「新書の小径」に関する記事一覧

現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス
現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス
巻末に、著者で音楽評論家の中山康樹と、ジャズ評論家・柳樂光隆の対談が載っている。そこで柳樂が「いま『音楽評論家』がいない」と言う。「ライター」はいるが「評論家」がいない。確かにそうだ。私は自分の好きなものについて、同意できてもできなくても、評論が読みたい。実物を見たり聞いたりするより、そっちのほうが楽しいことすらある。  この本は、村上春樹の『誰がジャズを殺したか』と題したエッセイがたくさん引用され、中山さんが感じた共感と違和感を書きながら、どんどん現代のジャズについての考えが四方八方に飛び散っていき、収拾がつかなくなっている。すべては、中山さんの正直な評論家魂によるものだ。この収拾のつかなさがイライラするし、同時に面白いところだ。  そもそも、村上春樹のジャズについてのエッセイが、いかにも村上春樹らしい、読んでいて気持ちいいが、しかしよくよく考えると「結局どうしたらいいんだ!」と肩を揺さぶりたくなるような文章で、その村上に「まあ、(ディジー・ガレスピーのライブを)聴けてよかったけれど、聴き逃したとしてもそれほど悔しくもないだろうな」などと書かれたら、ジャズファンとして何か言いたいと思う気持ちもわかる。ここで「ジャズのことなどわからぬ村上春樹を斬る!」という方向に行かないのが中山さんらしい。村上春樹の気持ちになって、そこから中山さんが考える「現代のジャズについて」が、ジワジワと、的を絞ることなく語られる。  実のところ私はジャズをまったく知らず、中山さんの本を何冊も読んで固有名詞のみ詳しくなっている。それでもジャズファンの一員という気持ちになっている。ウィントン・マルサリスの出現以降、ジャズが「つまらなくなった」とか「燃えない」とか語られているらしいが、このマルサリスはすごく興味深い。でも、文章だけでおなかいっぱいになってしまった。それはいいことなのか悪いことなのか。
新書の小径村上春樹
週刊朝日 7/24
細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯
細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯
細川ガラシャ。明智光秀の娘、細川忠興の妻、キリシタン。彼女は石田三成の人質になることを拒み、屋敷とともに死ぬ。戦国モノの時代劇によく出てくる有名な女性であろう。この本は、当時日本にいたキリシタン宣教師が彼女をどう見ていたか、を歴史家が史料から説き起こしている。宣教師から見た細川ガラシャの何が面白かったかというと、その「わけのわからなさ」だ。  今まで、ドラマや小説で出来上がっていた“細川ガラシャ”は「美しく信心深い貞女」みたいなものではなかったか。わかりやすい貞女像だが、封建時代で女の人権など無いに等しかった、ことに当時はキリスト教が禁教になろうかという時代だ。そういうなかで「神様への愛」と「夫への愛」の両立って、けっこう困難を伴うんじゃないのか。夫に「どっちを取るか」と刀を突きつけられてもいい局面だ。  宣教師側の記録によると、ガラシャは離婚しようとしていた。信仰の道を行くために理解のない夫と別れたかった。でもカトリックでは離婚が認められていないし、そんなことになったら大騒ぎになるから、宣教師はそれを止める。忠興とガラシャの関係がすごいのだ。忠興はガラシャに会おうとした下僕を手打ちにして、その血をガラシャの着物で拭いたが、ガラシャは少しも騒がなかった。それどころか3日も4日もそれを着続けて、最後は忠興が謝って着替えてもらったとか。  他にもヘマした家来や下僕の首を、忠興がすぐ刎ね→ガラシャに投げつける→ガラシャ平然→忠興反省、というようなことが『細川家記』に書いてあるからたまげる。どういう夫婦なんだ。夫もコワイが妻もコワイ。ワケのわからないものに突き動かされているとしか思えないガラシャの姿は、ただの「信仰深き貞女」なんかではない。  500年近く前にローマから極東に渡り、「地方大名の奥さん」のことを書き残してローマに送り、それを今まで残しているキリスト教のすごさも、しみじみ感じるのだ。
新書の小径
週刊朝日 7/17
移植医療
移植医療
脳死下の臓器提供が行われるようになった。「脳死は人の死です」となっても、「決まったものはしようがない。まあ、自分はドナーカードに拒否と書いとけばいいか」などと、臓器移植について深く考えないようになった。脳死移植を待ってた人に「ある種の解決」をもたらしたと思っていた。  いや、何も解決してません。科学政策論の専門家とジャーナリストによるこの本を読んで、目の前がくらくらしてきた。今、移植医療がどういうことになっているか。  まず脳死移植であるが、脳死が人の死と認められれば、移植を希望する患者が「よかった」となるかといえば、そんなことはない。まだまだドナーが足りないのである。足りないということは……待ち望みつづけるということになる。問題は脳死移植だけではない。心臓死による移植や生体移植もそれぞれ進化を遂げている(安楽死ドナーなどというのも、当然のごとく登場する)。 「移植なんて心臓に肝臓に腎臓に角膜ぐらいか?」と思っていたら、「顔の移植」なんてものが成功しているという記述にぎょっとする。スペイン、アメリカ、フランスでは顔面全体の移植が行われているのだ。新しい自分の顔を受け入れる心理的な問題があるという。そして「移植ツーリズム」の問題。つまり臓器を求めて海外に行く。莫大な金が必要になる。必然、臓器売買も行われることになる。  人間は生きたいと思う。それは当然のことであり、臓器がダメになったら別のものに差し替えたいと思うのも当然だ。思う人があれば、叶えたい人もいる。けれど需要と供給のアンバランスのせいで「臓器の値段」は、とてつもないものになる。 「夢の若返り」という言葉があるが、iPS細胞にしてもSTAP細胞にしても、そこには「国の経済発展」が語られ、つまり「儲け話」になっていくのだ。この問題は、人として常に考え続けねばならない、とこの本を読んでいて思うのだ。
新書の小径
週刊朝日 7/9
ツアー事故はなぜ起こるのか
ツアー事故はなぜ起こるのか
最初はてっきり、本多勝一の『リーダーは何をしていたか』みたいな、冬山遭難事故のリーダーを、それが死者であってもビシビシとムチ打ってそのダメさを浮かび上がらせるという本だと思って読み始めたのに、どうも思っていたのとは違う方向に行った。  ザックリいうと、人々がカネを持つようになり欲望もどんどんふくれあがり、「本来、そこに行くべきではない人が行ってしまうようになる」ことが「マス・ツーリズム」であり、カネの力でどうにでもなると思ってる人びとの集団をひきつれた登山や秘境探検は、必然的に事故を引き起こす、という主張である。本多勝一が、事故が起きたパーティーの「リーダー」を責めまくるのに対して、こちらは「そういうパーティーができあがってしまった構造」を問題にしている。  いまやカネさえあればエベレストさえ素人でも登れてしまうのだ。大富豪にカネを積まれてガイドも判断を誤る。「なるほどな」と思える。20年間旅行代理店に勤めた経験のある著者の言うことはもっともだ。しかし、読んでいて何かモヤモヤとするのだ。じゃあどうしたらいいのか、という話になると「カネとヒマにあかせて危険なことを遊び半分でするな」ということだろうが、人間、余裕ができたら気も抜きたいし手も抜きたいし楽しみたい。営利企業だって、大多数は「顧客の幸せ」を望んでると思うのだが。「余裕ができてちょっと山に登りたい」という「客の要望」だって叶えてあげたってよかろう。それが「豊かになった」ということではないのか。  などとブツブツ言いながらも、ここで紹介されている遭難事故の詳細を読んでいると、そういえば北海道のトムラウシ山の遭難事故ってテレビでやってたなあ、気楽に山なんか登るまい、と決意する。だが、次の瞬間には「でも、山じゃなくても、気楽に危険なことをしてしまうというのが人間だ」という気持ちも、同じぐらい湧いてくる。
新書の小径
週刊朝日 7/3
それでも僕は前を向く
それでも僕は前を向く
巨泉。世間では嫌ってる人のほうが多いような気がするが、そうでもないか。これは大橋巨泉の自伝である。自伝以外の運やギャンブルのことも書いてあるけれど、それもふくめて巨泉の自伝といっていい。なぜなら巨泉は、自分の思った正しいことを、大きな声で世間に主張する。自分がそのような人間になれたのは、周りの人びとによる素晴らしい影響があったからであり、そのことを感謝しよう、という理由でこれを書いていると思われるからだ。  態度やルックスがエラそうな巨泉さんだが、その発言をこの本で読めば、ごくふつうというか、真っ当である。巨泉さんでも、自分の信じることを、生い立ちから説き起こして語っておきたい、と思ったんだろうなあ。さすがの巨泉も年取ったのだなと思わされる。  読んでると「ああ、いいお父さんとお母さんに育てられて、自分の好きなものに熱中して、ツキをうまいことつかんで大きくなったのねえ」とうらやましい気持ちでいっぱいである。巨泉さんは両国のカメラ屋の生まれだそうで、もうこの時点で選ばれた人感にあふれている、などと言うと巨泉さんは「何をいうかこっちは庶民だ」と言うかもしれない。けれど昭和初期、東京の下町の古い家に生まれて育つってのは「生まれてすぐ、浴びるように文化を享受」ということですよ。  そして父母に対する尊敬と愛情ね。「やりたいことがあれば、自分の力で、つまり自分の金でやれ」「兄弟だ、親戚だって、甘ったれるんじゃねえ」「口で言ってわからない奴は、殴ってもわからない」などと言うお父さんは、生き方や考え方がかっこいい。戦争中も集団疎開ではなく、戦況を読んだうえで自主的に疎開している。親のことなんか思い出したくない、という人にくらべてすごく恵まれている。  まあ、その環境が巨泉のリベラルな考え方を築いたんだと思って目をつぶりたい。ガマンできないのは巨泉が巨人ファンなことだけです。
新書の小径
週刊朝日 6/26
「はみ出し者」たちへの鎮魂歌 近代日本悼詞選
「はみ出し者」たちへの鎮魂歌 近代日本悼詞選
追悼の歌、詩、文章を集めた本である。この本が、よくある「おくやみ集」とまったく違うのは、追悼される側が「野垂れ死ぬ」「刑死する」「殺される」ような人たちだからだ。そんな不遇の人の死に、追悼の詩を捧げるのは、その人を敬愛していた人ばかりではない。不遇の人というのは往々にしてまわりの人間にも迷惑をかけている。その、とんでもなく迷惑をかけられた人や、顔も見たくないと思っていたであろう人が、血の涙を流すようにして書いた言葉が異様な力で迫ってくる。悲しい、可哀相、だけではなく、なんだか笑ってしまうような力がそこにはこもっている。  最初に出てくるのが、大逆事件で刑死した大石誠之助へ、与謝野鉄幹が書いた「誠之助の死」だ。「大石誠之助は死にました、/いい気味な、/機械に挟まれて死にました。」という書き出しの、日本の詩のなかで三本の指に入るであろう、美しい詩だ。そして、関東大震災のドサクサのなかで虐殺された大杉栄への悼詞、連続射殺魔永山則夫への悼詞と続く。永山則夫へのものは、同じく死刑囚として収監中の大道寺将司が書いた。  悼むことばは、じめじめしていない。悲惨極まるのにカラリとしているのだ。歌人の齋藤史が、幼なじみで仲のよかった二・二六将校へ書いた歌が、「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」だ。やはり乾いている。背中がすーっと涼しくなる。この本は「悲惨な人の悲惨な死に方を紹介した本」だともいえる。ダダイスト辻潤の死にざま。息子辻まことがのこした悼詞。「おやじの行為と表現は、私の、そして多くの人々の精神の願望の犠牲のように思われるから……」。その息子もその後自殺して果てる。  これは一例で、そこに投げつけられるように捧げられた悼詞を読んでいると、いつかこうして自分も悲惨に死ぬのだ、悲惨に死ぬことはそれほど悪いことでもないのだ、と思えてくるのだ。そういう本です。
新書の小径
週刊朝日 6/19
スキマの植物図鑑
スキマの植物図鑑
最近やたらいろいろな種類の新書が出てきて新書の地位が全体的に下落してる中、中公新書が岩波新書と並んで「重み」をかもしだしているのは、あの、ページをめくるとときどき挿入されている「戦後すぐ」みたいな写真の質感のおかげではなかろうか。しかし、カラー写真となるとさすがにそんな暗さはない。この本は、道ばたの、アスファルトのすきまやコンクリートブロックの裂け目に、ささやかに咲いている、いつも見ている、いや見慣れすぎて記憶にすらない草花のオールカラーの図鑑だ。  春のノースポール、初夏のヒメジョオン、夏のヒメヒマワリ、秋のセイタカアワダチソウなど、110種が紹介されている。写真に情緒がないが、図鑑だからそれでいいのだ。最近の新書だと、写真がへんにアート写真ぽかったりして、そのことがかえって軽佻浮薄をかもしだすのだが、これにはそんなものが一片もない。反対に、中公新書の格の高さを感じさせてくれる。が、同時に「面白さ」に欠ける。淫靡なところがまったくない、あまりにもきっちりした写真なので、「片隅にあったものを“見つける”」という喜びを感じづらくなってる。  文章は割と面白い。理科の教科書にスミレの写真を載せたら「うちの学校は都会にあるので、こんな花を見つけることは不可能」というクレームをもらったという話に、「東京の都心部でも、ちょっとした隙間でふつうに目にする花なのに。その学校、いったいどんな近未来都市にあるのだろう」とか。これけっこうプンスカしながら書いてると思うな。それが妙に笑えるのだ。オニノゲシという草について「全体に安普請な感じがするが……他の植物の影にならないためには、軽量素材でさっさと積み上げてゆくこのやり方が正解だったのだろう」とかもおかしい。  会社の昼休みにでも道路の隅っこを探して、この本に出てる花を見つけたら、著者がそれについてなんと書いてあるか確認するとより面白いと思う。
新書の小径
週刊朝日 6/11
組織で生き残る選手 消える選手
組織で生き残る選手 消える選手
著者の吉田さんは、はっきりいって「地味」な選手だったのだけれど、若いうちに現役引退する選手が多い中、鹿島アントラーズなどで39歳までJリーガーとして活躍した。この本はそうした地味な著者による「ゲームで使われるのは、ふだんどういうことをやっている選手なのか」の解説。  最初に「うまい選手が試合に出るのではない」という小見出しがあり、自分のようなナマケモノは「そうか、なら仕事もうまくなる必要はないな!」などと喜んでしまう。もちろん、そんな内容ではない。「サッカーというチームスポーツは、1+1=2では十分」ではなく、「出場することで1+1を3にも4にもできる、相乗効果を発揮する選手」こそが必要なのだ、という話だった。 「『自分は何も持っていない』と知る」という小見出しもあり、これは自己啓発系に行くのか、と身構えるが、「伸びる選手に共通しているのは、『僕は何も持っていない』からスタートしていること」だと書く。周りは自分より上の人間ばかりだと自覚しているので、あらゆることを吸収できる。  聞き飽きたような話なのだが、サッカーの話として聞くと、ちょっと新鮮だ。というのも、サッカーに興味のない人間にとってサッカー選手はEXILE崩れの半芸能人みたいにしか見えず、マラドーナが目を血走らせて何人抜きとかやったW杯の試合とかなら「ほお」と見ることもできるが、日本のJリーグの試合とかはどうもタルくて「ぜったいラグビーのほうが見てて面白いよなー」などと言っていたので、こういう堅実な文体で、チャラチャラしていないサッカー選手の地味な競技論を読むと「サッカーって案外クロウト向けな競技なのかも」と思った。  W杯で盛り上がっているようだが、私がどうしても、見かけだけで好きになれない某選手(伏せてるんじゃなくて名前知らないんです)も、こういうことをちゃんとやってるのか……と知って「負けた……」と思った。
新書の小径
週刊朝日 6/5
神と肉 日本の動物供犠
神と肉 日本の動物供犠
肉はおいしい。時期限定とはいえ肉食を禁止してた古代の日本は「どうかしてた」と思う。肉についてじいっと考えると、豚バラ薄切り肉のおいしさのむこうに、可愛い豚の笑顔が浮かんできたりする。そして後ろめたい気分に陥ってしまう。そういう気分にさせられるのは、長く肉食を忌避してきたことの悪影響なのだろうか。いや、それは関係ないだろう。……などということを、この本を読みながら考える。  動物を神に捧げる、という儀式がある。世界中にある。でも、日本には「ほとんどない」ことになっていた。肉食をしない時代に、そんな、食べもしないモノを神様に捧げないという建前で、「ない」ことになっていたにすぎず、実際は多くの事例がある、ということが食の歴史の研究者によって書かれている。  その動物供犠の有り様を本書で知る。肉食文化があった沖縄では、今も動物を用いた祭祀があり、写真入りで多数紹介されている。「屠った動物の骨肉片を左縄(左縒りの縄)に挟んで、集落の入口に頭上3~5メートルの高さに、道を遮るように張り渡す」のは除厄儀礼のシマクサラシ。浜に置かれた漁船に「屠殺したウシの左前足が、蹄を村の方へ向けた形で、ヤブニッケイの枝葉とともに捧げられる」のは招福儀礼のハマエーグトゥ。すごく意味ありげだ。ウシの左前足がのっかって、榊っぽい葉っぱが一緒に飾られた舟の舳先の写真を見ているだけで、「生き物のすごさ」「生き物を屠ることのすごさ」「その屠った生き物を食べることのすごさ」を感じてしまう。  沖縄だけでなく、日本中にある「動物を用いた祭祀」の痕跡も紹介していて、沖縄みたいな生々しいやつではなく、「動物を屠る」ことが形骸化したものが多い。学術的な内容の本ですが、神に肉を捧げた祭りのリストとして読むだけでも面白い。諏訪大社の、ズラリと並んだ三方にのった鹿の首、なんてぜったい見にいきたい。
新書の小径
週刊朝日 5/29
日本の居酒屋文化赤提灯の魅力を探る
日本の居酒屋文化赤提灯の魅力を探る
光文社新書の「飲食関係のラインナップ」には独特の味がある。京都の街歩きや、ファミレスの歴史、酒について語ったものなどが出ていて、そのどれもが、著者は違うし狙いも違うし雰囲気も違うのに、並べてみると似ているのだ。まず、文学臭さがない。ガイドブック的でもない。光文社新書の飲食本は、「単に飲み食いが好きな人が、だらだらと(といって悪ければ「たんたんと」)酒や食べ物や食堂のことを書いている」のが多いのだ。しかし、このゆるさのようなものが、読んでいる者の腹を鳴らさせる。  今回ご紹介する本は、外国人による日本の居酒屋についての本。「外国人による日本文化鑑賞本」と思うが、そういう感じはない。著者も「本書をいわば『青い目』が書いた居酒屋文化論として、おもしろがって読んでいただくのは、著者の私にはあまりありがたく感じられない」と書いている。光文社新書らしく、だらだらと酒場を紹介している。そしてそれがいい。  第一章が「『居酒屋学』の基礎概念」というから構えそうになるが、そんな必要はない。<赤提灯>について「居酒屋の一種。実際に赤提灯をぶら下げているかどうかは関係ない」としつつ、共通項として「値段も敷居も高くない」「個人経営であり、原則として店主が店にいる」などをあげる。赤提灯、焼き鳥、立ち飲み、そういうものについて、著者が「いいなあ」と思うことについて、微に入り細をうがち、書いてある。名店居酒屋の多くは、BGMもテレビもない、と観察する。そして騒ぎすぎる客に、意外に手厳しいとする。つまり、いい居酒屋は<貫禄>と<けじめ>があるのだ。著者の居酒屋の趣味ははっきりしている。 「居酒屋の描写」も頃合いがいい(居酒屋方面でスノッブな文章って、ほんとにゲンナリする)。良さそうな店が次々に出てきて、その店の酒と食べ物が、ものすごく美味しそうでは「ない」のがいい。適度である。居酒屋なんてこんなもんでいいんですよ。
新書の小径
週刊朝日 5/22
ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い
ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い
書名を見てなんのことか、さっぱりわからない人がいると思うので、まずものすごくザックリ説明すると、「釣り師」とは、「2ちゃんねるをはじめとする何でもアリなインターネットの掲示板で、作り話をあたかも本当のことのように(つまりウソついて)書き込み、多くのコメントや、ひっかかって感動する人が何万人も現れたり、怒りを呼んで掲示板を“炎上”させたりする人」のこと。なぜそんなことをするのかというと、とにかくリアクションを山ほど欲しい人とか、それがカネになるからやる人とかがいるらしい。  この本によると、彼らのスタイルは「お調子者型」「素朴型」「小説家型」「怒り型・暇つぶし型」に分かれ、これは一般社会の人の性格と同じだ。そういう釣り師に騙されない方法も書いてある。釣り師が好んで使うキーワード一覧があり、ファン、住民、国籍、学歴、年収、ゆとり、ニート、リア充、民度、移民、放射線、ベビーカーなどがあげられている。また句読点の打ち方や、改行の仕方、音引きの有無にまで注意を払うことで、釣り師の癖を見破れると書いている。え、そこまでして見破らなきゃいかんものなの!と知らない人は思うだろうが、私としては多くの人に見破れるようになってもらいたい。  著者はネットウォッチャーで、ネット掲示板の「盛り上がり物件」「炎上物件」を探してきてまとめて読めるようにしたサイトをやっている。私はそこの愛読者であります。家庭内やご近所のゴタゴタ話とかで盛り上がってるのが引用されている。  それを読み込んでいきますと、「稚拙でも、本当の話」の迫力というのはすごく面白いし、釣り師による釣り話はたいがいつまらんのですよ。なので、こういう本を読んで、読み手は釣り師に釣られないようになり、釣り師は釣りの技術をさらに磨いて、どんどん掲示板の書き込みが“ホンモノ”になってほしいのであった。そうすりゃ読んでて楽しめるから。
新書の小径
週刊朝日 5/14
怒濤の関西将棋
怒濤の関西将棋
棋士の書いた新書を立て続けに読んだ。森内俊之竜王・名人、渡辺明棋王・王将、そして谷川浩司九段である。この方たちのものを読んで「棋士というのは真面目だなあ」としみじみ感じた。人を驚かせようというところはない。話を盛るとか、引きをつくろうという色気がない。まあ、棋士でも米長邦雄とか先崎学みたいな、ヤマっけの多いのもいるから、単に「最近、新書を書く棋士にそういうタイプが続いた」ということだろう。といって面白くないわけじゃないのだ。真面目なあまり、巧まざるユーモアがかもし出される。  で、その「棋士新書」の中で、今回谷川さんのを取り上げたのは、「狙ったのではない可笑しさ」がいちばんよく出ているからです。そもそも、谷川さんの著書で「怒濤」なんて言葉がタイトルにあるので、何かがいつもと違う、と思ったのだ。  関西の将棋界のことを書いている。阪田三吉から始まる。谷川さんが阪田を語るのである! 谷川さんは、たぶんすべてのプロ棋士の中でもっとも真面目で礼儀正しく上品で、かつ常に清新。私は「将棋王国の皇太子」と思っている。その谷川さんが語るんですよ、貧乏で乱暴で傍若無人といったイメージのある阪田三吉を! 吹けば飛ぶよな将棋の駒に、のモデルを! 阪田伝説、たとえば女房を泣かしたといった、女性に不人気な面はやんわりと否定して、淡々と阪田の足跡を語る。有名な「銀が泣いている」の言葉については、「一心同体になるまで将棋に無我夢中になった阪田先生独特の表現」とやさしく解釈しています。  次に出てくるのが升田幸三で、これもまたクセのある人だ。そして阪田の孫弟子である内藤國雄とくる。演歌歌手として「おゆき」を大ヒットさせたあの内藤である。そんな関西の棋士たちを、品のある筆致で語るのがやけに面白いのである。内藤の詰将棋作家としての側面を語るうちに、自分の詰将棋への思いがいきなり激しく吐露されたりするのもたまらない。
新書の小径
週刊朝日 5/1
この話題を考える
人生の後半戦こそ大冒険できる

人生の後半戦こそ大冒険できる

「人生100年時代」――。「20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ」といった3ステージの人生は、すでに過去のものになりつつあります。だからこそ、大人になってから人生後半戦にむけての第2エンジンに着火したい。AERAでは10月28日発売号(11月4日号)で特集しています。

50代からの挑戦
お金持ちの正体

お金持ちの正体

お金持ちが増えている。民間シンクタンクの調査では、資産が1億円以上の富裕層はこの10年以上、右肩上がりで、いまでは150万世帯に迫る勢いだ。いったいどんな人たちがお金持ちになっているのか。AERAでは10月21日発売号(10月28日号)で特集します。

お金持ちの正体
人気企業に強い大学

人気企業に強い大学

今春の各大学の就職状況が明らかになった。人口減による「売り手市場」が続く中、学生たちは大手企業にチャンスを見出し、安定志向が鮮明になった。「AERA10月21日号」では、2024年主要大学の大学生が、人気企業110社に就職した人数を表にまとめて掲載。官僚離れが進む東大生が選ぶ企業、理系女子が強い業界、人気企業の採用担当者インタビューまで最新の就職事情を余すことなくお伝えします。

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47都道府県別日本の地方財閥
47都道府県別日本の地方財閥
つい買っちゃうんだな、この著者の「財閥シリーズ」。  家から駅まで歩いていく道に、いかにも由緒のありそうな豪邸が建っている。こういう家の中はどうなってて、どういう顔の人が暮らしてて、晩ごはんは何食べてんだろう。いや晩じゃなくて朝ごはんとかのほうがうちみたいなビンボー&だらしない家庭との違いが際立つだろうか。などと考えながらぼけーっと豪邸を見ている、というような経験ありませんか。つい、地方財閥の本を読んじゃうというのは、あの豪邸の中を覗いてみたい、という気持ちがどっかにあるからだろう。  この本は地方財閥の屋敷の間取りとか「財閥当主の一日」なんてことが載っているわけではなく、昭和9年(1934年)発行の『帝国興信所調査 五十万円以上 全国金満家大番附 附全国多額納税者一覧』で各都道府県のベストテンを見ていき、今に残ってる財閥やら、今は消えた家やら、名前は知られてないけど今も隠然とその土地で力を持つ家やら、そういうのを紹介してあるだけだ。でも、読み込んじゃうんですよね。  それにしても「金満家大番附」ってのはすごいな。悪い人みたいである。この本を読む上での楽しみの一つに、パッとページをめくって適当な県の番付を見るやり方がある。広島の1位、鎌田憲吉とあって、読んでみると株で儲けた「いわば一時的な成金とみられ」とあり、じゃあ現在鎌田さんの一族はどうしてるんだろう、どんな家に住んでるのか、広島だと白島あたりに屋敷があるのか、それとも賃貸か……と、想像は果てしなくふくらんでいくわけです。  各地方財閥のちょっとした系図も載っている。系図ということは、現在まで続いているわけで、たいがい「ええっ、こんな有名人があんな有名人と姻戚!」という発見があるものだが、地方財閥だとそれほどの有名人が出てこず、でもよく知らない人びとの系図で「娘の名前が桃子かあ」などとぼんやり眺めるのも楽しい。
新書の小径
週刊朝日 4/24
戦犯の孫「日本人」はいかに裁かれてきたか
戦犯の孫「日本人」はいかに裁かれてきたか
戦犯の子孫というと、いまだに軍国主義を金科玉条として父祖を誇りに思ってるんではないか、という思い込みがある。何かの本で読んだ戦犯の奥さん(子孫ではないが)がそんなタイプだったからだが、考えてみれば戦犯にいろいろな人がいるように、子孫にもいろいろな人がいて当然である。この本を読むまでは、そんな当然のことも気がつかないでいた。  4人のA級戦犯の孫が取り上げられている。東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、東郷茂徳。のっけに出てくる東条英機の孫娘にあたる東条由布子の軌跡を読むと暗い気分になる。小学生のときは、戦犯の孫ということで、いじめっ子から「東条絞首刑!」と叫ばれ、長じて生命保険会社に就職し、ふたたび学問を志して、名曲喫茶店などでアルバイトをしながら大学に行く。しかし父(東条英機の長男)の死にあい大学をやめ、東条英機を主人公とした映画「プライド 運命の瞬間」をきっかけにして、「東条」はもはやタブーではなくなったと感じ、積極的に社会活動をするようになる。  祖父がA級戦犯で死刑になったことを除けば、彼女の人生は特別なわけではなく、むしろありふれたといってもいい人生だ。だが、そのありふれた人生の彼女が、「一九五八年をもって戦犯の名誉は回復され、日本の国内法では戦犯なる者はいない」と主張するようになる。いわば中年以降に「目覚めた」わけだが、夫とはまるで思想が違っていて、しかし夫婦仲は変わらなかったというのが、かえって「リアルだなあ」と思わされた。東条由布子は、こちらが思ったような「戦犯の孫」の生き方をしているのだが、他の孫たちも、戦犯である祖父に対してそれぞれ微妙な気持ちをもっている。  この本は戦犯の孫だけではなく、「無名の戦犯たち」(BC級戦犯たち)についても書かれている。この無名戦犯たちの話は、「戦犯という存在の生々しさ」がモロに見えて、孫話にはない面白さがあった。
新書の小径
週刊朝日 4/17
堕落のグルメ ヨイショする客、舞い上がるシェフ
堕落のグルメ ヨイショする客、舞い上がるシェフ
本の内容とは関係ないのだが、この本は軽い。重量が軽いのである。持った時にハッとなる。これは本を読む者にとってはたいへんありがたいことですので、他の本も追随してくれることを望みます。  さて本書は、現在のグルメブームについて一石を投じようとしたものだ。著者の友里さんは覆面作家で、有名と言われてチヤホヤされて一見さんお断りだったり予約が取れないというような飲食店に食べにいき、食べたものがまずかったり、不当に高かったり、常連客ばかり優遇してるのが丸わかりだったりする店の実名を挙げ、批判をする人である。ウェブサイトでそういうことをガンガン書いている。私はそれをよく読んでいた。共感できたのは、そういうカンチガイ有名店も悪いが、そういう店をホメて常連となりタダメシ食ったりしてるフードライターやグルメブロガーも同罪であると言ってることで、「その通り!」と叫びたい。  なのでこの人が本を出す、と聞いた時には期待もしたんだが……何かダメなんですよね。内容は一貫している。ウェブじゃなくて書籍だからか、店名が匿名になっている。でも、そこが問題じゃない気がする。いろいろと、カンチガイ店の傲慢シェフが威圧してきたり脅迫してきたり、といったことが細かく書いてあるんですが。 「飲食店の真実」と銘打って料理人による匿名座談会もある。「身なりや職業で客を区別することはありますよね?」「ランチ客と夜の客、区別しますか?」などの質問に、各料理人がたぶんホンネをしゃべっていて、へー、と思うことも知らされたりするんですが。……なぜか面白くない、読み物として。  田中康夫も似たようなスタンスで食べ物屋を批判してたけど、あっちは粘着質で実に面白かった。いや、こちらも粘っこいことは粘っこいんだけど。言ってることはもっともで、イヤな食べ物屋もほんとに感じ悪そうなので、次の本ではどんどん読みたくなる文章でお願いしたい。
新書の小径
週刊朝日 4/9
医学探偵の歴史事件簿
医学探偵の歴史事件簿
岩波新書を読む時はつい構えてしまうのだが、これは大丈夫。スルスル読めるし、真面目なんだけどところどころ笑える。そして何よりも下世話! 下品じゃないけど下世話で楽しい。  神経内科医が歴史に名を残した人たちの病気について書いている。ケネディの内分泌異常やレーガンのアルツハイマーあたりは想定内のネタだが、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の項目があり、「そんな神話みたいな作り話で、死因も何も」と思いながら読んでいくと、古事記に書かれたヤマトタケルの、戦いから死ぬまでの足跡、伊吹山で雨に打たれて熱出して治ったと思ったが神経マヒが起こって歩くのも困難(足が三重に折れ曲がったようだったので、その場所が「三重」になったという!)になりついに行き倒れた……というこの一連の流れから「ギラン・バレ症候群の可能性」を提示されるとさすがに驚く。「倭建命の実在性についてはさておいて、神経内科医の目には、古事記は亜急性であった神経症状の経過をなぞるように記載していて一貫性がある」というのを読んで、古事記はそういう男のことが書かれているのだ、といきなり実感できてしまった。  他にも、源頼朝が安徳天皇の亡霊を見たという『保暦間記』の記述は、脳血管障害か頭部外傷によって精神錯乱や幻覚をきたしたのではないかとか。梅原猛はよく、荒唐無稽と思える昔話の中に真実はある、とか言っていたものだが、こういう話を理路整然と説明されると「確かに、昔話とバカにしないでじっくり読み込むといろいろ面白いかも」と目を開かされる。  そして、昔話につきものの貴種流離譚を、現在のDNA鑑定というもので身も蓋もなくはっきりと覆してくれるのも、逆の意味で面白い。ニコライ2世の娘・アナスタシアとか、ルイ16世の息子のルイ・シャルルとか、いやもう完膚なきまでにそいつらニセモノ。はっきりしないモヤモヤしたロマンには本当のロマンなどないのだ、と思い知らせてくれるのである。
新書の小径
週刊朝日 4/2
ヴァティカンの正体 究極のグローバル・メディア
ヴァティカンの正体 究極のグローバル・メディア
「ヴァティカンの正体」と言われると、何かおどろおどろしい秘密が隠されているような気がしませんか。秘密結社と組んで世界を支配しようとしているとか。そういう本ではありません。情報戦略を軸にしたバチカン市国の現実。バチカンの金融機関における巨大マネーロンダリングとか、教皇がマフィアにメスを入れようとしたらいきなり死んだとか、そういうことも紹介されてはいるが、しかし陰謀がなくてもバチカンてところは、興味深いところだなあと思わされる。  あんなに小さい国なわけだ。人口も少ない。大宗教の本拠地があること一つで持っている。そしてその転がし方について考えてみると、「やり方がすごくうまい」。仏教の聖地でもイスラムのメッカでも、こうはうまく転がしてはいないだろう、ということがこの本を読むとあらためてわかる。  たとえば聖書。日本の地方都市のビジネスホテルの枕元にも置いてあったりする。それほどキリスト教信者がいない日本ですらこれなら、いったい全世界でどれだけ売れてんだ。バチカンは、ネットをじつにうまいこと使って、世界に向けて商売をしている。聖書マンガのiPhoneアプリ(各国語版)とか! それもアプリそのものは無料でダウンロードでき、本編はアドオン(ソフトの追加機能みたいなもの。たぶん聖書なら、いいとこまで載ってて「続きはお代を払ってからのお楽しみ」みたいになってる)を買わせ儲ける仕組みとか。  般若心経でそういうことをやってるのかもしれませんが、きっとこんなふうにうまく回してはいないだろう。そう、翻って我が国ももっとうまいこと、日本の文化を使ってバチカンみたいにやれないか、という提言もあって、あくまでも地に足のついた本なのだ。  途中で「アップル三位一体説」「ジョブズとヴァティカン」てのが出てきて、神様の概念を今風に解説したところはぎょっとしたけど、なかなか面白かったです。
新書の小径
週刊朝日 3/26
AKB48とブラック企業
AKB48とブラック企業
ブラック企業が流行っているから、そこにAKB48をくっつけた便乗商法と思いたくなる書名であるが、読んでみると本当に「AKB48とブラック企業について書いた本」である。  著者は「AKB48が日本社会の労働の縮図である」と言っていて、そのことを説明すべく、AKB48に起こっているいろいろなエピソードを細かく紹介している。有名なところでは峯岸みなみの丸刈り事件とか、指原莉乃の交際発覚→HKT48移籍とか。秋元康を頂点とした「AKB48システム」の中で、AKB48グループのメンバーたちは競わされ、ある者は成功しある者は脱落し……という有り様が、日本の企業に組み込まれた人間の動きと同じである、という話なのだが、いやそれは何もAKB48に限らない話じゃないだろうか。それは宝塚歌劇団だってジャニーズだって同じことのような。  雇用問題総合誌の編集長である著者は、秋元康による歌詞も引用して、そこに労働問題が内包されている、そして「恋するフォーチュンクッキー」は、AKB48世界を知る者しか理解し得なかった今までの「労働楽曲」が、AKB48世界を知らない者にもわかるもの(=労働讃歌)となって大ヒットした、と言う。そ、そうだったんですか。あれはそういう歌だったのか。 「AKB48はブラック企業である」と見立てるのはいいとして、ではそれはいいことなのか悪いことなのか、秋元康はブラック企業の総帥であるのか、が最後までよくわからない。基本的に、ブラック企業はよくないことを前提にしているようだが、ではAKB48はよくないのか、というとそこがぼやけているように感じられる。  そこで何回か読んでみての解釈であるが、「その世界観の中に取り込まれてしまうとそこが正義の世界になる」ってことが眼目なのではないか。つまりブラック企業でも、中にいる人はそれを正しいと思うからそのブラック性が維持される、と。教訓として、そう読んで納得してみた。
新書の小径
週刊朝日 3/19
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