「新書の小径」に関する記事一覧

反逆する華族 「消えた昭和史」を掘り起こす
反逆する華族 「消えた昭和史」を掘り起こす
高校の頃に、男と男同士の恋愛小説みたいなもんを書いてる時に、片割れを「没落華族の息子」としたのだが、華族には人を妖しく魅惑するものがある。しかし現実はそんなもんではないだろう、と華族関連の書籍を読んできた。華族の皆さんはけっこう金持ちである。没落した人もいるが、モトが金持ちなので没落しても、今のうちよりいい暮らしで、やはり身分社会はよくない。  華族は「天皇陛下をお守りする立場」なので、正しく暮らすことを求められてきた。そんな華族の犯罪簿がこちらの本である。犯罪ったって詐欺とかではなく、思想犯的なものが主だ。ここに出てくる「官憲に捕まった華族(やその子女)」は、名門の生まれで、きちんとした教育を受け、それゆえに意識が高く、華族という“特権階級”にいることに苦しむ、という図式である。今も昔もよくあるといえばあるようなことだ。  だから「思想犯として捕まった華族」の悩みそのものはそれほど面白くない。ただ、事件が起こって、家族親族一族が奔走するやら、冷たくするやらの騒ぎの様は面白い。当時の特高警察は、相手が華族であろうと容赦しなかった。裁判官や検事が、同じ思想犯でも、庶民の貧乏人よりも、華族に理解を示す。そのことに同じ庶民出の特高警察の人が腹を立てた話などは興味深い。特高警察の気持ちがわかったのは初めてだ。  有名な「不良華族事件」も出てくる。華族たちがダンス教師らと不純交遊したという話。まだ姦通罪があった頃で、伯爵で歌人の吉井勇の奥さんの徳子が、これで警察にひっぱられた。ここに斎藤輝子(茂吉の奥さん)がいたのは知っていたが、近藤廉平男爵の三男である廉治と妻・泰子(本書では安子)もいたのには驚いた。この泰子って白洲正子の姉さんですよ。白洲正子自伝に姉の話は少ししか出てこないが、やはり触れたくなかったのだろうか。本書のテーマと関係ない小ネタですが、おおっと思ったので。
新書の小径
dot. 10/23
商店街再生の罠
商店街再生の罠
面白くてたまらん。水木しげるロードといえば有名な商店街だが、ここが誕生してから有名になるまでの話がとにかく面白い。  鳥取県境港(さかいみなと)市の商店街に当地出身の水木しげるのマンガに登場する妖怪の銅像を設置する、という計画が持ち上がったら、反対の声が巻き起こった。前例も成功例もない、銅像を置くと車道が狭くなって駐車スペースがなくなり来店者が減る、妖怪なんて気味悪い。反発があまりに強いので部分的に銅像設置したら、そこが人気になった。そうすると「妖怪なんて気味悪い」と反対してた商店主が「なんでウチの店の前にはないんだ、不公平だ」と言い出したという。実にありそうな話で笑う。  著者は地域再生プランナーで、住民が主体的に持続可能な町づくりにかかわろうとするスローシティ運動の提唱者だ。「こういう(身勝手で)困った人たちを含めて『協力者を増やす』ことが、本物の成功に辿りつく過程で、非常に重要となります」と書いていて、その道のりの遠さに目が眩む。不景気になればなるほど小ガネ持ちは強欲化していく、という私の説が実証された気分だ。そんな強欲連中と話し合いを続けるのはイヤだなあ。それをイヤがらずにやった境港市長はえらいなあ、と感心する。  もう一つ面白かったのが、『ゲゲゲの鬼太郎』より人気のあるマンガやアニメなんていくらもあるわけで、そういうもので水木しげるロードの二番煎じをしてもうまくいかないことだ。その理由は、たとえば『名探偵コナン』だと主要登場人物は十数人なので銅像十数体でネタが尽きる。ところが『鬼太郎』には妖怪が大量に出てくるので設置ロードも長くなるのだ。「やってみてはじめてわかる落とし穴」である。  水木しげるロード以外にも、全国各地の商店街の成功例失敗例が紹介されている。ただ、この著者は、商店街再生の手段としての「ゆるキャラ」に妙に甘い気がする。ゆるキャラ依存の商店街なんかいかにも失敗しそうだが。
新書の小径
dot. 10/17
日本の10大庭園 何を見ればいいのか
日本の10大庭園 何を見ればいいのか
庭に興味はない。庭園に行く趣味もない。龍安寺の石庭って言われても、とんとその良さはわからぬ。しかし小学生の頃に授業で箱庭をつくった時は楽しかった。小さい橋とか架けたりして。庭とも言えないような空き地の風情に心奪われることもある。ということで、日本の十大庭園について紹介&解説した本を読むことにする。10個の庭園は、有名なのも、聞いたことすらないのも交じっている。いくつかは実際に行って見たこともある。  いやー、見てつまらんと思ってた庭もよく見えてくる! 写真もいい。白黒の写真が挟まれるだけなんだけど、見ていると「小学生の時に、箱庭で山をつくったり橋を架けたりした時のわくわく」が鮮烈によみがえってきました! そうそう、こういうのがつくりたかったんです。作庭って、箱庭づくりと同じことだよな。そういえば私、富士塚が大好きなのだが、庭の中に山や川や滝を再現しようというのと、富士山を再現しようというのは同じことじゃないですか。  読み進めると、作庭についての決まり事がいくつも出てきた。先日読んだ冷泉(れいぜい)家の本に、和の文化とは決まり事を共有して異を唱えないこと、と書いてあって唸らされたばかりだったので、その決まり事についても熱心に読んでしまった。まあ、どんなに読んでも、決まり事はやっぱりつまらなくて、「縮景(しゅっけい)」という、自然の有り様を庭に再現することのほうがわくわくする。  紹介されてる庭園では、福井の一乗谷朝倉氏(いちじょうだにあさくらし)遺跡庭園群の「諏訪館跡庭園」がだんぜん欲しい庭である。自分ちの庭にこれを持ってきたい。でも庭というのは、与えられた敷地の地形にしたがって庭園を築くので、持ってくるのはムリなのである。そもそも名庭園は金持ちじゃないとつくれない。一乗谷朝倉氏遺跡庭園群は、信長に滅ぼされて土に埋まっていたということで、敗れた者の庭なのだ。そのへんが京都の名庭園よりも心惹かれる理由かも。
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dot. 10/10
蔵書の苦しみ
蔵書の苦しみ
苦しみったってオマエ、糖尿とか結核とか痔とかの苦しみじゃないだろう。いや痔だって、辛いもの食べ過ぎとか自分の放埒な生活による報いの場合があるわけだが、蔵書の苦しみって、好きで買い散らかした結果以外の何ものでもない。ケーキの食い過ぎでデブになるのと同じぐらいみっともないことなのに、コトが本となると、何か文化の香りが漂い、困った困ったと言いながら自慢げというか……と、私はずーっと、蔵書の多さを得々と嘆く人のことを批判してきたのであった。  岡崎武志といえば書評家だし、またぞろその手の自慢本か、と思ったが、この本はちょっと色合いが違う。蔵書の有名人、蔵書で困ってる人、蔵書の始末の仕方、なぜ蔵書が膨大になってしまうのか、などが書かれている。蔵書のために家を建てた人も登場し、ふだんなら私の怨嗟の的になる人だが、壁いちめんにびっしり収まってる本の写真を見てもうらやましさは芽生えない。たぶん、この家を建てた人も、書いた岡崎さんも、本のことでしみじみ困ってるからだろう。 それにしたって、生きていくにも困るような金銭状況だったら本など買わないわけで、いい気な悩みである。それに世の中には「本は読まない」人はいっぱいいて、蔵書の悩みと言われたって意味もわからないだろう。そこでよくある悲劇が「妻が夫のマンガコレクションをゴミに出した」とかいう話であり、これにもそういう話はちらっと出てくる。こういうのは「実は売ればすごい高値がついて妻は後で地団駄」というオチがつきものだが、私も本が好きでよく買うけれど他人の本は捨ててしまおうといつも思ったりしているので、妻の味方なのである。  読書家、という言葉が「いい意味」で使われるのは間違いである。断酒道場ならぬ断書道場みたいなものだって出来てしかるべきだ。本が売れないと嘆く声があるが、本なんかなくても別にいいじゃん、となげやりな気持ちになる、ちょっと不思議な本であった。
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dot. 10/2
真珠の世界史
真珠の世界史
真珠が古来そんなに珍重されてきたとは知らなんだ。考えてみれば、ダイヤを掘り出して磨くにはそれなりの設備が必要だが大昔はそんなものはなかっただろうし、真珠は貝をあければ中から光る玉が出てくるわけで、たいへんな宝物だったことだろう。  本書の口絵に、世界最古の真珠の写真が載っている。福井の貝塚から出たという、5500年前の真珠である。それだけ時を経ているので、真珠というよりは白い雛アラレみたいなことになっているが、当時はさぞや輝いて人々を魅了したことでしょう。でも貝塚ってことは捨てられてたのか。この真珠は「おそらくドブガイの真珠」と説明にある。ドブガイって……。  メソポタミアでは真珠は「魚の眼」と呼ばれていた、というのも面白い。アジの塩焼きを食べたあと、目玉をほじくりだすと丸くて白くて硬くて真珠みたいだなあと思ったものだ。マルゲリータ、というのは真珠という意味だというのも初めて知った。イタリアのマルゲリータ王妃はピッツァ・マルゲリータを考案して、名前の通り真珠を愛したという。トマトとバジリコのピザは赤と緑の印象が強くて、真珠とつながりがあるのかどうかはすぐには判断できない。というような、どうでもいい感慨にふけることもできる。  真珠が貝の中で生成されるメカニズムや、真珠の歴史も詳しく書いてあってタメになる。特に、日本における養殖真珠の話。養殖真珠といえばミキモトであるが、御木本幸吉は鳥羽のうどん屋出身で、鹿鳴館も西洋の舞踏会にも無縁だというのに真珠宝飾品事業に乗り出した。その真珠製品は、今そこで売ってても買いたいようなデザインでたいしたものだ。  でも御木本幸吉が養殖に成功したのは半円真珠で、球形真珠は別人がつくり、さらに別人が実用化したのだ。その別人をもっと顕彰してあげてほしいものだと思う。あと、私に残る真珠のナゾは「アコヤガイは食べると旨いのか?」だけになった。
新書の小径
dot. 9/26
間違いだらけの薄毛対策
間違いだらけの薄毛対策
経営者新書ってのができたのか。この恥ずかしげもない名前はどうだ。経営者に憧れるおっさんが読むためのものか。日経プレミアシリーズも、なんか企業の部長クラスが好んで手に取るようなつくりになってるが、こちらのほうはもっとアラレもない。  で、経営者新書ときて著者が麻生泰! 麻生太郎の弟の泰(麻生財閥総帥)が薄毛の本を出すって、いかにも幻冬舎的な狙いの本だネー、などと考えたが、著者の麻生泰は麻生財閥とは関係ないお医者さんだった。読んでみると、目からウロコの話がいっぱい出てくる。薄毛で悩んでいる人は光明と絶望を同時に味わうのではないか。  今市販されてる育毛剤のたぐいの98%は「効かない」と言い切る。カツラを被るほど自分の毛は減っていく、とか、シャンプー、サプリ、発毛・育毛サロン、スカルプケア、植毛といったたぐいのものが「いかに金だけかかって効果がなくて薄毛の人を落胆させる結果になるか」を畳み掛けます! 巷にはびこる「発毛・育毛詐欺」に気をつけろ、ですって! 和田アキ子が「もう悩み無用~!」とシャウトする、アレはダメなのか! 藁をも掴む気持ちでいる人びとはいったいどうなる!  医療機関じゃないところが薄毛治療を行うのは日本だけ、ってのも「なるほどなー」と思う。病気じゃなくて、美容の範疇に入ってるもんなあ、ハゲ問題は。そうではいけない、と麻生さんは強く言う。ハゲで消極的になって運動不足になり、そこから深刻な疾病に発展しかねない、と。風が吹けば桶屋が儲かるような話だが、わかる気はする。ハゲによるうつ病だってあるだろう。  麻生さんによれば、「薄毛には薬」だそうだ。服用によって薄毛がこんなに!という証拠写真もある。しかし、ハゲだったのにこんなに生えてきた、という写真そのものがうさんくさく見えるのは気の毒である。とにかく薄毛は医者。そのためにもこの本の一読をオススメします。
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dot. 9/19
転倒予防 転ばぬ先の杖と知恵
転倒予防 転ばぬ先の杖と知恵
今年になってすでに3回転んでいる。昔から足元は弱かったが、足首をがくっとやっても、おっとっとで持ち直していたというのに、今ではそのままべちゃっと転んでしまう。「足首がくっ」がコワイのでぺったんこ靴しか履かないが、それでもこうだ。  すごく危うい気がする。よく聞くじゃないですか、年寄りが転んで骨折して寝たきりになってボケて死ぬと。もし転んでなけりゃ死ぬことはなかったかもしれない。となれば転ばないようにしないと。  そんな私を待っていたかのような『転倒予防 転ばぬ先の杖と知恵』。サブタイトルの“転ばぬ先の杖”は、慣用句としてのそれではなく、実際に「転ばないために杖をうまく活用する」ことを詳しく書いてある。杖の選び方、持ち方、使い方など。ただなあ……今ある杖が、よく病院の売店とかで売ってる、T字形というか、そういうやつで、この杖を見るだけで自分の老人性を突きつけられて心がしおれる。それは著者もわかっているらしく「杖を楽しむ」などと題して、楽しんで使えるオシャレな杖をススメるページもある。あるが……何かこうかっこよくない。いや、ほんとに杖を使わざるを得ないのならかっこいいも何も言ってられないのはわかるのだが……内田裕也が持ってるような杖なら喜んで持つんですけども。  転ばない環境づくりも大事だ。「ぬ・か・づけ」に注意だそうで、「濡れているところ」「階段・段差」「かた“づけ”ていないところ」はつまずいたりしやすいと。「づけ」が少々苦しいが、なるほどと思う。自分のようなズボラな人間は、きちんとした暮らしが転倒を防ぐと聞いて気分が暗くなる。  暮らしの中の運動実践というのも、家では一歩も動きたくない者としてはつらい。要するに、ダラケ生活をやめる、そしてきちんとした食生活。うーん。かっこいい杖がほしい、とか言いながらスナック菓子食べるチャラチャラ生活は、転んでボケて死ぬ道一直線か。気付きたくなかった……。
新書の小径
dot. 9/11
地図と愉しむ 東京歴史散歩 地形篇
地図と愉しむ 東京歴史散歩 地形篇
タイトルに「愉しむ」とあるが、愉しめなかったなあ。いや、内容が薄いとかダメとかいうのではないのです。古図と、現在の地図や写真を並べて、東京の町がどのように変貌したかをわかりやすく紹介してある。第二部が「東京お屋敷山物語」で、昔こんなお屋敷があったところで……と、「お屋敷」を中心に見ている。愉しめなかった理由は、一にも二にもその「お屋敷」にある。明治の地図の「ナントカ伯爵邸」「カントカ子爵邸」、その広さを、現代の地図と比べられることで、まざまざと見せつけられるようだ。資産家打倒!の念がむらむらと湧き上がる。  しかし革命などなくても現在、お屋敷はバラバラに切り売りされて往時をしのぶものなどなく、金持ち(主に大名華族や実業家)はその財を失ったわけだ。それで私の恨みは雲散霧消したかといえば、切り売りされたってまだまだその土地は広く、さらにそこは一等地である。うちが一生働いたってそんなとこには住めないというこの不条理に恨みは消えない。  当時の渋谷は「豊多摩郡渋谷町」といって「人家もまばらな郊外」だった。あの109あたりもはらっぱ。ま、それはいいとしよう。歳月ははらっぱを繁華街に変貌させる。ならば我々資産を持たぬ者も、どこかの原野に土地を買えばいずれそこが繁華街に……というような甘い気持ちを悪徳原野商法業者につけこまれ、有り金をドブに捨てるハメになるのだ!  でも、そういう醜い心がない人で、近代日本史の好きな人、街歩きが好きな人、東京の町並みが好きな人は、この本はとても興味深く読めると思う。明治から今に至るまで、東京がたどった変化と、今も残るわずかな痕跡を愉しむためにとても便利だ。うんちくも豊富で良い。特に、山と谷。元は水が容易にひける谷にあったお屋敷がやがて見晴らしのいい山に行き、谷には庶民が住み着くという推移があったのだ。しかしその谷だって、今じゃ場所によっては超高級住宅地か……。
新書の小径
dot. 9/5
バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘
バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘
初めて認識したコンクラーベ(教皇選出)は、ヨハネ・パウロ1世が選出された時のものだ。この時に「決まれば煙突から白い煙が出る。決まらないと黒」とかの知識を得、さらにこの人は見た目がハンサムだったので「ローマ教皇ってすごい」と思った(極東の仏教徒の高校生などその程度の認識しかありませんでした)。  しかし1世は就任して1カ月で亡くなってしまい、次に就任したヨハネ・パウロ2世が、なんと申しますか、多少悪役風味の顔だったもので、そのへんで「バチカンて何かドラマがどろどろ渦巻く場所!」的な妄想に取り憑かれたりした。が、その後、ヨハネ・パウロ2世が来日した時、どっかのホールで何かの黙祷を全員で捧げるのをテレビで見ていたら、薄目をあけてあたりを窺ってるところをばっちり撮られていて、なんとなく「この人は風貌に似合わずいい人だ」と思った。  ……などという個人の思い出を胸にして読むこの本は面白いです。  パラパラとめくって出てくる教皇や枢機卿の写真を見るだけでもいい。もう、人としてモノがちがう、と思わされる。いい人かそうでないかなど、どうでもよくなる。「黒い貴族」とか「ヒトラーの教皇」とか「列福」とか、心を騒がせる言葉がページのそこここから頻出。キリスト教の聖人というのは今でも出現すると知り驚く。奇跡を起こしたことを証明するなんて、なんとも神秘的な話ではないか。  近現代といえば、でかい戦争だの、でかい発明だので世界ががらっと変わるわけだが、そこに「世界最大の宗教のうちの一つ」のいちばんえらい人が決まった時どうなるのか。流されるのか、流れに逆らうのか。その行動を一つ一つ見ていくだけで、バチカンという小国と、その小国が動かす巨大なカトリック組織が浮き上がってくる。ことに心に残ったのがピウス9世。人びとを目覚めさせることから「覚醒教皇」と呼ばれたそうで、高橋和巳の小説の題材にでもなりそうな人である。
新書の小径
dot. 8/28
世界の王室 うんちく大全
世界の王室 うんちく大全
こうして世界の王室の姻戚関係とか書いた本書を読んで知ると、「日本の皇室ってのはずいぶんイレギュラーな形のもんなんだな」と思わされます。  ヨーロッパなんか国をまたいで王室が結婚でつながっている。日本に住んでると「王様が外国人と結婚していいんですか」なんて気持ちがつい芽生えたりしがちで、それは「外国人の血が混ざる」的なものもあるし、「いろいろ面倒なんじゃないの」というのもある。フランス人とオーストリア人とスペイン人、見た目だけじゃ見分けづらいが、実際は言葉も習慣もちがうし食べ物の好みもちがうし、結婚なんてたいへんだと思う。が、そんなたいへんさを吹き飛ばすほど「王室の存続と発展が大事」で、そのためには外国人との結婚なんて当たり前なわけです。  いくら島国だからといって、日本の皇室が皇太子妃を外国から迎えるというのは考えづらい。桓武天皇のお母さんが百済から来たっていっても祖先の話であって「百済から嫁にきた」わけじゃないし。でも西欧の王室の場合は外国人なんかよりも、身分のほうが問題らしくて、貴賤結婚なんていう言葉を見ると「それほど身分が大事かよ」とも思う。  というような感じで、王室というのは結婚→生殖によって続いていき、カネの力や戦力で栄えたり滅びたりするという、すごーく下世話な結びつきのシンボルみたいなものだ。自分とは関係ないだけに、それをワクワクと見てしまう。  じっさい、スキャンダルのたぐいは山ほどある。この本でも王室のスキャンダルは淡々と列挙されていくのだが、オランダ王室のところでいきなり(と感じる)「スキャンダルの総合商社」と強く言い出したのでちょっと驚く。そこまで言われるほどひどいのか!……と読んでみると、たしかにけっこう乱れている。ユリアナ女王は、夫のベルンハルト殿下が愛人を作り妻妾同居の時期があったとか。日本は今のところ、良識的な皇室なのでよかった。
新書の小径
dot. 8/22
日本のリーダーには、武器を持つ覚悟はあるのか!?
日本のリーダーには、武器を持つ覚悟はあるのか!?
コレは果たして……。私は大川豊ファンで、大川豊が書くものを愛しているのだが(『誰が新井将敬を殺したか』などホントに面白かった)、それは大川豊のスタンスも同時に愛するということである。大川豊の「泡沫候補ウォッチャー」ぶりや、政治家の評伝や自叙伝(選挙区で配られるゴマスリ伝記なども含め)を読み込んで異様なエピソードを収集するところなど、政治家というものにこういう対し方があってもいいのかと目を開かされた(というほど高尚なことでもないが)。  で、大川豊の、政治家や政治に対する視点というのは「公平」で「リベラル」なものだと思っていた。今、リベラルというと何か色がついたみたいなことになってるが、信頼をしていたわけだ。で、このタイトルで、今回の選挙で当選した“ヒゲの隊長”佐藤正久と対談する。うわーきっと面白いはず!と思って買ったのですが……至って真面目な本でした。ヒゲの隊長が主張することを笑いでいなしまくってくれ、と期待していたわけじゃないが、どうもそういう感じはほとんどない。現役の議員との対談だから硬くなっちゃったんだろうか。いや、百戦錬磨の大川豊がそんなはずがない……。  「はじめに」で、大川豊はヒゲの隊長に「覚悟はありますか?」とどうしても聞きたかった、という。が、それがどうしても聞きたいことなのか。こういう質問をしたらヒゲの隊長は「ある」と答えるに決まってんだろう、と思うのだが。読んでみる限り、ヒゲの隊長のご高説を拝聴して盛り上がってるだけのような。もちろん大川豊のことだから、サンダーバードとか「七人の侍」とかのネタで国防話を展開させるが、ヒゲの隊長が「さすが総裁、面白い視点ですね」とさらりと受けてそのまま流れる。  大川豊は実は「言いたくて言えない何か」を対談に仕込んでるんじゃないかと、目を皿にして読んでみたのだが見つからなかった。私の読み方が何か間違ってるだろうか。
新書の小径
dot. 8/1
東京鉄道遺産 「鉄道技術の歴史」をめぐる
東京鉄道遺産 「鉄道技術の歴史」をめぐる
子供の頃、千葉の海に潮干狩りに行ったことがあり、その時に外房線に乗った。両国から乗り込んだのだが、その両国駅の有り様がいまだに頭に焼き付いている。「まるで黒澤明の『生きる』のドブがあふれている町のシーンのよう」というイメージ。昭和40年代とはいえ両国駅がそんなんだったはずがなく、そう思ったのは、いつも自分が使う駅の様子ではなかったからだろう。  なぜか昔の思い出というのは駅にまつわるものが多く、きっと駅舎や電車、改札口とかがシンボリックなので記憶に残りやすいのだろう。鉄道マニアじゃなくても、古い駅の思い出の一つや二つはみんな持っている。この本を見つけた時は、中身も見ないで買ってしまった。懐かしい思い出に出会えそうな気がしたから。  それぞれ「駅」「橋梁」「高架橋」「トンネル」にわけて、今も残る明治・大正・昭和の鉄道遺産を紹介。駅の項で、上野駅のコンコースがあり、あの巨大な広場とブキミな(としか思えない)壁画を今も残していることに嬉しくなり、やっぱり今の子供もあの壁画が忘れられなくなるのかと思ったりする。内部はいろいろ現代に対応してるのに、外側および雰囲気はいつまでも上野駅なのはえらい。  鉄橋も高架も、有史以前からそこにあります、といった感じでがっちりとその土地の地面に食い込んじゃっているものがある。それも神田とか有楽町とか、いかにも地価の高そうな場所に。神田とか新橋周辺がいつまでも、ある種の垢抜けなさを保っていられるのは、あれらの鉄道遺産のおかげだろう。トンネルもここにある写真で、入り口の石積みとかそこに覆いかぶさる木立なんかの思い出がいきなり鮮明に蘇ったのは驚いた。トンネルって結構印象的なんですね。  ところで、私の頭の中にあるあの両国駅。もしかして写真が載ってないかと思ったがなく、自分の記憶に不安が生じている。何か別のものと混同してるのだろうか。あの時の両国駅に誰か連れてって。
新書の小径鉄道
dot. 7/24
この話題を考える
人生の後半戦こそ大冒険できる

人生の後半戦こそ大冒険できる

「人生100年時代」――。「20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ」といった3ステージの人生は、すでに過去のものになりつつあります。だからこそ、大人になってから人生後半戦にむけての第2エンジンに着火したい。AERAでは10月28日発売号(11月4日号)で特集しています。

50代からの挑戦
お金持ちの正体

お金持ちの正体

お金持ちが増えている。民間シンクタンクの調査では、資産が1億円以上の富裕層はこの10年以上、右肩上がりで、いまでは150万世帯に迫る勢いだ。いったいどんな人たちがお金持ちになっているのか。AERAでは10月21日発売号(10月28日号)で特集します。

お金持ちの正体
人気企業に強い大学

人気企業に強い大学

今春の各大学の就職状況が明らかになった。人口減による「売り手市場」が続く中、学生たちは大手企業にチャンスを見出し、安定志向が鮮明になった。「AERA10月21日号」では、2024年主要大学の大学生が、人気企業110社に就職した人数を表にまとめて掲載。官僚離れが進む東大生が選ぶ企業、理系女子が強い業界、人気企業の採用担当者インタビューまで最新の就職事情を余すことなくお伝えします。

就職に強い大学
反省させると犯罪者になります
反省させると犯罪者になります
このタイトルを見てハッとした。私もそう思ってたからだ。先に書かれた! でも読んでみたら、私が思っていたことと、この人の意見は微妙に違っていた。著者は刑務所の更生支援にも関わる大学教授で、多くの「犯罪者」と出会って、彼らの「罪を犯してしまったことへの反省の弁」をいっぱい聞くことになる。捕まえた側もすぐ「反省すること」を求める。需要と供給みたいなもんで、「少年院経験者は“反省の技術”がうまくなる」という。つまり反省し慣れて上達するわけだ。  なぜ上達するのかといえば罪を繰り返すからだ。繰り返し罪を犯して捕まって、早く出たい一心でまた反省してみせる……。著者の岡本さんは、自分が事故を起こした時のことを思い起こし、表面的な反省の裏には「反省どころか怨みや責任転嫁の気持ちがいっぱい」だったことに気づく。  ここまでは「ああ、まったくそうだ。自分が何かヘマして謝るようなことになった時も、自分の罪を軽くするためのツールとして“反省”を利用してるな」と、岡本さんの言うことに激しく頷く。犯罪者に反省させたところで更生なんかしない、というのはそういう意味だ。  さて岡本さんと私と、微妙に違う考えとは何かというと、岡本さんは「表面的な反省=上手な反省文とか神妙な態度とか」をやめさせて、もっと罪を犯した自分の内面に向き合わすようにするべきだと主張している。うーん。それって、結局は「反省」にすぎないのではなかろうか。表面上の反省じゃなくて真の反省って、それも「上手にやるやつ」が登場するんじゃなかろうか。反省なんかするから(させるから)いかんのでは。  心でいくら悪逆非道なことをやったって罪にはならない。要は「実際やらない」ことだ。私も、岡本さんの言うような「心からの反省」をたくさんした。でもそれで気がすんじゃって、また失敗するわけですよ。反省してるヒマがあったら別のことでもやって犯罪するヒマなくせ、と私は言いたい。
新書の小径
dot. 7/17
新・百人一首 近現代短歌ベスト100
新・百人一首 近現代短歌ベスト100
前にもこういうことをやってたよなあ。新たに歌集を編むという……『昭和万葉集』だっけ。戦場に行く若者の歌が入ってるのは『きけわだつみのこえ』か。と、いうように歌とはほど遠い生活をしている上に、たまにテレビで歌会始など見てもまるっきり良さがわからない不風流な者です。が、この『新・百人一首』は面白かった。全部読んだって百ですむ。わかりやすいものも多いし、選者に穂村弘が入るなど、若者への目配りも忘れない。  あらためて現代の和歌というものを読んでいると、和歌がすたれない理由がなんとなくわかる。ここでも一首選ばれている尾崎左永子(さえこ)が、昔どこかのインタビューで「短歌にはカタルシス的なところがある」というようなことを言っていて、その時はさっぱり意味がわからなかったが、今こうして選ばれた百首を見ているとわかる。限られた文字数に、感情(なんていうものよりも怨念とか性欲とか、マイナス方面に激しいもの)が圧縮されて最後に飛び散っている。それも決して美しい散り方じゃなくて「うわー、あとの掃除たいへんだ」と思ってしまうような。  あえてそういう歌を選んだのか。いや、たぶん短歌というのはこういうものなのだ。この「びちゃっ」とした、うわっ、手についちゃったよエンガチョ、みたいな生々しさがあれば、年寄りでも子供でも、この生々しさを表現してみよう、と思う人は必ずいる。  さて私が個人的にこれでいちばん感じ入ったのが、春日井建の短歌が採られていたことだ。いや、三島由紀夫もいっときメロメロになった春日井建が入るのは当然として、春日井建には他の歌人同様ちゃんと顔写真が載っている。私は春日井建て、舞城王太郎みたいな覆面歌人で顔出しNGだと思い込んでいたのだった。そして、すごい美少年を想像していた。だが、まさかこういう顔のおじさんだったとは……。時が経っているので当然のことであり、勝手に思い込んでた私が悪いのです。
新書の小径
dot. 7/10
騎手の一分 競馬界の真実
騎手の一分 競馬界の真実
講談社現代新書の表紙は、白地に正方形がひとつ。その正方形の色は赤色や黄色、藤色などかぎりなくある。著者が同じでも色はちがうし、ジャンルが同じでも色はバラバラ。今では色に意味はないんだろうと気にしなくなっている。が。この本にはハッとした。  はじめて見たよ黒。いや他にもあったかもしれないが、藤田伸二が『騎手の一分』というタイトルで、さらに「競馬界の真実」というサブタイトルで講談社現代新書から出した、それが黒だ。ただの黒ではなく、暗黒、というような凄みを感じさせるではないか。競馬好きで藤田を知ってる人なら、この黒には畏怖を抱くはずだ。読んでみて、さらに藤田の恐ろしさを実感する。前回当欄で取り上げた山口香もスゲエと思ったが、藤田もスゲエ。  ここ数年の新書で3本の指に入る面白さ。「通算1800勝を超える現役の騎手」が「いかに今の競馬がつまんないか」「いかに今勝ってる騎手の乗りっぷりがかっこよくなくておまけに危険か」を吐き捨てるように、しかしすごく面白く、かつ納得いくように語ってる。現役騎手ですよ。引退した騎手の出す内幕本だって、もっとなまぬるい内容だ。  文体(たぶん聞き書きだが)も迫力があり、迫力ゆえの脱線もある。天皇賞でマヤノトップガンに乗ってた田原成貴のことを語っているのだが、田原は「いつもとちょっと様子が違って」いて「今から思うとあの時はもう覚醒剤をやっていたのかもしれない」とまで書いていてスゴイ。ただ、田原がトウカイテイオーで有馬記念を勝った時の涙はウソ泣きだ、と田原本人が言っていて、藤田もそれを信じてるんだけど、これはどうも私には信じられない。あの時はウソ泣きではできないみっともなさ全開だったから。  競馬に興味が無い人にはこの本がどの程度面白いのかはわからない。あまりガツガツとした語り口ではないのだが、それだけにドスが一閃するような迫力があるのだ。
新書の小径
dot. 7/3
日本柔道の論点
日本柔道の論点
グウの音も出ないとはこのことか。女子強化選手の暴力告発問題の時も、この人が出てきて「指導者の、指導という名の暴力」について理路整然と語り、「告発選手が匿名であることへのイチャモン」には静かに、しかしきびしく反論をしてみせた。その時に「この人はスゲエ」と思い、そういえばこの人の柔道解説は「声よし」「内容わかりやすい」「おまけにエキサイティング」で感心させられたのを思い出した。  柔道といっても『柔道一直線』以後の知識を得ていない状況だったが、これを読んで、現在の日本柔道界がどうなっているのかを知った。「独裁政権下の国際柔道連盟」などという章があり、これは文字通り国際柔道連盟が「会長の独裁による団体になっている」という話だ。この連盟会長(オーストリア人)がヤリ手の改革派なのはいいとして、規約をどんどん変えていき、会長のやりたい放題できるようなことになっちゃっている。この体制に日本の連盟も賛成票を投じてるがいいのか、と問うている。  これは驚いた。日本は「柔道の本家本元」として威張っていると思っていた。そして、その独裁連盟が主導するルール改定が「ことごとく柔道をつまらなくしている」ことをズバズバと指摘する。「王者クラスになると、試合すればするほど相手に手の内がバレるから勝ちづらくなる」とはびっくり。そういや昔、ヤワラちゃんが国内の試合にあんまり出ないのは国際試合以外を軽視してると言われてたことあったなあ。どうもそうではなかったらしい。  もちろん「体罰問題」も論じる。いまだに「愛があれば」的な、結果的に体罰を肯定する論議を見かけるけれど、体罰による指導は、体罰の連鎖を生む以上に、まずその体罰を受けた人間が能力の向上を望めなくなるとキッチリ切り捨てる。指導者は英語しゃべれるようにしろ、英語わかんなくてもコミュニケーション能力高めろ、ってのも納得いきすぎる。山口香はスゲエや。
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欲望の美術史
欲望の美術史
絵は見りゃわかる。絵なんだから。といっても、大きさに限りのあるキャンバス(なり画仙紙なり壁なり)にすべてを描き尽くすことはできない。宗教画など、無理やり「すべて描いちゃってる」ためにワケわからなくなってることもあり、そういうものの「絵解き」をした本です。「これはこういうことを描こうとしているのですよ」と教わって納得したり、思いもかけぬ意味に感動したり、逆に「案外深みがないな」とガックリしたり、とにかく楽しめる。  絵画には、そのような「見てもらうことを目的に描いた主題が各種理由でわかってもらえない」ことがよくある。それと同時に「描いたつもりはないことがいろいろな調べにより暴かれる」というのもある。本書のタイトルは『欲望の美術史』となっていて、絵画の裏側にある人間関係や現象などを教えてくれる本であった。“見えないものを暴く”ほうである。美術や芸術よりも、それを創造した人に光を当てる。  ぜんぶで28個のテーマに沿って、絵や彫刻とその裏側にあるものを紹介している。すいすい読めて、知識も得られて、おまけにそれが裏話的なものなので頭に入りやすく覚えやすく、読み終わった時に「ああ、本を読んでトクをした」という気持ちになれます。ダレソレのあの絵のモデルは作者の不倫の恋人だった、とか。老女がキリストの絵を勝手に修復と称して上描きして、猿のような顔になっちゃったスペインの事件などから、人々の「名画や権威的な画像を茶化したいという欲望」に目を移す。そしてマネやピカソの有名な絵の「元ネタ」を教えてくれた上に、そういうパロディっぽい絵画を描いた作者の隠れた感情を解説してくれる。  いろいろな絵とその裏側について書いてある中で、私は「風景画は政治的なものであり、愛国心と結びついている」というのが、なんだかハッとさせられた。権力者の肖像画ってのも政治的なものだが、どうも私には風景画のほうがコワイのである。
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ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密
ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密
アイドルでもアニメでも、好きになったら、同好の士とそれについての熱く深い話をしたい。論評とか分析とか悪口とか罵倒とか愛の告白とか、いろいろな言い方をするが「とにかく好きなものについて語りたい」の一念だ。好きなものについて語ることは、好きなものを食べて飲み込んでしまうのとイコールだ。それは血となり肉となる。それを読むのもとても面白い。  そういうものと並行して「学者によるマンガやアイドルやアニメについての論文」みたいなものがある。これが面白かったためしがない。たぶん私の、論文を読む能力に欠けるという問題が大きいんだと思うが、「こういう思わぬ分野で論文を書く最高学府のオレ」というようなスケベ根性&スキマ狙いみたいなのもあるんじゃないの。それがハナにつくんではないか。  さて本書は東大准教授による論文のような内容でした。ももいろクローバーZというユニットはいろいろなところで語られることが多くて、なんでそう語られるんだろうとずっと不思議に思っていた。私はももクロがわからない。AKBは好きだ。で、なぜ私がももクロがダメでAKBがイイのか、ということへの答えをくれるかもしれないと期待したんだけどダメだった。いや、この本は別に「ももクロvs.AKB」の本じゃないからその違いが書いてなくてもいいんだが、同時代のアイドルユニットなのでどうしても文中にいっぱい出てくるんですよAKBが。でも著者の安西さんが「ここが違う」と書いている部分の「違い」が、確かに違うだろうけれどそりゃグループが違うんだから……という程度にしか読めないのが隔靴掻痒。  ほんとは「AKBはこんなにダメでも、ももクロはこんなにイイ!」と言いたかったのに「抑えた」のだろうか。私は「アレがダメなのにくらべて、こっちの素晴らしさ!」みたいな、熱気のある文章を読みたかったのだった。求めるものを間違ったこちらのミスです。
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