「ベストセラー解読」に関する記事一覧

子の無い人生
子の無い人生
2月に出たこの本がいまだに売れ続け、話題になっているのは、「保育園落ちた」事件があったからだろう。子育ても大変だけど、産まなかった女性の苦しさや後ろめたさも大きいよ、というエッセイである。  10年あまり前、著者の『負け犬の遠吠え』で「既婚=勝ち組」という価値観を見せられたときにも驚いたが、こんどはもっと驚いた。既婚子ナシ男であるぼくは、そのことに罪悪感なんて持ったことがない。子供は嫌いじゃないし、となりに保育園ができてもいいと思っているけど、だって、子供がいないのはしょうがないじゃないか。 『負け犬の遠吠え』には痛々しいけど笑えるところがあった。それと比べて『子の無い人生』はちょっと重い。結婚しないことは個人の問題だが、子供を産まないことは社会の問題にされてしまうからだ。「あんたが産まないので、みんなが迷惑している」という無言有言の圧力がかかる。それは「あんたの老後を私の子供たちが支えなきゃならない」という「迷惑」であり、「人口が減って国力が弱まる」という「迷惑」である。  でも、子ナシは子アリより税金をたくさん納めていることが多いし、子供はお国のために産み育てるものではないだろう。人口が減ったら減ったで、それに合わせて暮らしていけばいいだけのことだ。  働きたい人が働けて、産みたい人が産める世の中がいい。産まないからといって後ろめたさを感じるような社会は、息苦しくていやだ。  ぼくの最期は誰が看取るか?  看取らなくてけっこう。孤独死の果てに腐乱死体もしくは白骨化死体でいい。
ベストセラー解読
週刊朝日 5/19
ねこはすごい
ねこはすごい
世は猫ブームである。神保町には猫に関する本の専門書店ができ、猫カフェは定着し、テレビを見れば多くのCMに猫が登場する。実際、各家庭で飼われる猫の数は増加の一途で、ついには犬と同等になったらしい。  山根明弘『ねこはすごい』は、動物学者らしく、まずは猫の身体能力の高さや感覚器の鋭さを紹介。自分の5倍ほど高く飛ぶ跳躍力、人間の10万倍もある嗅覚、しなやかな脊椎、人間の5倍の聴力……長く猫を飼ってきた私は愛猫たちとの日々を回想しつつ何度もうなずき、あらためてその祖先がリビアヤマネコであったことに思いをはせた。  単独でそろりと獲物を狙う夜行性の肉食獣。目は暗闇に強く、色の識別が偏った猫たち。昼間はほとんど寝て過ごし、群れずにマイペースで生きる姿は、昔から飼い主たちを癒やしてきた。猫の治癒力は科学的に証明されていると本書にあったが、猫と暮らす者なら誰もが認めるところだろう。その寝姿をながめるだけで荒んだ気分がすっと和らぐから、ツンデレでも苦笑しながら尽くしてしまうのだ。  だから、猫の殺処分問題には胸がざわつく。減少傾向とはいえ、2014年度で約8万匹もの猫が処分されている。それらのほとんどは野良猫なのだが、7年間も野良猫の生態調査をつづけた山根は、最終章で解決策の実施例を紹介する。人も猫も誰も幸福にならないこの問題を取りあげ、「人と猫のより良き共存のあり方」を問う山根の姿勢は、本書の最大の美点だと私は思う。猫ブームの渦中だからこそ、より多くの人にこの不幸な現況と対策を知ってもらう意味がある。
ベストセラー解読朝日新聞出版の本
週刊朝日 5/12
村に火をつけ、白痴になれ
村に火をつけ、白痴になれ
カップ麺のパロディーCMが放映中止になったと聞いて、どんよりした気分になる。まるで一億総風紀委員社会。  栗原康の『村に火をつけ、白痴になれ』は、そんな空気に一撃を与える本だ。副題は「伊藤野枝伝」。そう、関東大震災のとき、大杉栄らとともに官憲に虐殺されたアナキストの評伝である。  伊藤野枝は言いたいことを言い、やりたいことをやる。人を愛したらまっしぐら。何もかも捨てて飛び込んでいく。古くさい因習なんて蹴っ飛ばせ。不倫がなにさ、貞操なんて観念は女を奴隷にしておく鎖でしかない。好きな人とセックスして何が悪い。野枝は国家とも堂々と渡り合う。顔を上げて、胸を張って。  当然、世間の非難を浴びる。でも野枝はへいちゃら。それどころか、非難されたら倍返しだ。ばんばん言い返す。  他人のものは自分のもの、自分のものはみんなのもの、という生活を実践した。モノやカネなんかに執着しない。「超」がつくほど貧乏だったけれども、「どうにかなるさ」と楽観的だった。  著者は『大杉栄伝』や『はたらかないで、たらふく食べたい』『現代暴力論』などで注目される気鋭の思想家。脱力系のユーモラスな文体で、このアナキストにしてウーマンリブの元祖の生涯をたどっていく。ときどき「いいね」「かわいそうに」など、つぶやきが混じる。  わがままは悪いことだろうか。他人に迷惑をかけることが、そんなに非難されるべきことだろうか。迷惑なんてお互いさま。少しぐらい不愉快でも、言いたいことを言い、やりたいことをやれる社会のほうが楽しいじゃないか。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/28
蘇我氏 古代豪族の興亡
蘇我氏 古代豪族の興亡
剣を振りかざした中大兄皇子の前で倒れこむ蘇我入鹿(いるか)。刎(は)ねられた首からは血が噴きだし、その頭部は舞いあがるように宙に浮かんでいる──教科書にあった大化改新(乙巳の変)を描いた絵巻の印象は強烈で、蘇我氏には、天皇(大王)をも凌ぐ権勢を誇るあまり、ついにはクーデターを起こされて滅亡した一族という「悪」のイメージがつきまとう。  しかし、日本古代政治史を研究する倉本一宏の『蘇我氏』を読むと、史実は違う。滅ぼされたのは蝦夷(えみし)-入鹿系といった蘇我氏本宗(ほんそう)家のみで、乙巳(いつし)の変後も、新たな氏上(うじがみ)となった倉麻呂系が中央豪族である大夫(マヘツキミ)層を代表する大臣(オホマヘツキミ)に就いている。ちなみに、蘇我氏には12もの同族氏族がいたらしい。  また、以前と同じく蘇我氏出身の女性は大王家の后となり、その血を引く王族は奈良時代半ばまで重要な位置を占めた。倉本は「蘇我氏濃度」なる数値が付された系図を用い、蘇我氏の血が持つ影響力の大きさを明示している。  始祖である稲目(いなめ)から馬子(うまこ)、蝦夷、そして入鹿までは絶大な勢力を誇った蘇我氏。本宗家が滅亡した後もしばらくは力を維持したが、壬申の乱とその後の混乱によって立場が危うくなり、天武天皇の時代に「石川」に改姓するも、律令体制下で蘇我氏と同族氏族の地位は次第に低下していく。しかし、「宗岳(そが)」に再び改姓して平安時代末期まで生き抜いた蘇我氏を、〈立派としか言いようがない〉と倉本は評価する。  こうして蘇我氏の興亡にふれて思い知るのは、政略結婚の威力だ。王権との〈ミウチ的結合〉を重ねることで権威も権力も高めていく構造は、そっくり蘇我氏から藤原氏へと引き継がれている。その意味で、蘇我連子(むらじこ)の娘を妻にして自身と子孫の尊貴性を高め、新興氏族にもかかわらず蘇我氏の継承者と周囲に示した藤原不比等の才覚には畏れ入る。後の藤原氏の栄華の礎には、蘇我氏の血が隠れていたのだった。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/21
弘兼憲史流「新老人」のススメ
弘兼憲史流「新老人」のススメ
「下流老人」という言葉のインパクトは強かった。貧窮する老人に関心を向け、警鐘を鳴らしたのはよかったが、過剰な不安と怯えも広がっている。  年をとるのはしょうがない。肉体が衰え、使えるお金が減るのもしょうがない。いたずらに怯えるよりも、どうすれば老いを楽しめるかを考えよう。そうした趣旨の『弘兼憲史流「新老人」のススメ』が売れているのは、「下流老人」パニックへの反動だろうか。  キーワードは「新老人」。80年代のなかば、「新人類」という言葉が流行した。たしか命名者は経済人類学者の栗本慎一郎だった。「朝日ジャーナル」で筑紫哲也による対談「新人類の旗手たち」が連載され、たちまち広がった。従来とは違う価値観や感性、行動パターンなどを持つ若者たちだ。 〈これからの高齢者も新人類のように、新しい価値観や考え方を持つ「新老人」となるべきではないでしょうか〉と弘兼憲史は「はじめに」で述べる。  老後は田舎暮らしでのんびりと、なんて幻想。個人起業は甘くない。夫婦円満の秘訣は一緒にいないこと。かわいい孫とは距離感を、などなど、「へえ」「なるほど」と思うアドバイスが満載だ。還暦まであと2年のぼくにも切実である。  なかでも「新老人の心構え」と題された第3章はためになる。 「年をとったら嫌われないこと」と弘兼はいう。  年をとると頑固でワガママになる。「この年まで頑張ってきたんだ」という自負もあるだろう。だが、それは周囲にとって大迷惑。嫌われれば孤立し、孤独は老いやボケを加速する。とりわけ看護師や介護士には嫌われないようにしよう、と弘兼は強調する。 〈年をとったことを理由に気遣いを勝手に求めるのは、ただの傲慢です。むしろ、年をとるほど謙虚な気持ちで他者に接する姿勢が大切です〉とも。  目指すはかわいいおじいちゃん、かっこいい「新老人」なのだ。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/14
まく子
まく子
西加奈子の直木賞受賞後第1作となる『まく子』は、小さな温泉街に暮らす小学5年生の男子、慧が主人公だ。  全校生徒50人、クラスメイトは12人。ほとんどが幼なじみのそのクラスに、コズエという誰もが認める綺麗な転入生がやってくる。彼女は母親ととも人。ほとんどが幼なじみのそのクラスに、コズエという誰もが認める綺麗な転入生がやってくる。彼女は母親ととに、慧の親が経営する温泉宿の従業員用の寮で生活する。クラスの男子も女子もコズエに魅了されていくが、当初、慧は意識的に彼女と距離を置く。無理もない、慧は第二次性徴を迎えたややこしい時期の男子だ。天真爛漫にでれでれするわけにはいかないどころか、どんどん肥大していく睾丸をこっそり見ては自己嫌悪に苛まれる日々を送っているのだ。  大人になりたくないとさえ願う慧だったが、コズエと関わっていくことで、その考え方に変化が訪れる。コズエは、タイトルにある「まく」子だった。古城の石粒をきっかけに小石、木の実、葉っぱ、消しゴムのカスなどまけるものがあれば、何でもまいた。否応なしに慧はコズエに惹きつけられ、対話を重ねていく。  ボーイ・ミーツ・ガール風にはじまった物語は、こうして哲学小説の様相を帯びはじめる。同じように小学校高学年の男子を主役にした小説をいくつか書いてきた私は、この変容に深く納得した。肉体の成長に直面した子どもは、その劇的な変化に引きずられるように、それまでは気にもとめなかったことに悩み、考えはじめるからだ。例えば、作中にあるように、どうして人は死ぬために成長するのか、と。  慧はコズエに先導されながら、ひょっとしたら大人も、死期が近づいた人さえも答えが出せずにいるかもしれない命題に挑む。つまり、考えつづける。そして、壮大で華麗なクライマックスを迎えてある解にたどりつき、その意味を丁寧に語ってみせる。  そこに開陳されたのは無論、作者である西が慧に寄り添いながらようやくたどりついた、朗々と生きていくための哲学である。
ベストセラー解読
週刊朝日 4/7
サイロ・エフェクト
サイロ・エフェクト
生産性を上げるには、分業が基本だといわれる。作業を細分化し、一人ひとりの専門性を高める。しかし、これが行きすぎるととんでもないことになる、と『サイロ・エフェクト』は警告する。著者のジリアン・テットが「朝日新聞」土曜日の別刷り「be」に登場して以来、注目を集めている本だ。  著者は英「フィナンシャル・タイムズ」紙のアメリカ版編集長。イギリスを代表する経済ジャーナリストだ。東京支局長を務めたこともある。  大学院では文化人類学を専攻し、タジキスタンの山奥でフィールドワークもしたという異色の経歴。だが、文化人類学者だからこそ見えるものがある。それがサイロ・エフェクトだ。  サイロとは牧草などを貯蔵する倉庫。ぼくの故郷、北海道の郊外ではよく見かける。コンクリート・ブロックを積んだ円筒形のものが多い。書名を意訳するなら「たこつぼ化現象」か。  高度に専門化された人びと、つまりサイロの中にいる人には、全体が見えない。隣のサイロの中で何が行われているかもわからない。そのため、サイロ間でむだや矛盾が生じ、組織全体の混乱や危機を招いてしまう。  本書では実例としてソニーのたこつぼ化が挙げられている。ソニーは同じような携帯デジタル音響機器を同時期に3種類も発表してしまった。他部門が何をやっているのか知らず、類似品を開発していたのだ。経営者にはそれを調整する能力もセンスもなかった。「ウォークマンをつくったソニーが、なぜiPodをつくれなかったのか」はよく立てられる問いだが、たこつぼ化が元凶だ。  たこつぼ化を避けるためには、文化人類学者のような目を持つことが必要だ。インサイダー兼アウトサイダーであること。その実践例として、フェイスブックやオハイオ州の大病院のシステムが紹介されている。要は経営者のセンスと教養の問題かもしれない。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/31
愛国と信仰の構造
愛国と信仰の構造
昨年、ほとんどの憲法学者が「違憲である」と断じた安保法制が強行採決で成立し、日本の立憲主義は危機に陥った。憲法遵守の義務を負っている国会議員が数の論理で憲法を歪めるのだから、実際、日本はかなり危険な状況に突入しているのだろう。しかし、その後も安倍政権は国民から高い支持を受けている。  この奇妙で不気味な現状を理解するには、中島岳志と島薗進の対話集『愛国と信仰の構造』が役に立つ。「全体主義はよみがえるのか」という副題がついたこの本は、〈明治維新からの75年〉と〈敗戦からの75年〉をそれぞれ25年ずつ三期に分けた上で、まずは、かつての日本が全体主義になだれこんでいった原因を検証する。  気鋭の政治学者と宗教学の泰斗は、一君万民、教育勅語、親鸞主義、祖国礼拝、日蓮主義、八紘一宇、煩悶青年などの内実と関連性について討議し、〈明治維新以後の日本の政治体制の何が弱さであり、何が無謀な戦争と侵略に向かわせ、何が国民の自由を奪っていったのか〉、互いの知見を研ぎあうように対話を進めていく。そして、戦前の第三期(1918~)の後半までに、国家神道による宗教ナショナリズムが諸宗教を呑みこんでいった経緯と構造を明らかにする。  では、戦後の第三期(1995~)はどうだろうと年表を見れば、阪神・淡路大震災、オウム真理教事件を皮切りに、所得格差の拡大、少子高齢化、東日本大震災など明るい展望が望み難い状況がつづいている。そんな中、1997年に設立され、200名余りの国会議員が所属する日本会議を二人は注視。安倍政権から漂う復古主義的な気配の源はここではないかと疑っている私は、〈宗教ナショナリズム運動と捉えたほうがいい〉との指摘にすぐにうなずいたが、それ以上に瞠目したのは、〈全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないか〉という中島の予測だった。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/24
哲学な日々
哲学な日々
アメリカの大統領選でトランプが快進撃と聞くと、「アメリカ人は何を考えているんだ?」と思う。何も考えていないのかもしれない。もっとも、日本人だって五十歩百歩。甘利スキャンダルがあっても内閣支持率は落ちないんだから、「なーに考えてんだか」てな気分である。  だが、こんな時代だからこそ『哲学な日々』というタイトルの本が読まれるのだと思う。副題は「考えさせない時代に抗して」。 「抗して」というと、ちょっと勇ましいけど、中身は柔らかで軽やかな哲学者のエッセイ集。新聞で連載した短いコラムのほか、雑誌に寄稿したエッセイや文庫解説などを収めている。著者の野矢茂樹は東京大学の哲学教授。  どれも肩の力を抜いて気楽に読める文章ばかりだ。難解な哲学用語は出てこない。しかし、読んでいくうちに、哲学とはなんなのかがおぼろげに見えてくる。  哲学には他の学問と違うところがある。多くの学問は答えを見つけ出すことを重視するのに対して、哲学は問うことそのものを重視する。結論よりも、そこにいたるプロセスに意味がある。哲学とは考え続けることであり、結論は新たな問いへの中継点だ。  ところどころにハッとするような記述がある。たとえば「考える技術」という文章。よく「論理的に考える」などというが、論理と考えることとは違う。 「考えることは答えに向けて飛躍すること、それに対して、論理は可能なかぎり飛躍をなくそうとすることである」  ウィトゲンシュタインや分析哲学、論理学についての著書もある野矢の言葉だけに重い。  後段では次のように書く。 「考える技術とは、どうやって答えを閃かせるかではなく、いかに問いをうまく立てるかという、問う技術なのである」  考えれば必ず答えが出るとは限らない。人間は自動販売機じゃないんだから。だが、それでも考え続けるのが人間だ。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/17
日本人はどこから来たのか?
日本人はどこから来たのか?
海部陽介『日本人はどこから来たのか?』は、タイトルどおり、古くからある大いなる問いに対して独自の新説を展開する。海部は、国立科学博物館で人類史研究グループ長を務めている。  そもそも、アフリカで誕生したホモ・サピエンスがアジアに拡散していく経緯については、海岸移住説が定説のように語られてきたらしい。アフリカを出た彼らはインド洋に面した海岸を東へと進み、一部はオーストラリアへ、一部は北東アジアまで移動したとする海岸移住説。しかし海部は、移動の開始時期とアジア地域に遺跡が残されるまでの空白期間2万年に注目し、この説に強い疑問を抱く。 〈2万年もの間、祖先たちは海岸にへばりついていたことになってしまうが、果たしてそんなことがあり得ただろうか?〉  そこで海部は、「遺跡証拠の厳密な解釈」と「周辺地域の探索で終わらずグローバルな視座から比較する」という方法論を使い、〈「信頼できる/有用な」初期ホモ・サピエンスの遺跡地図〉を作成。この新しい地図によって、私たちの祖先たちが一度に、アジアやヨーロッパをふくめたユーラシア大陸全体へと拡散していったことを発見する。  かくしてヒマラヤの北と南に分かれた祖先たちは、3万8千年前頃、日本列島に現れる。そのことも、海部が作成した遺跡地図を見るとよくわかるのだが、そうなると次の問題は、進出ルートだ。この列島に、彼らはどうやって渡ってきたのか?  海部は対馬ルート、沖縄ルート、北海道ルートを提示し、最初の日本人が「航海者」だったと持論を展開。その上で、〈最初に日本列島にやってきた人々の血が、部分的に私たちに受け継がれている〉と書いた。長い長い人類史から見れば、私たちはいくつもの民族の混血であり、祖先の血もその一部でしかないのだろう──特定の民族の優位性を説く不毛を、学術的に教えてくれる壮大な一冊である。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/10
B面昭和史 1926―1945
B面昭和史 1926―1945
戦争を語り継ぐというと、もっぱら被害者としてのそれになりがちだ。肉親が戦死した、空襲でひどい目に遭った、と。そこにあるのは、無謀な戦争をした軍部と巻き込まれる国民という構図だ。  騙されるほうだって悪い、といったのは、たしか伊丹万作。半藤一利の『B面昭和史 1926―1945』を読み、騙されるどころか、国民は大喜びで戦争に入っていったのだと知る。  半藤には毎日出版文化賞特別賞を受賞した『昭和史 1926―1945』という厚い本があるが、そちらは政治や国際関係などを中心とした記述だった。じゃあ、その時代、庶民はどう暮らしていたのかというのが「B面」。裏面という意味ではなく、新聞でいうなら社会面や生活面、文化面。といっても、歴史探偵の語りはA面とB面を往ったり来たりしながら進んでいく。半藤は1930年、昭和5年に東京の下町で生まれた。戦前の昭和を実体験として知っている世代である。  はたして庶民は戦争の被害者だろうか。本書を読んでそう感じたのは、たとえば1931年の満州事変から国際連盟脱退にいたるまでの記述。当時の景気はどん底。国会では「満蒙はわが国の生命線だ」と松岡洋右がぶち上げる。もともとは手相見が使う言葉だった「生命線」は流行語になり、国民は熱狂していく。  新聞は陸軍の野望の応援団と化し(そこには台頭してきたラジオへの対抗意識があったとの指摘が興味深い)、国民を煽る煽る。国際連盟が満州に関し日本を批判すると、国民は大反発。新聞は国連を脱退せよといわんばかりに煽り、国民もまた熱狂する。こうして日本は日中戦争・アジア太平洋戦争の泥沼に入り込んでいく。  軍人は戦争を望み、庶民は平和を求める、なんていうのは神話だ。実際は軍人と政治家とマスコミと国民が一体となって、嬉々として戦争をはじめたのだ。  間違いを繰り返さないためにも、この本は味読再読すべし。
ベストセラー解読
週刊朝日 3/3
日本の給料&職業図鑑
日本の給料&職業図鑑
今さらながら、インターネット上には実に様々なポータルサイトがある。どうしてこんなにマニアックな分野を扱うのかと疑問を抱くものも少なくないが、山田コンペーが運営するサイト「給料BANK」は多くの職業の給与水準がわかると話題になり、先月、『日本の給料&職業図鑑』として書籍になった。  取りあげられた職業は271種。それぞれにゲームの登場人物よろしく派手なイラストが添えられ、仕事内容の解説とともに平均給料・給与、20代・30代・40代の給料が紹介されている。〈その他〉まで含めて全8章で構成されているのだが、最初に〈IT系職業〉がくるあたりはネットから誕生した図鑑らしい。  個々に見ていくと、弁護士や税理士や医者等よく知られた職種の一方で、高速道路料金所スタッフ、乳酸菌飲料配達員、クリーニング師、カニ漁船漁師、たばこ屋、劇団四季団員、ひよこ鑑定士等も登場して、その幅の広さについ苦笑する。最近の人気に反応したのだろう、ラグビー選手にもページが割かれていると知ったときには、さらに笑ってしまった。ちなみに、カニ漁船漁師の平均は100万円、ひよこ鑑定士は35万円、ラグビー選手は36万円らしい。  ところで、かつてリクルートで就職情報誌の編集長をしていた者としては、中高生がこの本を読み、ぼんやりとでもいいから進路選択の参考にすればと思う。たとえ仕事内容や給料に惹かれても、資格が不可欠の職種も多々あるから、それを知っているだけでも進学先を決める際に役立つだろう。  大学生になって初めて多くの職種を知っても、就職ではなく、どうしても企業への就社活動を優先しがちになる。だから、将来について不安を覚えはじめる中学時代に、村上龍の『13歳のハローワーク』を読んで自身の興味と仕事の関係性について考え、この本で収入面について学べば、まだ遠い自身の未来が、少しはクリアになるかもしれない。
ベストセラー解読
週刊朝日 2/25
この話題を考える
大谷翔平 その先へ

大谷翔平 その先へ

米プロスポーツ史上最高額での契約でロサンゼルス・ドジャースへ入団。米野球界初となるホームラン50本、50盗塁の「50-50」達成。そしてワールドシリーズ優勝。今季まさに頂点を極めた大谷翔平が次に見据えるものは――。AERAとAERAdot.はAERA増刊「大谷翔平2024完全版 ワールドシリーズ頂点への道」[特別報道記録集](11月7日発売)やAERA 2024年11月18日号(11月11日発売)で大谷翔平を特集しています。

大谷翔平2024
アメリカ大統領選挙2024

アメリカ大統領選挙2024

共和党のトランプ前大統領(78)と民主党のハリス副大統領(60)が激突した米大統領選。現地時間11月5日に投開票が行われ、トランプ氏が勝利宣言した。2024年夏の「確トラ」ムードからハリス氏の登場など、これまでの大統領選の動きを振り返り、今後アメリカはどこへゆくのか、日本、世界はどうなっていくのかを特集します。

米大統領選2024
本にひたる

本にひたる

暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。木々が色づき深まる秋。本を手にしたくなる季節の到来です。AERA11月11日号は、読書好きの著名人がおすすめする「この秋読みたい本」を一挙に紹介するほか、ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんら「海を渡る女性作家たち」を追った記事、本のタイトルをめぐる物語まで“読書の秋#にぴったりな企画が盛りだくさんな1冊です。

自分を創る本
つくおき 週末まとめて作り置きレシピ
つくおき 週末まとめて作り置きレシピ
書店の料理本売り場には「作り置き」のレシピがたくさん並んでいる。最近の流行らしい。週末に数日~1週間分の料理をまとめて作っておき、平日の調理時間を短縮するのだ。男も女も誰もが忙しい時代の、生活の知恵というか窮余の策というか。  そんななかダントツの売れ行きが『つくおき』である。「つくりおき」ではなく「つくおき」としたところが新鮮だ。「り」の1字を抜いただけなのに、手軽で楽しい感じになる。  著者のnozomi(のぞみ)氏の職業はSE、つまりシステムエンジニア。他の「作り置き」本の多くが、料理研究家によるものであるのに対して、こちらはフルタイムで働くワーキングウーマンである。本の成り立ちも、レシピを記録したブログ「つくおき」を著者がはじめたことから。本書に載っている多数の写真も著者自身によるものだ。読者にとって等身大の感覚なのが、ヒットの理由だろうか。  レシピには、料理の作り方だけでなく、調理に要する時間、保存できる日数(冷蔵/冷凍)、材料費、使う器具なども載っている。  それと同時にこの本は、ライフスタイルの紹介でもある。たとえば、著者夫妻が平日、自宅できちんと夕食をとるのは週に平均4日。ふだんは作り置きしたおかずを組み合わせて食べる。保存期間の短いものは週のはじめに。金曜日は残り物を。週末に2時間半かけて10品から15品のおかずを作っておけば、仕事の帰りが遅くなっても心配ないし、「今日の晩ごはんは何にしよう」と頭を悩ませることもない。2時間半は長いという人には、90分の「ショートコース」11品もある。  レシピは著者のサイト「つくおき」(http://cookien.com)でも紹介されている。だけどこの本を購入する人がたくさんいるということは、紙メディアの可能性を感じさせもする。欲をいえば、ページを開いたままにできるよう、糸綴じだったらモアベター。
ベストセラー解読
週刊朝日 2/18
俳優・亀岡拓次
俳優・亀岡拓次
年齢は37歳だが、10歳ぐらい老けて見られる。髪は天然パーマで頭部が少し薄くなっている。身長は172センチ、筋肉質。顔は色黒、目はいつも眠たそう。独身、貯金なし。趣味はオートバイのツーリング。夜になれば居酒屋やスナックで酒を飲む。世間的な認知度は低いが、仕事のオファーは途絶えることのない脇役俳優……亀岡拓次。  戌井昭人の短篇集『俳優・亀岡拓次』の魅力は、この地味な男を生みだし、そして主役にした点にある。  どうしても派手なイメージがつきまとうドラマや映画の世界ながら、淡々と脇役を演じる亀岡に光をあててみれば、こちらと変わらぬパッとしない日々が見えてくる。周囲に強烈なキャラクターが散在しているため、その情けなさはより鮮やかになり、どれを読んでもどこかで必ず笑ってしまう。二日酔いで演技に臨み、ゲロを吐くたびに監督に絶賛される「吐瀉怪優山形」などは何度笑ったか。小説を読んで腹が痛くなったのは、ずいぶん久しぶりだった。 〈亀岡の日常は情けないことばかりで、不自然で不条理なことばかりがのしかかってくる。だがその体験や経験があるからこそ、間抜けなバイプレイヤーとして、身をたてていられるのだという自負もあった〉  スティーブ・マックィーンに憧れて役者になろうと決心した男は、37歳の間抜けなバイプレイヤーとなり、情けなさを引きつれながら日常と非日常の境を往来してみせる。いつか主役をといった野望はなく、ほのかな諦観すら漂うのだが、酒が入ればやはりだらしない。しっかり間が抜けていて、その顛末の余韻はこちらの胸をじわっと侵す。  実は、巻頭の「寒天の街 長野」を読みおえたとき、私はすでに亀岡拓次に魅了されていた。だから、安田顕が映画で演じた亀岡が気になってしかたない。間抜けなバイプレイヤーの晴れ姿、ああ早く観てみたい。
ベストセラー解読
週刊朝日 2/12
コドモノセカイ
コドモノセカイ
私にとって岸本佐知子は、英語圏の小説を紹介してくれる大切な翻訳家である。訳文の巧さは当然ながら、最大の魅力は、取りあげる作品がどれもどこか奇妙な点にある。日本の作家だけを読んでいては出逢わない、虚を突く視点や展開の面白さを何度も味わってきた。だから、この人が選んで編んで訳した作品ならば、何はともあれ読んでみたくなる。  この『コドモノセカイ』には、岸本が編訳した、タイトルどおり「子どもの世界」を描いた12の物語が収められている。とはいえ、どの作品も他とは似ていない。長さも、人称も、リズムも、それぞれが独自の気配を放ってあきさせない。しかし、そこに共通してあるのは、確かに「子どもの世界」なのだ。  たとえば巻頭の「まじない」では、自分が考えていることを宇宙人に盗み聞きされていると気づいてしまった7歳の少年の奮闘が描かれる。宇宙人はすでに家の中にまで侵入していて、彼はついに対決のときを迎える……どうだろう? 私はこの掌編を読みはじめてすぐ、自分の子ども時代にグイッと引きもどされてしまった。  見えないものが見えていたあの頃、私の敵は宇宙人ではなかったが、周りには有象無象の敵や味方がいて忙しかった。時にはプラモデルのサンダーバード2号を率いて5台のミニカーと戦い、タンスの上にあった博多人形の金太郎を守護神と仰ぎつづけた。  あれは、いったい何だったのだろう?  現在の自分につながっているあの子ども時代を思うと、どうしても自嘲してしまう。どこか切なく、恥ずかしく、だけど愛おしい思いが満ちてくる。まだこの現実世界になじめないくせに自分なりに向きあい、その時点の知識と経験を総動員して解釈し、行動していたあの頃、あの世界。  どの作品を読んでも、子どもだった頃の自分の世界がさっとよみがえる貴重な編訳集。岸本佐知子はやっぱり裏切らない。
ベストセラー解読
週刊朝日 1/28
ミレニアム4 上・下
ミレニアム4 上・下
スティーグ・ラーソンのミステリ「ミレニアム」は、3部作の累計が全世界で8千万部という大ヒットシリーズ。だが作者ラーソンは、第1部『ドラゴン・タトゥーの女』の刊行前に急死した。シリーズは10部作の構想だったというから、さぞ無念だったろう。  ダヴィド・ラーゲルクランツの『ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女』は、主人公らの設定をそのまま引き継ぎつつ、ラーソンの構想とは別に、新たに書かれた第4部である。執筆を提案されたとき、本気にしなかったと訳者あとがきにあるが、そりゃそうだろう。刊行が発表されると、歓迎の声と反発の声で世論は二分したという。  しかし一気に読んで、ラーソンの3部作にひけをとらないスリルと興奮を味わった。根底に流れる社会への批判的なまなざしも3部作と同様。ただし、いささか映画化を意識しすぎのように感じる展開ではあるが。  描かれている現代のスウェーデン社会が、日本のそれと重なる。外国人排斥の声が高まり、不寛容が広がり、ファシズムを支持する者が増えている。「高邁な理想を掲げた出版物はどれも、赤字にあえいで瀕死状態」にあり、主人公ミカエルが率いる「ミレニアム」のように調査報道に力を注ぐ社会派雑誌も同じ。記者ミカエルは「経済界のあら探しを続け、一九七〇年代風の時代遅れのジャーナリズムに固執」しているとネットで嘲笑されているのだ。  そんななか、人工知能の研究で世界最先端をいくバルデル教授が、アメリカから帰国する。彼は別れた妻との間に生まれた息子を引き取って暮らし始める。ところがバルデルの命を狙う者がいる。ミカエルと、ドラゴンのタトゥーのある女、リスベットはバルデルと息子を守ることができるのか……。  アメリカのNSA(国家安全保障局)による国境を越えた盗聴や監視。人間の能力を超えた人工知能がもたらす未来など、描き込まれた細部への興味もつきない。
ベストセラー解読
週刊朝日 1/21
水木サンの幸福論
水木サンの幸福論
昨年11月、水木しげるが93歳で亡くなった直後から急速に売り上げを伸ばしている文庫本、『水木サンの幸福論』。この本が俄に注目されたのは、巻頭にある〈幸福の七カ条〉が、水木を追悼するテレビ番組やツイッターなどのSNSで紹介されたのがきっかけだった。  食べることと寝ることが大好きな一方で言葉の覚えが悪く、小学校の入学を1年遅らせた子どもの頃から「幸福って何だろう」と自問自答しつづけ、大成して後に自ら幸福観察学会を作った水木。そんな水木が自身の体験だけでなく、妖怪を探して世界を旅しつつ幸福な人と不幸な人を観察して見つけ出した七カ条は、この第一条からはじまる。 〈成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない〉  ここだけを取り出してながめれば、掃いて捨てるほどある幸福論本や自己啓発本のどこかで見かけたような気がする。結果を求めるのではなく、過程を大事にしろという類だ。こういうとき、読者は何をもってそのフレーズの真価を見定めればいいのか、実はよく知っている──発言者の人生の内実である。  40歳を過ぎてようやく漫画家として人並みに暮らせるようになった水木が、それまでどのように生きてきたのか。この本の大半をしめる「私の履歴書」を読めば、その実状がよくわかる。左腕を失った凄惨な戦争体験はもとより、食うために四苦八苦してきた戦後の暮らしはうんざりするほど厳しい。だからこそ、それでも命を削るように漫画を描きつづけた水木が、いかに絵を描くことが好きなのか実感できる。第二条に〈しないではいられないことをし続けなさい〉と書いた水木は、自身の実践をもって説いているのだ。  目に見えない妖怪の世界をユーモラスに描いてくれた稀有な漫画家、水木しげる。その生涯を読みおえ、あらためて〈幸福の七カ条〉を見てみれば、第六条の〈なまけ者になりなさい〉にさえ感じ入る。
ベストセラー解読
週刊朝日 1/14
「読まなくてもいい本」の読書案内
「読まなくてもいい本」の読書案内
新しい知の発見によって古い知が意味を持たなくなることがある。流行現象とは少し違う。たとえば古くは顕微鏡、最近ならスーパーカミオカンデなど、観測機器の発達によって、それまで見えなかったものが見えるようになる。コンピュータによって膨大なデータも処理できるようになった。より洗練された方法が考案されて、古い考え方が誤りだったとわかることもある。  橘玲『「読まなくてもいい本」の読書案内』は、いま知の最前線がどうなっているのかを、書物を通じて概観した本。複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、そして功利主義の五つのキーワードで案内する。タイトルだけ見ると、知のパラダイムが変わって読む必要がなくなった本をこき下ろす内容だと思うかもしれないが、ちょっと違う。もっと前向きで、新しい読むべき本がたくさん紹介されている。各章の最後にブックガイドがあって、ためしに書名と著者名を書き写してみると、かなり長大なリストになった。 「読まなくてもいい本」とはなにか。たとえば80年代のニューアカデミズム・ブームのころ、ドゥルーズ/ガタリの「リゾーム」論が話題になった。難解な知の最前線ともてはやされた。しかし複雑系についての解説書がたくさん出ているいま振り返ると、隔靴掻痒というか、いささかずれていたというか。あるいはフロイトの精神分析も、フッサールの現象学も、脳科学が進歩したいま、再点検しなければならない。古典だからといって、ありがたがる必要はないのだ。もちろん理系/文系の垣根など意味はない。  知は常に書き換えられるし、パラダイムもチェンジする。本書を読みながら遡行的読書術というものを考えた。ぼくたちはつい、古いものから順番に読んでいこうとするけれども、それは違うのではないか。いまいちばん新しいものから始めて、さかのぼるようにして読んでいくほうが間違いは少ないのではないか。
ベストセラー解読
週刊朝日 1/7
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