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「話題の新刊」に関する記事一覧

被差別のグルメ
被差別のグルメ 地域と食は密接な関係にある。被差別部落を取材してきた著者が差別を可視化できる食に着目したのは自然の流れだろう。  被差別部落の食文化には現代では広く受け入れられているものも少なくない。例えば、牛の腸を脂であげた「アブラカス」は「かすうどん」の具として普及、関西を中心にかすうどん専門のチェーン店も登場している。焼き肉も在日朝鮮人が持ち込んだ説が根強いが、牛の幅広い部位が食べられるようになったのは屠牛に携わった被差別民の知恵が生かされているという。  一方、存亡の危機に直面する食文化も多い。沖縄の離島でかつて食べられたイラブー料理やソテツ料理は現地でもほとんどお目にかかれない。食糧事情の改善もあるが、ソテツ食文化が失われつつある状況には、差別を恐れる心理が見え隠れする。  著者は料理とは精神性が大きいと説く。焼き肉に、差別される者同士が憎しみ合いながらも、助け合う痕跡が透けて見えるように。本書を読むことで、食の見方は大きく変わる。
あなたを選んでくれるもの
あなたを選んでくれるもの 日本でもよくあるタイプの、簡素でアナログなつくりの地域情報誌。その「売ります」欄に並んだ出品物、ではなく、出品者の「人生」のほうを覗いてみたい──映画の脚本の執筆に行き詰まった著者の衝動的な行動から生まれた、奇跡のように美しいフォト・インタビュー集だ。  生活保護を受けつつ60代後半にして性転換に挑戦している者。知らない人の遺した大量のアルバムをつい引き取ってしまった者。足首につけられた監視用GPS装置を見せながら延々としゃべり続ける者。ネット中毒気味だった著者は当初こそ無邪気に興奮するも、そこに横溢する過剰なまでの生活のてざわりと、剥きだしの人生の輪郭に、ほどなくして打ちのめされることになる。それは圧倒的な「他者性」と言い換えてもいい。  パソコンのディスプレイにはけっして映らない境界線を何度もまたいだ著者は、他者のなんたるかを実感することで自分自身を取り戻し、やがてこの世界の広さと重さをほんとうの意味で思い知る。物語が輝く瞬間は、いつだってそこにある。
損したくないニッポン人
損したくないニッポン人 ありそうでなかった、「損得」感情の由来について探る、聞き取りルポルタージュだ。  著者は、最寄り駅からタクシーで帰宅するとき、「駐車禁止の標識」を目印に停めてもらうことにしている。アパートの前まで乗車するとワンメーター(710円)を超えるからで、妻から常々「貧乏くさい」と言われるという。本書はこんな告白から始まる。  取材対象の人選が際立っている。節約を「エコ」と言い換える主婦、鑑定価格の秘訣は「エイヤっ!」だと明かすベテラン不動産鑑定士、男性候補を「案件」とよぶ婚活中のOL……。「損したくない」をキーワードに日本人の思考と行動に考えをめぐらせていく。  家電についての章では、テレビの大画面化や頻繁なモデルチェンジ、短い修理期間などが取り上げられる。家電の寿命について著者が質問した際、無愛想だった町の電気屋さんの店主が、晴れやかに語り出す様子が面白い。 『五輪書』、二宮尊徳、『古事記』などからの引用もあり、800円で安心と笑いが得られるなら高くはない?
大きな森の小さな家
大きな森の小さな家 日本ではNHKで放送されて大ヒットしたアメリカのテレビドラマ「大草原の小さな家」を覚えている人も多いだろう。大きな森にある丸太造りの小さな家に住む主人公のローラとその一家が厳しい大自然に立ち向かう物語だ。その物語を画家の安野光雅さんが親子で楽しみながらできる英語独習絵本にした。  安野さんの持論は、「学習は試験のためではありません。学習は自分のために、おもしろいからやるのです」。その言葉どおり本書では英語と絵をならべて、英語の難しいところを絵でおぎなう形にしてある。アメリカの開拓時代に鹿肉の燻製を作ったり、ブタを殺して血の一滴も無駄にしなかった生活を何枚もの可愛い絵を付けて興味深く見せる。この本を見れば、英語の読めない人でも、何とか原書で読んでみたいと思うに違いない。実際、英語オンチの私も語注、対訳つき別冊を片手に時間をかけて読んだ。朗読CDを聴いてリスニング力も上がる仕組みだ。シリーズは何十冊か続く予定。もうすぐ90歳になる安野さんのアイデアと情熱に驚かされる。
すぐそばにある「貧困」
すぐそばにある「貧困」 27歳の若さでNPO法人「もやい」の理事長となった著者が、自ら関わる支援活動の経験をもとに国内の貧困状況をまとめた一冊だ。  著者が出会った人々の目線に沿って、その生活実態が描かれる。ホームレスや高齢者、元暴力団員など、対象はさまざまだ。若者も登場する。例えば、22歳のとある男性。高校卒業後、飲食店や派遣業を転々とし、その後無職となった。暴力気質の父親に勘当され上京するが、生活保護申請の扶養照会がきっかけで実家に戻され、父の暴力が再発する。あるいは、著者の携帯に深夜何度も連絡を入れる32歳の女性。弟の暴力により家を飛び出し結婚するが、夫の束縛を受けて離婚。実家に帰るも、世帯人数が原因で生活保護の基準からはねられてしまう。一筋縄ではいかない事情を抱えた相談者らの姿は、失業や生活保護につきまといがちな「甘え」「怠惰」といったイメージを有無を言わさず吹き飛ばす迫力を持つ。奨学金、非正規雇用など身近に潜む「貧困」への扉は尽きない。その入り口となるボタンが、読後はよりはっきり見えるようになる。
コミックばかり読まないで
コミックばかり読まないで タイトルと表紙から、軽いサブカルチャー論として読み始めると、痛い目に遭うだろう。確かに、400ページ近い本書の大半は表現規制を論じている。現在でこそマンガやアニメは「クールジャパン」と称賛される産業になりながらも、常に規制の対象になってきた。近年でも青少年の犯罪を誘発するなどの批判は多く、常に法改正の俎上に載せられる。  現場では何が起きているのか。なりふり構わずに取り締まり強化の条例を定めようとする行政側と、自主規制を重ねるうちに、自ら、お上に検閲を要求する出版社。本来、法制度の埒外であり、人間の本能的欲求である表現に対する軽視と諦めがそこには交錯する。  著者はこうした表現の自由を取り巻く現実を、人間の自由とは何かにまで深化させる。マンガやアニメの規制にとどまらず、情報統制が進む空気が現代は蔓延する。実際、ルールを無視した権力者の行動も目立ち始めた。黙って従うのか、行動するのか。言いたいことを言うのか。地を這うルポライターの誇りを賭けた一冊だ。

この人と一緒に考える

“ひとり出版社”という働きかた
“ひとり出版社”という働きかた ひとりで出版社を立ち上げて営んでいる男女10人へのインタビュー集だ。次々に新刊を刷り、大量生産、大量消費によって経営を維持している通常の出版会社とは異なり、彼ら彼女らは一冊をじっくり編んで売っている。なぜ、出版不況が叫ばれるいま、この選択をしたのか。  登場する10人は、最初から起業を志したわけではなく、働きかたを模索する中で自然とひとり出版社に落ち着いた。テレビ局記者だった女性は、子育てと両立できる仕事として絵本の出版を選んだ。自分が出したい本を作りたかったという元編集者、地方出版の新しい形をめざしている元文化人類学研究者、10年後を見据えながら本を作っている元広告マン。 “小商い”を続ける心許なさは共通してあり、副業を持っている人もいる。しかし、彼らが無謀な生き方をしているようには見えない。それは、「自分らしい働き方」を模索しながら、個性豊かに生きているからだろう。そして何より、私がひとり出版社の本を手に取ったことが何度もあり、それらが例外なく丁寧に作られ、魅力的だからだ。
タモリと戦後ニッポン
タモリと戦後ニッポン 終戦直後に生まれ、今年古希を迎えた名司会者・タモリこと森田一義。サブカルチャーを中心に活躍するライターの著者が、タモリの半生と戦後日本の歩みを重ね合わせ、新たな視点で戦後史を振り返っていく。  戦争の記憶がまだ生々しかった時代、タモリは満州に住んでいた祖父や家族の話を聞いて育った。早大入学後はモダンジャズ研究会に入り、演奏旅行の司会兼マネージャーとしてモノマネやトークの才能を発揮。故郷福岡に戻った際は、折からのブームに沸くボウリング場の支配人となった。ジャズピアニスト山下洋輔や漫画家赤塚不二夫の引きでデビューした70年代半ばは、戦後生まれがほぼ半数に達し、様々な分野で新世代が台頭した時期と重なる。 「時代の申し子」とも呼べるタモリだが、しかし彼の特色はむしろ何事においても「過剰な意味づけ」を拒む姿勢にあると著者は語る。その姿勢が、高度成長を経て均質化が進んだ社会に受け入れられたとも。ビートたけしや明石家さんまとの比較もあり、時代と文化の関係性を考える上でも興味深い一冊だ。
奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール
奥田民生になりたいボーイ出会う男すべて狂わせるガール いま流行りのライフスタイル系雑誌の編集部に異動した35歳の主人公(サブカル男子)と、サークルクラッシャー(しかも美人)の周辺をめぐる、地獄絵図さながらの自意識の攻防戦を緻密に描き出したコミック。主人公が心酔する奥田民生のナンバーに乗せて、憧れと自惚れ、戸惑いと勘違いが無限ループしていく。  渋谷直角の出世作となった『カフェでよくかかっているJ―POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』(!)。その、あまりにイタすぎて泣きそうになるタイトルからもわかるとおり、共通する主題は現代人の心に巣くうやっかいな承認欲求だ。 「私は『理解』より『妥協』がほしい」。男たちを振り回した後に女が吐き出す台詞の数々はたしかに自己中心的でヒドい。けれど、それをWEB上のコミュニケーションに当てはめてみたら?──「『納得』できないからって怒ったり責めたりする」「なんでみんなそんなに他人に干渉しようとするの」。ナナメ上から冷ややかに眺めていた読者もいつのまにか彼らと同様、泥仕合に参加していたことに気づかされるはず。
生身の暴力論
生身の暴力論 アウトロー雑誌の元編集長による暴力論である。ささいなケンカから暴走族抗争、殺人事件まで、身近にある様々な「暴力」のスタイルを紹介し、その背景にフォーカスを当てる。 「暴力」と聞くと物理的に殴る、蹴る、刺すといったイメージが最初に来る。しかし、近年特に際立つのは、ネットで起こるタイプの暴力だ。PC画面越しに見知らぬ者同士が口論する「喧嘩凸」と呼ばれる行為から、「イスラム国」(IS)の処刑動画に至るまで、それらは視聴者に安全な位置での鑑賞を許容し、インパクトや面白さばかりが先行する。あるいは、SNSで飛び交う「ネトウヨ」の暴言も然りだ。リベラル的発言に脊髄反射のように噛みつく彼らだが、単なる罵倒を越え、相手の出自や国籍にまで踏み込めばそれらはもはや「ヘイトスピーチ」(差別煽動表現)だと著者は喝破する。読み進むとともに、ハードルを下げ日常に侵食する「暴力」の新たな風貌がくっきりと浮かび上がる。現実とネットとを問わず倫理基準が攪乱する現在の状況において必携の一冊だ。
おいしい資本主義
おいしい資本主義 閉塞感に覆われ、クソッタレでノーフューチャーな今の社会。そこから「ちょっとだけ」飛び出そうと、著者は地方赴任を申し出た。そこで何をしたのか。田を耕し、自分が食べるぶんの米をつくった。 “記者による田んぼづくり体験”、といっても、田舎ぐらしサイコー、ロハス、エコライフ的体験記ではない。〈ちょっとだけ、はずれる。〉、そこに、こだわる。  日ごろ愛用するアロハシャツのままで、ポルシェのオープンカーに乗って。あくまでも“自分”というスタイルを守り、「真剣にもがく」。「ロックはアティテュード(姿勢)だ」。昔、誰かに聞いた言葉を思い出した。  農業経験どころかアウトドアも苦手な渋谷育ち。他人とつるむのも嫌い。だからこそ見えた、資本主義や日本の地方社会が抱える問題点や不自由さ。先の読めない展開にも引き込まれる。 「ギターを買いにいかなきゃ!」といった具合に、「すぐ田んぼづくりしなきゃ!」というわけにはなかなかいかないが、確実に何かの衝動は、かきたてられる。
アンチヘイト・ダイアローグ
アンチヘイト・ダイアローグ 小説家・中沢けいが、右傾化やヘイトスピーチといったテーマについて小説家・弁護士・社会学者など多彩なジャンルの人々と語り合った対談集。冒頭ではヘイトスピーチが社会問題化した2013年に中沢が抗議活動に参加するまでと以降の経緯が綴られる。数多くの青春小説で知られる中沢が一見「ハード」なテーマに取り組むのは、そうした背景があってこそだ。  年代・職業など立場の異なる人々が自らの「現場」から語るリアリティに、惹き込まれずにいられない。元自衛官である泥憲和は幼少時代、近所に住む在日の人々からよく肉付きあばら骨などを分けてもらっていたが、彼らが帰った後で「チョウセンが何言うとる」など差別的な言葉が飛んだというエピソードを語る。今現在、在特会などを相手取った裁判に携わる弁護士の上瀧浩子は同じヘイトスピーチの映像を見せても、在日の人の場合、吐き気・涙など日本人とは異なる身体反応が見られると話す。対談は別個でも、全体を通して読めば過去から現在までを貫く国内状況が星座のように浮かび上がる。

特集special feature

    霧(ウラル)
    霧(ウラル) 国境の街・北海道の根室を舞台に、水産加工会社社長の3人の娘のあらがえない人生を次女・珠生を軸に描く。長女・智鶴は政界入りを目指す御曹司と結婚し、三女・早苗は地元金融機関に勤める男を婿養子にして実家を継ぐことになり、珠生はヤクザの組長と一緒になる。三人三様それぞれの思惑と“これだけは譲れない”ものがぶつかりあい、弾けあう。まさに桜木版「極道の妻たち」だ。  国政選挙で初当選を果たす智鶴の夫・大旗。それを支えた珠生の夫・相羽。そこにはいつも、国境の海でかき集められた汚れた金が存在していた。戦後昭和期の時代のうねりの中、駆け上がっていく者たち、落ちていく者たちの“明暗”が残酷なほど冷静な筆致で描かれる。  女が主人公の物語であるが、その周辺にいる男たちがみな儚く、哀しさが際立っているのも、この物語の大きな魅力となっている。  故郷・北海道でひたむきに小説を書き続ける直木賞作家・桜木紫乃にしか描けない世界がまた一つ生まれた。
    人生最後のご馳走
    人生最後のご馳走 週に1度、患者の話を聞き「リクエスト食」を提供している病院がある。大阪市の淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院。本書はここに通ってまとめたノンフィクションだ。  患者や見舞いに訪れた家族から取材した話が14話並ぶ。独白あり対談あり。「食」にまつわる記憶から、夫婦旅行や子育ての情景など多彩な個人史が浮かびあがる。余命宣告を受けたにもかかわらず、話に翳りがないのは、「リクエスト食」の効果と無縁ではないだろう。カラー写真で各話のご馳走が紹介される。目に香ばしい揚げたての天ぷら、色鮮やかな握り寿司、こんがり肥った秋刀魚……。高齢者から「歯が悪い」と聞けば、キャベツを茹で、豚肉をミンチにしたお好み焼きを出す。  ただ、おいしい料理を提供するのではない。「一人ひとり違う人生を持った患者さんに、個別にできることを病院として提供する。そのことが患者さんの『自分は大切な存在である』という意識につながる」。そこに意味があると副院長は言う。「しあわせ」のお相伴にあずかり、満腹気分になる一冊だ。
    特攻 戦争と日本人
    特攻 戦争と日本人 第2次世界大戦中、兵士を飛行機もろとも米艦船などに体当たりさせたことで知られる「特別攻撃」(=特攻)。本書は資料や当事者の証言などをもとに、特攻の歴史を網羅的に描き出す。  映画などの影響から、現代では特攻といえば「自己犠牲」「愛国心」などのイメージが強い。しかし、著者はこうしたイメージと実態との「食い違い」に斬り込んでゆく。そもそも戦時中、日本は米国との圧倒的な戦力・技術力の差から、特攻の「精神力」に頼ったという。本文では特攻を命じられ「俺は好きで死ぬんじゃない」と書き残し、沖縄・嘉手納沖で戦死した海軍特攻隊員の手記などが紹介される。こうした記録は上官の検閲が入るため残りにくかった。一方、当の上官たちは皆生き残り、戦後は特攻が「志願」であり、隊員たちは「満足感をもって」死んだなどと記している。  両者の落差には驚きを禁じ得ない。「史実」とは一体誰によって、何のために書かれるものなのか。安保法が成立し、戦争の可能性が取り沙汰される現在、本書が投げかける問いは切実だ。
    世界を変えた100の本の歴史図鑑
    世界を変えた100の本の歴史図鑑 オールジャンル、オールタイムぶりにもほどがある(いい意味で)。サブタイトルが示す通りの、パピルスから電子書籍まで。人類が生み出した、“本”という文化を、100のマイルストーンでひもといていく大判の歴史図鑑。  いわゆる「名著百選」や「夏の文庫100」的ブックガイドではない。文字がまだ発明されていない旧石器時代の洞窟壁画、数学や天文学のはじまり、経典や楽譜、童話に地図に辞典。印刷という発明……本の歴史は、人類の文化の発展の歴史とほぼひとしい。「本」というシンプルな言葉の中にある、膨大な知識や文化、技術の発展の歴史。それらが怒濤のごとく頭の中に流れ込んできて、ごくごくシンプルな感想を抱く。すげぇな人類、と。そして、偉大なる歴史があることに、感謝。  さて21世紀。本は、紀元前の古代エジプトで発明された「紙」というフォーマットからも飛び出し始めている。それぞれの時代での革新を重ねて今がある。未来には、今は想像もつかない表現や形態をした「本」が、きっとある。
    「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気
    「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 「製作総指揮」。最近の映画でおなじみの肩書を西崎義展が日本で初めて使った事実はあまり知られていない。西崎は製作、宣伝、関連ビジネス全てを指示し、承認した。ワンマンの最たる存在だが、西崎が資金調達して、全財産を賭けているのだから、誰も文句を言えない。芸能畑出身の素人が常軌を逸した大胆さで理想を追い求めた結果、「宇宙戦艦ヤマト」は大成功を収めた。こだわりぬいた映像に加え、アニメ界に染まっていない感覚が宣伝や版権ビジネスの常識も変えた。  とはいえ、その後の人生は穏やかでない。メディアに愛とロマンを語る一方、海外の映画祭には愛人を何人も連れ、クルーザーで登場。事業のつまずきで、自己破産した揚げ句、覚醒剤や銃火器所持で約8年の勾留・収監生活を強いられる。そして、70歳を超えての復活と謎の死。  強烈な個性や虚実入り交じる発言に疲れ、離れていった関係者は多い。嫌悪の気持ちを持つ者も少なくない。ただ、多くの人を裏切っても、死ぬまでヤマトを愛し続けたことを本書は丹念な取材から浮き彫りにする。
    GONIN サーガ
    GONIN サーガ 本書は難病のために引退を表明していた根津甚八が出演する同名映画のノベライズだ。監督・脚本の石井隆の、小説デビュー作でもある。  1995年に公開されたバイオレンス・アクション映画「GONIN」の続編にあたり、ある5人組が暴力団から現金を強奪した事件の19年後が舞台だ。主人公は前の事件で死んだヤクザや警官の「遺児」たち。彼らもまた前の事件をなぞるかのように暴力団から大金を強奪する。簡単に容疑者が特定され、追っ手と凄惨な殺し合いになるのも酷似している。異色なのは、前の事件の登場人物のエピソードに約100ページを費やし、前作との関連を印象づけていることだ。  著者は「愛するものを奪われたものたちのさらなる憎しみの連鎖」に焦点を当てる。また、ちあきなおみや森田童子の流行歌を挿入し、登場人物の心象に重ねる描写は、70年代にヒットした著者による劇画『天使のはらわた』(のちに映画化)から続く手法だ。憎悪とねじれた愛情がからんだ男女の姿は、現代のロミオとジュリエットの物語としても読める。

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