ、赤ちゃんの体内にあるのは「蕎麦殻」だと告げられる。家族や親類が絶望の涙を流す中、彼女は産むと決める。生まれた子供の姿は枕にしか見えなかったという。  カフカの『変身』を思わす設定だが、「異形」の千両は差別にも挫けず成人する。荒唐無稽ではあるが、するすると読め、早々に千両を身近に感じるのは作者の筆力、文体ゆえだろう。きまじめにして、おかしみが漂う。カバー絵の江口寿史とのマッチングもいい。  物語のヤマ場は、大人になった千両が、かわいそうな娘を助け、卑劣な悪党に立ち向かう活劇場面だ。ただの「枕」だが、そのアクションが素晴らしい。マカロニウエスタンの名優ジュリアーノ・ジェンマや、北方謙三の初期の小説のように気持ちは高揚し、滑走していく。その一方で、千両が7歳のときに非業の死を遂げた母親の面影が、物語の倍音として流れる。小説の醍醐味を味わえる長編だ。
エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ
エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ 本書は、スタジオジブリで27年間アニメーターとして働いた著者による回顧エッセイ集だ。自身がジブリに入社して「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など代表的な作品の動画チェックを担当するようになるまでと、制作現場での「闘い」の風景が描かれる。  読み所の一つは、身近な立場から見た宮崎駿監督の素顔だ。時に「瞬間湯沸かし器」のように怒ってもその後本人のところに行って必ずフォローを入れる、毎朝散歩して道路のゴミ拾いを欠かさないなど、宮崎監督の人間的な魅力が愛を込めて語られる。同時に、著者が監督らと一人の人間同士としてぶつかり合う様にも大いに惹きつけられる。「ハウルの動く城」制作時、当時部下だった演出助手を交代させると突然告げられプロデューサーの鈴木敏夫氏に直訴しに行くエピソードからは、著者の仕事に対する熱意や矜持が伝わってくる。ジブリの貴重な内部風景録であると同時に、一人のアニメーターを通じ、楽しさや苦しさも含めた「仕事」の価値を再確認できる一冊だ。
給水塔 Beyond the Water Tower
給水塔 Beyond the Water Tower 団地や工場などへの給水に安定した水圧を与えるための施設、給水塔。めくってもめくっても給水塔。本書は全国63カ所の給水塔のある風景をおさめた写真集である。  あとがきに〈なすすべなく不器用にその場に立ち尽す〉とある。日常の光景にヌッと現れる、怪獣または巨大仏的インパクト。無機質な存在感にある種の不気味さ、異形感をおぼえるいっぽう、機能のために生みだされたフォルムには、「工場萌え」の要素も感じる。それぞれ個性的な形状をしていることも、あらためて発見。  インフラの発達にともなって、給水塔はその役割を終え、実は徐々に姿を消しつつある建造物である。本写真集に収録されている中にもすでに解体されたものもある。そういえば近所の団地で独特の存在感をかもし出していた給水塔も、団地建て替えにともない姿を消した。  どこか海外の風景のように見えるものもある。くらしに密着した存在の建造物でありながら、ほとんどの写真に人物が写っていないところにも、美学を感じる。
呪文
呪文 きっかけは、悪質なクレーマーの闖入だった。うらぶれた商店街が、誹謗中傷をみごとに撃退したカリスマ店主のもとに結束し、がぜん活気を取り戻す──。ここでうっかりハートウォーミングな町おこし物語を期待した人は要注意!かつてない昂揚に味をしめた共同体は、マッチョで壮快な言葉に煽られ、とんでもない方向へと暴走していく。現代に満ちる狂気の正体を巧みにあぶり出した、近年最大の問題作だ。  頑張ってるのに。まじめにやってるのに。俺は悪くないのに。出口の見えない鬱屈を抱え込んだ人びとは、お手軽な「正義」や「正解」にたやすくのみ込まれてしまう。加えて、ネットから大量に流れてくる言葉のスピードが、ぶちまけられる声のやみくもな刺々しさが、思考を摩耗させ麻痺させる。彼らはただ、その場しのぎの解放を求めているだけだ。そこに価値判断なんて本当は存在しない。  じゃあ、小説には何ができる?──この本はまるごと一冊でそれを示している。思考停止の呪いを解くには、自分の手でページを繰って言葉を手に入れるしかないのだ。
ダウン症って不幸ですか?
ダウン症って不幸ですか? 著者は、日本民間放送連盟賞ラジオ報道番組部門で最優秀賞を受賞した朝日放送のラジオ番組「ダウン症は不幸ですか?」の構成作家。さらに取材を重ね、一般読者向けの本として上梓された。  ダウン症と共に生きてきた5組の家族の人生が描かれている。健常者に比べればゆっくりな成長にかえって喜びを感じる家族、署名運動をして普通の小学校に通わせた家族、みんなから愛されたダウン症の娘を失ったあと、ダウン症の子どもを養子に迎えた家族などの話だ。  ダウン症だからといって短命ではないこと。知的障害を伴う場合もあるが、会話できないわけではなく、むしろ、おしゃべり好きが多いこと。周囲を明るく楽しくしてくれるので、自然と人が集まってくることなど、あまり知られていない事実が、家族の普通の暮らしのようすとともに読者に伝えられる。  このテーマを長年温めてきた著者は言う。「彼らの幸せな人生を知ることで、たとえ出生前診断の結果がダウン症でも、大切な命を諦めない人が一人でも増えてほしい」
冤罪捜査官 新米刑事・青田菜緒の憂鬱な捜査
冤罪捜査官 新米刑事・青田菜緒の憂鬱な捜査 主人公は正義感の強い女性、青田菜緒28歳、職業は冤罪捜査官。本書は、「プロローグ」で発生した事件が物語の軸となり、続く各話で解決したはずの事件が点として残り、やがてそれらすべての点と点がつながって一本の線となっていく連作ミステリーである。  主人公はあこがれの警察官になったものの、配属先は「悪い奴を捕まえる刑事課強行犯係」ではなかった。誤認逮捕されたり自白を強要されたりした被疑者を救うために捜査にあたることから、警察内部で嫌われている「冤罪係」だった。物語は保険金殺人、連続婦女暴行などの事件捜査をめぐってテンポよく進む。真っ直ぐな性格とプロレス技、そして彼女を支える個性的な先輩や同僚によって、読者を“真実”まで運んでくれる。 「俺はやってない!」「わたしは無実です!」という被疑者たちの叫びに耳を傾け続ける冤罪係ひとりひとりの真摯な姿が、とても印象的で爽やかだ。闇の中に消えた真犯人を捜し出すたびに成長していく菜緒の姿は、とくにりりしい。

この人と一緒に考える

プリンス論
プリンス論 “紫の貴公子”“異能の天才”“変態”……様々な形容をこれまで見てきたが、「孤高の」という言葉がこれほど似合うアーティストは、いない。1978年のデビュー以来、現在もなお精力的な活動を続けるプリンス。その音楽は、R&Bやファンク、ロックといったカテゴリーを飛び越え、“プリンス”というジャンルをつくりあげたといわれることもある。  プリンスを師と仰ぎ、自身も音楽家である著者ならではの視点から、プリンス・ミュージックがいかに形成されたか、“革新的”と評されることの多いプリンスの革新性がひもとかれていく。  マイケル・ジャクソンについての著作もある著者らしく、「ビリー・ジーン」や「BAD」などベースラインが印象的な曲が代表曲のマイケルと、「ビートに抱かれて」「KISS」など、ベースレスなのに踊れるビートを刻む曲で全米1位を獲得したプリンスとの対比も興味深い。  その不思議な魅力は、読後にますます深みを増した。プリンスの音楽、プリンスという存在は、これからも孤高だ、たぶん。
東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか
東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか 科学者たちの研究内容や人生を語った講義集だ。ウイルス学者の山内一也らがゲストとして招かれている。ノンフィクション作家の著者は、科学者と自らの仕事の共通点はテーマに対する「思い入れ」だと話す。  生物発光、遺伝子工学など、個々の研究領域は多岐にわたる。専門外であれば内容を噛み砕くのに少し時間がかかる。ただ、それだけで本を閉じるのはもったいない。特にそれを体感するのは、本書でも異色の存在である江坂遊の講義だ。ショートショート作家・星新一の弟子である江坂は「ナノ」「男」など、異なる言葉同士を結合し新たな意味を生み出す「要素分解共鳴結合」なる技を伝授する。他の職業にもインスピレーションを与える発想だ。長年システムエンジニアとの兼業作家であった江坂は人生のうち最初の25年は学ぶ時代、次の25年はそれを発揮する時代に分けているという。他にも適切な学問ジャンルがない、専攻を変えて現在のテーマに行き着くなど紆余曲折を伴うゲストたちの研究人生は、どんな状況下であれ自らの道を進む示唆に富んでいる。
青線 売春の記憶を刻む旅
青線 売春の記憶を刻む旅 産業が興り、労働者が集まれば、自然と色街は形成される。色街の存在は街の活気の副産物であり、栄える都市には濃度の差はあっても、痕跡が必ずある。非合法の売春地帯である「青線」はその最たる存在だろう。  報道カメラマンの著者は北海道から沖縄まで全国の青線を2001年から巡った。すでに旧観を失った街の栄枯盛衰や、沖縄や札幌のようについ最近まで欲望に満ち溢れていた色街の生き死にを本書では描く。かつて青線と呼ばれた街が役割を終えたことを自覚しつつも、行き場がなく、そこに留まるしかない諦念が、働く女性や関係者の発言からは透けて見える。  15年現在、本書で取り扱う青線地帯は浄化活動の波にさらされ、全国から消えつつある。営業はしていないものの、大半の街並みはそのままで、商店街としても住宅地としても街を再形成できずにいたずらに時を重ねる。街の現在の写真が盛時の猥雑な雰囲気を想像させる一方、現代から取り残された寂しさを見事に切り取っている。
新・犯罪論 「犯罪減少社会」でこれからすべきこと
新・犯罪論 「犯罪減少社会」でこれからすべきこと 犯罪が増加している? 警察庁などの統計を見ると、実はこの20年間で「他殺事件」は半分以下に。総数でも日本における犯罪は減少傾向にある。にもかかわらず、なぜ逆の印象を抱くのか? 矯正施設での勤務経験をもつ大学教授の浜井氏と、評論家でラジオのパーソナリティも務める荻上氏が、報道の偏りを正していく。  浜井氏は、若者人口が減少している日本では少年犯罪もまた減っているとして、「マスコミが大騒ぎをするような事件はめったに起きない例外的な犯罪」だと指摘する。その一方、顕著に増加しているのは高齢者の「万引き」だ。無銭飲食や少額窃盗を繰り返す「高齢受刑者」で全国の刑務所がパンク寸前となっていて、「要介護者」も珍しくないという。再犯防止には、隔離や排除よりも福祉の視点が必要だと浜井氏は提言する。  二人は、防犯カメラの増設も俎上に載せる。捜査には有用でも抑止効果には疑問が残るとして、街灯を増やすなど美観を整え、街の活性化を進めたほうがいいと提案する。他にも、うなずかされる発言が多い。
早稲田出ててもバカはバカ
早稲田出ててもバカはバカ 「ブラック家庭」とも言える劣悪な環境から、「一流大学に入れば、人生は変わる」と寝食も忘れて勉強し、早稲田大学に入学した著者。輝かしい未来を期待したものの、バイトに明け暮れて怠惰な学生生活を送った結果、卒業後に待っていたのは目の前の金だけを追いかけるブラックな職場だった。本書は、自身の半生をつづった電子書籍が話題を呼んだことをきっかけに、改めて紙の書籍として出版された。  9年間にテレビ番組制作会社、風俗店店長、AV女優マネージャー、ヘッドハンターなど14の職種で働く。いずれも労働環境は厳しく、風俗店では恐喝や覚せい剤の使用など、明らかな犯罪行為にも手を染めた。手元に金があふれた時期も心は満たされず、「不幸の連鎖」がずるずると続く様が描かれる。  しかし、そんな著者を救ったのはある身近な、そして人間として生きるうえで「最も大切なもの」だった。そこから「バカはバカのままだけど、私は変わった」という実感を得る。幸せをつかむまでの道のりが丹念に描かれ、確かな人生の重みが感じられる一冊だ。
戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島
戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島 90年代以降、社会に多大な影響力を放つ3名の言論人による鼎談集である。宮台氏と小林氏は、かつて援助交際や歴史教科書をめぐる問題で対立関係にあった。しかし、本書で着目すべきは昨今の社会問題をめぐる両者の立場の重なり合いだ。現在、国内でヘイトスピーチが噴出するのは人々の感情が劣化し、知性を尊重できない「劣化した感情の発露」状況ゆえという宮台氏の見解に、小林氏は強く同意する。そのような状況認識は、ジャーナリズムなどに見られる「当事者主義」、すなわち沖縄(基地)・福島(原発)など現地当事者の声に寄り添うべきという立場への問題提起へとつながる。東氏は、例えば福島の帰宅困難(立ち入り禁止)地域での高速道路建設に疑問を抱いても、口に出せば「県民に政治性を押しつけるな」と逆に反発をくらうことへの戸惑いを述べる。安易な当事者主義は議論を塞ぎ、分断を加速させるという点で、立場の異なる三者は最終的に合意する。「保守vs.リベラル」「当事者vs.非当事者」という単純化された図式に穴を穿ち、新たな議論の地平を開く一冊だ。

特集special feature

    心は少年、体は老人。──超高齢社会を楽しく生きる方法
    心は少年、体は老人。──超高齢社会を楽しく生きる方法 テレビ番組「ホンマでっか!?TV」のコメンテーターとしても人気の著者。本書は、「週刊朝日」で連載していたコラムをまとめたものだ。  話題はがん治療の問題から、政治、大好きな昆虫採集に原発と縦横無尽に駆け巡るが、「人を笑わせるためだけに過激なインチキ話をしていると思っている人も中にはいるようだけれども、民主党と違って私はウソはつきません」とあるように、大学教授として、生物学者としての知識に裏打ちされた知性的なエッセイだ。  小気味いいのは、歯に衣着せぬ物言い。「(安倍首相は)福島第一原発の汚染水は完全にコントロールされているとの希代の大ウソをついてオリンピックを引き寄せたが、このツケは大きいと思うよ」とか、「ネット社会になってもまだ匿名で悪口を言っている人は、一万年前の行動様式から進化していない生きている化石みたいな人なのである」など、思わず深くうなずきたくなる。  時折のぞかせる愛妻家の一面にクスリとしながら、自分の頭で考え、自由であることの大切さを池田センセイは教えてくれる。
    親を送る
    親を送る 両親の看取りをつづり、ホームドラマを見るように一喜一憂させられるノンフィクションだ。  大阪市内のマンションに父と二人で住む母が、台所で火傷を負い、救急搬送される。著者が駆け付けたところ、命に別条はなかったが、しばらくして容体が急変する。米国に住む兄に危篤と報せても、「グリーンカードが取れる直前」のために帰国できないとの返答に苛立ちながら、母の臨終までのあわただしい日々がつづられる。「70万円と50万円と無料」の3ランクを提示されての「戒名」選びなど、弔いにまつわる出来事が親族、家族、周囲の人たちの会話とともに再現されていく。その後も認知症の父親の老人ホーム探しに追われ、その父も……。  著者はこのときの体験を踏まえ、後に『葬送の仕事師たち』という出色のルポを上梓したが、本書の文体はルポのように硬質でなく軽妙で、生き生きとしている。病室を出ていく際に「なぜ母の顔をしっかり見なかったのか」。著者が何度も反芻する後悔の深さが胸に迫ってくる。
    小さな革命・東ドイツ市民の体験 ──統一のプロセスと戦後の二つの和解
    小さな革命・東ドイツ市民の体験 ──統一のプロセスと戦後の二つの和解 1989年。冷戦の象徴ともされた、東西ドイツを分断し続けたベルリンの壁は崩壊、翌年、ドイツは統一された。国のあり方が大きく変わっていくなか、東ドイツの市民たちは、どんなふうにこの激動に向き合っていたのか。  当時、東ドイツの日系企業につとめ、現在もジャーナリストとしてベルリンに暮らす日本人の著者が見た、当時の東ドイツのリアル。旧東ドイツ時代に親しんだ、「おいしくない」食品などを買い求め、失われた“祖国”を感じる東ドイツ市民たちの姿など、当時、東西ドイツを自由に行き来することが許された、リーガル・エイリアンとしての著者の立ち位置ゆえの視点にも新鮮な発見が多い。タイトルにもある、「小さな革命」とは何なのか。なぜ「小さな」というのか。  ドイツ統一から25年。ドイツが東西に分かれた国だったことをリアルで知らない世代も、すでに多く育つ。ドイツに多くのシリア難民が流入し、あらためて国と国とのあり方を考える機会も生まれた。2015年の秋だからこその一冊である。
    香港パク
    香港パク 韓国人作家・李承雨による短編集。  表題作の「香港パク」には、正体のつかめない不思議な男が一人登場する。彼の名はパク・ホンダル。口癖のように「香港から船さえ入港すれば」一儲けできると法螺を吹き、会社の同僚からは香港パクと呼ばれることとなる。同僚たちは暇さえできれば「気の狂った」彼を話題に出しあざ笑っていたが、「私」にはわかっていた。実は皆も今のつらい現実から逃がしてくれる香港からの船を待っているということを。  他にも、4千年前に建てられた迷宮をめぐって四つの推測が示される「迷宮についての推測」、部族の人々が「近いうちに陽が昇らなくなるだろう」という出所の知れぬデマに惑わされ、狂気に走る様子が描かれる「太陽はどのように昇るのだろうか」など、本書には事実を欠いた嘘、噂といった作り話がたくさん登場する。  著者はこのような一見無視されがちな想像力の産物に目を当てる。虚構には現実を救う力も、狂わせる力もある。虚構に潜む神秘な魅力に迫った8編が収録されている。
    ルポ コールセンター 過剰サービス労働の現場から
    ルポ コールセンター 過剰サービス労働の現場から 利用対象として身近ながら、実態は知られていないコールセンター。本書は新聞記者が取材を通じ、内部の風景に迫ったものだ。  本編は、沖縄のとあるコールセンターにおける日常風景から始まる。直接客に会う機会はないが白シャツ・黒いスカートかパンツは義務着用、職場に持ち込んでいいのは透明な小バッグのみ……。内勤仕事に伴う自由なイメージとは程遠い実態に、言葉を失う。さらにセンターに勤める400人のオペレーターのうち9割以上はいわゆる非正規雇用層で、離職も絶えない。ただ、こうした職場ばかりが意図的に取り上げられるわけではない。コールセンターは「顧客ニーズを捉える場」と認識し、原因究明や文書報告に力を入れる大手食品会社の事例なども登場する。しかし、社会全体で見ればこうした会社はまだまだ少ないのが現状だ。  著者はおわりに、コールセンターを「サービス社会のひずみが現れた最先端の『現場』」と評価する。どこにでもあるが、だからこそ日常に埋もれる労働の「痛み」を直視させる一冊だ。
    BAR追分
    BAR追分 テレビドラマや映画にもなった『四十九日のレシピ』の著者の新シリーズが刊行された。東京・新宿3丁目の交差点近く、かつて新宿追分と呼ばれた街の、路地の奥にある店を舞台に物語が始まる。  その店は、昼は「バール追分」と呼ばれ、女店主が珈琲や定食を出す。夜は「バー追分」という名で、白髪のバーテンダーがカクテルやウイスキーを供する。2人は決して人の心に立ち入らないが、情は深い。様々な思いを抱えた客たちは、うれしいことがあればその店の扉を開け、悲しいこと、苦しいことがあっても、ひとときをそこで過ごす。女店主、バーテンダー、客それぞれが、時に主人公になり、時に脇役として登場する構成は新鮮で、物語に奥行きをつけている。  家族も友人も会社の人間も知らない、自分ひとりで行く、そんな“隠れ家の酒場”を、誰もがつくりたいと思うのではないだろうか? 本音を語れるからこそ得られる優しさやエネルギーがそこにある。自分も「BAR追分」の扉を開けてみたい。

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