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風疹患者が首都圏で急増 医師が要注意と促す30~50代男性「ワクチン未接種」世代とは?
山本佳奈 山本佳奈
風疹患者が首都圏で急増 医師が要注意と促す30~50代男性「ワクチン未接種」世代とは?
唯一の予防策が、風疹ワクチンの接種だ(※写真はイメージです) ◯山本佳奈(やまもと・かな)1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)  風疹が流行の兆しをみせています。  国立感染症研究所は11日、8月27日~9月2日の風疹患者数を発表し、新たに75人が感染。今年に入ってからの累計患者数は362人に上り、昨年1年間の約4倍の患者数となります。東京、千葉、神奈川などの関東地方を中心に感染が広がっています。  そもそも風疹とは、いったいどんな病気なのでしょうか。  まず、「風疹は子どもの頃にかかる病気じゃないの?」と思った方はいませんか。  風疹は、水ぼうそうやおたふく風邪と同様に、幼少期にかかることで免疫を獲得できる病気です。風疹は、春先から初夏にかけて多く見られます。感染してから2~3週間後に、発熱や発疹、後頭部や頚部・耳介後部にリンパ節の腫脹をきたします。  一般に、子どもが感染すると、症状は比較的軽いと言われていますが、大人は、発熱や発疹といった風疹の症状を認める期間が長く、重症化しやすいと言われています。  では、妊婦さんが風疹に感染するとどうなるのでしょうか。実は、お腹の中にいる赤ちゃんも、風疹ウイルスに感染してしまいます。すると、難聴や心疾患、白内障や精神・身体の発達の遅れなどの症状を伴って赤ちゃんが生まれてきてしまうのです。これを、「先天性風疹症候群」と言います。  妊娠中でも、特に妊娠初期の12週までに風疹に感染すると、先天性風疹症候群を発症する可能性が高いことがわかっています。 2013年にも風疹が流行し、年間14,344人もの風疹患者が報告されましたが、この影響で先天性風疹症候群を患った赤ちゃんは45人に上りました。  では、先天性風疹症候群を予防するためにはどうすればいいのでしょうか。 ■最も注意が必要なのは成人男性  唯一の予防策が、風疹ワクチンの接種です。けれども、風疹ワクチンは、弱毒化させたウイルスを含む生ワクチンです。ワクチンを接種すること自体が、先天性風疹症候群を発症するリスクとなるため、妊娠中は風疹の予防接種を受けることができません。また、ワクチン接種後は2カ月間の避妊をする必要があります。1回のワクチン接種では免疫獲得が不十分であるため、妊娠を考えている人は、妊娠前に2回の予防接種を受けることが大切なのです。  ここで、2018年8月19日までに報告された全国184名の内訳を見てみましょう。なんと93%が成人で、男性が女性の3倍以上を占めていました。また、男性30代から50代が全体の79%を占め、女性は20代が47%を占めていました。  実は、平成28年度の感染症流行予測調査によって、30代後半~50代男性の5人に1人、20代~30代前半男性の10人に1人は風疹の免疫を持っていないことがわかっています。つまり、風疹の流行に伴い、最も要注意なのは成人男性なのです。 ■ワクチン打っていない世代  では、風疹の予防ワクチンが開発されたにもかかわらず、風疹の免疫が十分でない世代が生まれてしまったのはどうしてなのでしょうか。それはある年代の人がワクチンを打っていないからです。  日本では、1995年度より乳幼児の男女を対象にした定期接種として風疹ワクチンの1回接種が導入されました。そして2006年度から、麻疹風疹混合ワクチンの2回接種が導入されました。そして、それまでの1977年8月から1995年の3月までの間は、女子中学生のみが定期接種の対象でした。つまり、37歳以上の男性と54歳以上の女性(平成28年4月1日時点の年齢)は、予防接種の機会が全くなかったのです。  風疹は、米国でも流行を繰り返しました。しかし、1969年に風疹ワクチン接種プログラムが開始され、2004年には米国から風疹が排除されました。そして、11年後の2015年には、風疹はアメリカ大国から排除されました。一方、マレーシアやインドネシア、インドなど定期接種にすらなっていない国もあります。グローバル化が進んだ今、人の行き来は止められませんから、いつでもウイルスが入ってくることができる状況だと言えます。東南アジアで社員が活躍している企業は、風疹ワクチンの集団接種をすべきなのです。  まずは、母子手帳を開いて風疹ワクチン接種の有無や回数をチェックしてみましょう。接種の記載がない方または不明な方は、男女ともになるべく早く予防接種することを強くお勧めします。たとえ過去に風疹の予防接種を受けていたとしても、予防接種を行うことで風疹に対する免疫をさらに強化することが期待できます。  ワクチン接種が不十分な人が多いことが風疹流行の原因です。社会全体でワクチンの接種率を上げる必要があります。風疹を他人事だと思わずに、自分を過信せず、一人でも多くの方に風疹ワクチンの接種をしてほしいと思います。 ◯山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
dot. 2018/09/12 07:00
体操協会元役員らの予感が的中「塚原夫妻の独裁はボクシングの山根前会長の次に問題になる」
体操協会元役員らの予感が的中「塚原夫妻の独裁はボクシングの山根前会長の次に問題になる」
塚原副会長(左)と宮川選手 (c)朝日新聞社 週刊朝日1991年11月15日号  体操女子の宮川紗江選手が日本体操協会副会長の塚原光男氏と女子強化本部長の塚原千恵子氏によるパワハラ被害を訴えている問題で、同体操協会幹部が3日午前、スポーツ庁を訪れ、対応策を報告した。  協会はパワハラ問題の有無を調査するため、第三者委員会設置を決め、10月末までに結論を出したいとしている。  訴えられた側、塚原夫妻は当初、協会と協議せずに「声明文」を勝手に出し、録音データなど証拠があるとパワハラを否定。だが、ここにきて一転して、「宮川選手に謝罪したい」と態度を翻し、何が真実なのかわからず、混迷を深めている。  日本体操協会の元役員はこうう打ち明ける。 「8月に日本ボクシング連盟の山根明前会長の独裁問題があったでしょう。体操でも、同じような構図の塚原問題が長年、ささやかれており、『今度はうちじゃないか』と声が出ていたんですよね」  宮川選手は8月29日、専属である速見佑斗コーチに関する暴力騒動について都内で会見を開き、コーチの処分の撤回、軽減を求めた。その際、塚原夫妻のパワハラ問題についても訴え、宮川選手は以前から塚原夫妻が率いる朝日生命体操クラブに移籍を持ち掛けられていたことを暴露した。  前出の元役員によると、そこに問題の根底があるというのだ。  朝日生命体操クラブは、日本代表、五輪選手などを長年、次々に排出してきた体操界の“ガリバー”のような存在だ。  しかし、その影に選手の「引き抜き」が横行していたという。  前出の元役員は自身の体験も含めて、こう話す。 「私の教え子が全日本でトップ10クラスに入るようになった。すると、突然、子供の親から『朝日生命に行きたい』と移籍を求めてきたのです。合宿の時に、塚原夫妻から『うちにくればもっと実力が伸びる』『オリンピックも夢ではない』『大学、社会人とうちからなら、いいところに入れるよ』と誘われたそうです。選手の親がすっかり舞い上がってしまい、移籍したいという。だが、選手は今の練習環境のまま、続けたいという。その前にも、うちから朝日生命に移籍した選手がいた。その選手は朝日生命ではあまり活躍できず、やめてしまった。そこで、一度、活躍できなかった選手とその選手の親を合わせ、話をしてもらったら、移籍しないことに決まりました」  だが、問題はそこからだったと前出の元役員は続ける。 「移籍しないと塚原夫妻に伝えたところ『あんたなんかもうこれ以上、伸びないわ』『太っている体型見てもダメだ』『オリンピックなんて選ばれるわけない』などと罵詈雑言、言われてショックを受けたそうです。試合会場で、千恵子氏に会うと『よくもうちを断って、ここにこれたな』と嫌味を言われ、以来、選手は挨拶しても無視されるようになった。今回の宮川選手も、移籍を断ったことで塚原夫妻がいやがらせしたと多くの体操の指導者、選手は思っています」  実は、朝日生命体操クラブ、塚原夫妻の「移籍」をめぐる問題は以前にもあった。  1991年には、塚原夫妻の“独裁”に抗議し、全日本選手権に参加した女子体操選手91人中55人が大会をボイコットするという内紛が勃発した。  当時、ボイコットにかかわった、有名クラブのコーチはこう話す。 「体操は採点競技です。そこが一番の理由でした。簡単に言えば、朝日生命や塚原夫妻の息がかかっている選手は高得点。明らかに、技も決まっている選手が低い点数に抑えられる。日本ボクシング連盟で“奈良判定”という話がありました。体操でいえば、“塚原判定”。自分の教え子らを、審判に配置して有利に進めるのです。それに激怒した、選手、指導者が大会をボイコット。オリンピック候補選手も含まれていて、社会問題になりました」  今の宮川選手のパワハラ問題と構造はそっくりと指摘する体操関係者は多いという。  この時の責任を取って光男氏は女子競技委員長を辞任、ボイコットした選手らの試合出場を認めることでなんとか、収拾した。  だが、2012年には光男氏がロンドンオリンピック日本選手団の総監督を務めるなど、塚原夫妻が完全復活して、同じような問題を引き起こしているのだ。 「塚原夫妻は、1991年のボイコット問題でも、最初は強気なことを言いながら、形勢不利となると、辞任すると言い出しはじめる。今回、急に宮川選手に謝罪すると言い出したのとそっくり。塚原夫妻のこれまでの体操界の貢献は認めます。しかし、やり方が狡猾。  例えば、体操は国際ルールで技の加点など、ルールがよく変わります。体操競技の幹部でもある塚原夫妻には、世界の情報もいち早く、キャッチできる。そこで、情報を独り占めにして、先に自分のチームの選手に新ルールの加点の技などを練習させてから、それを他の選手に伝える。そりゃ、とんでもない差がつきます」(前出の役員) さらに宮川選手の告発については、こう述べた。 「18歳の宮川選手を矢面に立たせて、申し訳ない気持ちでいっぱい。本当はわれわれ、指導者が声をあげるべきだった。しかし、塚原採点などで前途ある選手が嫌がらせされるかもと思うと、声をあげることができなかった。実際、私の教え子はオリンピックに出場できると思っていたが、明らかに塚原判定で、機会を失ってしまったことがある。これを機会に塚原夫妻は体操界から去ってほしい。そして、透明性の高い、日本体操界に生まれ変わってほしい」 (取材班)
dot. 2018/09/03 13:15
矢部万紀子「橋本愛の27歳役に、のんを思って取り乱した夜」
矢部万紀子 矢部万紀子
矢部万紀子「橋本愛の27歳役に、のんを思って取り乱した夜」
橋本愛 (c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』 「dele(ディーリー)」(テレビ朝日)を毎週、見ている。  午後11時15分からのいわゆる深夜ドラマ。故人が残したパソコンなどのデータを消す「dele.LIFE」という会社の社長(山田孝之)と助手(菅田将暉)が主人公。毎回、クライアントを豪華ゲストが演じている。  今どきなテーマで、今っぽいノリ。だけどしみじみする。連作短編を読んでいるような心地よさ。今期ドラマで一、二を争うマイお気に入り。  8月24日放送の第5話は、「テレ朝ドラマ出演は18年ぶり」という柴咲コウと、「テレ朝ドラマ初出演」という橋本愛がゲストだった。柴崎は社長の元彼女、橋本はクライアントの「婚約者」と名乗るが……と、そんなお話。橋本演じる楠瀬百合子の恋心がとても切なく、その切なさがすべて伏線となって最後のシーンで回収される。よいドラマだった。  のですが、みなさん。橋本愛ちゃんが演じた楠瀬百合子が、27歳だったのですよ。がーん。  菅田演じる助手が死んでしまったらしいクライアントを訪ねるにあたり「小学校の同級生」に扮するのだが、「27歳に見えるかなあ」とクライアントの年齢を強調し、自分の見た目が27歳になっているかを気にしつつ出ていく。クライアントの家に到着すると、本物の同級生がいる。それが楠瀬百合子。つまり愛ちゃん。つまり27歳。  ね、がーんでしょ。だってみなさん、「あまちゃん」ですよ。  そう、橋本愛ちゃんといえば、朝ドラ「あまちゃん」のユイちゃん。能年玲奈が演じたヒロイン・アキの親友。2人は「潮騒のメモリーズ」というユニットを組み、地元アイドルになる高校生。などなどについては、「あまロス」と言われたほどだったからご存じの方も多いはず。  そのユイちゃんが、27歳だったのだから、これは驚くでしょ。  とはいえ「あまちゃん」の放送開始は2013年4月なわけで、確かにもう5年もたっている。そもそもユイという高校生だって「大人びた美少女」だったわけで、橋本愛という女優は内省的な役が似合う。楠瀬百合子27歳も、違和感なし。そう一旦は納得する。  ワンピースに白いスニーカーの百合子。バスケットボールをする。滑り台を降りる。バッティングセンターに行く。幼なじみと過ごした場所。彼の婚約者というのはウソ。長い長い片思い。きれいな人だなー、スポーツも得意なのね。いつの間にか、すっかり大人になったねー。親友になってしまった幼なじみ、でも好きなのね、切ないねー。  愛ちゃんとユイちゃんと楠瀬百合子をごちゃ混ぜにする私。なぜかというと「能年玲奈改めのん」問題があるからだ。 「あまちゃん」終了から1年、能年に所属事務所との契約問題が起こった。独立したい能年と、認めない事務所。2016年に能年は「のん」に改名。アニメ映画「この世界の片隅に」のヒロイン・すずの声で評判をとった。歌手デビューもした。だけど、演技の仕事がない。大手事務所の顔色をうかがい、才能ある女優を使わない芸能界ってなんなんだ。女優のんの時間が浪費されている。  と、勝手に憤っていたら、文藝春秋2018年1月号に「女優・のん『あまちゃん』からの四年半」という記事が載った。  ノンフィクション作家の小松成美が1年かけてインタビューし、母や故郷の担任の先生など大勢に丁寧な取材をした、力の入った記事だった。だが、どうもスッキリしない。  改名の理由を尋ねられ、「えーっと、本名を名乗らなければいいんだということに気づいたからです。だから本名で活動していた時のことも、前のお仕事の話もしないことにしているんです」と答えるのん。これが前提になるから、彼女に何が起きているかがわからない。本人は一貫して明るいが、それが余計に苦境をあらわしているようでつらい。  などと思いつつ読み終えて、半年余。  深夜ドラマで愛ちゃんに会った。映画中心でテレビには滅多に出ないから、久しぶりの愛ちゃんが27歳だった。ここからは、私の心の叫びを文字起こし。  ってことは、のんちゃんももう27歳? ドラマにも映画にも出ない間に? 愛ちゃんは「西郷どん」で西郷隆盛の妻になったし、来年の「いだてん」にも出るってニュースで見た。2年連続大河ドラマって、すごくね? 「いだてん」の脚本は「あまちゃん」の宮藤官九郎。能年玲奈のままだったら、絶対出演するよね。「この世界の片隅に」をTBSでやってるけど、すず役は松本穂香。「ひよっこ」(朝ドラ)の澄子役の子で、可愛くてよいけど、のんちゃんがすずって話もあったのになー。えーん、のんちゃーん。  千々に乱れる我が心。  だったのだが、少し落ち着いて考える。さて愛ちゃんは、ホントはいくつなのかしらん。調べた。1996年1月生まれ。まだ22歳だった。のんちゃんは、1993年7月生まれ。25歳だった。2人ともまだ若い、若い。よかった、よかった。  さらにさらに、のんちゃんが9月8日から配信されるLINEドラマ「ミライさん」に主演するということも知った。のんちゃん、とうとう女優復帰! LINE NEWS初のオリジナルドラマだそうだ。  思えばこの間、テレビで唯一のんを見られたのは、LINEのコマーシャルだけだった。LINEは彼女の味方なのだな。いいぞ、LINE。  LINE配信ドラマというのはどうしたら見られるのだろう。でもトーク機能っていうのは使ってるから、たぶん、わかるはず。よし、LINEでドラマ見るぞ。「ミライさん」、がんばるぞ、オー。そう思う、27歳、ウソ、57歳の私なのだった。(矢部万紀子)
ドラマ矢部万紀子
dot. 2018/09/03 11:30
「ヤバいビル」に魅了された男の一生の不覚はやはり、同潤会アパートだった…
「ヤバいビル」に魅了された男の一生の不覚はやはり、同潤会アパートだった…
1937年5月に撮影された同潤会代官山アパート (c)朝日新聞社 同潤会代官山アパート(『日本地理大系3 大東京篇』改造社、1930年刊より) 『ヤバいビル』著者・三浦展さん(左)と建築家・馬場正尊さん  オリンピックに向けてひたらす改造が進む東京。新しい巨大なビルが増える一方で、もっと小さな街場のビルを楽しむ人も増えている。三浦展さんの新著『ヤバいビル』(朝日新聞出版)の刊行を契機に、20年来の仲だという建築家の馬場正尊さんとの対談を実施した。二人の会話から過去30年間の東京と東京に生きる人々の感性の変貌が見えてくる。 *  *  * ■2000年の散歩が今につながる 馬場:『ヤバいビル』の写真を見ましたが、よくこんなに集めましたね。サヴォワ邸(コルビュジエの代表作)にアール(曲線)をつけている物件とか驚きです。『ヤバいビル』に掲載されている大宮の風俗店も、三浦さんの推測が面白すぎる。これから岸田日出刀(戦前を代表する建築家)が出てくるなんて誰も考えない(笑)。 三浦:古いビルを見るという視点はそもそも馬場君から得たものです。馬場君とは2000年に、ある雑誌の企画で中目黒や裏原宿を歩いたのが、本書に出てくるような街場の古い建物を面白がった最初ですね。まだリノベーションという言葉がない時代だった。 馬場:懐かしい。設計事務所をやってると、当たり前ですが建築基準法を遵守しないといけないわけですよ。だけど、中目黒や裏原宿とかは木賃アパートの壁を取っ払って、そこにガラスはめただけの美容室みたいなのがいっぱいあって、でもその自由さがうらやましかった。生きる力に満ち溢れているというか。すごく良かったですね。 三浦:面白かったね。今のスタイル化したというか、いわば制度化されたリノベとは違ってアナーキーだった。その後、馬場君が新しい視点から不動産の魅力を見いだす「R不動産」の前身となる活動を始めて、東日本橋あたりのビルに注目して、何度か案内をしてもらったんですけど、そもそも、いつ頃から古いビルに目覚めたのですか? ■自分の家を改造したくて 馬場:私が大学に入学したのが1980年代後半です。建築学生だったので、古い建築を見てまわったし、大学でもフィールドワークで、「街を読み取る」という授業もありました。石山修武(建築家)が大学時代の先生だったんで、集落とか、伊豆の松崎の地域再生とかもしました。街をクローズアップして見て歩く習慣はありましたね。  ただし、それは勉強としてというか、客観的調査だったんです。街に深くコミットしてない。その後学生時代にボロボロの木造の古い家を自分で改造して住みたくなって、大家さん訪ねていって、断られたりしていたんですよ。 三浦:早い! バブル時代にもうやってたんだ。 馬場:やってました。でもなかなか、改造に「うん」って言ってくれる人がいなくて。あと、学生時代、ちょうど代官山の同潤会アパートが取り壊されるのが決まった頃、あの辺をうろうろしたりしました。木造だらけのエリアとかがあったんですよね。 三浦:「しもたや」みたいのがたくさんあったね。 馬場:早稲田の鈴木了二さんていう建築家の影響なんだけど、ボロボロの木造の廃墟とか同潤会の壁をフロッタージュ(注)したり、マニアックなことはしていましたね。 (注)表面がでこぼこした物の上に紙を置き、例えば、鉛筆でこすると、その表面のでこぼこが模様となって、紙に写し取られる。このような技法およびこれにより制作された作品をフロッタージュと呼ぶ。 ■一生の不覚 三浦:僕ね、一生の不覚がいくつかあるんですけど、その一つが同潤会の代官山アパートを記録しなかったことなんですよ。パルコにいた1982、83年頃、祐天寺に住んでいて、渋谷の会社まで代官山から歩いて会社まで行ったのよ。休日出勤で。そしたら代官山アパートに迷い込んだの。その時の記憶が、ウィーンを舞台にした戦前のヨーロッパ映画みたいなイメージで今も残っているんですよ。なんかセピア色で。 馬場:わかる、わかる。 三浦:でも仕事があるからすぐ会社に行って。もう一回見に行ったと思うんですけど、でも当時の仕事は最新の流行を追うことじゃないですか。古い建物がいいねという気持ちは僕にもスタッフにもちょっとはあったんですけど、記事にするとか調べるとかいう事はまったく思いつかなかったんだよね。84年頃から藤森照信さん(建築史家)が「建築探偵」とか「路上観察」とか言い出したから、その時期なら代官山アパートを調査してもよかったはずなの。それでもしなかったんだよねえ。恵比寿を3日歩いて完璧な店舗地図をつくったことがあるのになあ。 馬場:パルコ文化全盛期だからねえ。 三浦:古い建物を追いかけてという仕事じゃないんですよ。それが最大の一生の不覚でね。代官山アパートを83年頃記録していたら、相当早いよ。 馬場:めちゃくちゃ早い。でも、そんな昔から古い建物の色気を感じる萌芽があったわけですね。僕は東京に出てきたのが87年。その頃、代官山あたりは結構注目されていて、おしゃれなフランス料理屋ができていたりする中で、まわりはぼろい家がたくさんあって。その頃、カメラに凝るというほどじゃないけど、セピア色って三浦さん言ったけど、安いカメラをもって、わざわざモノクロのフィルムを入れて代官山のあの辺を結構撮ってましたね。 三浦:へえ。じゃあ、駒沢通りですれ違っていたかもね。早稲田大教授の佐藤滋さんの『集合住宅団地の変遷』という、同潤会をたくさんとりあげた本が89年刊行だから、ちょうどそういう時期だったのかな。 馬場:そうか、そういう時期が僕の学生時代と重なっているんですね。ちょうど石山修武が早稲田大学にきて、西洋から輸入されたデザインを日本人がコピーし、RC風の建物を日本の左官技術で作ったもの、日本ならではの職人の技術と感性で引用しながらつくったキッチュなものを、ポジティブに評価していた。そういうことに対して僕も共感があったんだと思うし、ちょうど藤森照信さんの「路上観察」を僕も読んで、「あ、それをデザインとしてとらえて、楽しんでもいいんだ」という時代が始まった。モダニズムに設計された建築業界の品位みたいのをとっぱらってくれたようなところに身を置いていたというのが大きいかもね。今考えてみれば。 ■路上観察という視点 三浦:藤森さんも佐藤さんも団塊世代だよね。団塊世代の建築家というのは、若いときにモダニズムの限界をつきつけられるわけだよね。 馬場:そうだ。 三浦:単なるモダニズムに対する疑念から生まれた研究や活動として実を結ぶのが40歳位になってから。1980年代だったんでしょう。 馬場:僕もそうなんだけど、ベースを遡れといわれると、今和次郎の考現学に行き当たる所があって。今和次郎は、関東大震災の復興で人々が色々なところから拾ってきたごみとか、がれきとか集めてバラックに可能性を見出したわけだし。 三浦:石山さんの『バラック浄土』ね。 馬場:そう。はしくれで建築をつくっていくってのは、人々の営みというか、素人の営みの活き活きした感じをポジティブにとらえなおすきっかけだった。あれが僕のベースかな。 ※2018年4月28日 於:御茶ノ水山の上ホテル (構成/三浦展) 馬場正尊(ばば・まさたか)/オープンA代表取締役・建築家・東北芸術工科大学教授。1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、早稲田大学博士課程、雑誌『A』編集長を経て、2003年オープンAを設立。2003年から「東京R不動産」を運営、人気となり全国各地のR不動産ができる。建築設計を基軸にしながら、公共空間づくりなど幅広い活動を行っている。著書に『公共R不動産のプロジェクトスタディ』『エリアリノベーション』『都市をリノベーション』など多数。 三浦展(みうら・あつし)/社会デザイン研究者。1958年生まれ。82年 一橋大学社会学部卒業。(株)パルコに入社し86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年 「カルチャースタディーズ研究所」設立。消費社会、都市、郊外などの研究を踏まえ、時代を予測し、社会デザインを提案している。 著書に『下流社会』『第四の消費』『吉祥寺スタイル』『高円寺東京新女子街』『東京田園モダン』『新東京風景論』『ファスト風土化する日本』『東京高級住宅地探訪』『東京郊外の生存競争が始まった!』など多数。
朝日新聞出版の本読書
dot. 2018/08/22 16:00
川嶋あい、デビュー15周年“誕生”をテーマにしたワンマンで感謝届ける
川嶋あい、デビュー15周年“誕生”をテーマにしたワンマンで感謝届ける
川嶋あい、デビュー15周年“誕生”をテーマにしたワンマンで感謝届ける  2018年8月20日に昭和女子大学人見記念講堂で開催された、川嶋あいのワンマンライブ【Ai Kawashima 15th anniversary~BIRTH~】のオフィシャル・レポートが到着した。 ライブ写真(全5枚)  川嶋あいにとって8月20日は1年で一番大切な日であり、スタートの日でもある。2003年にI WiSHとしてデビュー以来、欠かすことなく渋谷公会堂を始めライブを実施しており、8月20日ライブも今年で16回目を迎える。今年のライブテーマは~BIRTH~(誕生)。今回のライブを通して、デビュー15周年を迎えた川嶋あいの“原点”と“新しい一面”を感じることができた。  SEから淡い光が会場を包み込み、1曲目「もう一度」のイントロが始まると川嶋あいが登場。深海をモチーフとしている神秘的なステージで、静かにワンマンライブの幕が上がった。「最後の夕日」や「サマーブリーズにのって」など、初期の曲を織り交ぜたセットリストは、川嶋あいの15年を見てきた古くからのファンにとっては、懐かしくも嬉しい構成であり、15年経っても変わらない普遍的な歌声がそこにはあった。  キーボードが運ばれてきて、川嶋あいの弾き語りパートが始まる。「絶望と希望」と「ごめん」の2曲を披露。「絶望と希望」はパーカッションとウッドベースに加えてサックスに合わせ演奏をし、いつもとは一味違った編成のパフォーマンスを披露した。  その後、MCで「ラジオでリクエストを頂いたカバー曲を披露します」と話し、次の曲に入る。そこで演奏されたのは、Mr.Children「抱きしめたい」。カバーを披露するというサプライズに、観客も驚いた様だった。  川嶋あいがステージからはけると、過去にリリースしたシングル楽曲がオルゴールの様な音色で流れ出す。ダイジェストで流れるそのメロディーは、最新の曲から順に遡っていき、1st Singleの「天使たちのメロディー」が流れ終わった瞬間、「明日への扉」のピアノイントロが弾かれ、川嶋あいが登場し、15周年のステージでデビュー曲を披露した。「見えない翼」「ジャングル」「My Love」とアップテンポの曲が立て続けに演奏され、会場の盛り上がりが最高潮になった「My Love」ではミラーボールがステージ頭上に飾られ、会場を照らし盛り上げた。  怒涛のアップパートが終わったタイミングで、祭りのようなドラムのリズムが刻まれた。「盆踊りを踊って、夏も盛り上げよう!」という川嶋あいの呼びかけと同時に、浴衣や法被、甚兵衛をきた踊り子がステージと観客席に登場。ロック調の「東京音頭」が演奏され、踊り子と一緒に川嶋あいが盆踊りを披露した。そのまま「ハレルヤ」の盆踊りバージョンに続き、。観客全員盆踊りの動きに合わせて手を振り、会場全体が一体となった。本編最後の曲は、「Dear」。「大切な人へ心から「ありがとう」」と、15周年の感謝の気持ちをファンの方へ伝えて本編の幕が閉じた。  アンコールでは、軽快なパーカッションのリズムからイントロに入り「もっと!」が披露され、「I Love Your Smile」が続いた。アンコールの最後に、「今日は一年に一番大切な日に集まって頂きありがとうございました。最後は大切な卒業ソングを歌わせてください。」と「旅立ちの日に・・・」を演奏。いつもは弾き語りで演奏する本曲だが、今年はバンド編成で歌い上げた。  そして最後に、この日が養母の命日ということもあり、「私はその人のことが大好きだったし、その人の娘で良かったと思います。最後一言この言葉をおくりたいなと思って、16歳の時に書いた歌があります。今日の日の最後に心を込めてこの歌を歌わせてください」と述べ、8月20日にしか歌わない「「…ありがとう...」」を歌い上げ、ワンマンライブの幕が閉じた。  デビュー15周年の特別な8月20日のワンマンライブは、川嶋あいが関わってきたすべての人に対して感謝を届け、16周年以降を期待させるライブとなった。 ◎セットリスト 【Ai Kawashima 15th anniversary~BIRTH~】 2018年8月20日(月)昭和女子大学人見記念講堂 01. もう一度 02. 最後の夕日 03. サマーブリーズにのって 04. スーツケース 05. マーメイド 06. シャングリラ 07. 絶望と希望 08. ごめん 09. 抱きしめたい(cover) 10. 明日への扉 11. 見えない翼 12. ジャングル 13. My Love 14. 東京音頭 15. ハレルヤ 16. Dear EN1. もっと! EN2. I Love Your Smile EN3. 旅立ちの日に・・・ WEN1. 「…ありがとう...」
billboardnews 2018/08/21 00:00
元憲法改正推進本部長・船田元は、自民党のカナリアではないか
矢部万紀子 矢部万紀子
元憲法改正推進本部長・船田元は、自民党のカナリアではないか
船田元氏 (c)朝日新聞社 畑恵氏 (c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  船田元という人は、自民党のカナリアなのじゃないだろうか。毒ガスの発生をいち早く検知するため、炭鉱に連れていかれたというカナリア。自民党の中で鳴いているのでは。  そのことに気づいたのは、8月13日だった。  その日、船田さんは自身の公式ウエブサイトの「はじめのマイオピニオン」というコーナーでサマータイムを取り上げた。するとどうだろう、いきなりネットを中心に議論が巻き起こったのだ。  私も、武田砂鉄さんのツイッターで知った。 <自民党船田元氏、サマータイム論。 「コンピューターなどの時間設定の変更は、律儀で真面目な国民ならば十分乗り切れるはず」「睡眠不足などによる健康障害問題は、むしろ個人の心構えにより、多くは解消されるはず」  律儀で真面目な民がコンピューターと睡眠不足に挑戦する五輪。>  武田さんはそうつぶやき、船田さんのサマータイム論を全文紹介するサイトをリンクさせていた。  翌日にはあちこちのネットニュースが船田サマータイム論を取り上げていた。「『戦時中かよ』『精神論か』 自民・船田議員のサマータイム導入論にツッコミ殺到」などなどで、シェアランキング1位になっているニュースサイトもあった。  7月17日に森喜朗さん(2020年東京五輪・パラリンピック委員会会長)が安倍首相と会い、期間中の時間繰り上げを要請したってニュースが、今回調べたら見つかった。あまりにも暑いから森さんも思いついたのだろうが、話題になっている様子はなかったと思う。  それが一転、話題沸騰。「サマータイムって、注意すべき問題ですよ」と、船田カナリアが鳴いて世の中に知らせた。そう思った。  これで思い出した方も多いはずだ。2015年6月、衆議院の憲法審査会で、自民党推薦の早稲田大学の長谷部恭男教授が安全保障関連法案について「憲法違反だ」と明言したことを。その時の自民党憲法改正推進本部長が、船田さんだった。  あの時、一挙に安保法案反対の世論が巻き起こった。国会を連日、大勢の人が取り囲んだ。結局、法案は可決されてしまった。でも長谷部教授がいなかったら、もっとあっさりと可決された可能性はあったと思う。  船田さんが「安保法案、要注意ですよ」と知らせてくれたのだ。カナリアとしての役目を十二分に果たして、法案成立後に船田さんは憲法改正推進本部長を交代させられた。お気の毒だったが、自民党&公明党の強権発動ぶりはしっかり記憶に残ったわけで、ありがとう、船田さん。  さらにカナリア船田は、先月も鳴いていた。7月18日、参院議員の定数を6増やすなどの改正公職選挙法がこれまた自民&公明の賛成多数で可決されたが、衆院での採決直前、船田さんは退席したのだ。 「自民党からも造反」と報じられ、「へー、そうなんだ。なんか問題ありそう」と思った人は多かったはずだ。カナリア船田、確かな存在感。  安倍一強体制の自民党だ。反対するそぶりをチラッと見せていた小泉進次郎さんも、結局は賛成した。「新たに国会改革をやらなければいけないとの決意を新たにする意味での賛成だ」と記者に語ったそうだ。意味不明。  船田さんは自身のフェイスブックで、拙速な手続きなどを批判し、「賛成することは難しく、やむなく棄権する」と書いたそうだ。わかるぞ、船田っち(と、勝手にネーミング)、いいぞいいぞ。  そもそも船田さんは、栃木の船田王国の御曹司だ。  1885年に作新学院の前身をつくったのが船田家で、船田さんは現在、同学院の学院長。祖父・中は衆院議長をつとめ、父・譲は参院議員から栃木県知事に。県立宇都宮高校から慶應大学経済学部に進み、修士課程を修了。1979年に祖父の地盤をついで衆院選に立候補、初当選。当時、25歳。現在当選12回。7月に発表された船田さんの2017年度の所得は、4498万円。国会議員の中で、上から17番目。  と、これだけだと、教育と政治を生業とする裕福な家に生まれたエリートね、で終わるのだが、船田さんを読み解く鍵はもう一つある。  船田さん、バツイチだ。妻の畑恵さん(現作新学院理事長)とは当時所属していた新進党で議員同士として出会った。船田さんには妻子がいたから、「政界失楽園」などと呼ばれた。離婚し、2ヶ月後に畑さんと結婚したのが1999年。2000年の選挙では主婦を中心に支持者が離反、落選した。  落選している最中に、船田さんがアエラで受けたインタビューがある。記事のテーマは「ピュアに生きる」だった。インタビューで船田さんはこう言っていた。 <正直に生きるということがこれまでの自分の人生であまりなかったことかも知れません。しかし今回は人生の一大決心であり、ここで信念を貫かなければ一生受動的な人間に陥ってしまうことが嫌でした。つらいことがないといったら嘘になりますが、自分で選んだ道だから後悔はしていないし、自信を持って歩んでいくつもりです。>  ね、ピュアでしょ。計算高い動き、苦手そうでしょ。  サマータイム制度に話を戻すと、船田さんはオリパラの選手・観客のために「やむを得ない措置」とした上で、どうせなら恒久的な制度にすべきで、そのためにはデメリットを丁寧に解決していくべきだと書いている。ね、真面目でしょ。  そこで止めればよかったのだが、自分なりの解決策を書いてしまう。ほら、真面目だから。そして解決策は、ツッコミどころ満載。  「ゆるいおぼっちゃま」と言ってしまえばそれきりだ。でも2世、3世が跋扈する政界で、ピュアで真面目で計算高くないおぼっちゃまって、すごく貴重だと思う。  安倍一強の自民党は、かなり息苦しい炭鉱だ。船田カナリアには、これからもぜひ鳴き続けてほしい。(矢部万紀子)
矢部万紀子
dot. 2018/08/20 11:30
「小腸に穴が開いて…」ひん死の重傷から帰還 総合格闘家・富松恵美が心境明かす
「小腸に穴が開いて…」ひん死の重傷から帰還 総合格闘家・富松恵美が心境明かす
富松恵美さん(36)/1982年、神奈川県川崎市出身。パラエストラ松戸所属。元DEEP JEWELSストロー級暫定王者。戦績は27戦14勝13敗。プロギタリストである妹、Rie a.k.a. Suzakuの生ギター演奏で入場する富松さん。王座獲得を目指して戦っている(撮影/杉博文) 石岡沙織さん(30)/1987年、広島県廿日市市出身。空手道禅道会所属。2007年3月にプロデビューし、現在まで26戦15勝11敗という戦績を残す。去る7月29日には「RIZIN」さいたまスーパーアリーナ大会で山本美憂と対戦。念願の大舞台への再出撃に燃えた(撮影/杉博文)  格闘技大会「RIZIN」が旗揚げし、女子格闘技が盛り上がってきた。大ケガを克服し、妊娠・出産を乗り越え、道を突き進むタフな女性選手たちがいる。  2000年代に大ブームを迎えた格闘技は、人気を牽引した「PRIDE」「K?1」の2大イベントが相次いで終焉を迎えたために、雌伏の時代が続いていた。しかし15年末に「PRIDE」の流れをくむ新イベント「RIZIN」が旗揚げ。地上波中継をバックに格闘技人気再興を目指した。  当初は「PRIDE」時代に活躍した選手を中心に起用していた同イベントだが、人気復活のカギは意外なところに隠されていた。「PRIDE」では起用していなかった女子選手たちの活躍だ。RENA、浅倉カンナ、山本美憂といった選手たちの試合はお茶の間的には新鮮味もあり、今では女子の試合がイベントの核の一つとして重用されるまでになった。  日本での女子格闘技、特に打撃も寝技も認められるMMA(ミックスト・マーシャル・アーツ)の歴史は、1990年代半ばに始まった。当初は女子プロレス団体が牽引する形で始まり、00年代に入ると定期イベント「スマックガール」が誕生した。  その後、いくつかのイベントが現れては消えていく中、「スマックガール」は運営母体の変化などにより「JEWELS」→「DEEP JEWELS」と名称・体制を変えながら、現在まで「女子オンリーのMMAイベント」として根強い活動を続けている。  この「DEEP JEWELS」でアトム級(47.6キロ未満)のトップファイターとして戦っているのが、富松恵美さんだ。14年には一つ上のストロー級暫定王座に就いたこともある富松さんは、過去に試合の中で命に関わるほどの大ケガを負いながら、リングに戻ってきたという経験の持ち主である。 “それ”が起きたのは08年1月のことだった。女子プロレスでデビューするも故障により引退、「食べてたら太ってきたので痩せようと思って」始めた格闘技でプロのリングに上がるようになった富松さん。その6戦目、老舗団体「パンクラス」に初参戦した試合だった。第2ラウンド、キックボクシング王者でもあるWINDY智美選手の蹴りを腹に受けた富松さんは、ラウンド終了時に異変を感じた。 「蹴られた時は、腹が痛いけど続けられないほどじゃないと思ったんです。その時点で残り時間が1分ほどだったから、ここはやり過ごして次のラウンドで頑張ろうと。それでインターバルにコーナーに戻ったら、普通の痛みじゃなくて」  セコンドを務めていたジムの会長にその旨を告げると、会長がタオルを投入し、試合を棄権。医務室に直行したが、リングドクターからは「打撃で受けた痛みでしょう。休めば大丈夫」と言われ、少し休んだ後に帰り支度をしようとしたら、嘔吐に見舞われた。  一緒にいた母親が血相を変えて救急車を呼び、搬送された病院でエコー検査の結果、腹の中で出血していることが判明。30分後に緊急手術となった。 「腹膜炎と腸管損傷ですね。小腸に穴が開いてて、お医者さんから『あのまま帰ってたら死んでた』と言われました(笑)」  3週間の入院を余儀なくされ、当然母親からは「もう格闘技はやめて」と懇願されたが、本人のリングへの意志は全く変わらなかったという。 「退院したらすぐ復帰しようと思ってました。同期の選手が活躍しているのを見て焦りも感じて、練習もこっそり再開して。復帰を決めた時、母は反対しましたが、音楽の夢を諦めた経験のある父が、『子どもたちにはやりたいことをやらせてやろう』と説得してくれました」  3年7カ月を経てMMAのリングに戻った富松さんは、「怖いという気持ちは全くなかった」と話す。 「逆にあれがリスタートでしたね。あれで死ななかったんだから……という気持ちも、どこかにある気がします。今はもう、語り継ぐネタとしか思ってないです(笑)」  今は「DEEP JEWELS」の王座を最終目標に、現役生活のラストスパートを期して戦っている富松さん。彼女の腹筋のあたりには、今もあの時の手術の傷痕が残っている。 出産を経て戦い続ける  女性にとって、ただでさえ大きなイベントである妊娠・出産。プロアスリート、それも直接肉体を傷つけ合う格闘家となれば、なおさら大仕事だ。  07年に19歳でデビューした当初から、そのルックスで男性ファンの人気を集めた石岡沙織さんは、「ここで!?」というタイミングでその大仕事と直面することになった。 「デビュー当時は、25歳でやめようと思ってたんです。このペースで5年も試合すれば、やり切るんだろうなと思ってて。でも24歳の時に転機になる試合があって、自分でも強くなったという実感を覚えていたんですね。『よし、ここから!』と思った時に、子宝に恵まれて」  出産を経た石岡さんがリングに復帰するまでには、丸2年の期間を要した。しかし、出産前も後も、彼女の頭には現役続行という考えしかなかった。 「休まないといけない、練習できないというのがすごくもどかしくて、そこでやめるという気持ちにはなりませんでしたね。出産後は、復帰のために動いて動いてという感じで」  とはいえ、出産前後では状況も環境も大きく変化する。何より育児という新しい“仕事”とも、折り合いをつけていかなければならない。 「以前とは全然違いますね。練習も朝・昼・夜と1日3回に分けてやっていましたが、今は朝1時間、夜2時間が精一杯。出産後しばらくは骨盤が開いた影響で、蹴りなどの動きにも違和感がありました」  夫の青木隆明さんも同じ格闘家で、現在は所属する空手道禅道会長野支部を2人で切り盛りしている。同業のため理解もあり、育児も協力し合うし、祖父母も孫の面倒を見てくれる。 「でも、罪悪感は常にありますね。育児をしている時は練習をしていなくて、練習をしている時は育児をしていない。葛藤ですね」  復帰から1年半後に「RIZIN」が旗揚げし、女子格闘技が盛り上がってきたことは大いに刺激になった。ずっと「女子格闘技を有名にしたい」と思ってきた石岡さんにとって、自分がやってきたことを大きな舞台で出せるのは願ってもないチャンス。復帰後はその舞台が目標となり、昨年4月には横浜アリーナの大会場で初出場を果たした。 「地元の長野県の人たちや、広島の親、親戚がテレビで見て盛り上がってくれたのがうれしかったですね」  この7月には「RIZIN」に再出場し、レスリングで名を馳せた山本美憂とも対戦。 「5歳になる息子も、だんだんママのやってることが分かってきました。今は一年一年、自分のやるべきことをやり切って、これまでやってきたことを形にして終わりたいという思いがあります」 (ライター・高崎計三) ※AERA 2018年8月13-20日合併号より抜粋
AERA 2018/08/18 16:00
夏休みもわずか!自由研究名スポット~大阪近郊編~〈レジャー特集|2018夏〉
夏休みもわずか!自由研究名スポット~大阪近郊編~〈レジャー特集|2018夏〉
連日の猛暑に驚くやら慌てるやら、今年の夏は本当に大変でした。……そう、気づけば子どもたちの夏休みのカウントダウンが始まろうとしています。 小学生のみなさ~ん! 自由研究やりましたか~? お父さん、お母さんも暑さから身を守ることを考えるあまり、夏休みの宿題のケアがおろそかになっているのでは? そこで、のこりわずかな日数で最もやっかいな「自由研究」をやっつけるためのお出かけスポットを特集します。もう構想を練っている暇なんてありません! とりあえず行っときましょう!! 今回は「大阪近郊編」です。“自由”と名がつくものほどやっかいなわけで…… キッズプラザ大阪/大阪府大阪市 「キッズプラザ大阪」は、科学や社会の仕組みを“遊び”を通して学べる参加体験型博物館。館内には料理体験ができる「パーティーキッチン」、ニュース番組の制作体験ができる「わいわいスタジオ」など本格的な設備が揃い、子どもたちが夢中で取り組める仕掛けがたくさんあります♪ 8月26日まで特別企画「自由研究 紙ひこうき大作戦」を開催中。折り紙で作る飛行機、 鳥のように羽ばたくパタパタ飛行機、ぶんぶん飛行機などを作って飛ばせば、さまざまな気づきに出会えますよ! キッズプラザ大阪 ■所在地 大阪府大阪市北区扇町2-1-7 ■アクセス 【電車】大阪市営地下鉄堺筋線「扇町」駅よりすぐ 【車】阪神高速守口線「扇町IC」よりすぐ ■料金 高校生以上1400円、小・中学生800円、未就学児(3歳~)500円 ■問い合わせ先 06-6311-6601 ■詳しくはキッズプラザ大阪オフィシャルサイトをご確認ください遊びや体験を通して学べる大人気施設! きっづ光科学館ふぉとん/京都府木津川市 太陽光、照明、通信、レーザー光……私たちの生活で、なくてはならない「光」。「きっづ光科学館ふぉとん」は、その光について基本的な性質から最先端の利用技術まで楽しみながら学べる科学館です。迫力のプラネタリウム「恐竜の記憶」や、実験ショー、工作体験など、映像や体験を通して、子どもたちが気軽に科学に触れられますよ♪ 夏休期間中は「Photons de 親子工作夏休み」と題し、さまざまなワークショップを実施しています。詳細をオフィシャルサイトでご確認のうえ、どしどしご参加くださいね! きっづ光科学館ふぉとん ■所在地 京都府木津川市梅美台8-1-6 量子科学技術研究開発機構 関西光科学研究所 ■アクセス 【車】京奈和道路「木津IC」より加茂方面へ約5分 ■料金 無料 ■問い合わせ先 0774-71-3180 ■詳しくはきっづ光科学館ふぉとんオフィシャルサイトをご確認ください身近にありながら不思議がいっぱいの「光」について学べます! ※画像はイメージ 橿原市昆虫館/奈良県橿原市 多彩な展示スタイルが楽しい「橿原市昆虫館」。世界中の昆虫たちを標本や映像で観られるだけでなく、生態展示室ではジオラマで再現した自然環境の中、昆虫の生態をリアルに感じられます。 なかでも昆虫の目線を体感できる装置は特に大人気。また、亜熱帯植物の中を、オオゴマダラなど約10種類800頭のチョウが飛びかう放蝶温室は、まるで別世界に迷い込んだかのようで大人でも心躍ります♪ 夏休み期間中は特別展「昆虫のオスとメスってどう見分けるの?見分けられないの?」を開催。観覧後、昆虫の観察にさらに熱が入りそうですね! 橿原市昆虫館 ■所在地 奈良県橿原市南山町624  香久山公園内 ■アクセス 【電車】近鉄大阪線「大和八木」駅より橿原市コミュニティバスにて「昆虫館前」停下車すぐ 【車】南阪奈道路「葛城IC」より約30分 ■料金 一般510円、高校生・大学生410円、4歳~中学生100円 ■問い合わせ先 0744-24-7246 ■詳しくは橿原市昆虫館オフィシャルサイトをご確認ください優雅な蝶の世界は、虫が苦手な方でも楽しめるのでは? ※画像はイメージ 西宮市貝類館/兵庫県西宮市 ひと口に貝といっても、海の貝、淡水に生きる貝、陸産の貝など生息環境はさまざまで、形や大きさ、色も多種多様。そんな世界中の2000種5000点もの貝が展示されている「西宮市貝類館」は、建築家 安藤忠雄氏によってヨットの帆をイメージして設計されました。 貝殻だけでなく、生きた化石「オウムガイ」や「クリオネ」が悠然と泳いでいる姿を観察できるコーナーや、貝と人とのかかわり……例えば平安貴族の女子の玩具「貝合わせ」などの展示で、深く広く貝について学べます♪ この夏拾った貝について調べれば、夏休みの自由研究も一丁あがりです(笑)! 西宮市貝類館 ■所在地 兵庫県西宮市西宮浜4-13-4 ■アクセス 【電車】阪神・JR「西宮」駅、阪急「西宮北口」駅よりバスにて「マリナパ-ク南」停下車すぐ 【車】阪神高速神戸線「武庫川出口」より約10分 ■料金 高校生以上200円、小・中学生100円、未就学児無料 ■問い合わせ先 0798-33-4888 ■詳しくは西宮市貝類館のオフィシャルサイトをご確認ください2000種5000点!……きっと見たことのない貝に出会えるはず!
tenki.jp 2018/08/18 00:00
広瀬すずもベタ褒め? 好調「グッド・ドクター」山崎賢人…ピュアな役がハマる理由
丸山ひろし 丸山ひろし
広瀬すずもベタ褒め? 好調「グッド・ドクター」山崎賢人…ピュアな役がハマる理由
山崎賢人 (c)朝日新聞社 ■地球が破滅したらイナゴを食べる!?  俳優の山崎賢人(23)が主演を務める連続ドラマ「グッド・ドクター」(フジテレビ系)の第5話が8月9日に放送され、平均視聴率12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)を記録。第3話の11.6%を上回り、自己最高を更新した。  初回から5週連続で視聴率2桁をキープし、好調が続いている同作。小児外科医の世界を舞台に、山崎演じる自閉症でコミュニケーション能力にハンディキャップを持ちつつも、驚異的な記憶力を持つサヴァン症候群の青年研修医が、子どもたちとともに成長していくヒューマンドラマ。SNS上の声を見ると、「山崎賢人くんのピュアな言葉が刺さって号泣する」「いとおしすぎて母性本能がくすぐられる」など山崎の演技に引き込まれている視聴者も多い。そんな純粋さや少年っぽさが滲み出た山崎の熱演も好調の要因の一つと思われるが、山崎自身も、そんな母性本能をくすぐるような一面があるという。 「まず、甘え上手なところですね。例えば、山崎と仲が良い菅田将暉(25)がバラエティー番組で明かしていましたが、菅田のほうが2歳年上なのに『もう将暉でいいよね?』と、山崎から呼び捨て宣言されたとか。しかも、山崎が菅田の家に泊まった際、菅田の服を着て帰るので、山崎の服が溜まっているとも漏らしていました。また、別の番組では甘いカレーと辛いカレー両方食べたいという山崎の要求に、菅田はフライパン2つを使って両方作ってあげたと言っていましたね。ちなみに菅田がカレー作っている間、山崎は寝ていたそうです(笑)」(女性誌の編集者)  まるで母親のように山崎の世話を焼いていた菅田。山崎を前にすると、思わずかまってあげたくなるのかもしれない。ある意味、愛されキャラとも言えるが、好感を覚えるような天然エピソードも豊富だ。  天気予報に挑戦した際、「西日本、東日本」と説明しなければならないところで「西日本、左日本」と言ってしまった。また、映画のイベントで「もしも明日、地球が破滅するとしら今日何をするか?」と尋ねられ、「イナゴを食べる」と返答したこともあった。さらに、2015年11月に行われた「orange -オレンジ-」の完成披露試写会では、共演者たちがプールに落ちるシーン練習をしていたところ、全く関係のない山崎もプールに落ちたというエピソードを披露するなど、どこか放っておけない魅力があるのだ。 ■広瀬すずが認めた母性本能をくすぐる能力  そして、あの人気女優からも山崎の魅力についてこう語っている。 「広瀬すず(20)が山崎と共演した映画の完成披露試写会で明かしていましたが、現場の一番のムードメーカーで面白くて爽やかで優しい上、母性本能をくすぐるので『無敵』だそうです。山崎は謙遜していましたが、あながち間違いでもないと思いますよ。見た目の可愛らしさに加え、甘え上手で天然な面もある。今回のドラマの役では、そんな純粋さを思わせる人間性が大いに生かされ、多くの女性視聴者が胸キュンしているのではないでしょうか」(前出の編集者)  芸能リポーターの川内天子氏は山崎の魅力についてこう分析する。 「20代そこそこで主役を張れる若手は今、彼しかいない。はやり人気がすごいと思います。もともと、ティーン誌のモデルだったこともあり女子高生から人気に火がついたのですが、『陸王』(2017年・TBS系)で役所広司の息子役を演じ、その中性的な雰囲気や今風のツルンとした美少年の顔立ちに中年女性たちが虜になり、ブレイクしました。一方で、彼は過去にインタビューで、『決断したら突き進むタイプ』だとか『山崎賢人としてでなく演じた役名で知られるような俳優になりたい』と語っていて、男くさい信念も持っている。こうした部分をうまく演技で見せていければ、男性ファンもついてくるのであらゆる層に受け入れられる人気俳優になる素地を持っていると言えるでしょう」  夏ドラマの中で大健闘を見せている「グッド・ドクター」。スタート前は、山崎が疾患を持つ医師という難役をどう演じるのか、気になっていた人も多かった。だが、蓋を開けてみれば意外とハマり役だったようだ。今作を機に、山崎はますます人気俳優への道が開けてくるのではないか。(ライター・丸山ひろし)
dot. 2018/08/16 11:30
東京医大「女子差別」で露わになった医学部の闇 現役女性医師が憤激
山本佳奈 山本佳奈
東京医大「女子差別」で露わになった医学部の闇 現役女性医師が憤激
頭を下げる東京医科大の行岡哲男常務理事(左)と宮沢啓介副学長(学長職務代理)。8月7日の会見で(c)朝日新聞社  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、2人の女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は、東京医科大入試の「女子差別」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  東京医大が入学試験において女子受験生を一律減点し、恣意的操作を行っていたことが発覚しました。それに加え、浪人生も不利に扱う点数操作が遅くとも2006年入試から続けて行なわれていたことも、調査によって報告されています。さらには、一般入試だけでなく、推薦入試や地域枠入試でも操作があった可能性があるといいます。裏口入学に続く、前代未聞の不祥事であり、海外でも報道され注目を集めているこの問題について、お話ししたいと思います。  東京医大は、女子の合格者数を3割程度に抑えていた理由として、女性は結婚や出産で医師を離職するケースが多いことや、短時間勤務になりやすい女性医師を増やしたくないこと、さらには緊急手術が多く勤務体系が不規則な外科系の診療科では、「女3人で男1人分」と、出産や子育てを経験する女性医師は男性医師ほど働けないことをあげていました。系列の病院で勤務する医局員不足を懸念しての「必要悪」であり、「暗黙の了解」であったといいます。 ■東京医大の言い分を聞いて愕然  私は、東京医大の言い分を聞いて愕然としました。医学生を、自らが経営する病院で働く労働力としか考えていないと思ったからです。  一般に、女性の労働力率は、結婚や出産期に当たる年代にいったん低下し、育児が落ち着いたころに再び上昇することが知られています。これを「M字カーブ」といいます。女性医師も例外ではありません。平成18年度厚生労働科学研究「日本の医師需給の実証的調査研究」によると、女子医師の就業率は、医学部卒業後減少傾向となり、卒後11年目(36歳)で76.0%まで落ち込んだ後、再び回復しています。 ■同期医師との給与格差が3倍に  確かに、結婚や出産を機に大学病院をやめる女性医師はいますが、多くは復職しています。ベビーシッターを雇いながら勤務を続ける医師もいれば、出産後すぐに復帰して第一線で働く医師もいます。さらに、多くの女性医師は、職場や働き方を変えながら医師を続けています。いや、生活を考えれば、そうせざるを得ないのです。東京医大の後期研修医の月収は20万円。残業代などがつくそうですが、これでは生活できないからです。東京医大の経営者にしてみれば「退職」なのですが、当事者の女性医師からしてみれば「転職」なのです。東京医大の経営者は、自分のところで働く医師にしか関心がないのでしょう。  私の大学の同期の事例を紹介したいと思います。彼女は、初期研修医中に出産し、産休を取ったのち復職しました。現在、後期研修医4年目として大学病院に勤務していますが、月収は20万円ほど。子育て中であるため当直はせず、定時勤務にしてもらっているものの、定時では当然ながら帰宅できず、なんとか保育園のお迎えに行っているといいます。また、残業代は出ないため、生活はギリギリ。一方、同期の男性医師は、医局の関連病院に勤務しているため、給与は3倍ほどあるそうです。彼女の大学病院での仕事は、検査や手術の立会いと入院管理。専門医を取得するまで頑張りたいけれど、このままでいいのか不安だ、といっていました。 ■「裏口入学させればずっと働く医局員を確保」  今回の東京医大での事件を知り、私は、医学部の入試の目的は、労働力を選別し囲い込むことだと考える様になりました。大学経営者にとっては、卒業後医師として自らが経営する大学病院や系列病院で働いてくれる人を選ぶ採用試験なのです。入試の合否の基準に卒後の働き方が入っていることが、その証左です。この点で、裏口入学は意味があったのでしょう。コネ入社と同じで、医師になるための「切符」をくれた大学には頭が上がらず、医局員として一生働かざるを得ないのですから。大学の経営者にしてみれば、裏口入学させてあげるだけで、謝礼を得るだけでなく、ずっと働いてくれる医局員を確実に確保することができます。お安いご用なのでしょう。  実は、これは入試に限った話ではありません。医学部は教育機関ですが、学生を「将来の労働力」と見なしていると感じることが多いのです。これは東京医大に限った話ではありません。  こんなことがありました。  医学生時代、各科で実習する度に入局説明会や歓迎会に誘われました。そこで、「女医は医局に入らないと仕事を続けられない」と繰り返し言われました。ある外科を研修しているときには、女性医師が「女を捨てた」と言われているのを耳にしました。外科は出産や子育てなどはできないのだな、と学生ながら感じました。別の科では、オンオフがはっきりしているから女性も働きやすいよ、としつこく言われたこともありました。一番驚いたのは、産婦人科の40代の女性医師が、「私が結婚した当時は、子どもは産まないで必死に仕事をしなさい、と結婚式のお祝いの言葉で言われるような時代。それに比べたら今は良くなったほうよ」と言っていたことでした。典型的な「男社会」の中で、女性医師が生きて行くのは大変だと、その時、肌で感じたことを覚えています。  医局の勧誘だけでなく、今春導入された「専門医制度」も医師や医局員不足対策として「囲い込み」をしているにすぎません。専門医制度では、若手に「専門医」という肩書きをチラつかせ、医局員として働かせています。専門性とは一生かけて取得していくものではないのでしょうか。数年で取得できるはずがありません。まして、学会費を支払い、学会に参加し、決まった症例数と決まった年数をクリアすれば取得できるなんて、どう考えてもおかしな話です。「専門医」って何なのでしょうか。  ただし、これは教授からすればありがたいことなのです。最も働いてくれる30代前半までの医師を、専門医取得と称して囲い込む。そして、後期研修を終えれば、「雇い止め」し、新たな若手を「教育」という名のもとで縛り付ける。一般的なら、こんな有期雇用は認められないでしょう。 ■「女子差別」問題が浮き彫りにした医師の囲い込み  女子受験生を一律減点し、恣意的に減らしていたことは「女子差別」であることに間違えはありません。けれども、根底に隠れている問題は、日本では「医学教育」という名の下、大学において入試や専門医の名を語った医師の囲い込みや就職活動が行われているという現状があることです。大学は本来、学生の味方です。優秀な人材を低コストで調達したい企業とは利益が相反することがあります。ところが、このことが全く認識されていないのです。  そもそも、医学教育に大学附属病院は必須ではありません。周辺の病院に協力してもらえばいいのです。米国では当たり前に行われている医学部と大学病院との分離を考える時期にきているのではないでしょうか。 ◯山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
dot. 2018/08/15 07:00
葵祭の斎王代、祇園祭のお稚児さんは名家じゃないとNG?学生バイトは鰻弁当つき 京都3大祭りの“秘密”
葵祭の斎王代、祇園祭のお稚児さんは名家じゃないとNG?学生バイトは鰻弁当つき 京都3大祭りの“秘密”
下鴨神社の糺(ただす)の森を進む斎王代=2018年5月15日午前11時59分、京都市左京区、佐藤慈子撮影 (c)朝日新聞社 しめ縄を太刀で切る長刀鉾の稚児=2018年7月17日午前9時23分、京都市下京区、佐藤慈子撮影 (c)朝日新聞社 祭礼アルバイト募集の掲示(撮影/小林幸帆) ちまき売りのアルバイト募集(撮影/小林幸帆)  1カ月続いた祇園祭が7月31日に終わり、京都の三大祭りも10月の時代祭を残すだけとなった。  三大祭りの中でも1000年を超える歴史を誇る葵祭と祇園祭。そこで大役を務めるのが葵祭の斎王代、祇園祭のお稚児さんだ。  葵祭の“ヒロイン”斎王代は、平安朝の装束をまとった500人が連なる行列に十二単姿で輿に乗る未婚女性。お稚児さんは祇園祭のハイライト、山鉾巡業で出発の合図となる“しめ縄切り”をする10歳前後の少年だ。  ともに一般公募ではなく、斎王代は葵祭行列保存会が、お稚児さんは長刀鉾保存会が選ぶ。  いちげんさんお断り的な斎王代とお稚児さん、検索すると関連ワードで上がってくるのが「費用」に「お金持ち」。さらには「家柄」や「お坊ちゃん」なんていうものまで。  どちらも決定するとニュースでは「京都市△△区在住、○○社長の長女」や「○○専務の次男」と、個人情報保護がやかましい風潮を逆流するように伝えられる。◯○にはよく知られた名前が入るため、やんごとなき家の子女が選ばれるものという了解が自然と出来上がる。  京都の歴史や観光にも詳しい同志社女子大学現代社会学部の天野太郎教授は、お稚児さん選びには祇園祭の成り立ちが深く関係していると話す。 「祇園祭はもともと祇園御霊会と呼ばれ、疫病や非業の死を遂げた人の怨霊を鎮める祭である御霊会でした。869年に京都で疫病が流行すると“たたり”として、これを鎮めるために神輿を担ぎ、鉾を立てて神泉苑(平安京にあった庭園)に向いました。これが山鉾巡行の始まりとされます。祇園祭は町内に病人が出ないよう、町ごとに自分たちの鉾を立てて練り歩く町人の祭なんですね。だから、お稚児さんも行政ではなく町人・町衆が話し合って決める。町人が支えてきた歴史があり、お稚児さんはそこの代表。町に関係していない人は選ばれにくい」  お稚児さんは神様のお使いとされ、期間中は様々な制限が加わる。例えば日常生活では女性と関わってはならず、食事などの身の回りの世話は父親の仕事になる。公の場で地面に足をつけるのも御法度で、強力と呼ばれる男性に担がれて移動する。行事も多く、学校は公欠になるそう。日々の儀式の合間に舞などの練習もあり、まわりのサポートと理解は不可欠だが、それができる家はそう多くないはず。お稚児さんを父と息子の2代、兄と弟で務めるケースが珍しくないのもここに理由がありそうだ。  費用負担はというと、まことしやかに流れる噂だと1000万~2000万。ただ、選ぶ上で優先されるのは財力ではなく町との関わりの深さだ。  前出の天野教授は、「お金のこともあるけれど、京都に代々根差した人でないとやりにくいし、山鉾の運営に関わる町の人が納得しない」と話す。  お稚児さんを出した家と付き合いがある地元の人からはこんな話も聞かれた。 「結果的に費用を負担できる余裕があり、しかもお稚児さんを出したことがプラスとなるような家が選ばれる。お商売をしていれば名前が出ることで『やっぱり○○は違うよね。さすが老舗やな』と直接間接的に宣伝にもなる」  町の発展に貢献してきたところから選んだ結果、大きな出費もまかなえる家だったということで、さらに言えば、選ぶ方も受ける方もメリットがあるからこそ、ここまで続いてきたのだろう。  選ばれし主役になれなくても、参加できるのが京都の祭だ。  三大祭りに欠かせないのが大量の学生アルバイト。すでに1950年代には定着しており、よく知られているのは衣装を着て練り歩く“祭礼行列員”。簡単にいえば仮装エキストラで、他に売り子や軽作業などもある。  私も学生時代を京都で過ごしたが、大学が募集をかけるため1回生の時はクラスの男子が集団で参加していた。残念ながら20年前当時の参加型は男子限定。女子の私は沿道の店の臨時手伝いに雇われ、道をたずねに来る観光客をさばくという冴えない役しか当たらなかった。ただ、最近は巫女など女子学生向けも出るようになったというからうらやましい。  祇園祭を迎え、京都大学構内掲示板にも“祭礼アルバイト”の求人案内が何枚か貼ってあった。募集内容と待遇はこんな感じだ。 『花傘巡行行列』 草履を履いて行列に参加、男子学生のみ50名、07:00~12:30(休憩60分) 給与5,500円(雨天中止の場合は1,000円支給)、交通費500円、食事支給 『ちまき売り雑役4日間』 男子学生のみ各日10名(連続勤務を希望)、08:00~23:00または24:00(休憩2時間=無給) 時給1,000円(22:00以降および8時間超は25%増)、交通費500円、昼夜食支給  雑役は、その響きにも押されない4日連続(※推奨)1日13、14時間労働のハードモード。平安裏社会が体感できそうだ。  これらのバイトに共通する注意事項として「係員の指示に従い厳粛な行動を取ること」、「茶髪不可」、「無断欠勤厳禁(やむを得ず従事できない場合は、必ず代理人を立てて連絡すること)」などが並ぶ。  現在も募集中の時代祭は「下着(パンツ、シャツ)は白か肌色を着用」や「わらじズレ防止の為、ばんそうこう4~5枚持参」など、知らないと痛い目を見そうな注意書きも出してくれている。  祭の特性から「留学生不可」もあり、「可」の場合でも「日本語が堪能なこと」「アジア人」などの条件がつく。  記憶にあるのは、祭バイトは新入生に人気の定番バイトだったということ。ほとんどの学生が知っていたし、友人5人に聞いてみたら3人は経験者だった。三大祭り制覇の皆勤賞もいれば、2年連続参列のリピーターもいた。ところが、最近は応募する学生が減っているという。実際、現役学生に聞いてみても認知度は半分ほどで、経験者も10人聞いてやっと1人発見。アルバイトを仲介する京大厚生課によると「年々応募は減ってきており、近年では稀に欠員が出る場合もある」そう。  2000人の行列のうち約400人が学生の時代祭では、数年前に直前まで定員が埋まらなかったことがあったという。学生にこだわる必要はないのでは…と思うが、時代祭を挙行する平安神宮に聞くとこんな答えが返ってきた。 「アルバイト枠は学生の街である京都に来た学生さんに文化と歴史に触れてもらい、京都を離れた後でも役に立ってもらえればというとこから始まった。学生時代にいい思い出を作って欲しいとの思いがあるので、人材派遣会社に頼みますというわけにはいかない」  つい最近、文科省とスポーツ庁が全国の大学などに対して東京五輪期間中の授業や試験の日程変更を求める通知を出したところ、“学徒動員”と不興を買っていたが、京都の祭でそんなブーイングは起こらないはず。  友人は、「単純作業で非日常を経験できて、まあまあな実入りでお得。友だちとワイワイ参加するのがオススメ。京都に住んでたらやるでしょ!」と楽しそうに思い出していた。  確かに、格式高い祭でカメラを向けられながらコスプレというのは貴重な体験。乱れがちな学生ファーストの理念も、ここではきちんと伝わっていそうだ。 「祇園祭は八坂神社で鰻弁当を食ったことだけ覚えてる」という友人がいたが、2年前にバイトをした現役学生も鰻弁当の接待を受けたそうで、「友だちと“1人暮らしで鰻なんてなかなか食べられないよね”と言いながら食べた」と教えてくれた。  日本を代表するような歴史ある祭りが年に3回も行われているのは、恐らく京都くらいだろう。そして、その伝統の担い手は京都で代々暮らす人はもちろん、外様住民にも開かれている。  天野教授はこう力説する。 「昔の人がつくった寺や神社だけに頼っているのではなく、それを支えていく人々の力も京都の魅力。次の世代まで支えていこうとする人の心は、京都が世界に誇る文化ではないでしょうか」  都として1000年以上栄え、今は世界中から観光客を呼び込む京都の底力はやっぱりあなどれない。(小林幸帆)
dot. 2018/08/14 11:30
沖縄代表はかつて甲子園の土を持って帰れなかった? 高校野球のうんちく6連発を紹介
沖縄代表はかつて甲子園の土を持って帰れなかった? 高校野球のうんちく6連発を紹介
【甲子園で輝いたスターたち!】 田中将大選手/北海道・駒澤大学附属苫小牧高校出身。ニューヨーク・ヤンキース。投手。29歳/甲子園には3回出場。高2の夏に優勝し、高3の夏は決勝で敗れたが東京・早稲田実業学校高等部と引き分け再試合という歴史に残る大熱戦を演じて東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。シーズン24勝無敗、28連勝という大記録を手土産にアメリカに渡り、活躍を続ける (c)朝日新聞社 【甲子園で輝いたスターたち!】 ダルビッシュ有選手/宮城・東北高校出身。シカゴ・カブス。投手。31歳/甲子園には4回出場。高2の夏に準優勝し、高3の春には、1試合中に1本もヒットを打たれず1点も与えない「ノーヒットノーラン」を達成した。北海道日本ハムファイターズではチームを44年ぶりの日本一に導き、アメリカでもエースとして活躍を続けている (c)朝日新聞社 【甲子園で輝いたスターたち!】 大谷翔平選手/岩手・花巻東高校出身。ロサンゼルス・エンゼルス。投手・打者。24歳/甲子園には2回出場。時速150キロの豪速球を投げ、打者としても本塁打1本を放った。高校卒業後、北海道日本ハムファイターズに入団。プロでは投手か打者のどちらかに専念するのが普通だが、常識破りの「二刀流」で大活躍し、アメリカでも旋風を起こしている (c)朝日新聞社 【甲子園で輝いたスターたち!】 清宮幸太郎選手/東京・早稲田実業学校高等部出身。北海道日本ハムファイターズ。内野手。19歳/中1のときにリトルリーグの世界選手権で大活躍して優勝に貢献し、パワフルな打撃で注目された。甲子園には2回出場。甲子園での2本を含め、高校通算111本塁打の史上最多記録を持つ。今年、北海道日本ハムファイターズに入団し、将来が期待される (c)朝日新聞社  クラブ活動からオリンピックまで、規模もレベルもさまざまな舞台で、多くの人を夢中にさせるスポーツ。話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』では、毎号、一つの競技を取り上げて、やっても見ても楽しくなるうんちく(深~い知識)を紹介するよ。今回は特別企画として、高校野球を紹介するよ。 <DATA> 「夏の甲子園」とは、毎年8月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる全国高等学校野球選手権大会のこと。参加校は、北海道と東京が2校のほかは各府県1校ずつが基本だが、100回記念大会となる今年(8月5日から21日まで。休養日1日含む)は、特別に埼玉・千葉・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡からも2校が出場し、史上最多の56校が優勝を争う。甲子園球場では毎年3月下旬から4月に選抜高等学校野球大会が行われ、「春の甲子園」「センバツ」といわれる。 <高校野球のうんちく6連発!> (1)甲子園ができたのは高校野球のため!  夏の甲子園の第1回大会は、1915年、大阪の豊中球場で行われた。第3回から9回は兵庫の鳴尾球場が会場となったが、人気が高まって超満員の観客がグラウンドになだれ込むなどの事態が発生。そこで、6万人収容の甲子園球場がつくられ、24年の第10回大会から会場として使われるようになった。 (2)朝鮮・台湾・満州代表も参加した  大正時代の末期から昭和時代初期には、当時、日本の領土とされた朝鮮や台湾、日本の影響が強かった満州からも夏の甲子園に参加している。1926年には満州代表の大連商、31年には台湾代表の嘉義農林が準優勝した。 (3)延長25回の大激戦!  1933年の第19回大会準決勝の明石中(兵庫)─中京商(愛知)は、規定の9回をはるかに超え、延長25回、約5時間に及ぶ大熱戦の末に中京商の勝利。スコアボードは16回までしかなく、以降は手書きで追加した。その後、延長18回(のちに15回)で引き分け再試合となり、今年から、延長13回以降、得点の入りやすい無死一、二塁から試合を行う「タイブレーク制」が導入される。 (4)太平洋戦争中は中止 戦意発揚の競技も  太平洋戦争の影響で、1941年から5年間、夏の甲子園は中止になった。42年には戦意発揚を目的に、文部省と大日本学徒体育振興会が主催する体育大会の一種目として甲子園で全国大会が行われたが、正式な大会にはカウントされず、「幻の甲子園」といわれている。ちなみにこの大会では野球以外に、手榴弾を投げて走るなど、戦争中ならではの種目もあった。 (5)開会式の先導、春と夏で違う  夏の甲子園の開会式では、兵庫県の市立西宮高校の女子生徒が、各校のプラカードを持って選手を先導している。1949年から現在まで続く伝統で、祖母、母、娘の3代にわたって参加した生徒もいる。ちなみに春の甲子園の開会式の先導役は、2007年まではボーイスカウトの高校生が、08年以降は各出場校の生徒が務めている。 (6)沖縄代表は甲子園の土を持ち帰れなかった  太平洋戦争が終わっても、アメリカの占領下におかれた沖縄の高校は、甲子園に出場できなかった。ようやく出場できた1958年も、まだアメリカ領のままだった。初戦で敗れて、選手は甲子園の土を集めて持ち帰ろうとしたが、病原菌などの侵入を防ぐ法律のため、「外国の土」とみなされて持ち込めず、泣くなく、海に捨てなければならなかった。 ※月刊ジュニアエラ 2018年8月号より
ジュニアエラ朝日新聞出版読書
AERA with Kids+ 2018/08/13 11:30
剛力彩芽の炎上で綾瀬はるかの「ぶっちゃけなさ」が貴重な夏
矢部万紀子 矢部万紀子
剛力彩芽の炎上で綾瀬はるかの「ぶっちゃけなさ」が貴重な夏
綾瀬はるか(c)朝日新聞社 矢部万紀子(やべまきこ)1961年三重県生まれ、横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』  ドラマ「義母と娘のブルース」(TBS)を気に入って見ている。こういうタイプの女性を演じる綾瀬はるかが好きなのだ。  どんなタイプかと言えば、感情を抑える人。いまはやりの表現なら、ぶっちゃけない人というところか。  「義母と娘のブルース」(TBSテレビ)で綾瀬は、元キャリアウーマンの亜希子を演じている。小学3年生の娘がいる人と結婚し専業主婦になったが、言葉と着ている服は一貫してビジネスモード。  「おかえりなさいませ、みゆきちゃん」。そう言って、スーツ姿で娘を迎える。  PTAで威張ってる幹部グループに対しても感情的になるのでなく、冷静に「エビデンス」を問う。それから非合理性を指摘するが、それもビジネスモード。「わかりました。それなら私が一人で運動会を仕切ります」と最後に言ってしまうが、それも同じ調子。  感情の起伏がないのではない。PTAでは納得がいかないからこそ質問を重ねていたし、理不尽さに憤ってもいた。だけど、どんな場面でも「感情をぶちまける」感じにならない。抑制が効いている。  思えば綾瀬は、「奥様は、取り扱い注意」(2017年日本テレビ)で演じた「悪と戦う、めちゃくちゃ身体能力の高い専業主婦」でもそうだった。追い詰められたご近所主婦に「私が助けてあげる」と言うときも高ぶらなかった。「JINー仁ー」(09年と11年・TBSテレビ)の「タイムスリップしてきた医者を手伝う、旗本の娘」も同様で、「咲は、武士の娘にございます」といつも毅然として彼を助け、恋する気持ちを外に出そうとしなかった。  是枝裕和監督のカンヌへの道程「海街diary」(15年)では、「妻のいる人と交際しているしっかりものの長女」だった。相手が1人住むマンションで食事を作り、2人で静かに食べ、妹たちの待つ家に帰った。  と、熱心に見た綾瀬の出演作を振り返ってみた。設定は違いこそすれ共通するのは、感情を抑え、コントロールする女性だった。そういう役が似合う綾瀬という人もそういう人なのではと勝手に思い、ダブルで好きと思っている今日この頃だ。 付け加えるなら、どの女性にも意志の強さとあたたかさがあった。そういう女性の、つい感情が溢れる瞬間を綾瀬はとても上手に演じる。 「義母と娘のブルース」では、世事に疎いが仕事のできる鉄鋼メーカーの営業部長という役どころ。その仕事ぶりに目をつけた、同業他社の営業マン(竹野内豊)に求婚される。彼は妻と死別して、娘を一人で育てている。その人がなぜ営業部長にプロポーズし、彼女はなぜそれを受けたのか。詳細が4回で明らかになった。  なぜ受けてくれたのか、と当の夫に尋ねられ、亜希子はこう答える。  「私は、人恋しかったんだと思います」  「は」と「人」の間のちょっとした間が、とてもよい。  プロポーズされた前日のことを語る亜希子。仕事から帰り、とてもおもしろいマンガを夢中で読んでいたら、最後のページに「作者急逝のため、この作品は未完です」とあった。ショックで、そのことを誰かに話したかった。そう説明して、こう言う。  「仕事でもない、さして重要でもない話をする相手が、いなかったんです」  ああ、わかる、わかる。人恋しいって、そういうことだ。こちらも少し胸がキュンとする。すると、亜希子が「くだらない話です。ご放念ください」と慌てて付け加える。恥ずかしそうな感じが、又、よい。 綾瀬の清潔な感じが、演技の根本にあると思う。1985年生まれの33歳。十分にいまどきの人なのに落ち着いた感じがする。ドラマなどの宣伝でたまに出るバラエティーでも、はしゃがない。でもかわいい。好もしい。  SNS時代になって、「感情を表に出す」もっと言うなら「本音をぶちまける」。そういうことが、よしとされすぎている気がしてしょうがない。  プロが評価されるのはよいのだ。「自分にとっての本音」を語ると、見る側が「言葉にできていなかったけど、自分もそう思う」「誰も言えなかったけど、真っ当な指摘」と共感する。そういう「本音職人」の頂点にいるのが、マツコ・デラックスなのだと思う。  だけど、共感を得る、得ないに関係なく、感情を抑制しない人がエライ。そんな風潮がSNS時代にどんどん広がっている気がしてならない。いつの間にか「ぶっちゃけキャラ」などという言葉が、長所を表すようになっている。  昨今話題の、剛力彩芽という人が痛々しい。  こういう風潮に乗せられているとまでは言わないが、ぶっちゃけキャラになってしまっているのに、その自覚がない。いろいろ書いてはいるが、ようは恋愛感情を抑えきれないだけに見える。  まだ25歳の女子だ。ましてや恋人は大金持ち。日帰りでロシアに連れていってくれる。上等な船で昼寝もしてくれる。毎日毎日、ドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」状態だろう。「きっとそうなんだっ、めぐりあえたんだっ、ずぅっと探してった、ひーとーにっ!」な感情が抑えきれないから、インスタをすぐ再開してしまう。  まわりの大人は何とかしてあげられないのだろうか。  店でランチパックを見るたびに、彼女の恋愛を思い出してしまう。ドラマや映画は、これからどうするのだろう。誰を演じても、ZOZOTOWNがチラチラするのは、女優としてはアリなのか。  最後に綾瀬に戻るのだが、そんな時代にあって、彼女の演じる「感情抑えめ女子」「ぶっちゃけないキャラ」は実に貴重なのだ。 そしてこのほど知ったのだが、綾瀬という人はどうやらSNSをしていないらしい。「そうこなくっちゃ」と思う。  綾瀬はるかの「抑制感」が好もしい。そんな、暑すぎる夏。(矢部万紀子)
ドラマ矢部万紀子
dot. 2018/08/06 11:30
メタボ&認知症予防にも 牛乳&レバーで「血管力」UP!
メタボ&認知症予防にも 牛乳&レバーで「血管力」UP!
レバーと牛乳を使った料理(1)チンジャオロース風 (撮影/山内リカ) レバーと牛乳を使った料理(2)ゆでたレバーの香味野菜あえ (撮影/山内リカ) レバーと牛乳を使った料理(3)牛乳スープ(撮影/山内リカ) レバーと牛乳を使った簡単メニュー(週刊朝日 2018年8月10日号より)  昔は飲んでいたけれど、太ったり、おなかが緩くなったりするからちょっと……と敬遠されがちな「牛乳」と、下処理が面倒でクセがあることから、そもそも普段の食卓に上りにくい「レバー」。なんとこの二つの食材こそ、シニアの“血管力”を高める最強食材なのだ。  まずはレバーから。「血管力を高める」最強食材かどうかは、その栄養成分を見れば一目瞭然だ。ビタミンA、B群、鉄、亜鉛、銅などの含有量は、食品のなかでトップクラス。一方で、脂質やエネルギーは低い。『栄養素の通になる』などの著書がある女子栄養大学教授の上西一弘さんは、なかでも“鉄”と“ビタミンA”の多さに注目する。  鉄は血液中のヘモグロビンの材料で、肺から取り込んだ酸素を全身の細胞に送り届けている。また、血液中の酸素を筋肉などに取り込む役目も担っている。鉄不足による貧血というと、若い女性に多いというイメージがある。だが、シニアもその年代ほどではないものの、鉄不足に注意しなければならないという。 「鉄は小松菜などにも含まれますが、同じ量で比べるとレバーの半分以下です。しかも、レバーなど動物性食品の鉄は“ヘム鉄”で、野菜などに含まれる植物性食品の鉄よりも吸収率が高いといわれています」(上西さん)  また、レバーに含まれるビタミンAは、血管や皮膚の粘膜の上皮をつくるのに欠かせない。余談だが、目の健康にも不可欠で、疲れ目や夕方になって見えにくくなったときにとるとよいという。  なお、レバーに含まれるビタミンAはレチノールといい、妊婦が過剰にとると胎児の発育に問題が生じることがあるため、気を付けなければならないが、シニアなら問題ないそうだ。  さらに夏バテや、加齢によって痩せ細って心身の機能が低下するフレイルの予防にも、レバーが最適。一つの食品でたんぱく質とビタミンB6、B12、亜鉛が一緒にとれるからだ。 「筋肉をつけるには、たんぱく質をとるだけではダメ。たんぱく質の代謝や合成を助けるビタミンB群や亜鉛が必要なのです」(同)  臨床栄養実践協会理事長の足立香代子さんも、シニアには“レバー推し”だ。 「最近の研究で、アルツハイマー病の予防にビタミンB6とB12と葉酸がよいことがわかりました。レバーにはこれらの成分がすべて含まれています」  上西さんによると、とる目安は、活動量が多いシニアなら1~2週間に1回程度、それ以外は2週間~1カ月に1回程度。量は焼き肉なら2枚、焼き鳥なら一串、レバニラは半分ぐらいが適量。大量に食べる必要がなく、無理なく続けられそうだ。逆に体にいいからと、とりすぎはあまりよくないという。 「レバーには鶏、豚、牛があります。鶏と豚のレバーは牛の10倍のビタミンAが含まれていて、とりすぎによる過剰症(頭痛など)につながるため、多めにとるときは、牛を選ぶようにしましょう」(上西さん)  家庭でレバーを調理したいという人もいるだろう。そこで足立さんにレバニラ以外の調理法を聞いた。 「むずかしく考える必要はありません。細く切ってチンジャオロースの牛肉の代わりにしたり、ゆでてネギミソやゴマだれであえたり。ふつうの肉の代わりに使えばいいのです。暑いのが気にならなければ、フリッターにして揚げてもOK。レバーは脂がとても少ないので、油を使った料理でもカロリーを抑えられます」  下処理のポイントは、よく洗い、ショウガを入れた水や牛乳などに漬けて臭みをとること。料理では香味野菜や香辛料を使うことで、レバー特有のクセが気にならなくなる。  牛乳も、“血管力”を高める最強食材の一つ。とくに血圧と血糖値への効果が期待されている。 「牛乳に含まれるミルクプロテインには、血圧を下げる作用があることが明らかになっています。また、食事中に牛乳を飲むことで、血糖値の急激な上昇を抑えることもわかってきました」(上西さん)  もちろん、骨粗しょう症対策にもなる。牛乳のカルシウムの吸収率は約40%。小魚が30%、野菜が20%なので、ほかの食材よりも高く、効率よくカルシウムを摂取することができる。 ■メタボに認知症、減量にも有効  牛乳の健康効果はほかにも。2000年ぐらいから、牛乳がメタボのリスクを下げるという研究が、相次いで出てきたのだ。  例えば、アメリカでは45歳以上の女性約1万人を、牛乳・乳製品の摂取量によって四つのグループに分け、肥満との関係をみた。すると牛乳・乳製品を多くとるグループのほうがメタボ発症のリスクが下がっていた。  日本人を対象に調べた上西さんの研究でも、牛乳・乳製品をとっている女性は、体重が軽く、ウエストが細いという結果が出た。  肥満だけではない。牛乳には認知症の予防効果が期待できることも明らかに。わが国最大の疫学調査に、福岡県にある久山町の住人を観察した「久山町研究」がある。60歳以上の住民1千人を対象に、食生活と認知症発症との関連を調べたところ、「牛乳・乳製品の摂取量が多いほど認知症発症リスクが低くなる」ことがわかったのだ。  では、1日にどれくらい牛乳・乳製品をとればいいのか。上西さんは「日々の食事にプラス200cc」とアドバイスする。先の久山町研究では、最も多く飲んでいるグループは、男性が174グラム以上、女性は198グラム以上だった。脂肪が気になる人は、低脂肪、無脂肪のものを選び、医師が牛乳の摂取を止めている場合は、その指示に従うこと。 「牛乳はミネラルやたんぱく質が豊富なので、熱中症対策としての水分補給にも最適です」(同)  牛乳が苦手な人のなかには、飲むとおなかが緩くなるからという理由を挙げる人もいるだろう。これは、牛乳に含まれる乳糖を分解できない乳糖不耐症のため。そういう人は牛乳を温めて、ゆっくりと噛むようにとるとよいそうだ。  足立さんのお勧めは、市販のインスタントスープを作るときに、お湯の代わりに温めた牛乳を使うという方法。スムージーなども牛乳で割ると、飲むヨーグルトのような味わいになる。  記者も足立さんから聞いた料理に挑戦。作ったのはゆでたレバーを香味野菜としょうゆであえた料理、スープの牛乳割りなど(写真)。レバーは香味野菜を使うことでクセもなく、やみつきになりそうな味に。酒のさかなにもぴったり。スープは手軽に作れて、小腹が空いたときによさそうだ。  シニアを元気づける〝血管食材〟のレバーと牛乳。それ以外にも、さまざまな効用が期待できる最強食材といえそうだ。特にこれからの時期、熱中症や夏バテ防止、健康増進のために、積極的にとるようにしよう。(本誌・山内リカ) ※週刊朝日 2018年8月10日号
ダイエット
週刊朝日 2018/08/05 07:00
奥原希望が新境地「休むこともプラス」気づいたきっかけは?
奥原希望が新境地「休むこともプラス」気づいたきっかけは?
奥原希望(おくはら・のぞみ)/個人で約11カ月ぶりに優勝したタイ・オープンを終えて帰国した成田空港で、報道陣の質問に笑顔で答えた (c)朝日新聞社 三宅宏実(みやけ・ひろみ)/5月の全日本選手権では、右足の付け根にけがを抱えながら練習を大きく上回る記録で優勝した (c)朝日新聞社  東京五輪・パラリンピック開幕まで2年を切った。アスリートたちはリオデジャネイロで届かなった思いを胸に高みを目指している。 *  *  * ●重量挙げ 三宅宏実 ケガ越えて見せつける凄み  日本の女子重量挙げ界を牽引してきた三宅宏実(いちご)は、東京五輪を集大成の場として見据えている。五輪にはアテネから4大会連続で出場。ロンドンで銀、リオで銅を獲得した。2年後の東京五輪、目指すものは一つだけだ。 「イメージはいいものを常に描いている。一番高い、どのアスリートも金メダルを目指して練習していると思う」  国際重量挙げ連盟は7月5日の理事会で、東京五輪での体重区分を変更した。女子の最軽量は49キロ級となり、三宅は従来の48キロ級より1キロ重い階級に挑む予定だ。  11月で33歳。持病の腰痛は完治が難しく「うまく付き合うしかない」状態だ。ときに自然と腰をかばう動作が出て、ほかの部分をけがしてしまうリスクも抱える。試合当日にどれだけ肉体を100%に近づけられるかが、勝負どころになりそうだ。  対策の一つとして、食事改善に取り組んでいる。栄養士の指導のもと「脂質は1日60グラムまで」など、より食事に気を配っているという。 「パンよりもご飯の方が脂質は少ないなど勉強になる。あとは三食重ならないよう、朝に豚肉を食べたら昼は牛肉、魚とか。一日楽しんで食べられるようにサポートしてもらっている」  努力の成果は、5月に石川県のいしかわ総合スポーツセンターで行われた全日本選手権にも表れた。第1日の25日に48キロに出場し、トータル181キロ(スナッチ78、ジャーク103)で優勝した。ジャークでは1本目で挙げた98キロから、一気に102キロに設定。父親で監督である日本ウエイトリフティング協会の三宅義行会長に「勝つための作戦」と押し切られると腹を決め、「できる、筋肉は覚えているはず」と気合で持ち上げた。3本目には103キロまで伸ばしている。  実は大会の約2週間前には右足付け根を痛めていた。練習で挙げた重量はスナッチが72キロ、ジャークは97キロ。「6割ぐらい」というコンディションのなか、土壇場で最大限の力を発揮する凄みを見せつけた。  周囲では衰えを指摘する声もあるというが、「ピークから下がっていると思われるのは、悔しい。復活して、もう一回記録を出したい」。悲観的な雑音をモチベーションに変えている。 「私自身、一年一年、色々なストーリーになっていくとは思うけど、変化にも対応できるアスリートになりたい」。夢を現実に変えるため、きょうも厳しいトレーニングに励む。(朝日新聞記者・遠田寛生) ●バドミントン 奥原希望 新境地「休むこともプラス」  7月16日。バドミントンのタイ・オープンで個人では約11カ月ぶりに優勝し、成田空港に帰国した奥原希望(日本ユニシス)の表情は晴れやかだった。 「早くたどりつきたかった場所なので。とりあえず、優勝できてホッとしています」。この1年間、自分と向き合ってきた思いの強さを感じた。  リオ五輪で銅メダル。昨年8月に日本選手として初めてシングルスで世界選手権を制し、今年5月には女子ユーバー杯で37年ぶりの団体優勝に貢献した。この1年間で、個人でも団体でも世界一。順風満帆にみえるが、その陰で悩み、もがいてきた。  昨年11月の全日本総合選手権1回戦。右膝の痛みを抱えてコートに立った奥原はわずか5分で退いた。会場もどよめく、突然の棄権。唇をかみ、目に涙をためながら話した。 「苦しい決断ですけど、自分が目指す東京五輪に向けたらこうするしかなかった」。満足にプレーできない自分へのもどかしさを抱えていた。  156センチの小柄な身体で走り回り、驚異的なスタミナで相手のシャトルを徹底的に拾う。「世界一しつこい」と恐れられるそのプレースタイルは、半面、常にけがとの戦いだった。  リオ五輪前に両膝を手術。五輪後に右肩を痛めた。そして世界選手権を制した直後にまた膝。「正直、なんでまた、という思いもある」と明かしたことも。復帰後はコントロール感覚をなかなか取り戻せず、焦りを感じた。  そんな奥原が「新しい境地が見えてきたんです」と言ったのは、5月のことだった。 「最近は、休むこともプラスだと捉えられるようになってきた」  幼少期からとにかく練習熱心で、365日、休むことなく練習した。埼玉・大宮東高時代に指導した大高史夫さんは「こっちが止めないと、本当に休まない」。夜9時近くまで体育館で練習し、自主練を終え、疲れていても1時間走りにいった。ただ、けがを重ね、追い込まれて、気づいたのだという。「休む勇気も必要なんだ」と。  奥原家では正月に目標を油性ペンで書き、家の壁に貼る。2018年に書いた言葉は「適度」。「○○大会で優勝する」「メダルをとる」といったこれまでの言葉が大きく変わった。  世界一も経験し、「自分が自信を持ってコートに立てれば、結果はついてくると思えるようになった」。目標とする20年に向け、一歩ずつ、進んでいる。(朝日新聞記者・照屋健) ※AERA 2018年8月6 日号
AERA 2018/08/03 16:00
乳がんを乗り越え48歳で結婚した女性を待っていた現実と幸福
乳がんを乗り越え48歳で結婚した女性を待っていた現実と幸福
長年勤めた会社を結婚と同時に退社。職場の同僚が送別会を兼ねた披露宴を開いてくれた(※写真はイメージ) 「私たち、結婚しました!」――続けて届いた2通の結婚報告はがき。お葬式に参列することのほうが増えていたというのに、まさか同年代である50代の友人から結婚話を聞かされるとは。もしかして、と調べたところ、ここ20数年で50歳前後の結婚増加が判明。総数から見れば少ないものの、“50歳からの結婚”が増えていることは間違いないようだ。連載「50歳から結婚してみませんか?」では、結婚という大きな決断を50歳で下すことになった5人の女性の本音とリアルに迫る。第6回は、2度の乳がんを乗り越えて48歳で結婚した小田美代子さん(仮名・54歳・会社員)の後編をお届けする。 *  *  *  48歳で大きな決断をした小田さん。両親に報告すると、とても喜んでくれた。 「両親は私の病気のことを考えると結婚は難しいし、しないだろうと思っていたので本当に驚いていましたね。でも、今までの経緯や彼の人柄を話すと、心から祝福してくれました。病気になって以来、私もこれでひとつ親孝行ができたとホッとしましたね」  それからは結婚に向けて一直線。まず、彼が小田さんの両親に挨拶に訪れ、両親の太鼓判をもらった。その後、彼の両親へ挨拶に出かけた。 「彼のご両親に挨拶に行くのは、とても不安でした。彼が前もって私の今までの状況、そして今後のことを話しておいてくれていたのですが、果たして本当に受けて入れてもらえるのかわかりませんでしたし、正直反対されても仕方ないと思っていました」  しかし、小田さんの心配は杞憂に終わった。 「私の親のように手放しで喜んでくれたわけではありませんが、至って普通の反応で、私の病気にも見えすいた同情がなかったんです。それが、逆に私にはうれしかったですね。よく考えてみれば、彼のような心がとても素敵な人のご両親ですから、いい方たちに決まっているんです。でも、最初はとても緊張しましたよ。義父母との関係は、とても良好で、ときどき食事や買い物に一緒に出かけます。特に義母は思いやりが深く、慈愛に満ちています。見習うべき点がとても多く、尊敬する女性のひとりですね」  披露宴はふたりの希望で親族だけでアットホームに。その後、職場の同僚たちが披露宴のような盛大な会を開いてくれた。結婚を機に会社を辞めることになっていた小田さんの送別会も兼ねた会だった。 「私は職場始まって以来の永年勤続者ということで送別会には義母と母も招待していただいたんです。義母も母も本当に喜んでくれ、一生忘れられない素敵な会になりました。初めはそんな会は気恥ずかしく、さほど乗り気ではなかったんですが、ドレスを着て、いつもとは違うメイクをしてもらって、とても華やいだ気持ちで幸せをかみしめました。年齢に関係なく、やっていただいて本当によかった。改めて多くの人に支えられて生きてきたことに感謝し、彼となら、これから先どんなことがあっても乗り越えられると再認識した日でもありましたね」 ■毎日、新しい発見と驚きの連続で人生の楽しさが倍増  同僚たちが行ってくれた温かいお祝いの会を胸に新しい生活をスタートさせてから、11月で丸5年を迎える。  夫婦になったとはいえ、今まで違う環境で育ってきた人との生活がどんな風になるのか、多少の不安があったが、同じぐらいに面白さと新しい発見の毎日だった。 「結婚当初は独身が長い者同士、カルチャーショックと戸惑いの連続でした(笑)。いちばん驚いたのが、テレビやDVDに集中していると話しかけても返事がないんです。最初は聞こえていないのかなと思ったんですが、どうもそうではない。集中しすぎているだけでした。以後、『どんなときでも返事はきちんとする』ということで落着。次に驚いたのが、まだ親からお年玉をもらっていたことです。社会人になったら、子どもが親にあげるのが普通だと思っていましたし、現に私はそうしていましたが夫は違ったんです。これには、お互いびっくりでしたね。ほかにも夏でも毎日、湯舟に浸かる(女子みたい! と私の心の声)、私はシャワー。値段を気にせず買い物する(そんな買い物の仕方では、いつか破産する。再び私の心の声)、私はできるだけ安価なものを探すなど数えたらきりがありません。このように驚きの毎日でしたが、自分の知らない習慣や考え方を知る快感があって、得した気分。人生2倍楽しんでいる気がします」  ほかにも時間の使い方や怒りの沸点までの時間なども違っていた。 「他人からは私は穏やかに見えるようなんですが、実は結構、怒りっぽい。でも、主人はもともと、やさしいというのもあり、怒りまでの沸点が遅いんですね。だから、ケンカになることは、ほとんどありません。また、6つ年下ですが、話しが合わないということもなく、むしろ年下ながら、見習うことや教わることが多いですね。人当たりがよく、高齢者や近隣の方々たちをとても大事にするから、近所の評判がとってもいい。おかげで、私もその恩恵に与っています。もし、若い頃に結婚していたら、よくできた夫に対して嫉妬をしていたんじゃないかな。今は、そんなことはなく、謙虚な気持ちでいられるのも50歳婚のおかげだと思います。私もダテに歳は取っていないなと(笑)」  大病を経験したことで日々の食事作りには特に気を遣っている。 「自分が病気をしたのと私たち夫婦の年齢を考えて健康のため、食事には特に気をつけています。できる範囲で減農薬や無農薬のものを使い、塩分、糖質、カロリーを控えめです。夫はランチで肉を食べることが多いので『夜は魚料理を』とリクエストされますが、なかなかレパトリーが増えないのが目下の悩み。結婚当初は同じようなメニューが続いたものですが、夫は文句を言わずに食べてくれました。それに結婚してわかったのが、2人分を作る難しさです。独身時代は家族4人分だったので、どうもそのクセが抜けなくてついつい大量に作ってしまいます」 ■介護も子供がいないのも想定内 ふたりでいれば乗り越えられる  こうして日々、新しい発見と成長をしながら過ごしてきた5年間だが、50歳婚が直面する問題のひとつ、親の介護を抱えている。 「実家の父が数年前に脳出血で倒れ、幸い一命を取りとめたものの現在は要介護5で施設に入所しています。基本的には母が毎日、施設に通っていますが、母も高齢なので、時間が許す限り私も行くようにしています。夫はそれについても、とても理解があり、嫌な顔せずに協力してくれます。休日にはふたりで行くことも多く、両親も喜んでくれていますね。夫の両親は幸い元気ですが、いずれ介護が必要になる日かくるかもしれません。そんなときが来たら、もちろん全力でお世話しますよ。そう素直に思えるのも自分が病気をし、周りのみんなに支えられてきたからです」  年齢や病気のことなど総合的に考えると結婚する前から子どもは人生設計にはなかった。 「若い頃、結婚は考えていませんでしたが、子どもが好きだったので病気をする前は子どもは欲しいと思っていました。でも、2度もがんを患い、1度目の乳がんが治った後に子宮内膜症の手術もしているので、子どもを授かることは難しい。その代わり、甥や姪、友人の子どもたちをかわいがっています。それに、夫ひとりでも大変なのに子どもがいたら、もっと大変なんだと想像すると、私には夫とふたりの生活が合っているんだと思います。夫婦のスキンシップも猫のようにやさしく、穏やかなものです。私たちには、それが心地よく、ちょうどいいんですね」 ■結婚適齢期は人それぞれ その人に合った時期があるのを実感  結婚は人生の想定外だったが、5年目にして思うことを改めて聞いてみた。 「結婚が人生のすべてではありませんし、そう思う気持ちは今も変わっていませんが、私は結婚して本当によかったと思います。モノクロがカラーに、無味が味わいのあるものに、細山道が太山道になりました。人生が深く、豊かなものになったのは確かですね。そして、結婚年齢は、その人にしかないいちばんいい時期があるということがわかりました。若い頃に何度がプロポーズされたこともありますが、私が結婚するのは、そのタイミングではなかったんですね。結婚に関心がなかったということもありますが……。50歳近くになって、若い頃では巡り会えなかったとてもいい人と巡り会えました。ただ、出産のことを考えれば、特に女性の場合は若いほうがいいのかもしれません。でも、結婚と同じで人生ってそれだけじゃないと思うんです。それよりも、自分なりにいろんな経験を積み、成熟した後の結婚は若いときに結婚するのとはまた違った味わい深さがあります。夫のことは、もちろん好きですが、そういう感情を超越して何かつらいことや大変なことがあったときに立ち返るのは、いつでも夫への感謝の気持ちです。これからも、この気持ちを忘れずに夫を支えながら、ふたり仲良く年齢を重ねていきたいですね」 (取材・文/須藤桃子) 須藤桃子(すどうももこ) 1965年東京生まれ。フリーライター。女性の生き方、料理、健康、ペット(特に猫)系を中心に活動
婚活結婚須藤桃子50歳から結婚してみませんか?
dot. 2018/08/03 16:00
スポーツは「観戦」より「参戦」の時代 “新競技”に魅せられる人が増加中
スポーツは「観戦」より「参戦」の時代 “新競技”に魅せられる人が増加中
パデル/壁にボールがぶつかると、何が起こるか分からない。パワーや技術だけでは勝てない新感覚スポーツだ(撮影/横関一浩) 壁の存在とともにテニスと異なる要素がラケット。網がなく、軽くて持ちやすい。インスタ映えもばっちり!(撮影/横関一浩) ビリッカー/巨大な台のビリヤードをサッカーボールで楽しむイメージ。老若男女、誰でも簡単に競技ができ、エンターテインメント性は抜群だ(撮影/写真部・片山菜緒子) 「楽しむ」から生まれた新感覚スポーツ(AERA 2018年8月6日号より) 東京五輪で開催される新感覚協議(AERA 2018年8月6日号より) 「パデル」に「ビリッカー」。誰もが気軽に楽しめる新競技が広がっている。既成概念をなくせば、階段昇降やひと駅歩きだって立派なスポーツだ。 *  *  *  ラケットでボールを打ち返す軽快な音に交じって、瀧田瑞月コーチ(26)の声が響く。 「自分がどういうボールを打ちたいのかイメージしてね……あっ、みんな聞いていないからいいや。次、行きまーす」  指導を受ける20~50代の男女6人が、すかさず反応する。 「聞いてるわよ!」「聞いてるってー」  コーチは「聞いてません! いつも通りです。このメンバーは自由すぎるから」。笑い声があちこちから上がる。にぎやかな練習風景に、見ているこちらも笑顔になった。  6月28日午後7時過ぎ、東京都練馬区内のスポーツ施設での光景だ。テニスコートが何面も広がる施設の一角に、強化ガラスと金網でできた壁に囲まれた奇妙なコートがある。ネットを挟んで黄色いボールを打ち返すのはテニスそのものだが、コートはテニスの半分の広さ。ラケットは板状で網がなく、小さな穴が複数開いている。  スペインで生まれた新感覚スポーツ「パデル」の練習会を取材した。  6ゲーム3セットで勝敗を決めるルールはテニスと大差ないが、サーブは下から打たないといけない。壁を使ってボールを打ち返すところはスカッシュのようだ。2016年12月にオープンしたこの施設は、「パデル東京」と呼ばれ、都内で唯一、専用コートがある。初心者から上級者まで愛好家が連日集う。  日本でパデルコートが初めてできたのは13年10月、埼玉県所沢市だった。スペインでパデルが生まれたのは1970年代。それから40年以上を経て日本に初上陸したことになる。16年6月に本格始動した日本パデル協会副会長の玉井勝善さん(43)らによると、初上陸時、パデルを知る人はほとんどいなかったが、今では約1万2千人まで競技人口が増加。専用コートも千葉県や大阪府、京都府や三重県など国内8カ所に広がった。瀧田コーチのように世界ランキングがつく選手も出始め、隔年開催の世界大会(国別団体戦)には今年初めて、女子がアジア代表として出場権を獲得した。 「欧州や南米と比べると競技人口は少ないですが、30年までに100万人まで増やすのが協会の目標です」(玉井さん)  笹川スポーツ財団が出している「スポーツ白書2017」によると、国内の競技実施人口(推計値)はゴルフやサッカーが700万人規模、野球やテニスが400万人規模で、柔道は44万人、ラグビーは39万人だ。  知名度がほとんどないパデルで100万人は驚く目標だが、その可能性に玉井さんは真剣に期待している。IT事業の経営者を辞めてまで普及活動に人生をかけ、国内パデル界の牽引役となった。年齢や性別、運動歴に関係なく誰でも簡単に始められ、気軽に楽しめる庶民的な競技であり、「エンターテインメントスポーツとしての球技でパデル以上のものを知らない」と話す。一方で、一度始めると奥は深く、世界で実力を競い合うアスリート競技としての魅力も十分にあると言う。  IT大手DeNAを退社してまでパデルにのめり込んだ竹口仁子さん(28)も、魅力にとりつかれた一人だ。 「大学からの約10年間、体を動かしていなかった。テニス経験もないのに、初めてパデルをやったら、できてしまった。温泉卓球のような気軽さでした」  パデル歴3年弱だが、今や日本代表の竹口さん。「誰も知らない新スポーツを開拓できる優越感があり、選手としても早く始めたらまだ行けると思った。実は私、スマッシュも強く打てないのに勝てる。壁にボールがあたると跳ね返り方が毎回違うので何が起こるか分からない。テニスでボールがネットに当たって相手コートに落ちてラッキーというのが、何度も起きる感じ。下手でも勝てるから楽しい」  練習に参加していた自営業の白井重喜さんは55歳だ。時間やお金に余裕ができた35歳になり、人生で初めてテニスや卓球といったスポーツを始めた。それまでは体を動かしたいという気持ちよりも、仕事で疲れた体を休ませたいという気持ちの方が強かった。パデル歴は約1年半。現在は週1で約2時間40分のレッスンを受けている。 「テニスや卓球はサーブ一つで決まってしまうが、パデルは初めてでも球が拾えるし、返せる楽しみがある。遊技から入って競技まで徐々に行ける。そして、偶然の勝ちがあるのが魅力で、誰でも勝ったり負けたりを経験できる。日本に来たばかりのスポーツですから、最年長を目指します。70まではやりたい」  出身の千葉県にあるパデル施設も利用しているというが、そこでは55歳の参加者が多いという。「偶然にも同級生と何十年ぶりに再会して盛り上がった。男女入り交じって、わいわいできるのも楽しいです」  協会副会長の玉井さんは、地域をつなぐスポーツとしての役割も重視しており、バーベキューを楽しみながらパデルをやる「肉パデ」が、同施設で一番人気の催しなのだという。  日本代表でパデル歴3年の瀧田コーチはこう見ている。 「健康志向の人が増える中で、仕事後に一緒に気軽に楽しめるスポーツが求められていると、コーチをしていて感じます。リフレッシュできるんです」  健康とコミュニティーづくり。今、この二つがキーワードとなって、スポーツのあり方が国際的に大きく変わろうとしている。ここには「楽しみながら体を動かしたい」「運動を通じて人とつながりたい」という需要の高まりに加え、この二つを地球規模で推進するための環境整備が最優先課題だと位置づける国際社会の共通認識がある。  成人病が生活習慣病と呼ばれるようになって久しいが、世界保健機関(WHO)の統計によると、「身体不活動」が全世界の死亡につながる危険因子(リスクファクター)の第4位となっている。運動不足が多くの重大な病気に直結することを強く警告するものだ。身体活動への関心をいかに高め、運動不足を解消させていくのか。これを各国政府のトップ政策と認識することが「国際的な潮流としてある」と、笹川スポーツ財団スポーツ政策研究所の吉田智彦主任研究員(41)は説明する。  日本では15年にスポーツ庁が発足し、成人の週1回以上のスポーツ実施率を65%(3人に2人)まで引き上げることを政策目標に掲げた。82年(27.9%)以降横ばいだったが、34.8%となった97年から上昇傾向に転じる。数字を押し上げたのはジョギングやウォーキングといった、従来のスポーツよりも広い範囲の身体活動だ。17年は51.5%と初めて5割を上回ったが、吉田さんによると、この年から「ひと駅歩き」や「階段昇降」といった日常生活における運動も対象に含まれたのだという。  数字を上げるための苦肉の策にも見えるが、実は、ひと駅歩きや階段昇降も運動には変わりない。いわゆるサッカーや野球など、初心者にはハードルの高い従来のスポーツを特別視するのではなく、とにかく体を動かすことがスポーツと認識されるようになれば、自由も楽しみも増え、スポーツが一般的なライフスタイルの一つとして浸透する可能性がある。「スポーツ=身体活動」というイメージの定着が重要で、そのため、「国際会議では必ず『スポーツ&身体活動』と両方併記される」(吉田さん)という。  スポーツ庁の世論調査では、運動をできない原因は、仕事や家事、子育てなどの「忙しさ」が常に上位を占めてきた。学生までスポーツをやっていた人でも就職と同時に仕事が忙しくなり、スポーツはやるものから見るものに変わってしまう傾向が日本には長くあった。  吉田さんによると、日本での年代別のスポーツ実施率を棒グラフに落とすと、部活動などの学校体育が盛んな子ども時代と、仕事に余裕が出る中高年時代が比較的高く、20代、30代は低い「U字形」になる。一方欧米では、学校体育が日本ほど浸透していない子ども層や体力が下がる高年齢層よりも、20~30代の若者層が高い逆U字形になるのだという。朝から晩まで働きっぱなしの日本ならではの現象だが、月末金曜のプレミアムフライデー導入や、働き方改革の議論などを通じ、身体活動の促進と直結する政策への転換が日本でも進んでいる。  企業の意識も変化した。社員の健康を念頭に「運動」に注目する企業が増え、企業運動会が盛んになっている。昼間にジョギングができるような柔軟な労働形態を認める会社もあるし、階段の上り下りやウォーキングなどを社員に推奨するための独自プログラムに力を入れる企業もある。同時に、運動会の企画や健康促進プログラムをアウトソーシングすることで、健康促進事業を専門とするビジネスも生まれている。行政や企業、庶民が「健康」や「運動」を接着剤としてつながる好循環が生まれつつあるのだ。 「スポーツを通じて何かをする」という考え方は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)でもうたわれている。 「スポーツや身体活動を通じて健康になる、街づくりをする、コミュニティーをつくるという考え方は、SDGsに則したものだ」と吉田さん。「日本でもスポーツ基本法ができ、スポーツを通じた健康増進や街づくりという考え方が強調されるようになった」という。  20年の東京五輪・パラリンピックが2年後に迫る中、こうした機運はますます高まっていくと予想される。従来の成熟したスポーツを始めるのは無理でも、自分が楽しめる身体活動を自由に選び、好きな時間に好きなだけするというスポーツのあり方が加速する可能性はある。パデルのような新感覚のスポーツを先駆者的に楽しむ人が増えている素地もそこにある。  プレミアムフライデーとなった6月29日、さいたま市の大型複合商業施設コクーンシティで、「ビリッカー」の体験会が開かれた。大きくしたビリヤード台の上で、サッカーボールによく似た球を蹴ってビリヤードを楽しむフランス発祥のスポーツだ。日本ビリッカー協会の鈴木俊和さん(29)によると、日本に導入された15年6月からこれまでに延べ1万人が経験したという。懇親会や歓迎会などの企業イベントでも引き合いがあり、これまでに50社以上でビリッカーを開催した。 「普段運動できない人のためになればと活動しているが、ここまで急速に普及するとは思わなかった。インスタ映えもするし、レア感もある。蹴ることができればいいので敷居も低い。人と人のコミュニケーションにもいいし、おしゃれで気軽なスポーツだと思う」(鈴木さん)  パデルやビリッカーのような新感覚の競技は、スポーツを楽しむ風潮が強い海外の発祥が多い。既存のスポーツを改造したり、融合させたりして新競技を生み出し、SNSなどを通じて競技人口を増やしていく。その王道が、東京五輪から新競技に採用されるまでになったスケートボードやスポーツクライミング、サーフィンだ。  今、日本でも注目すべき動きが出ている。「未来の運動会」と呼ばれる企画で、参加者たちが最初の数日間、何をしたいのかを話し合い、最終日にそれを行うという究極の参加型・体験イベントだ。8月10日から3日間、東京・渋谷で開催される。これまでに山口市や大阪市などで10回以上開催され、参加者らが独自に考えたVRやドローン、レーザービームといったテクノロジーと掛け合わせた競技などが行われた。  既存スポーツの概念にとらわれない自由な発想でやりたいことを自分たちで決め、大勢で楽しむ。まさにスポーツ新時代の要素を全て取り込んだ先駆的、象徴的な取り組みといえ、「これは新しい動きだと注目しています」と前出の笹川スポーツ財団の吉田さんも感心する。 「一緒に体を動かしたい、動かし方も自分たちで決めるのなら行ってみたいという人が増えているのでしょう。結果的にSDGsが目指すスポーツを通じたコミュニティーづくりになっているのが、とても興味深い」 (編集部・山本大輔) ※AERA 2018年8月6日号
AERA 2018/08/02 11:30
肌の潤い、髪のつやにも…「プロテイン」飲んで若さを保つ方法
肌の潤い、髪のつやにも…「プロテイン」飲んで若さを保つ方法
写真はイメージです (c)朝日新聞社 低栄養傾向者の割合(65歳以上の人) プロテインの市場規模の推移  血管を若々しく保つのに大切な栄養素が、たんぱく質(プロテイン)。血管だけでなく、骨、皮膚、血液、筋肉や内臓などをかたちづくる大切な栄養素だ。食事での摂取が基本となるが、食の細った高齢者など不足気味の人にはサプリメントも有効だ。  サプリメントとしてのプロテインはかつて、アスリート向けの特別な商品というイメージが強かった。激しい練習で運動量が多く、筋肉や血液などのダメージが大きい人向け。しかし、最近は米国のように、一般の人も使うようになってきた。日本でも市場が拡大している。 「日本人は胃酸と消化酵素が少なく、十分に消化吸収できていないため、必要量のたんぱく質をとれていない人が多い」  美容アンチエイジング専門医の黒田愛美医師はそう話す。自らもスポーツ後などに、たんぱく質を補うため、プロテインを摂取することがあるという。たんぱく質が不足すると、肌の潤いや髪の毛の色つやにも影響するため、美容に関心の高い女性は気をつけたい。  国内のプロテイン市場は近年、急拡大している。販売シェアの約半分を占める明治によると、2017年は300億円規模。買う人がアスリートから一般の人にも広がり、国内外の様々な企業が参入している。ただ、米国の約5千億円、英国の約500億円と比べ、日本の市場規模はまだ小さい。  明治は、陸上女子100・200メートルの日本記録保持者の福島千里選手を栄養面でサポートしている。福島選手は練習後などに、同社のプロテイン「ザバス」などを摂取しているという。  激しい練習をする運動選手となれば、体重1キログラムに対し、2グラムほどのたんぱく質をとる必要があるという。一般人の2倍ほどの量で、食事だけでとろうとすると、大量に食べなくてはいけない。すると、カロリーや脂肪など他の栄養をとりすぎてしまう問題も生まれ、プロテインを使うことが有効になる。  国内のプロテイン市場で約1割のシェアを持つ森永製菓によると、商品の購入者は30~40代の男性が多い。ただ、最近は50~60代も増えているという。  プロテインは主に牛乳からつくるホエイや、大豆などからつくる植物性の商品がある。ホエイは吸収が早いが、アレルギー反応を示す人もいる。  摂取方法は、粉末を水などに溶かして飲むのが一般的だ。口にしやすいようにゼリー状やドリンクタイプの商品もあるが、甘みが強くて糖分をとりすぎる恐れもあるため、注意が必要だ。  たんぱく質の毎日の摂取の目安は、体重1キログラムに対して1グラム。厚生労働省は、成人男性60グラム、成人女性50グラムを推奨している。  食の細くなった高齢者には、エネルギーやたんぱく質が不足する低栄養の状態に陥っている人も多い。  厚生労働省の16年の「国民健康・栄養調査」によると、65歳以上の低栄養傾向者の割合は、男性12.8%、女性22.0%。伴侶を失って一人暮らしになった人らは、買い物や料理がわずらわしくなったり、食事への関心が薄れて同じものばかり食べたりしがち。食事の回数が減り、食生活も単調になる。たんぱく質不足から血管や筋肉が弱ると、健康寿命を長く保てなくなる。  徳島県で栄養に関する講演やカウンセリングをしている、スポーツ栄養士の南部真也氏はこう指摘する。 「プロテインは体に吸収しやすいようにつくられている。吸収がよいということは、胃腸をそれほど動かさなくてもよいということ。きちんとした食事ならば、消化液がしっかりと出る。プロテインは特定の栄養素しか入っていないが、食べ物には色々な栄養素が入っている」  保健衛生や妊婦・育児のコンサルタントなどをする「とらうべ」(東京都)の管理栄養士、山本ともよさんは「栄養摂取は、かんで食べることが大事なポイントで、消化吸収にも影響する。たんぱく質もできるだけ食事での摂取がよいが、高齢の方など食事からとれない人にはプロテインを勧めることもある」という。  山本さんによると、食事を自分でつくらず、パンだけ、おにぎりだけといった食生活の人もいる。高齢者だけでなく、食事量の少ない若い女性や、卵や牛乳のアレルギーがある子供なども、食事だけだとたんぱく質が足りない。こうした人たちは、プロテインの摂取が選択肢になる。 「植物性の商品は、イソフラボンや女性ホルモンを整えるものが入っているため、女性にお勧めすることが多い」と山本さん。  日々の食事で、どのくらいのたんぱく質を摂取しており、どの程度不足しているのだろうか。栄養士のような専門家に相談できるとよいが、自分でもある程度は割り出せる。  栄養計算のできるスマートフォン向けの無料アプリが数多くある。アプリ内のメニューを自分の食事と照らし合わせて選んだり、自分の食事を写真撮影すると人工知能(AI)が解析してくれたりする。不足量がわかれば、どのくらいの量をとるべきかがわかる。  東京都内にある出張型パーソナルトレーニングの「GOALS」で代表パートナー(トレーナー)を務める福田雄基氏は、栄養に気を配るだけでなく、しっかりと運動することの意義を強調する。 「筋力低下を防ぐには、運動するしかない。プロテインはとりすぎると良くないので、自分は筋トレのとき以外は摂取しない」  プロテインはとりすぎると肝臓や腎臓への悪影響が指摘されている。因果関係の解明が難しく、過剰摂取で健康を損なったという明確な事例は聞かないが、代謝に影響が出たとの報告はある。  たんぱく質は体内で合成と分解を繰り返し、余ったものは分解されて窒素になる。不要な窒素はアンモニアに変わり、肝臓で尿素になって腎臓から尿として排出される。その際、たんぱく質を過剰にとると、肝臓や腎臓への負担が大きくなるという。  過剰摂取には気をつけ、うまく活用したい。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日  2018年8月10日号
週刊朝日 2018/08/02 07:00
谷亮子もなし得なかった“野獣”松本薫が目指す「ママでも金」
谷亮子もなし得なかった“野獣”松本薫が目指す「ママでも金」
松本薫(まつもと・かおり)/1年10カ月ぶりに復帰した6月の全日本実業団体対抗大会で、試合を終えて笑顔を見せた (c)朝日新聞社  2020年の東京五輪・パラリンピック開幕まで2年を切った。アスリートたちはリオデジャネイロの悔しさを胸に、きょうも歩み続けている。最高の舞台で、最高の結果を。目指すものは、ただ一つだ。 *  *  * ●卓球 石川佳純 リーダーとして頂点に挑む  卓球の石川佳純(全農)は円熟期の27歳で2020年を迎える。「(世界最強の)中国との差も、縮まっていると感じる」。「今年最大の目標」として挑んだ5月の世界団体選手権(スウェーデン・ハルムスタード)では主将として日本女子の3大会連続の銀メダル獲得に貢献し、リオ五輪からの成長を実感した。  予期せぬ事態が起きたのは5月4日の準決勝だ。韓国と北朝鮮が準々決勝で対戦せず、急遽、南北合同チームを組んで日本と対戦することになった。大会期間中の突然の決定に「公平性を損ねる」との声も上がった。  石川自身も「すごく衝撃を受けた。いきなりベンチが(5席から)10席になったのを聞いたりだとか。『試合だけじゃないの? 変わることは』みたいなところも多くて」と振り返る。それでも「絶対に負けられない」と前を向いた。  迎えた試合。2番手でコートに立った石川の相手は、2年前のリオ五輪シングルス銅メダルのキム・ソンイだった。ゲームカウント2-2にもつれる接戦になった。  最終第5ゲームも、10-10のジュース。石川が放った強打を、キムが食らいついて返球。その浮き球が、台の角(エッジ)に入って10-11。会場がどよめいた。「やばいな」。不運な失点でマッチポイントを握られた石川は、思った。だが、ここからスイッチが入った。  すかさず気持ちを入れ替え、13-12。だが、ここでもエッジボールで13-13。さらに13-14とされた。それでも「絶対に負けられない」。3連続得点で、勝利をもぎとった。自然とほおに涙が伝った。  絶体絶命のピンチを跳ね返せたのは、リオ五輪の苦い経験があったからだ。シングルスの初戦の3回戦でキムと対戦。終盤に右ふくらはぎがけいれんした影響もあり、3-4で敗れた。 「リオの時と同じじゃだめだと思って、自分を信じた」  いま、日本女子は平野美宇、伊藤美誠、早田ひなの「高3トリオ」ら若手の台頭が著しい。 「今までは年下ということもあって、自分のことだけやるのが仕事かなと思っていた。でも、年上になって自分自身もやらなきゃなという自覚が出た」。練習でも、積極的に若手選手に声を掛けるなどしている。  東京五輪では、新種目として混合ダブルスも加わる。石川は昨年の世界選手権で吉村真晴と組んで金メダルを獲得した。悲願の五輪金メダルに向け、さらに心技体を磨いていく覚悟だ。(朝日新聞記者・前田大輔) ●柔道 松本薫 野獣が目指す「ママでも金」 「柔道と子育ての両立は忍耐。しんどいですけど、娘を見るとかわいくて仕方がない」。ロンドンで金、リオで銅と2大会続けてメダルをつかんだ柔道女子57キロ級の松本薫(ベネシード)が畳に帰ってきた。結婚、出産を経て、30歳での再出発だ。  リオ五輪の後、帝京大学時代から8年間交際した1学年上の料理人の男性と結婚。昨年6月に女児を出産した。産後1カ月で本格的な稽古を再開し、今年6月、福岡県久留米市であった実業団の大会で実戦に復帰した。 「以前なら『始め』の声で相手に圧力をかけていたのに、最初は忘れてしまっていた」とブランクゆえの戸惑いはあったが、鋭い技のキレを見せ、2戦2勝。2戦とも開始約1分での一本勝ちだった。  気迫あふれる表情で「野獣」の愛称が定着。1年10カ月ぶりの復帰戦でも、相手をにらみつける眼光は健在だった。しかし、勝負が終われば優しい母の顔に変化する。試合のため娘を東京に置き、初めて3日間も母子が離ればなれになったという。 「旦那に聞くと、泣いてばかりとか。それを聞いて涙が出そうで。早く帰って、ギュッとして、チューします」と集まった報道陣を和やかに笑わせた。  娘を育てながらの競技生活は時間との勝負だ。朝は夫の出勤前にマウンテンバイクをこいで体力作り。娘を保育園に送り、家事をこなして、夕方からは帝京大を拠点に稽古する。だが遅くても午後7時半には保育園に迎えに行かねばならない。出稽古先も保育園の近くに限られる。 「やり残したことがあっても時間はくる。悔しいなと思う日はありますよ。でも娘の顔を見たら、やっぱり娘が一番だなって」。娘を寝かしつけ、その日の練習や課題をノートにつける。 「娘と一緒にいるべき時間を、自分のために使っている。そう考えると自分に対する甘えが減ったと思う」  稽古に復帰したばかりの頃は大学生にも軽く投げ飛ばされた。腹筋や体幹など体の変化も感じた。「相手に技をかけられた時に踏ん張ったり、こらえたり、そういう動きがまだできていない」と明かす。  常に新戦力が台頭し、激しい代表争いが繰り広げられる日本柔道界。女子57キロ級でも、昨年の世界選手権では22歳の芳田司(コマツ)が銀メダルを獲得。第一人者の松本も決して安泰とは言えない。 「自信はないし、差も感じてはいる。1%でも可能性があればかけてみたい」。五輪では谷亮子もなし得なかった「ママでも金」を目指して突っ走る。(朝日新聞記者・波戸健一) ※AERA 2018年8月6 日号
AERA 2018/08/01 11:30
「マザーキラー」子宮頸がんだけじゃない高リスク 医師が解説する「HPV」とは?
山本佳奈 山本佳奈
「マザーキラー」子宮頸がんだけじゃない高リスク 医師が解説する「HPV」とは?
米国でHPVワクチン接種開始から6年間で、米国の若年女性のHPV感染率が大幅に低下した(※写真はイメージ)  日々の生活のなかでちょっと気になる出来事やニュースを、2人の女性医師が医療や健康の面から解説するコラム「ちょっとだけ医見手帖」。今回は「HPVワクチン」について、NPO法人医療ガバナンス研究所の内科医・山本佳奈医師が「医見」します。 *  *  *  2018年7月24日、イギリス政府は、ヒトパピローマウイルス(以下、HPV)が関連するがんを予防するために12~13歳の男児にHPVワクチンを接種することを決定した、と発表しました。  米国、ブラジル、カナダ、オーストラリアなど世界20カ国では、すでに男児への接種が推奨されています。今回の発表により、イギリスも男女ともにHPVワクチン接種を推奨する国の一つに仲間入りしたことになります。 「結局、HPVワクチンって打った方がいいの?」  最近、こうした質問を小学生の女の子を持つお母さまやお父さまから受けることが増えてきました。一方、HPVワクチンの未接種、子宮頸がん検診にそもそも行ったことがない、または診療時間中に仕事を休んでまで検査に行けない、などという同世代の女性が思ったよりも多いことを、外来診療を行う上で気づきました。  そこで、今回はHPVワクチンについて、世界における研究結果をもとにお話ししたいと思います。  ところで、皆さんはHPVが男女問わず感染するということを聞いたことがありますか。ウォマック・アーミー・メディカル・センターのJasmine J. Han医師らは、2013年から14年に行った調査において、米国を代表する18~59歳の男性1868人のうち、半数近い45%にHPV感染、25%に高リスクHPV感染を認めたと報告しています。  実は、性交渉の経験のあるヒトなら、誰でも一度はHPVに感染すると言われているのです。  HPVには、100種類以上の型があります。がんの原因になる高リスク型は少なくとも13種類あり、このうち、HPV16型と18型の2種類が、子宮頸がんの原因の7割を占めています。HPV感染の多くは免疫力によって排除されますが、持続感染してしまうとがんになるのです。  最も一般的なのは、子宮頸がんです。子宮頸がんのほぼ100%は高リスク型HPVが原因です。子宮頸がんは、20代後半から40代前半の女性が発症しやすく、日本では毎年1万人が罹患し、約3000人が死亡していると推定されています。母親が幼い子どもを残して亡くなっていることから、「マザーキラー」とも呼ばれています。  ところが、子宮頸がんだけでなく、ほかのがんも、HPV感染が関連していることがわかってきました。中咽頭がんはその一つです。オーラルセックスを介して、喉の粘膜細胞に感染したHPVが周辺の細胞をがん化させるのです。  アメリカ疾病管理センター(CDC)が2011年から14年のデータ解析を行ったところ、口腔部のHPVの罹患率は、18~69歳の成人で7.3%であり、男性で11.5%、女性で3.3%でした。また。高リスク型の口腔部HPVの罹患率は、18~69歳の成人で4.0%であり、男性で6.8%、女性で1.2%でした。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのCatherine H Mercer医師らの2010年から12年の調査によると、イギリスにおけるオーラルセックスの頻度は、25歳から34歳の女性では79.7%、男性では80.0%。Megan Scudellari氏は、Nature誌において、オーラルセックスを介することによって、HPV陽性の頭頸部がんが近年急増しており、1985年の16%から2025年には90%にまで達すると推定されている、と述べているのです。  ほかにも、膣がんや外陰がん、肛門がんや陰茎がんもHPV感染が関連していることがわかってきました。HPVワクチンを接種することは、パートナーへHPVを感染させないだけでなく、男性もHPV感染による頭頸部がんや肛門がんなどHPVに関連したがんを予防できるメリットがあるのです。  HPVワクチンの有効性は、世界的にみとめられています。2018年5月、非営利組織コクラン(本部イギリス)はさまざまな臨床試験の評価結果として「子宮頸(けい)がんの前段階の予防効果には高い確実性がある」との見解を公表しました。2016年に米国疾病予防管理センターは、米国でHPVワクチン接種開始から6年間で、米国の若年女性のHPV感染率が大幅に低下した(14〜19歳の女性は64%、20〜24歳の女性は34%もHPV感染率が低下)ことを報告しています。  ワクチン接種による副反応は様々なメカニズムで起こっている可能性があって、明快な答えは出ていません。けれども、WHOは2017年に複合性局所疼痛症候群・体位性頻脈症候群は, 承認前後の報告でワクチン接種との直接の関連を認めなかったと副反応について声明を出しています。また、日本産科婦人科学会は、HPVワクチンの接種勧奨が中止され5年間が経過した間に、国内外において、数多くの研究がなされ、ワクチンの有効性と安全性を示す科学的なエビデンスが、数多く示されたとの見解を2018年6月に出しています。  日本は、平成6〜11年度生まれの女子のHPVワクチン接種率が70%程度であるに対して、平成25年6月の接種の積極的勧奨中止などの影響により、平成12年度以降生まれの女子では接種率が劇的に低下、平成14年度以降生まれの女子では1%未満の接種率となっています。一方、米国疾病管理予防センター (CDC)の2013年の発表によると、13歳から17歳の女性への接種率は2012年では33.4%。欧州における接種率は、欧州疾病予防管理センター(ECDC)の2012年の報告書によると、イギリス80%、イタリア65%、フランス24%、ポルトガル84%と日本に比べると高い接種率が並んでいます。国際社会において日本だけが、子宮頸がんの発生率が増加するのではないかと懸念されているのです。  私が勤務するクリニックでも、多くの20代前半の中国人女性が接種しにきています。留学生が中心ですが、週末の休みを利用して接種に来る女性もたくさん見かけます。HPVワクチンを接種して当たり前だ、という意識が強いように感じます。自分だけではなく、愛するパートナーや子どもを守るために、今一度、HPVワクチンについて世界に目を向けてみてはいかがでしょうか。 ◯山本佳奈(やまもと・かな) 1989年生まれ。滋賀県出身。医師。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー、CLIMアドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)
dot. 2018/08/01 07:00
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クレーム対応や夜間見回りなど、雑務で疲弊する先生たち。休職や早期退職も増え、現場は常に綱渡り状態です。一方、PTAは過渡期にあり、従来型の活動を行う”保守派”と改革を推進する”改革派”がぶつかることもあるようです。現場での新たな取り組みを取材しました。AERAとAERA dot.の合同企画。AERAでは9月24日発売号(9月30日号)で特集します。

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職場にはびこる世代間ギャップ。上司世代からすると、なんでもハラスメントになる時代、若手は職場の飲み会なんていやだろうし……と、若者と距離を取りがちですが、実は若手たちは「もっと上司や先輩とコミュニケーションを取りたい」と思っている(!) AERA9月23日号では、コミュニケーション不足が招く誤解の実態と、世代間ギャップを解消するための職場の工夫を取材。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する世代間の感じ方の違いも取り上げています。

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プーチン大統領の出現は世界の様相を一変させた。 ウクライナ侵攻、子どもの拉致と洗脳、核攻撃による脅し…世界の常識を覆し、蛮行を働くロシアの背景には何があるのか。 ロシア国民、ロシア社会はなぜそれを許しているのか。その驚きの内情を解き明かす。

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