「ベストセラー解読」に関する記事一覧

いつまでも若いと思うなよ
いつまでも若いと思うなよ
橋本治の『いつまでも若いと思うなよ』は、いわば老人入門の書だ。雑誌に連載されていたときのタイトルは「年を取る」だった。昭和23年に東京に生まれ、若い頃から多彩な執筆活動を行ってきた橋本がいかに「老い」と向きあってきたのか、自身の体験をもとに子細に綴ってある。  イラストレーターになりたいという10代の頃の夢を20歳過ぎでかなえてしまった橋本は、絵の実力がないことを自覚していたから困惑した。そこで憧れの四世鶴屋南北に倣い、実力を蓄えて〈五十でデビューして、七十五くらいまでエネルギッシュに働き続ける〉ことをめざした。実際はもっと早くに作家として注目され、その後は怒濤の勢いで作品を書きつづけてきた。そうなる背景には、バブル時に背負った2億円近いローンがあった。  こうして貧苦を味わいつつ橋本が最初に老いを感じたのは40歳の頃、老眼だった。そして62歳の夏、何万人に一人の難病を患ってしまう。ここからはじまる病苦の記述は、冗舌体の私小説としても堪能できる。淡々飄々と書かれているのだが、表現の力によって橋本の病変がこちらの身に迫ってくるのだ。だから、これらの体験をとおして抽出される「老い」への考察も現在55歳の私の骨身に染みいり、つい何枚もの付箋を紙面に貼ってしまった。たとえば── 〈誰もが「自分の老い」に対してアマチュアだというのは、老いを迎えた人の頭の中に「若い時の経験」しかないからです。「以前はこうだったから」と思っていても、体の方はもう「以前」とは違っているので、自分自身の経験値のモノサシが役に立ちません。「あれ?へんだ──」と思って、自分のそのモノサシを作り直すのが「老いの発見」なんだと思います〉  一人一生だから、うまく老いるのは難しい。橋本にしても、まだ「老いの発見」の途上にいる。後につづく私は、この指南書を参考に老いていく。
ベストセラー解読
週刊朝日 12/17
さらばアホノミクス
さらばアホノミクス
アベノミクスって効果があったのだろうか。少なくとも、ぼくが生息する出版界では微塵も感じられない。雑誌の売れ行きは低迷し、休刊も続いている。書店の身売り話や閉店も多い。  失業率は改善したそうだが、非正規雇用が増えただけだ。企業は儲けをたくわえ、給料に回さないから消費は冷え込んだまま。株価もいまいちだ。「新3本の矢」なんて言い出したのは、「旧3本の矢」が外れたからか。  浜矩子は官邸及びその応援団から忌み嫌われるエコノミスト。新著『さらばアホノミクス』でも、安倍政権の経済政策を徹底的にこき下ろす。なにしろ、もう「アホノミクス」とすら呼ぶに値しないと斬って捨てる。「~ノミクス」とつくのは経済政策だからであり、アベノミクスなんて経済政策ではないというのである。  この本は「毎日新聞」連載の経済コラム「危機の真相」をまとめたものが中心。しかし、本書のために語り下ろされた第1章「『アベノミクス』の終焉」が面白い。  なぜアベノミクスは経済政策と呼べないのか。たとえば第1の矢「大胆な金融政策」は日銀による国債買い支えにすぎず、量的緩和の名を借りた財政ファイナンスだから。第2の矢「機動的な財政政策」も国債残高1千兆円ではその余地もなし。第3の矢「成長戦略」は、そもそも焦点がずれている。なぜなら日本が抱えている問題は成長不足でないのだから、という具合。 「アベノミクスは彼の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎない」と著者は見破る。なるほど、だから生活保護費などは削っても防衛費は増やし続けるわけだ。その根っこにあるのは、「強さを取り戻したい」という強迫的ともいえる妄想。しかしグローバリズムと共生の時代、他を押しのけて強くなろうというのは時代錯誤だ。  経済政策の目的は、崩れた均衡の回復と弱者救済である、と著者はいう。貧困と格差を放置する政府なんかいらない。
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週刊朝日 12/10
下町ロケット2 ガウディ計画
下町ロケット2 ガウディ計画
TBS日曜劇場で放送中のドラマ「下町ロケット」は、池井戸潤が4年前に直木賞を受賞した同名タイトルの作品を原作としている。東京の下町、大田区にある佃製作所が得意のバルブ技術をもって巨大メーカーとともに国産初の商業用ロケット開発に挑む物語。日本の技術力を支える中小メーカーの経営の難しさ、技術者の矜持や悲喜こもごもが描かれながら、爽快な大団円を迎える展開は好評を得てきた。続編を期待する声も多く、ドラマ化と連動して『下町ロケット2 ガウディ計画』が発売となった。  今回の開発テーマは人工弁。  心臓弁の病変に苦しむ患者は国内に200万人もいるのだが、現在、医療現場で承認されている人工弁はほとんど外国製でサイズが大きく、日本人の子どもには適合しにくい。そこで、子どもたちにあった小さな人工弁を作りたいと、福井のある医師と編み物会社の社長が動きだし、この「ガウディ計画」と名づけられたプロジェクトに協力してほしいと佃に懇願する。医療機器の開発には巨額の資金と長い開発期間を要する上に、国の厳しい審査も受けなければならない。中小メーカーが請け負っても前途多難なのは明白なのだが、佃は一度断った末に依頼を受けてしまう。  かくして物語は、“白い巨塔”と揶揄される医学界とその周辺の暗部を描きつつ進む。そこには巨大企業と下請けの関係によく似た力学があり、地位や立場を根拠に相手を見下す人間たちが次々と現れ、佃の行く手をこれでもかと塞いでいく。それでも前進を止めない佃の技術者たちにあるのは、子どもの命を救うという堂々たる動機と愚直なまでの開発姿勢だった。 〈今時誠実さとか、ひたむきさなんていったら古い人間って笑われるかも知れないけど、結局のところ、最後の拠り所はそこしかねえんだよ〉  佃社長の啖呵じみたこのセリフの快さは、そのまま読後感へとつながっている。
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週刊朝日 12/3
娘になった妻、のぶ代へ
娘になった妻、のぶ代へ
誰もがガンになる可能性があるように、誰もが認知症になる可能性がある。不摂生だから認知症になるのではないし、確実な予防策もない。しかし、だからといって、人はなかなか受け容れられない。なぜ妻が、夫が、自分が、と嘆き、苦しみ、悩む。砂川啓介の『娘になった妻、のぶ代へ』は、妻が認知症になったことを受け容れていく夫のエッセイである。  認知症は突然はじまるというよりも、徐々にこっそりとやってくる。だから毎日接している身近な人ほど気づきにくい。大山のぶ代の場合は、その前に直腸ガンと脳梗塞があった。因果関係はわからないが、相次ぐ体調の変化に隠れるようにして、認知症が忍び寄っていた。  夫の砂川啓介は、戸惑い、困惑する。しっかりした姉さん女房で、むしろ砂川のほうが甘えていたからなおさらだ。しかも大山は「ドラえもん」の声優としても知られる有名人である。当初は妻の病気を隠そうともする。  介護の現実は壮絶だ。認知症はたんに記憶をなくしていくだけではない。清潔好きだった妻が、身の回りへの関心を失い、排泄や感情のコントロールもうまくできなくなる。長年の連れ合いが別人になってしまったようで、その苦しみは大きい。  しかも、砂川は1937年生まれの78歳。老老介護である。肉体的にもきびしい。ときに打ちのめされそうになりながらも、妻を支え、一緒に生きている。マネージャーらの協力を得つつ、自宅で妻の介護を続け、芸能活動をしながら、炊事をはじめ家事もおこなう。  転機となるのは、妻の病状を公表したことだった。親友の毒蝮三太夫のすすめにしたがい、ラジオで話した。反響は大きく、砂川自身も気持ちが楽になったという。巻末の介護日記が胸を打つ。認知症はきびしいものだけど、つらいこと、悲しいことだけではない。  それにしても、認知症とその介護をサポートする行政のしくみは、まだまだ不十分だ。
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週刊朝日 11/26
骨風
骨風
「ゲージツ家のクマさん」こと篠原勝之の短篇集『骨風』は、「オレ」にまつわる8通りの死を描いている。  全作の語り部である「オレ」は、生まれてくるなりジフテリアを患って嗅覚と左の鼓膜を失い、室蘭で父から殴られつづけて育ち、17歳で逃げるように家出した過去をもつ。その後は東京で夢破れて困窮の日々を送り、結婚生活も破綻。その一方で鉄を素材にした造形芸術に入れこみ、現在は山梨県に設けたアトリエで創作活動を行っている。  そのまま篠原の人生と重なる「オレ」が、たとえば表題作「骨風」では、植物状態となった父と向きあう。〈殺すことより逃げることを選んで三十数年逃げ切ったはずだったのに、その父親が目の前で枯れ木のように横たわっている。過ぎ去っていった時間に目眩がした〉  そして「オレ」は、和解することなく逝った父の骨粉をモンゴルの草原にまく。「オレ」の人生に決定的な影響を与えた父との決着は、果たしてこれでついたのか。「オレ」は父を許したのか。そんなことは、おそらく、「オレ」だってわからないだろう。  それは父だけでなく、相手が先に逝った弟であれ、映画監督の若松孝二であれ、愛猫であれ、鹿であれ、認知症が進む母であれ、「オレ」はこちら側の世界に残る者としてそれぞれとの関係を淡々と描き、淡々と見送っている。懐が深いこの描写の力の根底には、もちろん作者の諦観がある。 〈人が死ぬことは 清掃事業だから 喜んでいいことだ〉  篠原が親方と慕った深沢七郎がよく口にしていたこの言葉と、孤独のうちに死んだ弟を納骨する際に認知症の母がつぶやいた、〈死んだらみんなおんなじだもの。みんな仏さんだから〉という死生観への篠原の共感が、ほのかに明るさすら感じる死の物語を生みだしたのだと私は思う。この本を読んでいる途中に母を亡くした私は、篠原の諦観にずいぶん救われて生きている。
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週刊朝日 11/19
あこがれ
あこがれ
もういちど会っておくんだった、と思うことがときどきある。会いたい、会わなきゃ、と思ううちに月日が流れ、訃報を聞いて悔やむ。年齢を重ねると、そんなことが増えた。 「会いたいときに、会いたい人がいてさ、会えるんだったら、ぜったい会っておいたほうがいいと思うんだよね」  川上未映子の『あこがれ』に、こんな言葉が出てくる。語るのは小学校4年生の女の子だ。なんて、賢いのだろう。 『あこがれ』はふたつの章に分かれた長篇小説だ。第1章「ミス・アイスサンドイッチ」は、小学校4年生の男の子、麦くんが、パン屋の女性店員が気になってしかたないという話。麦くんは毎日のように女性店員を見にいき、サンドイッチを買う。しかし、あるできごと以来、パン屋に行かなくなる。逡巡する麦くんに、同級生のヘガティーが先のようにアドバイスするのだ。ヘガティーというのは麦くんがつけたあだ名だ。  第2章「苺ジャムから苺をひけば」はそれから2年後。ふたりは6年生になっている。こんどはヘガティーが語り手。彼女は父とふたりで暮らす。母はヘガティーがまだ幼いときに死んだ。ある偶然から、父は再婚だったこと、最初の妻との間に娘がいることを知る。ヘガティーはこの半分血のつながったお姉さんをちょっとだけ見てみたいと考える。  1章と2章は、ずいぶん雰囲気が違う。1章はまるで詩のような文章が連なる。無垢な少年と、大人びた少女の対比が楽しい。ヘガティーの父は映画評論家で、彼女も映画をよく見る。マイケル・マン監督『ヒート』の銃撃戦シーンを、映画とそっくりに演じてみせることだってできる。  1章に比べると2章のヘガティーは、わりと普通の女の子だ。それは2章がヘガティーのモノローグであり、また1章から2歳成長したからでもある。2章を読み終えて、また1章を読み直すと印象が変わる。本の中の登場人物には、何度でも会える。
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週刊朝日 11/12
ママがおばけになっちゃった!
ママがおばけになっちゃった!
叔母が40代なかばで死んだとき、のこされた従弟は「幽霊になってでもいいから、お母さんにまた会いたい」とつぶやいた。やんちゃ坊主だった彼だけに、周囲の涙をさそった。  のぶみ作『ママがおばけになっちゃった!』を読んで、そんなことを思い出した。  ママが交通事故で亡くなり、4歳のかんたろうはおばあちゃんと暮らしている。かんたろうが心配なママは、おばけになってとんでくる。ママにかんたろうは見えるのに、かんたろうからママは見えない。ところが夜の12時をすぎると、ママが見えるようになる。二人はおしゃべりをして……というストーリーだ。  最初のページからいきなり〈ママは、くるまに ぶつかって、おばけに なりました〉と単刀直入。顔に白布をかけられ、布団に横たわるご臨終の場面。お腹のあたりから、おばけになったママがびっくりした顔で出ている。足はない。ママは「あたし、しんじゃったの?もう! しぬ ときまで おっちょこちょいなんだから!」なんていっている。ママの台詞はちょっと薄い色で印刷されている。さすが、おばけ。  幼い子どもをのこして母親が死ぬというシリアスな題材を、ユーモラスな文章と絵で描く。テーマは母と子の愛情だ。最後のページには、絵本を読んだ子どもがママに手紙を書く欄、ママが子どもに手紙を書く欄がある。  7月の刊行以来、絵本としては異例の大ヒット、ベストセラーになっている。同時に賛否両論も巻き起こっているようだ。感動した、共感したという賛辞もあれば、幼い子どもに読ませるのは問題ではないか、実際に母親を亡くした子どもが読んだらどう思うか、といった否定的な意見も聞かれる。  3歳児以上を対象にした絵本で、肉親の死を題材にしたことは大胆だ。幼いときから死に触れ、死について考えるのも大切ではないか。ママの心配を知ったかんたろうに自立心が芽生えるという展開は、やや教条主義的かもしれないが。
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週刊朝日 11/5
イケメンゴリラ 君の瞳に乾杯!
イケメンゴリラ 君の瞳に乾杯!
この夏ぐらいから何度かテレビで見かけた、男前なゴリラたち。灰褐色の体毛におおわれた筋肉は岩のように盛りあがり、口もとは決して緩まず、眼窩の底からじっとこちらを見つめる黒目は澄んでいる……屈強さを抑えて静かにたたずむその顔は、たしかに観る者をひきつける。  そんなゴリラたちをさとうあきらが撮り下ろした写真集『イケメンゴリラ』。日本の動物園にいるオスゴリラの中でカバーを飾るのは、名古屋市東山動植物園のシャバーニだ。黒目の脇にちらっとのぞく白目の効果か、どんと構えながらも何かを語りかけてくるような表情をしている。世代をこえた多くの女性たちがこの眼力に魅了され、休日となれば、シャバーニの柵の前にはいつも人だかりができるらしい。  このあたりの事情は発行元もよくわかっていて、全国のゴリラ好きの女子によって構成されるという「男前ゴリラ愛好会」が編集を担当。女性の視座に立ったこだわりは細部にわたり、それぞれの写真には、誰もがときめきそうな古今東西の名言が添えられている。何より、女性が片手で持っても負担のない大きさで編まれている点が、この写真集の特長だろう。これならば動物園に持参でき、実物のゴリラの前でプロフィールを確認できる。  他にも、後半にあるゴリラに関する基礎知識が役にたつ。女性研究者による野生オスゴリラの実態紹介があり、そこを読めば、日本にいるゴリラはすべてニシローランドゴリラという意外な事実や、ゴリラならではのシルバーバックやドラミングの意味を理解できる。つまり、この写真集は、小粒ながら実によくできた「オスゴリラ入門書」でもあるのだ。  そして巻末に掲載された、霊長類学者で京都大学総長でもある山極寿一の「動物園は野生の窓」を読んだ私は、どうしてもイケメンゴリラに会いたくなり、先日、ひさしぶりに上野動物園へ行ってしまったのだった。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/29
空海
空海
ことしは空海が高野山を開いて1200年目。南海電車をはじめ、あちこちにポスターが貼られている。しかし、高村薫の『空海』は、たんなる1200年記念企画ではない。彼はどういう人だったのか、何を見て何を感じたのか。それを考えながら小説家は、空海の足跡を辿っていく。まるで空海の頭のなかをトレースするように。  空海は多面的な人だ。真言宗の開祖としての宗教家であり、書の天才であり、土木工事を指揮したエンジニアであり、のちの種智院大学・高野山大学のもととなる綜芸種智院をつくった教育者でもある。朝廷とも近いが、大衆にも愛されている。「お大師さん」「弘法さん」と親しまれているお寺は多く、空海ゆかりの温泉なども全国にある。四国をめぐるお遍路さんだって、若い空海の山林修行がそのお手本だ。  しかし、その業績があまりにも多方面にわたるので、実像はイメージしにくい。だから著者は、高野山や東寺だけでなく、さまざまな場所で、感じ、考える。  帯にも引かれているが「二人の空海がいたと考えなければ説明がつかないだろう」という言葉がある。もちろん実際に空海が二人いたという話ではなく、彼の両義性、あるいは多面性を指す。  だが、「二」は空海のキーワードかもしれない。四国での山林修行時代、金星が全身に飛び込んできたという神秘体験と、その徹底的に論理的な思考態度。留学した唐ですぐ認められるほどの高い中国語能力と、日本の山野で鍛えた身体。精神と身体、直観と論理が高い次元で一体化したのが空海だったのではないか。  ……と、ここまで書いて気がついた。精神と身体、直観と論理の融合といえば、著者、高村薫の小説こそそうではないか。『新リア王』などでの一見、抽象的な議論は、作家自身の直観を緻密な論理で裏づけていくことで成立している。このドキュメントは、書かれるべくして書かれたのだ。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/22
服従
服従
ミシェル・ウエルベック『服従』がフランスで発売された今年の1月7日、イスラム過激派の若者たちがシャルリー・エブド紙を襲撃し、12人を殺害した。その日発売された同紙の表紙には大きな鼻をさらに大きく描かれたウエルベックの似顔絵が掲載され、彼を預言者にたとえていた。それは、ウエルベックの過去の作品が近未来を先取りしてきた証しであり、『服従』に対する期待の表れでもあった。  小説の舞台は2022年のフランス。大統領選の結果、極右の国民戦線を抑え、イスラーム同胞党が政権を担うことになる。この政党の背後には湾岸諸国がついていて、リーダーはオイル・マネーを活用して社会の不満を抑えつつ穏健にイスラム化を進めていく。  そして、パリを歩く女性たちはパンタロンをはいて肌の露出を避けるようになる。一夫多妻が認められ、男たちは10代半ばの少女を第二第三夫人としはじめる。その一方で、小説家ユイスマンスの研究者としてパリ第三大学で教授職にあった主人公は、職を失う。彼の恋人だったユダヤ人の女子大生は、選挙結果が出る前に、家族そろってイスラエルへ去っていた。  政治にはさほど関心をもたずに40代になり、社会的評価と安定した収入を得ていた主人公。独身ながら性的にも自由に生活していた彼は、充分すぎる年金をもらうことになる。しかも、長く離れて暮らす父が急死し、たっぷりと遺産まで転がりこむ。早すぎるとはいえ、恵まれた余生を送る条件がそろった彼は、ユイスマンスよろしくカトリックへの改宗を検討するが、すぐに無理と判断。そんなときに新ソルボンヌ大学への復職、つまりイスラムへの服従を求められる。若い妻たちの紹介つきで……さて主人公の選択は?  西洋がいかにして没落し、イスラムへの服従を余儀なくされるのか。その臨界点を描いた預言者の新作は、多くの人は結局何に跪くのか淡々とシニカルにあぶり出す。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/15
集団的自衛権はなぜ違憲なのか
集団的自衛権はなぜ違憲なのか
安全保障関連法(やっぱり「戦争法」)が成立したが、もちろんこれで終わりではない。政権交代があればこの法律は廃止されるかもしれないし、最高裁が憲法違反だと判断すれば効力を失う。事態はいつだって流動的だ。  しかし、この間に何が起きたのか、政権がどんなことをやったのかを忘れないことは大事だ。次の選挙で意思表示をするために。  そう考えると、木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』は全国民必読といってもいい本だ。この間、各メディアで引っ張りだこだった憲法学者が、安保法制にいたるプロセスのなかで発表した評論をまとめたもの。  一般向けの新聞や雑誌、ウェブマガジンなどに発表された文章ばかりで、読みやすくわかりやすい。本文の構成は主題別だが、「はしがき」には2013年8月の内閣法制局長官人事から15年7月の衆議院強行採決までのトピックが時系列で並び、各論文の要点が書かれている。時間を追ってみていくと、安倍政権が行ってきたことが憲法学から見ていかに問題であるのかがよくわかる。  じつはことの本質は集団的自衛権が良いか悪いかではない。憲法をないがしろにしてしまったことにある。憲法は行政が暴走しないように制御するストッパーだ。いくら選挙で過半数を占めても、憲法には縛られる。憲法が間違っていると政権が考えるなら、憲法を変えればいい。そのために憲法には改憲に必要な条件も書いてある。それをすっ飛ばしてことを進めたのは、憲法を踏みにじり、立憲主義を捨てたも同然だ。  安倍晋三首相は、次は改憲だと息巻いているようだが、それはどうだろう。解釈改憲による安全保障関連法が成立したことで、9条を変える必要はなくなった。政権のロジックでは当然そうなる。それとも、「自衛」のためではない戦争をやれるように憲法を変えたいと思っているのだろうか。  手口は見えた。さあ、次の選挙の準備にとりかかろう。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/8
職業としての小説家
職業としての小説家
村上春樹『職業としての小説家』は、初刷だけで10万部を印刷したり、紀伊國屋書店が大量の買い取りによる新たな販売方法にトライしたりして話題になった。どちらも、日本を代表する小説家「村上春樹」ならではの現象だった。  この本は、タイトルどおりの内容を12回に分け、ほどよい数の聴衆に話しかけるような文体で書かれている。まず小説家とはどんなタイプの〈人種〉なのかを検証し、自身が小説家になった頃をふりかえり、文学賞について持論を語り、表現のオリジナリティーに言及し、それから創作の各論へと移っていく。誰のために、どのように書くのか……小説家を志す者だけでなく、すでに作品を発表している者にとっても貴重な文章が次から次へと現れ、つい赤い傍線を引いたり、その近くに付箋を貼ったりするに違いない。  小説家の端くれである私も、ここで紹介されているいくつかは既に読んでいたにもかかわらず、20カ所ほど付箋をつけた。そうしながら読みすすめるうちに感じたのは、これは、〈個人的な考え方をする人間〉である村上春樹の35年におよぶ実践の書に他ならないというものだった。 〈小説家というのは、芸術家である前に、自由人であるべきです〉  断定を好まない村上が珍しくはっきりと主張し、〈好きなことを、好きなときに、好きなようにやること、それが僕にとっての自由人の定義です〉と書いていた。付和雷同の対極にある個人的な、あくまでも自分の内面の奥底から湧き出てくる考え方を尊重して生きるために、つまり自由人であるために、村上春樹なる小説家は実際にどうやってきたのか。この本を通読すると具体的に理解できる。  自由であり続けるための自律、あるいは決意と開き直りと継続の実践録。それらは、穏やかな口調ながら、創作や小説家に興味のない人にもきっと深い刺激を与えるだろう。
ベストセラー解読村上春樹
週刊朝日 10/1
この話題を考える
大谷翔平 その先へ

大谷翔平 その先へ

米プロスポーツ史上最高額での契約でロサンゼルス・ドジャースへ入団。米野球界初となるホームラン50本、50盗塁の「50-50」達成。そしてワールドシリーズ優勝。今季まさに頂点を極めた大谷翔平が次に見据えるものは――。AERAとAERAdot.はAERA増刊「大谷翔平2024完全版 ワールドシリーズ頂点への道」[特別報道記録集](11月7日発売)やAERA 2024年11月18日号(11月11日発売)で大谷翔平を特集しています。

大谷翔平2024
アメリカ大統領選挙2024

アメリカ大統領選挙2024

共和党のトランプ前大統領(78)と民主党のハリス副大統領(60)が激突した米大統領選。現地時間11月5日に投開票が行われ、トランプ氏が勝利宣言した。2024年夏の「確トラ」ムードからハリス氏の登場など、これまでの大統領選の動きを振り返り、今後アメリカはどこへゆくのか、日本、世界はどうなっていくのかを特集します。

米大統領選2024
本にひたる

本にひたる

暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。木々が色づき深まる秋。本を手にしたくなる季節の到来です。AERA11月11日号は、読書好きの著名人がおすすめする「この秋読みたい本」を一挙に紹介するほか、ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんら「海を渡る女性作家たち」を追った記事、本のタイトルをめぐる物語まで“読書の秋#にぴったりな企画が盛りだくさんな1冊です。

自分を創る本
池上彰のそこが知りたい!ロシア
池上彰のそこが知りたい!ロシア
9月の国連総会のとき、安倍首相とプーチン大統領が会談するかもしれない、というニュースが流れた。北方領土問題で進展があるだろうか。あわてて『池上彰のそこが知りたい!ロシア』を読んだ。  いつもながら、池上彰の時事解説はじつにわかりやすい。ロシアという国の成り立ちから、北方領土問題の経緯、ロシアが置かれている国際的環境などについて、手際よく整理して語る。中学3年生でも十分理解できる。  北方領土には、第2次世界大戦で日本が降伏した後に旧ソ連が不当に占領した、という印象がある。だが、ことはそう単純ではない。日本で終戦(敗戦)といえば8月15日。しかしミズーリ号の甲板で降伏調印したのは9月2日で、だから中国の抗日戦争勝利記念日は翌日の9月3日だ。旧ソ連・ロシアからすると北方領土は戦争で取った正当なもの。しかも日本政府は1950年の国会答弁で、国後・択捉はサンフランシスコ講和条約で放棄した千島列島に含まれるといってしまう(56年に取り消し)。その後も2島先行返還論と4島一括返還論で日本側の方針は揺れた。  ロシアは北方領土問題を解決したがっている、というのが池上彰の見方だ。ロシアは天然ガスをはじめ資源が豊かな国だ。それを世界に売りたいと思っている。しかしウクライナ問題などがあって、西側諸国とはピリピリした関係になっている。日本との関係が改善できれば、資源ビジネスもうまくいくだろう、というわけだ。  しかも安倍政権の今だからこそチャンス、と池上彰はいう。プーチンはスターリンの再来かと思うような独裁者だ。一方の安倍は右派が支持基盤。リベラルな首相が「とりあえず2島返還で」なんていったら後ろから弾が飛ぶが、安倍なら文句も抑えられるだろうというのである。まさに毒をもって毒を制すアイデアだ。  ロシアは隣国、ロシア人は隣人である。それなのに日本人はロシアについてあまりにも知らない。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/24
明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい
明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい
2008年、病理学者の樋野興夫は「医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場」として、がん哲学外来を開設した。場所は、自身が勤務する順天堂大学医学部の附属病院。料金は無料。樋野一人でのスタートだったが、現在は全国に80以上もの拠点があるらしい。  がん哲学外来では、「暇げな風貌」の医者が、患者やその家族に「偉大なるお節介」をやくという。いつも忙しいはずの医者がのんびりと構え、カウンセリングではなく、患者に寄り添って30分から1時間ほど対話するのだ。そこにあるのはお茶とお菓子だけで、医者は「言葉の処方箋」によって、どうしても悲観的になっている患者にほのかな光明を提供していく。  この『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』には、樋野が実践してきた患者との言葉のやりとりが、いくつか紹介されている。樋野は対話中の相手の表情を見てとり、効果的なタイミングを見計らって、その人にあった言葉を贈る。実は本のタイトルもその一つなのだが、これは、マルティン・ルターの名言「もし明日世界が終わるとしても、私は今日もりんごの木を植えるでしょう」を樋野なりにアレンジしたものだ。  ここには、「命よりも大切なものはない」と考えない方が、つまり、命よりも大切なものを見つけるために、内向きではなく今こそ外へ関心を向ける重要性が説かれている。そうすることで、自分に与えられた人生の役割を最期までまっとうしてはどうか、と。  否応なしに死と向きあっている患者を前に語る言葉。樋野は、これらを長年の読書で培った。特に新渡戸稲造と内村鑑三を読みふけり、考え、自分の生きる指針としてきた。樋野自身が、先人たちの「言葉の処方箋」によって救われてきたのだ。だから、この本は、真に哲学を必要とする人々への刺激的な入門書であると同時に、あらためて読書の効能を知らしめる一冊となっている。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/17
京都、街歩きガイド。
京都、街歩きガイド。
最近、京都を歩いていると、緑色の本を持った人をよく見かける。ほとんどが女性で、年のころは30代後半から50代くらい。シックで品のいい人が多い。彼女たちの出没場所は、神社仏閣などの観光名所ではなく、ごく普通の商店街だったりする。  あの本はなんだろうと思って書店で確認したら、『京都、街歩きガイド。』というガイドブックだった。雑誌「&Premium(アンドプレミアム)」に連載された記事をもとに再編集したものだ。  なかを開いてびっくり。なんと、いちばん最初に紹介されているエリアは鞍馬口通。次が曼殊院道で、その次が夷川通。京都ガイドブック定番の、清水寺や金閣寺、銀閣寺などは出てこない。かろうじて三十三間堂や東寺は出てくるけど。そのかわり、小さな菓子店やパン屋、古書店、雑貨店がたくさん紹介されている。そうか、だから「観光ガイド」じゃなくて、「街歩きガイド」なのか。  メインとなっているのは「京都さんぽ部」という記事だ。京都在住コーディネーター(雑誌等の取材先を探したり、取材交渉する仕事)の大和まこが書いている。コンセプトは「暮らす人のように街を歩く」。  そのほか、老舗の包装紙や箱を紹介する「包装紙と箱のデザイン」、小さな店ばかりの「極小空間でお商売」、なぜか「京都たまごサンド巡り」。堀部篤史と林七緒美による「センスのいい人に会いに行く」というコーナーも。ふつうのガイドブックとはひと味もふた味も違う。 「京都コンシェルジュ」というコーナーは、その分野の達人がさまざまなテーマで案内する。たとえば「かもがわカフェ」店主・高山大輔による「注目の新進焙煎人」。京都には老舗喫茶店も多いけど、自分で焙煎する若いカフェオーナーが増えているのだとか。  京都は初めてという人にはおすすめしないけれども、名所旧跡・神社仏閣に飽きた人にはぴったりだ。この秋、紅葉見物アンド街歩きもいいね。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/10
ヨーコさんの“言葉”
ヨーコさんの“言葉”
ある日曜日の朝、テレビをつけて新聞を読んでいると、すでに知っている文章が聞こえてきた。  モニターにはおばさんの絵があった。短髪、フレームの薄い眼鏡、上唇の右上に黒子……。落ちついた女性の語りに耳をかたむけながら見つめ、私はほどなく、それが佐野洋子のエッセイを題材にした番組なのだと理解した。紙芝居のように展開するのどかな絵は、佐野の文意を的確に表していた。  番組タイトルは「ヨーコさんの“言葉”」だった。毎週日曜に5分間だけEテレで放送されているこの番組が、同名のまま本になった。佐野の文と北村裕花の絵が絶妙に連なって行間の深みがより濃くなり、大人が愉しめる絵本となっている。  佐野は『100万回生きたねこ』で有名な絵本作家だが、エッセイストとしても多くの読者に支持されてきた。私もそのひとりで、佐野が亡くなってからも何度もエッセイ集を読みなおしては、笑い、うなずき、感じ入ってきた。だから、初めて見た番組であっても、語りを聞いただけで佐野の作品だとわかった。 〈私、わかりません。わかりませんけど、私「正義」というものが大嫌いです。それが、右でも左でも上でも下でも斜めでも嫌いです〉  これは、『ふつうがえらい』に収録されている「ハハハ、勝手じゃん」の冒頭部分。戦中戦後に子ども時代をすごした佐野ならではの「正義」への懐疑は、政治的な「主義」だけでなく、子どもを保育園に通わせているときに経験した母親たちの同調圧力にも向けられる。そして、自分もふくめた一般大衆が一番恐ろしいと語り、戦時下にもド派手なスタイルを変えなかった淡谷のり子を讃えてこう結ぶ。 〈何主義でも、私は私だよと言えればいいんです〉  思えば、人としてまっとうな感覚の在りようを確認したいとき、私は佐野のエッセイを読んできた。いろいろ騒々しい昨今、佐野の言葉の魅力はさらに増している。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/3
ピアノを弾く哲学者サルトル、ニーチェ、バルト
ピアノを弾く哲学者サルトル、ニーチェ、バルト
他者が抱くイメージは、ときとして現実とずれている。その「ずれ」に注目すると、新しい何かが見えてくる。  たとえば実存主義の哲学者、サルトルがピアノを弾くならば、ウェーベルンとかベルク、あるいはサティ。クセナキスほどの難曲は無理としても、20世紀の音楽を弾いてほしい。せめてバッハか。  ところが実際は、ショパンをこよなく愛し、よく弾いていたのだという。しかも、いっこうに上達せず、たどたどしく。よりにもよって、ベタベタなロマン派、ショパンとは! なにゆえ?  フランソワ・ヌーデルマンの『ピアノを弾く哲学者』は、サルトルがショパンを弾くビデオを見たことをきっかけに書かれた本。ゴリゴリの研究書というよりも、ピアノ演奏と哲学者をめぐる哲学的エッセイである。サルトルのほか、ニーチェとロラン・バルトについても考察される。  3人ともしょっちゅうピアノを弾いていたらしい。驚いたことに、3人とも好んで弾いたのはショパンやシューマンなど19世紀ロマン派の音楽だった。イメージとずいぶん違う。  サルトルは音楽についても語ったが、取り上げるのはクセナキスやシュトックハウゼンなど同時代の前衛たちだった。それなのに弾くのはショパン。しかし、だからといって、彼が心の底では反近代主義者だったのだ、などと指弾するのは早計だと著者はいう。  そういえばサルトルは、しばしば自分とかけ離れた人物に自己投影してこなかったか?と著者は問う。ボードレールやジュネやフローベールについて。あるいは、ショパンのメランコリー(憂鬱)とサルトルの小説『嘔吐』との関係について。著者の思考はサルトルの哲学や文学、そして人生の根幹へと向かっていく。ニーチェ、バルトについても同様だ。  サルトルがショパンを弾いていた、というエピソードひとつから、こんなにも話が深まるなんて。これぞ思考の冒険と愉しみ。
ベストセラー解読
週刊朝日 8/27
騙されてたまるか調査報道の裏側
騙されてたまるか調査報道の裏側
桶川ストーカー殺人事件では、警察の捜査に疑念をいだいて独自取材を続けた結果、警察より先に犯人を特定した。すでに“犯人”が逮捕されていた足利事件では、冤罪の可能性を何度も報じ、ついには無期懲役だった受刑者が無罪となった……。  ジャーナリストならば誰もが憧れるような仕事をした清水潔は、これら2件の事件だけでなく、いつも徹底した調査報道で真実に迫ってきた。その信条はどんなものか、「調査報道の裏側」というサブタイトルが添えられた『騙されてたまるか』の序文に、清水はこう書いている。 〈自分の目で見て、耳で聞き、頭で考える〉  何よりも「伝聞」が嫌いな清水は、当局や警察や企業が発表していないものを掘り起こすことから取材をはじめる。ふとした疑問、疑念が湧いたならば、そこをはっきりさせるために調べ、とにかく現場へ足を運んで取材する。そこで「小さな声」にも耳を傾け、自身に新たな疑問が浮かべば、また取材。自分が納得するまでそれをくり返す。  この本には10件の事例が紹介されているのだが、その取材過程を読むだけでも、調査報道がいかに難儀なものか伝わってくる。効率性を考え、メディア側がつい発表報道に傾いてしまうのも無理はないように感じる。  しかし、もしそうなれば、マスコミの価値は失墜する。それどころか、権力側の狙いどおりに情報を操作され、たとえば戦時下の日本がそうだったように、社会全体を窮地へと誘導する機関になりかねない。その危険性を熟知している清水が今、自著のタイトルを『騙されてたまるか』とした理由を推察すれば、私たちがおかれた状況の危うさがうかがえる。  それにしても、と私は思う。清水潔という人は、その名のとおり潔い。自分自身に対して潔さを求めれば、当然、伝聞ではすまされないだろう。潔い人は、自分が抱えた疑問は自分の全身を使って執拗に解いていく。
ベストセラー解読
週刊朝日 8/20
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