「ベストセラー解読」に関する記事一覧

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください
安倍政権がゴリ押しする安保法案、いややっぱり「戦争法案」、その必要性を説明すればするほどボロボロになっていく。もう廃案にするしかないのに。 「正義」という観点からみると、法案とそれに関する論議はどうなのか。井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』を読んだ。  副題に「井上達夫の法哲学入門」とあるように、著者は法哲学の第一人者。『共生の作法』や『世界正義論』などで知られる。  この本は編集者の質問に井上が答えるというかたちになっていて、とてもわかりやすい。  第一部「リベラルの危機」は正義という観点からリベラルとはどういう考え方なのかを語る。第二部「正義の行方」はこれまでの井上の仕事をふりかえりながら、正義とは何かを語っていく。正義論というと、日本ではロールズやサンデルが有名だが、井上は両者の学説を平易に説明した上で、容赦なく批判を浴びせる。このへんはインタビュー本だからこその面白さが出ている。正義はひとつしかないと思いがちだが、考え方によっていろいろあるのだ。  井上達夫というと、憲法9条削除論でも知られる。護憲でもなく改憲でもなく削除だ。安全保障の問題は、憲法に固定化するのではなく、通常の政策として、民主的プロセスのなかで討議されるべきだという。  ただし条件がある。「もし戦力を保有するという決定をしたら、徴兵制でなければいけない」と。良心的兵役拒否を認めた上で。  これはぼくも大賛成だ。というか、徴兵制を導入しない安保論議なんて卑怯だと思う。戦争で(しかも他国の)、殺し殺されるかもしれないという過酷な任務をいまの自衛隊員にだけ負わせるのはひどい。  ぜひとも徴兵制を。その場合、年齢も性別も問わず、全国民を平等に徴兵して欲しい。政治家だろうと例外なく。もちろんぼくも、徴兵されれば戦場に行く。
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週刊朝日 8/6
オールド・テロリスト
オールド・テロリスト
村上龍の最新長篇小説『オールド・テロリスト』のカバーには、11人の老爺が描かれている。彼らはみんな機関銃や日本刀を手にしているが、その表情は、まるで修学旅行の記念撮影に興じる少年たちのように明るい。  しかし、彼らはタイトルどおりのテロリストである。財をなし、社会的な地位や名誉もありながら、〈腐りきった日本をいったんリセットする〉ために柔軟なネットワークを組織し、生きる力を失った若者たちを犯人に仕立ててテロを実行していく。場所はNHKの西玄関、池上商店街、新宿ミラノ……。フリージャーナリストの関口は巧妙にそれらの目撃者とされ、取材を進めるうちに彼らの背景に旧満州人脈があり、旧ドイツ軍から譲り受けたとんでもない武器まで用意されていることを知る。そして、権力も権威も知力も駆使した老人たちの緻密な暴走は、目的を達成するためにふさわしい標的に向かっていく。  日本をリセットするには、日本を焼け野原にするしかない。そう信じる老人たちの計画と手続きが、この作品には詳細に記されている。起きてしまったテロの現場の惨たらしさは、村上らしい徹底した描写でこちらに迫り、関口とともに激しい恐怖すら覚える。だから、一連の危機に巻きこまれてしまった彼の精神がボロボロになっていく過程に同調してしまい、そこでもまた強烈なリアリティーを感じて動揺してしまう。 〈年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ〉  私生活に何の問題も抱えていない老人たちが義憤に駆られ、粛々とテロを実践する物語。デビューから39年、村上作品には初期から日本社会への怒りがこめられてきたが、今回の『オールド・テロリスト』にいたってはそれがそのまま、老人たちの言動を通して表出していた。納得できる言説があまりに多くて私はちょっと戸惑い、なぜか何度となく、楯の会の制服姿の三島由紀夫を思いだした。
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週刊朝日 7/30
SAPEURS
SAPEURS
表紙はピンクのスーツを着た男が歩いてくる姿を真正面から撮った写真。ハットとタイ、ポケットチーフは赤。口には葉巻。なんて、かっこいいんだ!  タマーニの『SAPEURS(サプール)』は、アフリカ・コンゴ共和国の街でおしゃれに情熱を注ぐ男たちの写真集である。  かの地には「Le Societe des Ambianceurs et des Personnes Elegantes(おしゃれで優雅な紳士協会)」という集団があり、SAPE(サップ)という略称で知られているそうだ。そのメンバーたちがサプール。人びとの尊敬と羨望のまなざしが向けられているのだという。パーティーなどに招かれ、謝礼が支払われることもあるというから、セミプロである。  基本はクラシックな装いだ。スーツ、あるいはジャケット&パンツ。タイは必須だし、ポケットチーフも。ベストを着ている人も多い。彼らの服は高級ブランドのもので、収入からするととてつもなく高価だ。彼らはコツコツと貯めた金で服を買い、それを着て街を歩く。  たんに高価で派手ならいいというものではない。鮮やかな色づかいが見事だが、同時につかうのは3色までにするなど、洗練されたルールがある。また、服を見せびらかすだけでなく、礼儀作法や行動規範もルール化されている。  ページをめくりながら連想したのは、半世紀前の銀座に登場した「みゆき族」だ。あるいは35年前の原宿にあらわれた「竹の子族」。しかしサプールのほうがはるかにセンスがいい。情報環境の違いによるのだろうか。  彼らの服は身体にジャストフィットしているが、買い物としては身の丈に合っているとはいえない。それをヴェブレンがいった「顕示的消費」と考えるか、あるいはバタイユ的な「濫費」や「消尽」と解釈すべきか。  はっきりしているのは、サプールたちがいきいきしていること。やっぱり、おしゃれは楽しまなくちゃね。
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週刊朝日 7/23
断片的なものの社会学
断片的なものの社会学
「お父さん、犬が死んでるよ」  インタビュー中、そう叫ぶ子どもの声が家の外から響いた。話をしていた「お父さん」は一瞬だけ話を中断したものの、すぐに何事もなかったように続きを語りだす。放っておいてもいいのかと戸惑いつつ聞き手は尋ねるが、相手は大丈夫だという……。  岸政彦の『断片的なものの社会学』は、彼が社会学者としておこなっている個人の生活史の聞きとり調査からこぼれ落ちた、「分析できないもの」をめぐるエッセイ集だ。冒頭の出来事もその一つで、聞き手の岸は10年以上たった今でも、取材の趣旨とは何ら関係ないこの唐突な一場面を鮮明に記憶しているらしい。  このようなインタビューの周辺だけでなく、岸自身の体験を題材にした文章も登場するのだが、それらに一貫しているのは、「無意味さ」への愛着だった。  私たちの人生の基盤となる物語から逸脱した、「欠片」のようなものたちについて、岸は飄々と思いをつづっていく。  その文章は、まるで森の奥の湖畔に用意された手術台で薄皮を一枚ずつ剥がしていくように、静かに、私たちが隠蔽している真実に迫ってくる。そして、人生そのものの「無意味さ」を明らかにしてしまう。孤独の本質も淡々とあらわれる。 〈そもそも、私たちがそれぞれ「この私」であることにすら、何の意味もないのである。私たちは、ただ無意味な偶然で、この時代のこの国のこの街のこの私に生まれついてしまったのだ。あとはもう、このまま死ぬしかない〉  岸は「無意味さ」の意味について書いた。それは、私だけでなく、私を取り囲む世界への言及でもあった。  急速に寛容性や多様性を失いつつある世界で、そこに生きる人々がもう少し「無意味さ」を認められれば、どんなにいいか。どれほど生きやすくなるか。岸の静かな文章は、そのことを問うている。
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週刊朝日 7/16
S,M,L,XL+
S,M,L,XL+
建築家が白い目で見られる時代である。例の新国立競技場のことだ。たくさんの異論や批判を無視して、見切り発車でことが進む。すべてがなし崩し的に既成事実化していく。デザインしたザハ・ハディドを責めてもしかたない。彼女は応募しただけだ。責任は選んだ側にある。だが審査委員長の安藤忠雄は沈黙したまま。その無責任ぶりにがっかりする。建築家は自分のつくりたい建物さえできれば、ほかはどうでもいいのか。  でも身勝手な建築家ばかりじゃない。たとえばレム・コールハースのエッセイ集『S,M,L,XL+』を読むと、都市と建築の関係について、深く考えさせられる。  彼にはグラフィックデザイナーのブルース・マウとつくった『S,M,L,XL』という分厚い著作がある。本書はその中から都市論に関する文章を抽出し、新たな文章を収録したもの。ちくま学芸文庫のオリジナルだ。  オランダのロッテルダムに生まれたコールハースは、建築家になる前、ジャーナリストおよび脚本家として活躍していた。本書もかなりジャーナリスティックだ。  たとえば日本滞在中の経験を、詩のようなスタイルで書いた「日本語を学ぶ」には、東京の第一印象として「だだっ広い。醜悪であることを恥じていない」なんて辛辣な言葉がある。 「日本では何もない自由時間に仕事が組み込まれているのではなく、仕事という基本体制から掘り出された例外的な状態を自由時間と言う」と指摘されると納得する。  圧巻は最終章の「ジャンクスペース」。38ページを改行なしでラップのように言葉がほとばしる。近代化が生みだす建物は近代建築じゃなくてジャンクスペース。「がらくた空間」と訳され、「人類が地球に撒き散らすカスである」とコールハースは述べる。新国立競技場は新たなジャンクスペースとなり、東京をジャンクスペースにするのだろうか。ちなみにコールハースはハディドの師でもある。
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週刊朝日 7/9
さよなら、ニルヴァーナ
さよなら、ニルヴァーナ
窪美澄の『さよなら、ニルヴァーナ』は1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件を題材にした、10章からなる長篇小説だ。  物語は事件の15年後からはじまり、章ごとに、東京で小説家をめざしていたものの挫折して帰郷した女性、加害者、被害者の母、加害者の少年を崇拝する少女の一人称で描かれる。つまり、〈少年A〉と呼ばれた加害者自身がその生いたちや犯行時の状況や心理状態を語り、彼に娘を殺された母親もまたその心情を自分の言葉で吐露していく。そこにインターネットを介して〈少年A〉に惹かれた二人の思惑がからみ、物語は不穏な方向へと展開していく。  私は一人称ならではの詳細な心理描写に引きこまれながら読みすすめた。しかし、後半にさしかかったところで、実物の〈少年A〉が〈元少年A〉となって『絶歌』なる手記を上梓したと知り、戸惑った。小説の中の彼は、帰郷した女性が暮らす地方都市の片隅にいて、存在が知られるのを怖れつつ陶芸の技を磨いていたのだった……不思議な気分に陥り、私は読みかけの本から離れて考えた。ごく一部の関係者しか知らないかつての〈少年A〉のその後を、小説家が全身全霊で想像して物語にしたとしても、そこに本人が現れて自らあれこれ書いてみせたらいったいどうなるのか。どうせなら『絶歌』を読んだ方がいいのではないか。  しかし翌日、私は窪の作品にもどった。ここに書かれているのは、決して現実のアナザーストーリーではないという予感があったからだ。予感はあたった。〈元少年A〉が何を書こうが、この作品から伝わってくる人間の本性の実相には迫れないのではないか。中でも、〈少年A〉のその後を小説に書いて夢よ再びを目論む女性の業の深さはすごかった。その〈少年A〉に対する執着は人を殺める代わりに小説を書きたいと願っているようで、それはそのまま窪の化身ではないかとさえ感じてしまったのだった。
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週刊朝日 7/2
紋切型社会
紋切型社会
国会で憲法学者がそろって「戦争法案」を違憲だと断じて、政権幹部たちの慌てふためきようが笑える。憲法学者の権威を否定しようと躍起になって、そのうち「オレがオキテだ」と言い出しかねない勢いだ。  政治家のオツムが劣化しているが、それへのマスメディアの反応、世間の反応は鈍い。なんでこんなことに?と思いながら、武田砂鉄の評論『紋切型社会』を読んで納得した。日本中でオツムが、感性が劣化している。劣化しているところにはびこるのが紋切型の言葉であり、紋切型の思考だ。  著者は昨年秋まで河出書房新社の編集者だった人で、今年33歳。これが初めての著書である。結婚披露宴で新婦から両親に告げられる「育ててくれてありがとう」だの、老害論客がしたり顔で言う「若い人は、本当の貧しさを知らない」だの、ドキュメント番組でインタビュアーが得意気に言う「あなたにとって、演じるとは?」など、20の言葉をネタに現代日本社会を論じる。  似たタイトルの本にフローベールの『紋切型辞典』があるけれども、あちらは辞書形式で19世紀後半のフランスを皮肉ったもの。武田のこちらは、もっとヒリヒリするような痛みを感じる。  紋切型は便利だ。たとえば政治家がよく使いたがる「国益を損なうことになる」。意味ありげだが、じつは何も言っていないに等しい。国益って何ですか? 国民? 国家? 政府? 与党?と考えていくとわからなくなる。勝手に「個」を「国家」に吸収して、「私」を「私たち」にして、ひとくくりにするんじゃないよ。その「国民」とか「みんな」にオレは入れないでくれ、という気分になる。  紋切型は便利なだけに強力だ。つい使いたくなる。「国益を損なうことになる」と言うと、とんでもない大罪のように思えてくる。かくしてマスメディアも含めて日本人の感性は劣化していく。とりあえず、ここに挙げられた20のフレーズを見つけたら要注意だ。
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週刊朝日 6/25
エウロペアナ
エウロペアナ
チェコを代表する作家、パトリク・オウジェドニークの名が広く知られるきっかけとなった『エウロペアナ』。副題に「二〇世紀史概説」とあるように、ヨーロッパを中心とする世界の100年を物語るこの小説は2001年に刊行されたが、日本語版が出たのは昨年の夏だった。ボリュームはたったの140ページほどしかなかった。  冒頭にはノルマンディー作戦で落命したアメリカ兵の平均身長が紹介され、死者の数だけ並べると38キロの長さになるとあった。そして、一番体格がよかったのは第1次大戦時のセネガルの射撃兵だったとつづき、各国が開発した新兵器へと話題は移っていく。  細かい数字や固有名詞はいくつも登場するが、それらの連関はあくまでも語り手任せで、全体を一貫するあらすじのようなものはない。「二〇世紀史概説」と明記しながら時系列は無視され、トピックスは重複し、2度の大戦やジェノサイドといったいかにも歴史的な言葉とバービー人形やマスタードなど身近な言葉が、滑らかな語りの中に並んでおさまっている。  誰かが決めた歴史ではなく、あるトピックから自分が思い出す過去のトピックを芋蔓式に語ったような内容と構成。その際に連想を生む源は、記憶を表象する言葉だ。ヨーロッパの中央部に位置して動乱の過去にもまれたチェコの作家が、記憶する膨大な言葉をまるで死者を横に並べるようにつなげ、人間と過去の関係性を綴ってみせたのがこの作品ではないか。そうしてまとまった20世紀史の概説、つまり「だいたいの解説」を読むと、つくづく人間は、過去に、歴史に学ばないとわかるのだ。  文学の新たなアプローチを提示した、この画期的な小説が日本語で読めてよかった。言葉が層になっているような作品だから、2人の翻訳者は苦労したに違いない。だから、この『エウロペアナ』が第1回日本翻訳大賞を受賞したと知り、私は大いに喜んだ。
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週刊朝日 6/18
あなたが消えた夜に
あなたが消えた夜に
中村文則は今もっとも目がはなせない作家だ。2002年に『銃』で新潮新人賞を受賞してデビューしたころは、器用な若者だなと思う程度だった。05年に『土の中の子供』で芥川賞を受賞したときもそう。だが09年の『掏摸』を読んで「すごい!」と感動した。そして、『王国』『教団X』と力作が続いて、こんどは『あなたが消えた夜に』だ。まだ30代だというから、恐ろしい。 『掏摸』はタイトルの通り、スリの話を徹底的にリアルに描いた小説だった。『あなたが消えた夜に』は著者初の刑事ものである。  主人公の「僕」は都内所轄署の若い刑事で、連続通り魔事件を担当する。警視庁捜査一課との合同捜査だ。といっても所轄と本庁との関係はギスギスしている。幹部たちは事件を自分の出世のネタにしか考えていない。事件をわかりやすい形で「解決」するなら、冤罪だって辞せずというのが幹部たちの腹の底だ。「僕」は本庁の意向を無視して、事件のほんとうの真相に迫ろうとする。このへんの設定は類型的で、もしかしたらパロディかもしれないと思わせる。 「僕」は悪夢にとりつかれている。これが事件とどのような関係にあるのか、読者は気にしながら読み進むはずだ。そうすると、小説内での虚構と現実の境界があやふやになり、不条理な世界に投げ込まれた気分になる。著者が傾倒したというカフカやドストエフスキーの世界を思わせる。  ところが、文体も含め、全体としては軽やかなのだ。「僕」とペアを組む本庁から来た「小橋さん」は素っ頓狂な女性で、たとえば聞き込みのあいだずっとパフェと真剣に格闘している。なんだか刑事ドラマのパロディのよう。  連続殺人事件の真相はなんだったのか。誰が被害者で誰が加害者だったのか。読んでいくうちにわからなくなってくる。第三部に至って「なんだ、これは!」と思わず叫んだ。もういちど最初から読み直したくなる傑作だ。
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週刊朝日 6/11
ぼくらの民主主義なんだぜ
ぼくらの民主主義なんだぜ
2011年4月から朝日新聞紙上ではじまった高橋源一郎の論壇時評。毎月1回、論壇雑誌や書籍だけでなく、インターネット上の言説にも注目しながら、高橋は日本の「いま」と向きあってきた。その初回から欠かさず読んできた私は、今年3月までの48本を掲載順に編んだ『ぼくらの民主主義なんだぜ』を読み、高橋が抱いている思いをひしひしと感じとった。  それは、タイトルにもある民主主義への危機感だった。東日本大震災と原発事故を機にあらわになったこの国の民主主義の脆弱さに直面し、戸惑い、時に悲嘆する一方で、高橋は絶望しないために、いつにもましてメディアの細部に目を配り、小さな声に耳を傾ける。そこには、既存の大きなシステムに依存しない、自分のことばで考えながら行動している人々が確かにいる。高橋はそれらの事実を紹介しつつ、民主主義への論考を深め、その基盤となる対話の重要性をくりかえし説く。 〈「インテリジェンス」っていうのは、要するに「対話ができる能力がある」ってことじゃないかな〉  最後は多数決に拠るとしても、それ以前に少数の意見に耳を傾ける。対話をふまえて先に進む。高橋は、台湾でおきた学生たちによる立法院占拠事件をとりあげ、その撤退決定の際、リーダーがデモの参加者全員と対話した態度を讃えてこう記した。 〈学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だという考え方だった〉  自分の意見に与しない相手をすぐに罵倒する風潮が強まる中、そして数の論理で早々に憲法すら変更されそうな現在、私たちは民主主義に試されているのかもしれない。状況はかなり切迫しているが、それでもまずは相手の話をよく聞き、対話を求めていくしかないだろう。私たちの民主主義のために。
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週刊朝日 6/4
原子・原子核・原子力
原子・原子核・原子力
山本義隆の『原子・原子核・原子力』は、予備校の特別講演がもとになっている。高校生や受験生たちが聴衆だ。これなら易しく簡単に原子物理学がわかるぞ、と思ったのはぼくだけではないだろう。しかし、甘かった。たくさんの数式が出てくる。40年前、学校で習ったはずなのに(たぶん)、すっかり意味を忘れてしまった記号も多い。  挫折しかけたが、読んでいくうちにコツがつかめてきた。わからない数式は飛ばしてしまおう。すると、古代ギリシアの原子論から現代の核兵器や原発までの流れを大づかみにできる。高い山に登って下界を見下ろした気分とでもいおうか。細かい道路や建物はわからないけど、田んぼが広がっているとか、大きな工場があるとか、広い道路が通っているなんてことが読み取れる。それと同時に、原子力というものがいかに恐ろしいか、とても人間の手に負えるようなものではないこともわかる。  たとえば放射線がとてつもなく大きなエネルギーを持つこと。その危険性には「閾値」──つまり「その値以下なら安全」という考え方ができないこと、等々。  核分裂では元の燃料とほぼ同質量の「死の灰」が残る。灰というから、薪や石炭を燃やしたあとの灰を連想するけれども、「死の灰」は核分裂の破片であり、危険な放射線を出しつづける。原発は発電施設の安全性も問題だが、「死の灰」を含めた使用済み核燃料をどうするかも大問題だ。  よく、自動車と原発のリスクを比較する話がある。自動車だって事故が起きるのに、われわれは受けいれているじゃないか、と。この議論が間違っていることも、本書を読むとよくわかる。自動車はリスクも利益も同一人物かその周辺の人だが、原発のリスクは遠く離れた人や遠い未来の人に押しつけるものだからだ。こんな無責任なものはほかにない。  原発再稼働を求める声もあるけれど、目先のおカネのために人類の未来を奪っていいのか。
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週刊朝日 5/28
天皇の料理番 上・下
天皇の料理番 上・下
現在、TBS系で放映されている『天皇の料理番』はこれが3度目のドラマ化で、番組のスタートにあわせて杉森久英の原作も復刊した。伝記小説の名手がモデルとしたのが、正式には宮内庁(戦前は省)厨司長を務めた秋山徳蔵。本文では秋沢篤蔵となっているが、この人物がいかなる気性の持ち主だったか、杉森はそこから書き起こす。 〈小さいときから、強情な子だった。  何かほしい物があると、手にいれるまであきらめない。あばれる。わめく〉  最後まで読んでふり返ると、篤蔵はこの幼年期の気性のまま生きたような気がする。小僧のスタイルがかっこいいと10歳で禅寺の小坊主になったが、やんちゃが過ぎて破門。その後、大阪で米の相場師になろうと家出して連れもどされ、仕出し料理屋へ養子に出される。そして、注文の品をおさめに行った陸軍の連隊でカツレツを食べさせてもらうと料理の虜となり、数え17歳で妻にも告げず東京へ家出。大学で法律を学ぶ兄の力も借り、鹿鳴館の後にできた華族会館に就職。下働きから料理人をめざした。  福井県武生の裕福な家の次男に生まれたという条件もあっただろうが、いざ目的が定まってみると、篤蔵は他の何倍も努力した。たとえば、料理用語であるフランス語を学ぶために12時間以上も働いた後に先生宅に通った。精養軒に転職すると、当時は唯一のフランス帰りのシェフだった西尾益吉料理長のノートを盗んで献立を学んだ。これなどは篤蔵の過剰な性分がやらせた蛮勇だが、21歳のとき、ついにフランスへ渡って本場の料理を体得。25歳で帰国し、厨司長となってから50年以上、大正天皇と昭和天皇に仕えた。  杉森は、「三つ子の魂百まで」を地でいくような篤蔵の生涯を淡々と描いている。激しい探求の人生だが、そこから浮かんでくるのは、惜しみなく生きた人物の堂々たる清々しさだった。
ベストセラー解読
週刊朝日 5/21
この話題を考える
大谷翔平 その先へ

大谷翔平 その先へ

米プロスポーツ史上最高額での契約でロサンゼルス・ドジャースへ入団。米野球界初となるホームラン50本、50盗塁の「50-50」達成。そしてワールドシリーズ優勝。今季まさに頂点を極めた大谷翔平が次に見据えるものは――。AERAとAERAdot.はAERA増刊「大谷翔平2024完全版 ワールドシリーズ頂点への道」[特別報道記録集](11月7日発売)やAERA 2024年11月18日号(11月11日発売)で大谷翔平を特集しています。

大谷翔平2024
アメリカ大統領選挙2024

アメリカ大統領選挙2024

共和党のトランプ前大統領(78)と民主党のハリス副大統領(60)が激突した米大統領選。現地時間11月5日に投開票が行われ、トランプ氏が勝利宣言した。2024年夏の「確トラ」ムードからハリス氏の登場など、これまでの大統領選の動きを振り返り、今後アメリカはどこへゆくのか、日本、世界はどうなっていくのかを特集します。

米大統領選2024
本にひたる

本にひたる

暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。木々が色づき深まる秋。本を手にしたくなる季節の到来です。AERA11月11日号は、読書好きの著名人がおすすめする「この秋読みたい本」を一挙に紹介するほか、ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんら「海を渡る女性作家たち」を追った記事、本のタイトルをめぐる物語まで“読書の秋#にぴったりな企画が盛りだくさんな1冊です。

自分を創る本
一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い
一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い
ベストセラーの定番のなかに「ご長寿女性によるエッセイ」というジャンルがある。著者はいまもその道の現役で、しかも一人で生きてきたという人が多い。  60代、70代の男がしたり顔で人生を語ったりすると、了見の狭いぼくは思わず反発してしまうのだが、こうした本の言葉は素直に聞ける。困難な時代を生き抜いてきた人だからこそ語れる重みがあるからだ。  篠田桃紅『一〇三歳になってわかったこと』もそうした一冊。  篠田桃紅は美術家で、墨による抽象的な絵画を描いてきた。伝統的な書とも欧米の抽象表現主義とも違う独特な造形だ。内外の美術館や公共施設でコレクションされている。  篠田桃紅は1913(大正2)年生まれで、数え103歳になった。帯のポートレートがいい。着物をゆったりと楽に着ている。最近の着付けはピシッと張りつめたようにするのがトレンドだけど、彼女のようなベテランの着方を見ると勉強になる。  感心する言葉がたくさん詰まっている。たとえば、歳をとるほど自由になるという話。  歳をとれば身体が衰え、行動範囲も限られてくる。歳をとるとは不自由になることじゃないかと思っていたのだが、篠田は逆だという。「この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権です」と。冠婚葬祭を欠かしても非難されることはない。憂き世の義理から自由になるのだ。  寂しい、孤独が怖い、という人も多い。でも彼女はそう考えない。孤独はあたりまえで、「一人の時間は特別なことではなく、わびしいことでもありません」「人に対して、過度な期待も愛情も憎しみも持ちません」という。24歳で実家を出て以来、ずっと一人で生きてきたからこその言葉だ。  一人で暮らすお年寄りを、世間は「かわいそう」といったりする。実は篠田桃紅のような人も多いのかもしれない。
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週刊朝日 5/13
止まった時計
止まった時計
麻原彰晃の三女の名を問われれば、今でも、すぐに「アーチャリー」と口に出る。  20年前、地下鉄サリン事件の首謀者として麻原が逮捕されたとき、その名はオウム真理教の後継者として頻繁にマスコミに登場した。両親に似てぽっちゃりとした、報道陣のカメラにアカンベーする12歳の女の子……。彼女の本名が松本麗華と知ったのは、書店でこの『止まった時計』を手にしたときだった。副題に〈麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記〉とあり、白い服を着て薄化粧をした丸顔の女性の写真がカバーを飾っていた。  生きてたのか──かつて「アーチャリー」と呼ばれた女性の顔を見て最初に私が抱いたのは、そんな思いだった。麻原の娘として生まれ、世間の白眼に晒されて住む場所も安定せず、公安やマスコミに追われ、残った信者たちの思惑に巻きこまれ、裁判所に仮処分申請しなければ大学にも入学できなかった人がまともな人生をおくっているはずはない……そのぐらいは手記を読まなくても、誰だって想像がつく。子は親を選べないとはいえ、もしも自分が彼女の立場だったらと考えただけで、生きつづける困難ばかりが浮かんでくる。  教団の中で16年、社会に出て15年。この本にはその内実がしっかり書かれていて、彼女が経験した31年間がいかに苛烈なものか、読者は思い知る。それは、よくぞ自殺せずにとさえ思える日々だ。しかも、彼女の心の支えがいつか父と再会して事件の真相を聞くことだったと知ると、9年4カ月ぶりに接見して父の崩壊を目のあたりにした時の衝撃には、同情の念さえ覚えた。その日を境に重い鬱になり、どうにか彼女は生き残って後日、この本を書き上げた。  自分の過去と向きあうことで、12歳で止まっていた時計を再び動かしはじめた松本麗華。彼女には、たとえ最愛の父がいなくなったとしても踏ん張り、是が非でも自分の人生を歩んでいってほしいと、私は今、切に願っている。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/30
地平線の相談
地平線の相談
白いサマー・スーツにボウタイ、口ひげの男が頬杖をついている。細野晴臣の名盤「泰安洋行」のジャケットと同じ意匠だ。ただし、この本では隣に星野源がいる。CDと並べてみると、細野の髪は白くなり、むしろ星野源がかつての細野のよう。親子あるいは同じ人間の過去と現在が並んでいるみたい。 『地平線の相談』は星野源が細野晴臣に人生相談をするという趣向の対談本。細野は人生の師、星野は熱心な弟子という役割が振られている。表紙が「泰安洋行」そっくりなら、タイトルは細野のエッセイ『地平線の階段』のもじりだ。星野が細野を敬愛する気持ちがあふれ出ている。  相談といっても限りなく雑談に近い。かけ算に自信がないという話だの、楽譜が苦手だの、すぐに謝ってしまうだの(「うかつ謝り」というそうだ)。酒が飲めない二人の下戸談義とか。  限りなく下らないのが貧乏ゆすりについての話だ。星野の相談は「体が弱ってるときの体を使わずに済むストレス発散法を知りたい」というもの。細野は「貧乏ゆすりは体にすごくいいんだよ」「細かいほどいいんだよ(笑)」「無意識にやってるんだったらカッコ悪いから、意識してやるべきだね(笑)」と、深い貧乏ゆすり哲学を語っていく。星野も「貧乏ゆすりしながら『愛してるよ』って言うのは面白いですね(笑)」などと返すものだから、ぼくは爆笑してしまった。電車や喫茶店の中じゃなくてよかったと思った。  初出は雑誌「TV Bros.」の2007年9月1日号から13年3月27日号まで。この連載中に星野はくも膜下出血で入院・手術という事件もあった。無事に回復して、よかった、よかった。  細野は1947年生まれで星野は81年生まれ。34歳という年齢差は親子であってもおかしくない。でも実の親だから相談できないことが世の中にはたくさんある。師と仰ぐ人だから訊けることもある。師匠を持つのは大切だ。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/23
カラー版 スキマの植物の世界
カラー版 スキマの植物の世界
厳しい寒のもどりに震えながら都心を歩けば、それでも歩道脇のアスファルトから伸びる緑濃い草を見つけて足がとまる。桜に負けじと春を告げるその植物の名が何だったのか考えても思いだせず、植物好きの私はちょっと悔しい気分をひきずってまた歩きだす。  塚谷裕一『スキマの植物の世界』は、昨年刊行されて話題となった『スキマの植物図鑑』の続編だ。都会の隙間で見つけられる草木の名を知るためなら前作の方が便利かもしれないが、新作では隙間と植物の関係をより深く理解できるよう、海辺や高山の隙間にも注目。イソマツ、ミヤマハタザオなど、さすがに都会では目にできない「スキマの植物」もカラー写真とともに紹介されている。  こうして100種類以上もの隙間で育つ植物を知ると、〈植物はスキマに生えるものである〉という塚谷の説に納得する。以前、アスファルトの道路脇で成長した大根が「ど根性ダイコン」として話題になったが、あれは誤解だったらしい。隙間に生える植物は、〈孤独に悩んだり、住まいの狭さを嘆いたりなどはしていない。むしろ呑気に、自らの生活の糧であるところの太陽の光を憂いなく浴び、この世の自由を満喫している〉と塚谷は書いている。光合成のために常に光を求める競争を強いられている植物にとって、隙間はライバルがいない「楽園」なのだ。  街路樹や公園の木々といった計画内の植物でなくとも、人が都市を造りあげていく中で計画外の植物たちは隙間に生える。そうして植物の種の多様性が大きくなれば、予想しなかった蝶などの昆虫が引き寄せられ、食物連鎖によって鳥たちも集う。かくして、人が管理できない植物、虫、鳥たちが都市に生き、私たちはそこで「自然」を体験する。 〈スキマこそは、都市に真の自然を誘い込むニッチなのである〉  スキマ植物が垣間見せる世界は奥深い。私は今後、散歩の際にはこの本を携帯する。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/16
日本の反知性主義
日本の反知性主義
いま時代を読み解くキーワードは「反知性主義」だ。なぜネトウヨ的なことばが蔓延するのか。なぜ安倍晋三が首相なのか。こうした素朴な疑問は、反知性主義について考えることで解ける。 『日本の反知性主義』は内田樹が依頼した九人と内田自身による論考からなる評論集だ。9人の顔ぶれはさまざま。作家の赤坂真理や高橋源一郎もいれば、精神科医の名越康文や映画作家の想田和弘もいる。最年長は哲学者の鷲田清一で、最年少は政治学者の白井聡。つまり、いろんな人がいろんな立場で反知性主義について考える。  反知性主義は、たんなる無知や無教養とは違う。もっと積極的なもので、知性に対する反発、いや攻撃的態度だ。反知性主義的な人はそれなりに知識も教養もある。だけど彼らは「考える」ということをしない。とくに「自分で考える」ということを。  高橋源一郎や想田和弘、小田嶋隆は、反知性主義について語ることのむずかしさを指摘している。誰かに反知性主義者の烙印を押すことは、反知性主義者たちが別の誰かを「反日」「売国奴」「サヨク」と呼ぶことと同じだからだ。反知性主義者たちが「反日」といって思考停止してしまうように、安倍晋三やその支持者たちを反知性主義者だと非難するだけでは思考停止してしまう。内田は『アメリカの反知性主義』の著者、ホーフスタッターの言葉を引いて言う。「知識人自身がしばしば最悪の反知性主義者としてふるまう」と。  反知性主義に陥らないためにはどうすればいいのか。想田和弘の文章が参考になる。映画作家の想田はドキュメント番組の製作で、効率と予定調和を求められる現実に直面する。試行錯誤をすべてムダと考え、あらかじめ決めた結論に向けて一直線に進んでいく思考。それが反知性主義だ。  反知性主義に抗するためには、ああでもなくこうでもなくと考え続け、辛抱強く悩み、思い、迷い続けていくしかない。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/9
日本戦後史論
日本戦後史論
内田樹と白井聡が日本の戦後について忌憚なく語りあった『日本戦後史論』は、発売前に重版が決まったらしい。日本を代表する論客と『永続敗戦論』で戦後日本の核心に迫った気鋭の学者による対談とあれば、読者の期待が高まるのも無理はない。私もすぐに手にとり、二人の分析と持論に導かれながら戦後日本の基調についてあれこれ考えた。  それはまず、白井が前著で指摘した「敗戦の否認」について復習することからはじまった。  第二次大戦後の冷戦構造下、日本を自由主義陣営に留めたいアメリカの要請によって、かつて戦争の指導をしていた保守勢力が引きつづき権力を保持した。そのために戦後日本は〈敗戦という事実をできる限りあやふやに〉しながら、「対米従属を通じての対米自立」という実にトリッキーな外交戦略を基本としてきた。内田はこれを「のれん分け戦略」と呼び、〈利害の完璧な一致を誇示することによって、独立を獲得する〉日本人ならではの方法と分析する。大旦那のアメリカ、番頭の日本……。  沖縄をはじめとする国内の米軍基地問題、選挙前の公約では絶対ないと訴えていたTPP参加、積極的平和主義なるスローガンの下で進められる集団的自衛権の行使容認の関連法案……「戦後レジームからの脱却」を主張する安倍首相の政策や言動にも「日本の戦後の方法論」は色濃く表れている。  アメリカが設定した日本の戦後の枠から抜けだしたいと願いつつ、アメリカとの利害一致を算段する安倍首相。従属の姿勢を見せつつ自立の気運をうかがう彼の姿は、日本の戦後の歪みと願望を体現しているのかもしれない。彼が一部の人々から圧倒的な支持を得ているのもそのためではないかと、私はこの本を読みながら何度も思った。  戦後七十年の今年、“昭和の妖怪”岸信介を祖父にもつ安倍首相の大胆で危うい政治姿勢の背景を知って考える上でも、この本がもっと読まれることを期待したい。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/2
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