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公文書改ざん問題で、自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが無念とともに明かす
公文書改ざん問題で、自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが無念とともに明かす 森友文書改ざん問題で記者会見に応じる赤木雅子さん    今年9月、森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざんを関与させられ、自死した近畿財務局の赤木俊夫さんの妻・雅子さんが、元理財局長の佐川宣寿氏に賠償を求めた訴訟は、佐川氏らへの尋問を認めず結審した。小塚かおる・日刊現代第一編集局長が、俊夫さんの苦悩と雅子さんの無念を綴る。朝日新書『安倍晋三 VS. 日刊ゲンダイ 「強権政治」との10年戦争』から一部を抜粋、再編集して紹介する。(肩書は原則として当時のもの) *  *  *   【あわせて読みたい】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   銃撃の2日後、赤木雅子さんとの電話 「亡くなる前日に、安倍さんに会って手紙を渡したんです」  赤木雅子さんから連絡をもらったのは、安倍晋三氏が銃撃された2日後だった。  雅子さんは、森友学園問題で財務省の上層部から指示された公文書改ざんに苦しみ、自ら命を絶った近畿財務局職員、赤木俊夫さん(享年54)の妻。取材を通じて私は交流がある。  雅子さんとは銃撃当日の夜にも電話で話していた。突然のことで、衝撃は大きかった。 「こんなことが起きるなんて」と少し動揺した様子で、2、3分短く会話して終わっていた。  2日後は別件で連絡をもらい、その会話の流れで、「安倍さんに会った」という話を聞いた。その日の電話口の雅子さんは落ち着いていた。 【こちらもおすすめ!】 安倍政権の「国会軽視」をさらに加速する岸田首相 「野党に7割の配慮をする」自民党の謙虚さはどこに 「参院選の応援で安倍さんが三宮(神戸市)に来られて。たまたま当日の昼に三宮を通りがかった時に、その日の夕方に来られるのを知り、喫茶店で手紙を書いて持っていったんです」 「でも、1000人ぐらいが集まっていて、とても手紙を渡せるような状況ではなくて。もういいや、と諦めていたら、演説を終わられた安倍さんが聴衆の中に入ってグータッチを始めた。そして、偶然こっちに近づいてきたので、私も安倍さんとグータッチをして、『手紙を書いてきました』と言ったら、安倍さんは『えー、手紙』って大きな声を出して。SPの人が受け取ります、と」 「手紙には『私はこういうものです。再調査をして下さい』とだけ書きました。SPの人が中を見たら赤木雅子だとわかるので、安倍さんには伝わらなかったかもしれませんが……。そうしたら翌日……。手の温かみを感じたばかりの人が……。本当に驚きました」  雅子さんは、夫がなぜ自ら命を絶たなければならなくなってしまったのか、公文書の改ざんは誰の命令だったのか、「真実が知りたい」と裁判を起こして戦っている。 「真実」は当事者である安倍氏が存命の時に明らかにされるべきだった。  偶然が重なり、雅子さんが手紙を渡せたのはよかった。でも……。 【あわせて読みたい】 「軍備の増強と、使わない外交をセットで」 “軍人”梶山静六が残した言葉の重み 「残念です。もう再調査できないというか、再調査をして下さいと訴える相手が1人いなくなってしまいました。国会で『私や妻が関係していたら総理大臣も議員も辞める』とおっしゃったことがきっかけで財務省の公文書改ざんが始まったのは間違いないと思うので、その原因を作った当事者がこの世からいなくなるのは残念です」 俊夫さんの苦悩、雅子さんの無念  私が赤木雅子さんと初めて会ったのは、夫・俊夫さんの自死の真相解明を目指して国と佐川宣寿元財務省理財局長を提訴した民事裁判が始まった頃の2020年夏だった。  その年の3月に俊夫さんの残した遺書と財務省による改ざんを告発する手記をスクープしたジャーナリスト・相澤冬樹氏が、ゲンダイで雅子さんの「法廷闘争記」をスタートさせていたこともあり、直接会って、インタビューをする機会を得た。  雅子さんは名前こそ実名で取材に応じているが、顔出しはNG。初めて会った際の印象は、「こんな華奢な女性が1人で国を相手に戦うのか」という感慨と同時に、雅子さんの語る言葉が自然体かつ当たり前の庶民感覚から発せられるものばかりで、国家やエリート官僚機構という巨大権力との対比をより感じさせ、強い怒りが込み上げてきた。救われたのは、雅子さんが「キャッ、キャッ」と声を出して笑うようなとても明るくユーモアのある女性だったことだ。 【こちらもおすすめ!】 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 米から武器を爆買いしたツケの「兵器ローン」 「私の趣味は赤木俊夫」と公言するほど、雅子さん夫婦は仲がよかった。あんな不幸がなければ、今も当たり前に2人で幸せに暮らしていただろう。財務省職員は誰一人、起訴されることはなかったが、公文書改ざんは犯罪行為だ。公務員として絶対にやってはならないし、マトモな感覚ならやらない。だから、俊夫さんは苦しんだ。 「近所の方に『僕の雇用主は国民です。国民のために誇りを持って働いています』ということを恥ずかしげもなく表現する人でした」  インタビュー時に雅子さんは、俊夫さんが肌身離さず持っていた「国家公務員倫理カード」を見せてくれた。クレジットカード大の大きさで、ずっと持ち歩いていたからシワができ、文字や色もかすれていた。  カードには「倫理行動規準セルフチェック」として5つの項目が書かれている。 ・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか? ・職務や地位を私的利益のために用いていませんか? ・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか? ・公共の利益の増進を目指し、全力を挙げて職務に取り組んでいますか? ・勤務時間外でも、公務の信用への影響を認識して行動していますか?  雅子さんがインタビューで吐露したのは、安倍首相、麻生太郎財務相、佐川元理財局長そして財務省の面々は「どこを向いて仕事をしているのか」という疑問だった。働いていた大学生協で商品のポップにイラストをつけていたほど似顔絵が上手な雅子さんが描いた安倍氏ら3人には、「黒目」がなかった。どこを向いているのかわからないからだ。 【あわせて読みたい】 〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由  中でも、財務省の組織の論理と保身は異様だった。雇用主は国民ではないのか? どこを向いて、誰のために働いているのか? 雅子さんの話を聞けば聞くほど、「財務省職員よ。もう一度、倫理カードを読み返せ」と叫びたくなった。  2020年8月13日発行のゲンダイからインタビューを一部抜粋する。 ──俊夫さんのお葬式で近畿財務局の人たちが記帳しなかった、というのにも驚きました。  義理の姉から「雅子ちゃん、おかしいよ。記帳してくれなかったのよ」って言われて、「えーっ」となって。以前所属していた中国財務局は、来てくれた代表の人が住所も書いた名簿を渡して下さったんですけど、近畿財務局は誰ひとり記帳もせず。跡を残したくなかったんじゃないかと思います。 ──酷い組織ですね。本(『私は真実が知りたい』(文藝春秋)相澤冬樹氏との共著)でも、「嫉妬深い男社会」「男ってつまらんな」って。  財務局の人が家に来て、帰られた後、「私は生まれ変わっても絶対に女に生まれたい」というのが一番の感想だったんです。なんか、へこへこしていてつまらない、って。 ──へこへこ。どういう状況ですか? (近畿財務局の)局長がお付きの人2、3人と共にやって来て、「赤木君はこういう人だった」って褒めてくれるんですけど、お付きの人が首を上下に振るんですよ。特に一番首を振る人は、しゃべる時に私ではなく、局長を見てしゃべるわけです。何しに来たんやろって思うくらい。そして、局長が「麻生さんのお墓参りを断ったそうだね」「うん、よしよし」ってことを言われて。 ──うん、よしよし?  私が黙ってて意思を出さないから、「それでいいんだよ。それなら公務災害を認めてあげるからね」っていう空気をバンバン出してました。まさか私が裁判をするなんて想像もしていなかったと思います。 ──自死した遺族に、そんな対応なんですか。  どこまでも組織の一員として扱われるんです。「あなたはこのランク」と、家族も組織の中の夫のいる場所に入れられる。 【こちらもおすすめ!】 安倍政権の「国会軽視」をさらに加速する岸田首相 「野党に7割の配慮をする」自民党の謙虚さはどこに 請求を受け入れて「臭いものにフタ」  亡くなる前の俊夫さんは、「これは戦争と同じで、上司に指示されれば、白いものを黒と言わなきゃいけない」とまで言うほど追い詰められていたという。犯罪行為に対しては、民間企業以上に清廉潔白であるはずの官僚組織のモラルが、なぜそこまで堕ちてしまったのか。  安倍政権時に「内閣人事局」ができたことなどで官邸主導の恐怖人事が行われ、イエスマン官僚や忖度が広がった。官僚は「何が正しいか」ではなく、安倍首相にとって「何が都合がいいか」を探し、政権にシッポを振るようになっていったのだ。  赤木雅子さんの裁判は、2021年12月、国側が突如「認諾」を申し出て、強制的に終わらせた。原告の請求を丸ごと認めて賠償金を支払い、裁判を終結させたのである。  いよいよ関係者が証人として呼ばれる可能性が│という段階だったのに、国側はそこから逃げ、幕引きを図った。 「認諾」された翌日、雅子さんは夫・俊夫さんにこう報告したと私に話した。 「謝りました。ごめんね、としか言えなくて。ごめんね、こんな結果にしてしまいました、と伝えました」 【こちらもおすすめ!】 安倍政権の「国会軽視」をさらに加速する岸田首相 「野党に7割の配慮をする」自民党の謙虚さはどこに  雅子さん側は、国の認諾を警戒して請求金額を1億1000万円余りにまで引き上げていたが、それでも国側は認諾した。雅子さんが欲しいのは巨額の賠償金ではない。訴訟という形を取るうえで、損害賠償の請求が必要なので金額を設定しただけで、欲しいのは真実を知ることだけだ。  国側には、1億円超を支払ってでも法廷で明らかにされたくない、何かやましい、不都合な事情があるわけだ。国側の最高責任者である岸田文雄首相が安倍氏に配慮し、臭いものにフタをした。  言うまでもなく、国側が支払う1億円は税金だ。真実を“隠蔽”するために通常の国家賠償では考えられないほどの額を支払うのは、国民の納得を得られるものではないし、筋が通らない。  残る佐川宣寿氏との裁判は一審で雅子さん側の訴えが棄却された後、23年9月13日、控訴審が結審した。被告の佐川氏本人は一度たりとも出廷していない。それどころか、「再就職のために裁判を早く終わらせたい」と代理人が主張する図々しさで、雅子さんの心を傷つけてもいる。赤木俊夫さんの死に対する懺悔や後悔の気持ちはないのだろうか。  佐川氏は何のために改ざんを指示したのか。いまだ真実は藪の中だ。   【ほかの回もあわせて】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   ●小塚かおる(こづか・かおる) 日刊現代第一編集局長。1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て2002年、「日刊ゲンダイ」記者に。19年から現職。激動政局に肉薄する取材力や冷静な分析力に定評があり、「安倍一強政治」の弊害を追及してきた。著書に『小沢一郎の権力論』(朝日新書)などがある。
作家・適菜収がみた「安倍晋三氏銃撃事件」からの1年 神格化の動きに「まるでカルト」と危機感
作家・適菜収がみた「安倍晋三氏銃撃事件」からの1年 神格化の動きに「まるでカルト」と危機感 問題となった「桜を見る会」であいさつする安倍晋三元首相(2019年4月13日)  7月8日で安倍晋三元首相の一周忌を迎える。安倍氏の死後、岸田文雄首相をはじめ多くの自民党国会議員が「安倍氏の意思を継承する」などと公言し、安倍氏の政治思想を受け継ぐ姿勢をみせている。しかし、7月に『安倍晋三の正体』(祥伝社新書)を出版した作家の適菜収氏は「安倍氏は保守ではない」と断言する。三島由紀夫に関する著作もある適菜氏に、改めて安倍氏の思想と保守主義について語ってもらった。 *  *  *  安倍氏の一周忌に合わせて多くの書籍や特集記事などが出ています。保守を標榜するメディアでは安倍氏の実績を礼賛するような内容がたくさん出てきていますが、改めて安倍氏がどういった政治家だったのか、事実に基づいて、評価しなおすことが重要だと考えています。  私は安倍氏を保守だとは思っていません。むしろその対極にある思想を持ち、これまで日本が積み重ねてきた制度や伝統を壊してきた人物だと考えています。  安倍氏の首相在任時に日本が壊されたと思う象徴的な出来事が3つありました。  1つ目が、安保法制の問題。歴代政権が集団的自衛権は違憲という立場だったにもかかわらず、安倍首相(当時)は自身が設置した「有識者懇談会」に意に沿った提言をまとめさせ、それをもとに集団的自衛権は合憲と閣議決定しました。反対の意見を持っていた法制局長官の首をすげ替え、そして、国会で強行採決しました。  このとき、多くの学者や元最高裁判事などが「違憲」という声を上げていました。これに対し、磯崎陽輔首相補佐官(当時)は「法的安定性は関係ない」と述べていますが、あり得ない発言です。  2つ目が省庁をまたがる大規模な不正が発覚し、責任があいまいになったままであることです。裁量労働制における厚労省のデータの捏造、外国人労働者の受け入れに関する法務省のデータの改ざんがありました。特に象徴的だったのが、森友事件における財務省の公文書改ざんで、安倍氏は「私がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」と国会で答弁したにもかかわらず、責任を取りませんでした。  3つ目が、南スーダンにおける自衛隊の国連平和維持活動(PKO)で起きた大規模な戦闘の問題。これについて安倍氏は国会で「戦闘行為ではなかった」「勢力と勢力がぶつかった」と認識を示しました。  しかし、その後、陸上自衛隊の日報で「戦闘」があったと報告されていたことが発覚すると、稲田朋美防衛相(当時)は「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と答弁しました。憲法無視の発言です。  国がこれまで積み上げてきた法律や憲法などの制度を軽視する姿勢は、保守の態度ではありません。  岸田首相は保守層を意識して「安倍氏の思いを引き継ぐ」などと発言しています。そして、他国に脅威を与える攻撃的兵器は保有しないという政府の憲法解釈を180度変え、防衛予算も2倍にするとし、大きな反発を生んでいますが、強硬に突き進んでいます。  何度も言いますが、憲法や法律、制度を無視する態度は保守ではありません。マイナンバーカードで問題が噴出しているのも、安倍的なやり方で突っ走った結果でしょう。  旧統一教会の問題も、安倍氏が保守ではないことを表しています。旧統一教会といえば、日本を「サタンの国」と位置づけ、反日的な教義を持った宗教です。  しかし、岸田氏は、多くの議員が旧統一教会と関係があったことは認めたものの、党内での調査はなおざりに、踏み込んだ対応はしませんでした。  そうこうしているうちに、統一教会と関係が深いとされる安倍派の萩生田光一自民党政調会長が、安倍氏の死後から空席になっている派閥の会長職について「議論を加速させてもいいのではないか」と発言しました。そして、旧統一教会との関係を国会で追及され、事実上の更迭となった山際大志前経済再生相も、次期衆院選の神奈川18区の公認候補として擁立されることが決まりました。  自民党は、こんな団体と深い関係を持っていた安倍氏や国会議員に怒り狂うどころか、時間がたてば国民も忘れるだろうという意識すら感じます。  安倍氏の後継者争いがありますが、保守がどうこうは関係なく、単に権力基盤を継承したい、ということだけでしょう。  安倍氏は自分のことを「闘う保守」などと言い、自身の著書『美しい国へ』では「わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ」などと情緒的なことを言っていますが、保守というものは、こうした情緒的な人たちに対し、その活動を静め、地に足をつけた議論をし、折り合いをつけるところにあります。これまでの制度を否定し、自分の思いや理念を国民に押し付けるのは人治国家の発想です。  では、安倍氏の正体は何か。安倍氏はTPP(環太平洋経済連携協定)の参加を強行採決し、移民政策を前のめりに進め、ウォール街の証券取引所で「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」などと発言した人物です。安倍氏の主張は新自由主義の政策であり、完全にグローバリストです。 「安倍氏が日本を悪くした」という見方がありますが、それは視野が狭い。安倍政権が取り組んできた構造改革、新自由主義的な経済改革、貿易の自由化の推進、積極的な国際貢献などといった政策は、1990年代から始まっていました。小沢一郎氏が『日本改造計画』を公表し、55年体制が終焉。その後も小泉劇場、民主党政権が出てきた。「改革」という名のもとに平成の30年間をかけて国を壊す政策が進んできた。その総仕上げが、安倍政権の誕生だったと思います。  安倍氏を暴走させたのは、論壇の責任もあります。批判の声をあげていたメディアは何の影響力のある言葉もつむぎだせませんでした。それは安倍氏を「保守」や「右翼」として扱い、前提が間違っていたからでしょう。  安倍氏を「軍国主義」、「戦前回帰」とする批判もありましたが、それも的外れです。安倍氏は雑誌で「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかりたたきつけたものだ」と述べていますが、歴史の順序は逆です。ポツダム宣言があって、原爆が落とされました。この程度の理解しかない人物に復古するための歴史観などあるはずがありません。  安倍氏の外交的成果を評価する声が根強くありますが、これも正しくありません。アメリカの言いなりになって軍事費を増やしてアメリカの兵器を購入し、アメリカの属国としての地位に甘んじる。ロシアとは、経済協力費として金を貢いだうえに、北方領土の主権を棚上げした。拉致問題では再三再四「私が金正恩委員長と向き合わなければならない」と発言しながら、一度も実現することなく終わりました。  海外での評判がいい、という声がありますが、当然でしょう。国益を損ない、外国が喜ぶことをやってきたんですから。普通はこういった人物を「売国奴」、「国賊」と呼びます。  保守の論壇も問題です。ビジネス右翼(ビジウヨ)が安倍氏を礼賛する特集をしています。もうかるからですね。安倍氏を本当に信じている信者のような人たちもいる。もともとビジウヨだった人が、礼賛しているうちに、信者になってしまったというような話も聞きます。  安倍氏を神格化する危険な動きもでてきました。ジャーナリストの岩田明子氏が「雨が降りがちな地域で予報も雨だったが、安倍氏が現地に到着した瞬間、雲が切れて夜空に満天の星が広がった。梅雨のシーズンに開催された伊勢志摩サミットや、ほかの外遊でも同様のシーンがよく見られた」(夕刊フジ連載コラム、23年4月6日配信記事)と書いていますが、まるでカルトです。  私がこういうことを言うと、自称保守界隈には「亡くなった安倍さんをいつまで批判するのか」という人がいます。同じようにドイツ人に「いつまでヒトラーを批判しているのか?」と言うことができるのでしょうか。過ちへの批判を忘れると、その歴史を修正しようとする人間がはびこってくるんです。何年たっても、忘れてはなりません。 (聞き手・構成/AERA dot.編集部・吉崎洋夫) ●適菜収(てきな・おさむ)/作家。1975年、山梨県生まれ。訳書に『キリスト教は邪教です! 現代語訳「アンチクリスト」』、著書に『ゲーテの警告』、『ニーチェの警鐘』、『日本をダメにしたB層の研究』、『日本人は豚になる、三島由紀夫の予言』など多数。
岸田政権も継承か 選挙で勝てば法の解釈も“好き放題”してきた安倍政権の「単純化」
岸田政権も継承か 選挙で勝てば法の解釈も“好き放題”してきた安倍政権の「単純化」 2017年の衆院選での自民党の安倍氏と岸田氏  第二次安倍政権が発足し、8年近くの長期政権の後、菅(すが)政権、そして岸田政権へと継承された約10年の間にあらゆる面で「単純化」が進んだ。特に「多数決ですべてが解決する」という「単純化」は、安倍政権が残した“負の遺産”のひとつであろう。森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題などで、虚偽答弁が横行したのも「多数決の論理」が原因といっても過言ではない。朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』で“物言う弁護士”郷原信郎氏が、岸田政権にも継承された問題点を指摘。同書から一部抜粋、再編集し、解説する。 *  *  *  第二次安倍政権と現在の岸田政権に共通するのは、「法令遵守と多数決ですべてが解決する」という考え方である。選挙で多数を占めたことで、法の制定も解釈も、極論すれば「好き放題に」行うことができる。それが、「法令遵守」に反しない限り何の問題もない、という考え方で正当化されると、権力者の行いを抑制するものは何もない、ということになる。  森友学園問題は、地下から大量のゴミが“発見”され、その処理費用をどのように見積もるかという特殊な問題が売却価格に関係した「極めて複雑な国有地売却問題」だった。  しかし、それについて国会で、最初に質問を受けた際に、安倍氏は、「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁し、「自分や妻の関与の有無」という「争点」を自ら設定し、それに「政局的位置づけ」まで与えた。それによって、この問題は、「安倍首相と昭恵氏の関与の有無」に「単純化」されていくことになった。その「挑発的問題設定」を受け、野党側は「政局的追及」を行った。  それに過剰反応したのが財務省であり、佐川宣寿(のぶひさ)理財局長は、「売却に関する資料は廃棄済み」などと虚偽答弁を行い、その後、近畿財務局では、国会に提出を求められた「国有地売却に関する決裁文書の改ざん」という、議院内閣制における国会と行政の関係を根本から破壊するような違法行為まで行われた。そして、それが、純粋な公務員としての使命感や倫理観に反する「決裁文書改ざん」を実行するよう命じられた近畿財務局職員の赤木俊夫氏が自死するという誠に痛ましい事態を招いた。  このゴミが埋まっていた国有地売却に関しては、売却価格や条件が違法・不当なものではなく、「法令遵守」上問題は確認されなかった。この問題は、すべて、選挙に勝利し衆参両院で多数を占める「強大な権力者」であった安倍氏の国会答弁が招いた「単純化」によって起きた事象であった。  加計学園問題は、規制緩和と行政の対応の問題、国家戦略特区をめぐるコンプライアンスに関する議論などの重要な論点が絡み合った複雑な問題だったが、野党・マスコミの追及は、総理大臣が「腹心の友」に有利な指示・意向を示したか、という点に集中し、問題は「単純化」された。一方の安倍首相や政府・与党側の対応は、国家戦略特区における獣医学部新設の手続きが「法令に基づき適切に行われた」と説明するだけに「単純化」された。そして、全く噛み合うことのなかった議論は、最終的には、衆議院解散総選挙で、野党側が「希望の党」騒ぎで自滅し、安倍政権側が圧勝したことで、一旦収束することになった。  その後、いずれについても「第二幕」が始まるが、総選挙での圧勝で一層盤石となった「多数決の論理」で押し切ってしまった。  このような森友・加計学園問題で、「複雑な問題」が「単純化」された構図とは全く異なり、桜を見る会問題は、安倍氏側の「国主催の行事の私物化」と前夜祭での「地元有権者への『ばら撒き』」そのものが、極めて単純な「不当・違法な行為」であった。  安倍氏は、「国主催の行事の私物化」の方は、それを実行する立場の内閣府の官僚側に責任を押し付け、「法令遵守上問題がない」という従来どおりの理屈で開き直った。公選法上の違法性が否定できないはずの前夜祭問題も、明らかに虚偽とわかる答弁・説明を押し通した。そして、安倍氏が首相退任後、検察捜査で「虚偽答弁」が露呈し国会で訂正の場が設けられたが、そこでも「虚偽の説明」を繰り返した。しかし、既に元首相になっていた安倍氏への追及は極めて生温い一過性のもので終わり、安倍支持者は、第二次安倍政権下の不祥事を「モリ・カケ・サクラ」などと一括りにして軽視する姿勢をとり続け、安倍氏は自民党内での権力者の地位を保ち続けた。  結局、首相時代の「国主催の行事の私物化」と前夜祭での「地元有権者への『ばら撒き』」という単純な「不当・違法な行為」であった桜を見る会問題も、「国会で圧倒的多数を占める」という「多数決の論理」で押し切った安倍氏は、2021年の衆議院選挙が目前に迫った時期に、霊感商法、高額献金等の深刻な被害が指摘されていた旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関連団体・天宙平和連合(UPF)の国際イベントへのリモート登壇という、越えてはならない一線を越えた。それが、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」や旧統一教会の被害者等からの反発を招き、旧統一教会に家庭と人生を破壊されたことで憎悪を募らせていた信者の息子による銃撃事件の引き金になり、安倍氏は生命を奪われることになった。  首相退任後も自民党の実力者だった安倍氏が突然亡くなったことで、それまでの「安倍支持派」「反安倍派」の対立は一層高まり、「二極化」が進む中、殺害事件の数日後に岸田文雄首相が実施を表明した「安倍元首相国葬」の賛否をめぐって、さらに対立が深まった。  安倍氏銃撃事件の動機が、旧統一教会への憎悪によるものだったと報じられたことを契機に、旧統一教会と自民党議員の関係、選挙応援等が問題となり、その関係の中心に安倍氏がいた疑いが指摘されるなどして、安倍氏の国葬実施の理由についての説明が困難になっていった。  岸田首相は、国民に弔意を求めず、実質的には「内閣葬」にすぎないのに、「国葬」であるように偽装したことに加えて、「内閣府設置法」という具体的法令によって国葬実施が根拠づけられている、と政府の正式答弁とも異なる説明を繰り返した。それは、国葬賛成派に「法令遵守上の根拠」を与えて、安倍支持派に寄り添うものだった。  安倍氏銃撃事件の影響もあって、2022年7月の参院選では自民党が圧勝した。国会における圧倒的多数の議席が一層不動のものとなったこともあり、「多数決の論理」と「法令遵守」で押し切るという、安倍氏の独特の手法が岸田政権に継承されたのである。 ■検察とマスコミの同調圧力  見過ごすことができないのは、「法令遵守と多数決」による単純化の構図は、「司法権力」である検察や「第四権力」とも言えるマスコミにも、政治権力への同調圧力を生じさせ、それが、世論形成にも少なからず影響してきた現実である。  森友学園問題での検察の動き、加計学園問題での読売新聞、そして、安倍元首相国葬問題での、読売・産経の対応は、それが端的に表れたものと言うべきであろう。  大阪地検の現場の動きとは関係なく、東京の検察ないし法務省側のリークとしか思えない経過で、「籠池泰典(かごいけやすのり)氏の告発受理」が大々的に報道されたのは、当時、籠池氏を国会で証人喚問したものの、安倍氏から昭恵氏を通して100万円の寄附を受領したことについての「独演会」となり、偽証の告発を行う材料もなく、打つ手に窮していた官邸・自民党側の意向を受けて検察が安倍政権に配慮した対応だった可能性が高い。そして、籠池氏が、告発事実であった「補助金適正化法違反」ではなく、詐欺罪で逮捕・起訴されたのも、従来の検察実務からは考えられないことであり、それも、「籠池封じ」を図る官邸・自民党側の意向と無関係であったとは思えない。  このような政権ないし自民党に忖度(そんたく)しているような対応は、特捜部などの検察の現場にも少なからず影響したはずだ。  特捜部などの政界捜査に関して、「政治的圧力で事件がつぶれた」などという話がまことしやかに語られることがある。それが、捜査に対する「露骨な介入」の形で行われることは稀だろう。しかし、政治家に関する事件には、必ず証拠上、或いは法解釈上の問題があり、消極意見の理由には事欠かない。それを乗り越えて本格捜査に結び付けるためには現場で膨大な労力をかける必要がある。  様々なハードルを乗り越えて、本格捜査に入るかどうかという段階で、検察上層部と法務省も関わって検討が行われた結果、証拠上・法解釈上の問題が指摘され、結局、本格捜査は断念するということになると、それまでかけてきた現場の労力は無駄になる。現場の捜査指揮官にとっては、見通しが間違っていたということであり、大きな痛手となる。  捜査指揮官としては、「検察上層部と法務省も関わった検討」でゴーサインが出るかどうかの「見通し」が重要となるが、そこには、「法務・検察と政権との距離感」についての認識も影響する。  そういう意味で、社会の耳目を引く事件で、法務・検察の組織としての対応が、政権寄りではないかと思える出来事が起きると、特捜部などの捜査の現場に、「政権の意向に反する方向での捜査はやっても無駄」という認識を与え、それが現場の「空気」となって、政界捜査への消極的姿勢につながることもあり得る。  桜を見る会問題での検察捜査の動きが表面化したのは、安倍氏の首相辞任後の2020年11月のことだった。この問題についての、公職選挙法(寄附行為の禁止)違反と政治資金規正法違反(不記載)の容疑での全国の弁護士ら約660人による東京地検特捜部への告発状の提出は、その半年前の5月21日に行われていた。  公設秘書が略式命令を受けた前夜祭についての政治資金規正法違反は、2019年11月の国会で追及が始まった時点から、全く弁解の余地のないものであり、「ホテルと参加者の直接契約」などとする安倍氏の説明は、完全に崩壊していた。検察が、告発状の提出を受けた時点で、ただちに捜査に着手していれば、安倍首相は、その問題で引責辞任に追い込まれた可能性がある。証拠上・法解釈上の問題があるとは思えない事件だったが、検察は安倍氏の首相在任中には動かなかった。このような動きには、やはり現職総理大臣への配慮が働いているとみることができる。  安倍内閣においては、「選挙で多数の国民の支持を受けていること」を背景に、何か問題が指摘されると「法令に違反していない」と開き直り、そう言えない時には「閣議決定で法令解釈を変更した」として、すべての物事を問題ないことにして済ますやり方がまかり通った。  それに加えて、「法令違反」を客観的に糺(ただ)す立場の検察が、政権に忖度や配慮をするということになると、「法令遵守と多数決」による「単純化」は、まさに「完結」することになるのである。  安倍元首相の国葬をめぐる議論に関して、読売・産経両紙が、内閣府設置法が国葬の法令上の根拠であることを示す内部文書が存在するかのようなミスリーディングな報道を行ったことにも、新聞の報道姿勢が表れているように思える。  しかし、一方で、森友・加計学園問題について、野党側による「安倍首相の関与」に特化した追及という問題の「単純化」の方にも大きな問題があったことは、これまで述べてきたとおりだ。その背景には、マスコミによる政権追及報道も「単純化」され、問題の本質がとらえられていないということもあった。  安倍政権と野党、安倍支持者と安倍批判者の間で議論が「二極化」し、噛み合わなかったのと同様に、マスコミ報道も、政権擁護的な読売・産経と、政権批判的な朝日・毎日・東京の間で報道姿勢が「二極化」し、それが社会の分断を一層顕著にしていった。 ●郷原信郎(ごうはら・のぶお)1955年生まれ。弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表)。東京大学理学部卒業後、民間会社を経て、1983年検事任官。東京地検、長崎地検次席検事、法務総合研究所総括研究官等を経て、2006年退官。「法令遵守」からの脱却、「社会的要請への適応」としてのコンプライアンスの視点から、様々な分野の問題に斬り込む。名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長、関西大学特任教授、横浜市コンプライアンス顧問などを歴任。近著に『“歪んだ法"に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)がある。
安倍氏襲撃で露呈した“安倍支持者”の「底の浅さ」 なぜか「反安倍」と襲撃を結びつける陰謀論
安倍氏襲撃で露呈した“安倍支持者”の「底の浅さ」 なぜか「反安倍」と襲撃を結びつける陰謀論 安倍氏銃撃事件でSPらに確保された山上徹也容疑者  2022年7月8日、安倍晋三元首相が参議院選挙の応援演説中に銃弾にたおれて、1年近くが経った。長く続いた安倍政権のもとでは、「安倍支持派」と「反安倍派」の対立が進んだが、二極化の根本である安倍氏が亡くなってからも、その対立はいまだ深まっている。朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』では、問題の本質を見ず、空回りを続ける日本の病を“物言う弁護士”郷原信郎氏が指摘。安倍氏の思想をめぐる対立はなぜ無くならないのか。その背景を同著から一部を抜粋、再編集し、紹介する。 *  *  *  安倍氏銃撃事件直後は、それまでの「安倍支持派」「反安倍派」の対立を、そのまま反映した状況となった。  8年近くにわたった第二次安倍政権は、「安倍一強体制」とも言われ、自民党内でも、政府内部でも、安倍首相とその側近の政治家や官邸官僚への権力の集中には逆らえず、意向を忖度(そんたく)せざるを得ないという状況になった。それが安定的な政権運営につながり、安倍政権下での多くの政策の遂行を可能にしたが、その一方で、権力の集中による歪(ゆが)みが生じ、安倍支持者と安倍批判者との対立の「二極化」は激しくなっていった。  安倍元首相が銃撃により殺害されるという衝撃的な事件で、「二極化」の根本にあった安倍氏という政治家の存在がなくなったが、それによって「二極化」が解消されるどころか、さらに増幅されているように思えた。  安倍元首相殺害事件は、政治的、社会的影響は極めて大きいが、「一つの刑事事件」である。事件の動機・背景等については捜査・公判で真相解明が行われるのを見極めるしかない。犯罪の動機が、選挙運動の妨害などの政治的目的であったとする根拠はなく、むしろ、現行犯逮捕された山上徹也容疑者は、「政治信条とは関係なく、家族を破産させた特定の宗教団体と安倍元首相とが関係があると思って殺害しようと考えた」と供述しているとされていた。ところが、銃撃事件の発生直後から、与野党の政治家、マスコミなど、ほとんどが、事件を「政治目的のテロ」「言論の封殺」などととらえていた。  安倍支持者側は、「安倍晋三氏に対しては、特定のマスコミや『有識者』といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こしたのであって、犯人が左派でも右派でも、個人的な恨みをもった人でも、精神に障害を抱えた人でもそれが許されると思わせた人たちが責められるべきである」などと、実際に起きた安倍元首相殺害という刑事事件に関する「事実」を無視して、「安倍批判」が安倍氏殺害事件の原因であるかのように決めつけていた(《安倍狙撃事件の犯人は『反アベ無罪』を煽った空気だ》八幡和郎氏)。フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏も、それに同調する記事を書くなど、「反安倍」批判を行っていた(《安倍晋三さんを死なせたのは誰だ》FNNプライムオンライン)。  しかし、山上容疑者については、その後、元海上自衛隊員であることが明らかになり、彼の膨大な量のツイッター投稿の内容から、思想的には、嫌韓、歴史修正主義、排外主義で、ネット右派、いわゆるネトウヨの考え方に近いことがわかった。  銃撃事件直後に八幡氏、平井氏などが主張していた、「反安倍に煽られた事件」などという見方は、全く客観的事実に反するものだった。 ■横行する“憶測”や“決めつけ”  2019年7月の参議院選挙期間中に、札幌市内の街頭演説において、安倍首相の演説に対して路上等から声を上げた市民らに対し、北海道警察の警察官らが肩や腕などを掴んで移動させたり長時間にわたって追従したりした問題について、警察官らによる行為は違法だとして市民らの国家賠償請求の一部を認容した判決が札幌地裁で出されていた。それが、本件で安倍元首相の演説の際の警護の支障になったかのような見方もあった。  しかし、「声を上げて批判すること」と「物理的に抹殺しようとすること」とは全く異なる。この二つを混同するような論調は、民主主義に対する重大な脅威になりかねない。  それだけでなく、要人警護に対しても不備を生じさせるものだった。安倍氏銃撃の際、現場で警護に当たっていた警察官は、安倍氏と同じ視線で、聴衆の方にばかり目を向けていたために、後方から安倍氏に接近して自作銃を発射した犯人に気付かなかったことが警護上の問題として指摘された。  聴衆の方にばかり目を向け、「安倍帰れ」というような聴衆からの反応が生じることの方に注意を向け過ぎたために、後方への警戒が疎かになったとすれば、むしろ、札幌地裁判決にもかかわらず、「聴衆側からの批判的な言動に対しての警戒」を重視したことが、「聴衆ではない殺人者」からの襲撃に対して無防備な状況を作ってしまったと言える。  一方、反安倍派は、「安倍氏銃撃は、自民党が長期政権でおごり高ぶり、勝手なことをやった結果」などと、安倍氏の政治的責任が事件の原因であるかのような短絡的な議論に持ち込もうとしたり、SNS上では「安倍氏は犯罪者、刑務所に入っていたら、銃撃されることもなかった」などと挑発的に述べたりしていた。  この事件は「一つの刑事事件」であるのに、刑事手続きによる事実解明を無視し、何の根拠もなく、安倍氏への批判と殺害行為を結び付ける安倍支持派の論調は、事実を無視した「言いがかり」だった。しかし、安倍氏を「犯罪者」扱いして殺害を正当化する反安倍派が正しいわけでもなかった。安倍氏が批判されるべきは、説明責任を果たそうとしなかったことや、虚偽答弁の姿勢だった。それが「実刑に処すべき犯罪」であるかのように言うのは、「暴論」だった。  今回の安倍元首相殺害事件後の「安倍支持」「反安倍」のそれぞれの議論の極端化も、加計学園問題で見られたような第二次安倍政権における「安倍一強体制」の下での「二極化」と同様の構図に思えた。  そのような「噛み合わない議論」の一翼を担っていた安倍支持派の一部は、山上容疑者のツイート等で、安倍氏が「反安倍勢力」とは全く無関係に殺害されたことが明らかになっていっても、その「現実」が受け入れられないのか、安倍氏の死因の説明に不明な点があるなどとして、山上容疑者の背後に何らかの組織が存在するとか、「安倍氏は、山上容疑者の銃撃と同時に発射された別の方向からの銃撃で死亡した」などという荒唐無稽(こうとうむけい)な言説も出てきた。  しかし、「反安倍勢力」による殺害という陰謀論を、どのように組み立てても、山上容疑者の銃撃と、別の方向からの狙撃が偶然全く同じタイミングになる、ということは現実的にあり得ない。仮に、タイミングが一致したとすれば、山上容疑者と、「反安倍勢力」とが何らかの意思疎通をしていたことになるが、それはネット右派、いわゆるネトウヨの考え方に近い山上容疑者にとっては極めて考えにくいことである。しかも、そのような意思疎通が行われていた事実があれば、警察捜査の中で、山上容疑者の通信履歴等に全く痕跡が残らないことも考えにくい。  第二次安倍政権の時代に、森友学園、加計学園、桜を見る会などでの安倍首相への批判を、「モリ・カケ・サクラ」などと一括りにして、取るに足らない問題であるかのように声高に言い立てていたのが、安倍支持者であった。その言説の底の浅さが、安倍氏の殺害事件発生によって露呈していったのは皮肉な現象だった。 ●郷原信郎(ごうはら・のぶお)1955年生まれ。弁護士(郷原総合コンプライアンス法律事務所代表)。東京大学理学部卒業後、民間会社を経て、1983年検事任官。東京地検、長崎地検次席検事、法務総合研究所総括研究官等を経て、2006年退官。「法令遵守」からの脱却、「社会的要請への適応」としてのコンプライアンスの視点から、様々な分野の問題に斬り込む。名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長、関西大学特任教授、横浜市コンプライアンス顧問などを歴任。近著に『“歪んだ法"に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)がある。
見えてきた岸田首相の「魂胆」 一番怖いのは安倍派、頭の中はサミットと人事だけ
見えてきた岸田首相の「魂胆」 一番怖いのは安倍派、頭の中はサミットと人事だけ 閣議に臨む岸田文雄首相  気がつけば支持率も回復し、余裕の表情を見せるようになった岸田文雄首相。脳裏には、安倍晋三元首相並みの長期政権構築がちらついているようだ。そのための最大の武器が、解散カード。広島サミットを終えた時、どんな決断をするのか──。 *  *  *  5月9日、米誌「タイム」(5月22・29日号、電子版)の表紙を、得意げな笑みを浮かべた岸田文雄首相の顔写真が飾った。その横には「日本の選択」という見出しとともに、「岸田首相は数十年の平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる」と紹介した。  特集記事のタイトルは外務省が「表題と中身に乖離(かいり)がある」と指摘して後に変更されるという騒ぎがあったものの、世界的な雑誌の表紙に選ばれたこと自体には、「岸田首相は周囲のイメージと違って、欲深い人。まんざらでもないはずだ」(官邸幹部)との声もあがる。  周辺によると、岸田首相は「安倍さんはああだった」と言うのが口癖のようになっており、昨年7月の銃撃事件で亡くなった安倍晋三元首相の立場と自らを重ね合わせている節があるという。そこにはもちろん、安倍氏並みの本格長期政権を目指す意思も含まれているのだろう。ある政府関係者は語る。 「岸田首相は長期政権を見据え、いま主流派の岸田・麻生・茂木の3派体制から茂木派を切り、現在やや距離を置いている安倍派を迎え入れる新3派体制構築を狙っている。次の党幹部人事で安倍派の萩生田光一政調会長を幹事長に横滑りさせれば、永田町の政治的パワーバランスは変わる。多少支持率が下がっても政権運営に支障はなくなる」  こうした観測について、政治アナリストの伊藤惇夫氏も同調する。 「岸田首相が一番怖いのは政敵の菅義偉前首相や二階俊博元幹事長ではなく、安倍派です。メンバーが百人に達した安倍派がどう動くかは、党内政局に非常に大きな影響を与える。そこは首相もわかっており、安倍派を敵にしない作戦を取っている。理念、哲学がなく融通無碍(むげ)なのが皮肉にも岸田首相の強みなんです」 米誌「タイム」(電子版、5月22・29日号)の表紙(「タイム」の公式サイトから)  5月7日に行われた韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領との会談の中で、岸田首相は徴用工問題に関して個人的な見解として「心が痛む思いだ」と述べた。日韓関係の改善は進めつつも、安倍派に多い岩盤保守層に配慮して韓国側が求める「明確な謝罪」は避けたかたちだ。これで解決に向かうなら「融通無碍」も役に立つことになるが、日韓交渉についての伊藤氏の評価は辛口だ。 「岸田首相はこれまで日韓関係について熱心だったわけではない。今回の動きもほとんど韓国側の事情によるもので、日本が積極的に動いて解決に導いたわけではなく、日本は韓国側の動きに対応しただけ。理念、信念を持って日韓関係の改善に動いたとは思えない」 安倍晋三元首相  では、安倍氏亡き後の安倍派はいまどうなっているのか。安倍派幹部は「新代表が決まらないまま萩生田氏、西村康稔経産相、世耕弘成党参院幹事長らの集団指導体制が続き、実質的には森喜朗元首相が出張ってきて束ねている状態。森氏にとってはもはや『生きがい』という感じですね」と苦笑する。カギを握るのは、岸田首相の動向だ。 安倍派の萩生田光一・自民党政調会長 「安倍元首相の一周忌である7月8日までに後継会長が決まらない可能性もある。ただ、岸田首相が次の人事で萩生田氏を幹事長にすることをのめば萩生田氏を会長に、世耕氏を実質ナンバー2の共同代表といったかたちにして、文字どおりど真ん中で岸田首相を支持する」(安倍派ベテラン議員)  自民党内で駆け引きが続く中、いま、永田町では岸田首相が本気で早期の解散に踏み切るかが関心の的になっている。 ■態勢が整わない維新の候補擁立  岸田首相は5月4日、訪問先のモザンビークで記者会見した際に早期解散の可能性について問われ、「重要な政策課題の結果を出すことに全力を尽くしているところであり、今は解散・総選挙は考えていない。その答えに尽きる」と述べた。だが、永田町でこの発言をそのまま受け取る向きは少ない。5月19~21日に広島で開催する主要7カ国首脳会議(G7サミット)を成功させれば、首相は通常国会会期末となる6月21日までに解散するとの観測がくすぶり続けているからだ。 「長期政権しか考えていない」(伊藤氏)首相にとり、24年9月の党総裁選は絶対に勝たなければならない戦いだ。国民の支持が回復しているうちに衆院選に打って出て勝利すれば、総裁選での再選につながっていく。  野党の状況を見ても、統一地方選で躍進した日本維新の会は衆院選の候補者擁立を急いでいるが、「早期に解散されたら全289小選挙区での擁立は間に合わず、立憲民主党とバーター、事実上のすみ分けを行わざるを得ない」(維新関係者)。立民も、選挙で結果が出せない泉健太代表のまま戦わざるを得なくなる。  早期解散の背中を押す主戦論者は茂木敏充幹事長、森山裕選挙対策委員長ら党幹部と岸田首相に近い小野寺五典元防衛相ら。自民党内の選挙区調整は山口、和歌山を残すのみで、いつでも選挙戦に打って出る態勢を整えているという。  早期解散は本当にあるのか。その決断を左右するのは、サミットの成否だ。岸田首相は「核による脅し」という禁じ手を使うロシアを強く牽制(けんせい)するため、G7として「絶対に核を使わせてはならない」と打ち出す一方、ウクライナ支援でのさらなる結束をアピールしようと意気込む。しかし、当初あてにしていたバイデン米大統領の長崎訪問は、日程上の関係でなくなってしまった。さらに、政府が借金できる上限額を巡って野党・共和党との対立が続く米政府は6月にも債務不履行(デフォルト)に陥りかねない状況で、バイデン大統領がG7サミットに出席できない可能性まで出てきた。 「各国首脳を引き連れての広島平和記念資料館訪問など、被爆地である広島出身の首相が指導力を発揮する演出にも徹底的にこだわる計画。しかし、肝心かなめの米国大統領が欠席するような事態になれば、場は白ける。首脳宣言を手堅くまとめ、メディアで連日大きく報じられて『大成功』という、したたかな計算も狂ってくる」(外務省幹部)  こうした状況の中で、首相が最も気に掛けていることが「ロシアによる核使用だ」(官邸幹部)という。  今後、北大西洋条約機構(NATO)の主要国から戦車の提供を受けたウクライナ軍が反転攻勢を強め、現地での戦闘が激化すれば、ロシアによる核使用の危機がますます現実味を帯びてくる。  実際に使われてしまったら第2次世界大戦後初の非常事態となるのはもちろんだが、その手前の一触即発の核危機という局面でも、「選挙で対応できませんでした」などと言ったら世界中の笑いものになる。しかも、今年はG7議長国だ。首相は周囲に「議長国の責任は重い」と、盛んに話しているという。 ■総選挙遅らせる核と金融の危機  さらに、国際金融への懸念も存在する。米国では過度のインフレが収まりつつあるものの、連邦準備制度理事会(FRB)の利上げが続く影響で銀行の破綻が相次いでいる。前述のように米政府はデフォルト回避に必要な連邦政府の債務上限引き上げ問題を抱えており、かつてのリーマンショックのような危機に転じる恐れがないとは言えない。  ある閣僚経験者は「核と金融の二つの危機が顕在化してくると、総選挙は今年の夏以降になるだろう」と、予測する。  過去にも似たような例はある。2016年4月の熊本地震を受け、当時の安倍首相は狙っていた衆参同日選挙を断念。リーマンショックが起きた08年には、当時の麻生太郎首相が解散を見送った。  一方で、官邸や岸田派の中では、そもそも早期解散は得策ではない、という意見もあるという。 「いま、首相の頭の中はサミットと人事だけ。来秋の党総裁選での勝利が最優先であり、そのためには衆院選勝利の余韻が残るよう、解散のタイミングはできるだけ総裁選に近づけたほうがいいということです」(前出の政府関係者)  この意見に賛同しているのは麻生副総裁、森元首相、青木幹雄元参院議員会長ら重鎮組だ。  当の首相は周囲に「(時機を逃して負けた)麻生副総裁と菅前首相の轍は絶対に踏みたくない」と、選挙の話題になると、ことあるごとに話しているという。  政治ジャーナリストの野上忠興氏はこう語る。 「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)票が減っているのは事実だし、公明党は統一地方選で票をかなり減らした。自公の集票力低下は明らかで、防衛費の増税議論も待ったなしだ。岸田首相は『単独過半数さえ割らなければいいやと思っている』という話もある」  前回の総選挙では、1万票以内の僅差で自民候補が勝った小選挙区が30余り、2万票以内は50余りある。4月の衆参補選も接戦が多かった。 「その辺は頭のどこかにあるのではないか。現有議席から30人減ったら、退陣論が出てくるでしょう。首相は長期政権しか頭にない。どこまでをチャンスととらえるか、あるいはリスクととらえるかですね」(前出の伊藤氏)  長期政権のため、最善のタイミングで解散権を行使する。それが首相の「魂胆」なのか。そんなことより、様々な分野で壁にぶち当たっている日本の課題を解決する方向にこそ、知恵を絞ってほしいのだが……。(本誌・村上新太郎)※週刊朝日  2023年5月26日号
岸田首相はマイペース崩さず散髪 選挙の勝算は? 公明・山口代表は応援入らず目算外れ
岸田首相はマイペース崩さず散髪 選挙の勝算は? 公明・山口代表は応援入らず目算外れ 爆発物事件があった翌日、大分市の演説会場に到着し、手を振る岸田文雄首相  和歌山県の選挙演説会場で、岸田文雄首相に爆発物が投げ込まれるというショッキングな事件が起きた。しかし、岸田首相はその日、何事もなかったかのようにその後の応援スケジュールをこなし、散髪もするマイペースぶり。岸田首相の胸の内はいかに? 統一地方選が始まってからの動きを振り返りつつ、岸田首相の思惑について政治ジャーナリストの安積明子さんが分析した。  *  *  *  岸田文雄首相はいよいよ解散・総選挙の腹を決めたのかもしれない。衆参の補欠選挙で、4月15日には衆院の和歌山1区と千葉5区、16日には参院大分選挙区に入り、自民党候補のテコ入れをした。  体調不良のために岸信夫前防衛相が議員辞職した山口2区と、昨年の参院選の最中に銃弾に倒れた安倍晋三元首相の弔い合戦といえる山口4区の補選では、自民党が優位と判断したのか、入らなかった。  だが、過去4回の衆院選で、岸本周平氏(現、和歌山県知事)が自民党候補の門博文氏を破ってきた和歌山1区や、政治資金規正法違反事件で薗浦健太郎氏が辞職した千葉5区では、野党が勢いを付けて接戦となっている。  これまでは、「首相は負け戦の選挙区に入ることはない」というのがいわゆる慣例となっていた。たとえば2014年の滋賀県知事選では、外遊していた安倍首相(当時)が関西空港を経由して自民党と公明党が推薦した小鑓隆史候補(現、参院議員)の応援に駆け付けようとしたが、小鑓氏が劣勢だったために中止した。  にもかかわらず、岸田首相があえて苦戦の選挙区に挑むのは、「自分が入れば勝利できる」という自信に加え、自民党大阪府連が支援しながらも惨敗した大阪府知事選・同市長選でそのタブーが破られたことだろう。  岸田首相は3月26日にあった自身の関西後援会の会合で、大阪府知事選・同市長選にそれぞれ出馬した谷口真由美氏と、北野妙子氏の手を取って勝利を訴えた。しかし、結果はいずれも維新の候補に惨敗。ちなみに、谷口氏は吉村洋文氏の18%、北野氏は当選した横山英幸氏の41%の得票しかできなかった。  また、岸田首相を「強気」にさせたのは、4月8日と9日に行われた自民党の世論調査で、自民党候補が優勢と出た結果も影響したのかもしれない。  たとえば千葉5区では4月1、2日の調査では、自民党の英利アルフィヤ氏が立憲民主党の矢崎堅太郎氏に6ポイントリードされていたが、8日と9日の調査では逆転し、英利氏が矢崎氏を3.3ポイントリードした。和歌山1区では、門氏が日本維新の会が擁立する林佑美氏をなんと15.1ポイントも上回っていた。  もっとも4月3日には公明党が衆参5補選に出馬する自民党候補に推薦を出したことで、党内に安堵(あんど)感が広がったことも大きく影響したに違いない。ある自民党関係者は、「これで公明党の山口那津男代表が応援に入れば、補選の衆参5選挙区は万全」と楽観的に話していた。  しかし和歌山1区の門氏は、2015年に中川郁子元農水相政務官(当時)との不適切な交際が週刊誌に報じられ、公明党の支持団体である創価学会の女性部の反発がいまだに残っていると聞く。また千葉5区では、4月15日の岸田首相の応援演説に、公明党から平木大作参院議員が参加したが、山口代表の姿はなかった。  なお千葉日報は、4月10、11日にJX通信社と行った千葉5区についての世論調査で、矢崎氏が英利氏をリードしていると報じている。さらに共同通信が14日と15日に実施した調査では、両者は互角の戦いとしつつも、矢崎氏が立憲民主党の支持層をほぼ固め、無党派層も取り込みつつあるとした。それに対し、英利氏は自民党の支持層の多くを固めきれず、無党派層への浸透も低いとされていた。  4月15日午後2時からJR本八幡駅(千葉県市川市)前で行われた矢崎陣営の街宣で、ある立憲民主党の関係者は、 「うちは女性層にウケがいい。矢崎がスーパーの前で演説すると、買い物をする主婦層が熱心に聞いている。物価の上昇が家計に打撃を与えているということだ」  と自信を持ってそう話した。  矢崎氏には、隣接する千葉4区を地盤とする野田佳彦元首相が、朝と夕方の街宣に同行し、15日も応援演説をしている。「有権者の支持が高いのは、野田さんのおかげだ」との声も聞いた。その野田氏は、 「山口2区と4区の補選はやむを得ない。和歌山1区と参院大分選挙区の補選も“民主主義のコスト”(民主主義を維持するための必要経費)といえるだろうが、千葉5区補選は『政治とカネ』の問題で、現職の国会議員が辞任し、その説明もなかった」と主張し、聴衆はうなずきながら聞いていた。  それから3時間半後、同じ本八幡駅前で岸田首相を迎えて英利氏の街宣が行われた。  こちらは大がかりな動員をかけられたのか、北口がほぼ塞がるほど聴衆が多かったが、とりわけ目立ったのは厳戒な警備態勢だ。  というのも、この日の午前に和歌山県の雑賀崎漁港で岸田首相に爆発物が投げられた事件が発生したからだ。岸田首相には当たらず大事には至らなかったが、警察官や聴衆の男性が軽傷を負ったという。 岸田首相に爆発物を投げた直後に取り押さえられる木村隆二容疑者=4月15日 取り押さえられた木村容疑者の近くに落ちていた銀色の筒=4月15日  昨年7月の安倍元首相の銃撃事件を思い起こさせるには、十分にショッキングな出来事だった。  組織的な動員に加え、このニュースを見てやってきた人も少なくなかったに違いない。だが岸田首相はさほど動じていないようで、街宣の後には行きつけの都内の理容院に立ち寄っている。  散髪は岸田首相の2週間に1度の“ルーチンワーク”だというが、髪を切ってもらいながら岸田首相はいったい何を考えていたのだろうか。髪とともに吹っ切ったものがあったのかもしれない。 (政治ジャーナリスト・安積明子) ■あづみ・あきこ 兵庫県出身。慶應義塾大学経済学部卒。国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、政策担当秘書として勤務。その後テレビなど出演の他、著書多数。「『新聞記者』という欺瞞|『国民の代表』発言の意味をあらためて問う」(ワニブックス)などで咢堂ブックオブイヤー大賞(メディア部門)を3連続受賞。近著に「眞子内親王の危険な選択」(ビジネス社)。趣味は宝塚観劇。
田原総一朗「激化する派閥“3年抗争”は岸田降ろしにもつながる」
田原総一朗「激化する派閥“3年抗争”は岸田降ろしにもつながる」 田原総一朗・ジャーナリスト  ジャーナリストの田原総一朗氏は、岸田内閣の危機を明らかにする。 *  *  *  7月8日、奈良市内で参院選の街頭演説をしていた安倍晋三元首相が銃撃され、死去するという事件が起きた。  元海上自衛隊員の山上徹也容疑者は、「母親が宗教団体にのめり込んで家庭が崩壊した。安倍氏がその宗教に“お墨付き”を与えたと思い、狙った」と供述しているようだ。  その宗教団体は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)で、1980年代につぼや印鑑などを高値で売る「霊感商法」や、信者になった著名人が参加した「合同結婚式」などで騒ぎになった、いわば過激な宗教である。  統一教会は、発祥の地である韓国では信者がさほど多くなく、日本を中心に広がったのだと見られている。そして、今回問題となった高額の寄付は、世間の感覚とは違っていて、億単位の寄付を求めるのだという。  創立者の文鮮明が日本での布教に力を入れたとき、安倍氏の祖父である岸信介元首相が力を貸したのは確かなようだ。そして昨年9月、教団の関連団体による集会に、安倍氏はビデオ動画による演説を寄せている。  それを山上容疑者は、安倍氏が“お墨付き”を与えたと受け取ったのであろう。  どのような事情があるにせよ、殺人を認めるわけにはいかないが、私は安倍氏の死去が自民党に及ぼす影響について、少なからぬ不安を抱いている。  岸田文雄首相は政治におけるほとんどの事案について、安倍氏と相談してきた。そして、安倍氏が十を主張すると、八くらいを取る、つまりややリベラルな決断をしてきたのである。岸田首相が属する宏池会というのは、池田勇人氏以後、ハト派の会派である。  岸田首相は、安倍氏がいなくなることで、どんな決断をするのか。  そもそも、自民党最大の派閥であった安倍派を一体どの政治家が受け継ぐのか。残念ながら、安倍氏ほど指導力のある政治家はいない。どうやら、当分はある種の集団指導体制で行くようだが、このような体制は長くは続かない。 イラスト/ウノ・カマキリ  もしかすると分裂する恐れもある。それ以前に、他の派閥が安倍派の政治家の引き抜きを図る可能性もある。  衆院選は3年も先だ。この3年間はどの派閥も安心して派閥抗争に明け暮れることができるのではないか。岸田首相が派閥抗争をうまく抑え込めればよいが、もしも抑え込みに失敗すれば、岸田首相降ろしが始まるのではないか。  それに、岸田首相はいくつもの超難問を抱えている。  まずは経済危機だ。この30年間、それなりに経済成長をしてきた欧米の国々に対し、日本はまったく成長していない。2012年から始まった第2次安倍政権で、安倍首相は日銀の黒田東彦総裁と組んで、異次元の金融緩和と思い切った財政出動を敢行したが、経済成長はなかった。  さらに、自民党の歴代首相は安全保障を主体的に考えるのは危険だとして、米国に委ねてきたが、米国が実質的に世界の警察であることを放棄して、日本は主体的な安全保障を構築しなければならなくなった。この危険極まりない仕事を、一体どのようにすればよいのか。いずれも、岸田内閣が対応しなければならないのである。 田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数※週刊朝日  2022年8月5日号
安倍、菅政権とは違う? 岸田首相が「国民政党」という言葉を好んで使う理由
安倍、菅政権とは違う? 岸田首相が「国民政党」という言葉を好んで使う理由 国内外に衝撃を与えた安倍晋三元首相の銃撃事件の余波はいまだ収まらない。そんな中、憲法改正をはじめ、安倍氏の“悲願”だった政策を岸田政権がどの程度引き継ぐのかも注目される。同じ自民党でも岸田氏と安倍氏の政治スタンスには開きがあるとされるが、安倍氏・菅氏の後に総理となった岸田氏は「国民政党」という言葉を好んで使う。その真意とは何か。朝日新書『自民党の魔力』(蔵前勝久著)から、一部を抜粋して解説する。(文中の肩書は当時のもの) *  *  * 自民党は1955年の結党時に立党宣言や綱領などとともに、「党の性格」という基本文書をまとめている。平和主義政党、真の民主主義政党、議会主義政党など六つを列挙したが、その一番目は「国民政党」だ。  そこには、こう記されている。 一、わが党は、国民政党である わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。  右派と左派に分かれていた二つの社会党の合流により、日本に社会党政権が生まれることを危惧して、自由党と日本民主党による保守合同で自民党は生まれた。社会党のように「特定の階級、階層」を代表するのでなく、国民全体を代表する政党としてのアイデンティティーを記したものだったのだろう。  岸田文雄首相は「国民政党」という言葉を好んで使う。現職首相として再選をめざしていた菅義偉氏に対抗して、自民党総裁選への立候補を表明した2021年8月26日の会見。岸田氏は冒頭からこう言った。 「昨年来のコロナとの戦いに、菅総理の強いリーダーシップの下、全身全霊を傾けて、努力を続けてきました(中略)。しかし、結果として、今、国民の間には『政治が自分たちの声、現場の声に応えてくれない。政治に自分たちの悩み、苦しみが届いていない。政治が信頼できない。政治に期待しても仕方がない』、こうした切実な声が満ちあふれています。『国民政党』であったはずの自民党に声が届いていないと、国民が感じている。信なくば立たず。政治の根幹である国民の信頼が崩れている。我が国の民主主義が危機に瀕している。私は、自民党が国民の声を聞き、そして幅広い選択肢を示すことができる政党であることを示し、もって我が国の民主主義を守るために、自民党総裁選挙に立候補いたします」  菅首相への直接批判は避けつつも、「『国民政党』であったはずの自民党に声が届いていないと、国民が感じている」と語ったのは、菅氏は国民政党を標榜する党のリーダーにふさわしくない、という痛烈な批判だった。 「自民党が多様性、そして包容力を持つ国民政党であり続けられるように、党の役員に中堅若手を大胆に登用し、そして自民党を若返らせます」とも強調した。岸田氏にとって、国民政党とは「多様性と包容力を持つ政党」という意味を持つというわけだ。 ■敵と味方を峻別した安倍・菅政権  岸田氏は国民政党という言葉を、菅氏の政治への批判として使ったが、「多様性と包容力」というキーワードに着目すれば、安倍氏の政権運営に対する疑義であったとも言える。  第2次安倍政権は、「安倍1強」と呼ばれ、安倍首相に近い側近が力を持ち、安倍首相の意向に沿った考え方が党内の主流になった。主流という以上に、党内での唯一の「正論」だったかもしれない。党内から多様性は失われていった。また、安倍氏は敵と味方を明確に峻別し、政権に批判的な野党やメディアは言わずもがな、党内でも石破茂氏のような政敵を壊滅させようと動いた。包容力に乏しい政治であり、側近議員でさえも「敵を生かすことによって自分を高めるという発想がなかった」と顔をしかめた。  2017年7月の東京都議選での街頭演説で、自らを批判する聴衆に対して「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った姿は、政治家のみならず有権者をも分断し、国民を包摂するべき政治リーダーとしての役割を放棄したようでもあった。  菅氏も敵と味方を峻別した。官房長官時代の記者会見では、批判的な質問を重ねる東京新聞記者から会見の意義を問われると、「あなたに答える必要はありません」とにべもなく答弁を拒否。沖縄の辺野古基地問題では、地元が移設拒否の意思を選挙で繰り返し示しても、工事を強行し続けた。首相主導のトップダウンの手法にこだわり、「仕事をやっていれば、そのうち国民は分かってくれる」とばかりに、丁寧な説明に努めず、国民との意識の乖離が広がった。「国民政党」を名乗る党のトップとは、到底言えなかった。  第2次安倍政権が発足し、自民党内に国家を優先する考えが急速に広まった。一つには、安倍首相の考えが背景にあっただろう。安倍自民党は、国政選挙の際には、安全保障など国家の権限を強める政策については声を潜め、経済政策アベノミクスを金看板として戦った。選挙では有権者に受けのいい経済政策を掲げる一方、首相として本来行いたいが評判の悪い政策は、国政選挙が終わり、次の選挙まで一定の期間がある「選間期」で進めたのだ。  朝日新聞取材班『この国を揺るがす男』は、アベノミクスの「三本の矢」が生まれた直接のきっかけは中国の台頭にあったとしている。同書は、日本経済がデフレに陥らずに1991年から名目4%の成長を続けていれば、2010年段階の経済規模はその年の2倍に達し、日本のGDPは中国に追い抜かれていなかった、とする学者の資料に、野党時代の安倍氏が、強い関心を示したことを紹介。  その上で、同書は「『強い日本』を取り戻すには、まず『強い経済』。安倍にとって、経済政策は『日本の誇り』を取り戻すための手段となっていた」と書いた。つまり、安倍首相の政治の「目的」は、あくまで中国に対抗するための国家の強化であり、アベノミクスによる経済の再興は、特定秘密保護法や集団的自衛権の一部行使などと同じく、国を強くする「手段」に過ぎないということだろう。経済成長のために安倍氏が旗を振った賃上げも、国民の生活向上というより、国家のため、という意味が強かったのだ。 《安倍1強時代をはじめ、自民党が強者であり続ける源泉は何か。『自民党の魔力』(朝日新書)で詳述している》
「対ロ外交に大きな損失」 安倍晋三元首相銃撃事件 鈴木宗男参院議員が振り返る
「対ロ外交に大きな損失」 安倍晋三元首相銃撃事件 鈴木宗男参院議員が振り返る 嘉納治五郎記念国際柔道大会に出席し、ロシアのプーチン大統領(手前左)と言葉を交わす安倍晋三首相(当時)=2018年9月12日、ロシア・ウラジオストク  銃撃された安倍晋三元首相はロシアのプーチン大統領と個人的な関係を深めながら北方領土問題に取り組んできた。なぜ対ロ外交に力を注いだのか。銃撃事件はどんな影響を及ぼすのか。日本維新の会の鈴木宗男参院議員に聞いた。 *   *   * ――安倍晋三元首相が銃撃された一報をどう受け止めましたか。   私は、北海道小樽市で参院選の候補者の応援演説に入っていました。午前11時39分、報道関係者から安倍元首相が撃たれたと聞かされ、がくぜんとしました。  あの日、安倍元首相は本来であれば、長野県へ行く予定でした。どうして奈良県へ行ってしまったのか。なぜ日程を変えてしまったのか。運命の巡り合わせを考え、日に日にむなしさが募ります。  政治家というものは、ときに命が脅かされる存在です。  私も20年前、大きなバッシングを受けたときに、かみそりが送られてきたり、「殺すぞ」という電話がかかってきたりしました。「なにくそ、負けてたまるか」と思ってやってきました。ただ、今回は銃。狙われてしまったら、防ぐことが難しい事案です。まさか日本でこんなことが起きるとは想像すらしていませんでした。 ――ロシア・北方領土問題に安倍元首相とともに向き合ってこられました。  私は、ロシア・北方領土問題をライフワークにして、現場で汗をかいています。安倍元首相は、そんな私をとても大事にしてくれました。  2015年12月28日、首相官邸で2人きりで約1時間、じっくり話をしました。同月22日にあった内閣制度創始130周年記念式典に出席したところ、安倍首相(当時)のほうから声をかけていただいたのです。 「鈴木先生、たまには官邸に来てください」                            「いやいや、総理はお忙しいでしょうから」  そんなやり取りをしていたら、秘書官がその場で日程を調整してくれました。  午後3時の約束が当日の朝になって30分後ろにずれました。ちょうどその日、慰安婦問題の日韓合意がなされ、岸田文雄外務大臣(当時)の会見があったからです。執務室を訪ねたら、ソファでふーっと大きく息をついて、自分自身に言い聞かせるように、 「大きなレールをひけてよかった。日本も韓国も双方守らなければいけない合意です」  と言われたことが印象的でした。そして、 「来年から北方領土と日ロ関係をやります。鈴木先生、お力を貸してほしい」 安倍晋三首相(当時、左)と言葉を交わす日本維新の会の鈴木宗男参院議員=2020年1月30日  と、お話がありました。01年の森喜朗首相とプーチン大統領の会談での「イルクーツク声明」をもとに交渉をはじめ、未来志向で柔軟にやっていこう、と。この森・プーチン会談には私も同席し、日本からは「歯舞、色丹の引き渡し」と「国後、択捉が日ロどちらに帰属するか」に分けて話し合う「同時並行協議」を提案しています。私は、 「総理と同じ考えです。外交には相手があります。日本が100点でロシアが0点ということもない、その逆もまたない。信頼関係が重要です」  と答えました。  対ロ外交は、橋本龍太郎、小渕恵三、森時代にぐっと進みました。ですが、小泉純一郎政権が誕生すると、また4島一括返還論に戻ってしまった。プーチン大統領は「日本は、人が代われば約束をほごにするのか」と驚いたことでしょう。小泉政権1年後以降、対ロ外交は「空白の10年間」となりました。  それが、2度目の安倍政権で、再び軌道に乗りました。  18年11月の「シンガポール合意」は、歯舞、色丹の2島返還と、国後、択捉への元島民の自由往来や共同経済活動を組み合わせたものです。これは日本としては「これしかない」という策であり、ロシア側も受け入れることができる内容でした。安倍元首相だから、そこまで持っていくことができたと思います。 ――安倍元首相が対ロ外交に大きく注力された理由はなんでしょうか。  父である安倍晋太郎先生(元外務相)の背中をずっと見てこられたからこその思いからでしょう。  1991年4月、ゴルバチョフソ連大統領(当時)が来日。私は外務政務次官として、大統領を4日間アテンドしました。  当時、晋太郎先生は順天堂大学付属順天堂医院に入院されていて、余命いくばくもない状況でした。でも、同月18日、衆院議長公邸で開催された歓迎昼食会に出てこられました。  ずいぶんおやせになっていましたが、大統領のほうから歩いて近づいてこられると、車いすから立ち上がって、笑顔で握手をされました。その腰に手を回し、体を必死に支えていたのは、当時秘書だった安倍元首相でした。その光景が、今も目に浮かびます。  晋太郎先生が亡くなられたのは、その直後の同年5月15日。父が最後まで情熱を燃やした対ロ外交(対ソ外交)を近くで見てこられた安倍元首相の「国家観」は素晴らしいものがありました。まさに「地球儀俯瞰(ふかん)外交」。だから世界の首脳からも尊敬を集めることができたと思います。  14年3月、ロシアのクリミア併合問題が起きました。米国のオバマ政権からロシアへの経済制裁などを要求されましたが、しかし、安倍首相(当時)は、毅然とこう言われました。 「それはできない。日本とロシアの間には解決すべき北方領土問題や平和条約交渉がある。日本の立ち位置でやらせていただく」  だからプーチン大統領と強い信頼関係を築くことができたのだと思います。  20年8月29日、首相辞任会見で「やり残したことは?」と問われ、まず挙げたもののひとつが、日ロ平和条約を締結できなかったことでした。あと1年、健康がもっていれば、おそらく成し遂げられていたことでしょう。  常に、現実的に日ロ関係を動かそうと行動されていた安倍元首相が亡くなったことは、対ロ外交において、大きな損失であることは間違いありません。  ――安倍元首相との思い出は。   15年12月28日に首相官邸で面談したとき、 「(娘で衆院議員の)貴子さんは自民党で育てたい」  と言っていただき、 「総理にお任せします」  と即答しました。  16年11月の貴子の結婚式には、主賓として出席してくれました。当時、貴子は無所属。そこに首相が出席することは異例で、「政治的な意図がある」とする報道もありましたが、義理だけでの出席だとは感じませんでした。 「鈴木宗男さんをお父さんと呼べることは、大変勇気のいることだと思います。家庭の幸福は、妻への降伏が絶対です」  安倍元首相が穏やかな顔でそう言って、両手をバンザイしたので、会場がドッと沸いたことが懐かしいです。ご自身は、昭恵さんに非常に優しかっただろうと伺いしれます。  安倍元首相には、本当に感謝しています。まだ67歳。あと5年は第一線でできたことでしょう。本当に残念でなりません。 (構成/編集部・古田真梨子) ※AERAオンライン限定記事
歴代で最も評価する自民党総裁は?安倍晋三・田中角栄・小泉純一郎…アンケートで見えた地方議員の本音
歴代で最も評価する自民党総裁は?安倍晋三・田中角栄・小泉純一郎…アンケートで見えた地方議員の本音 歴代の自民党総裁の中でも地方議員から支持が厚い安倍晋三氏(左)と田中角栄氏 7月8日、選挙演説中に安倍晋三元首相が銃撃された事件は、国内外に大きな衝撃を与えた。安倍氏は首相引退後も自民党の最大派閥「清和会」の領袖(りょうしゅう)として、影響力を持ち続けた。その影響は当然ながら、自民党に所属する全国津々浦々の地方議員にも及んでいる。2018年に行われた自民党総裁選の際に地方議員を対象に行ったアンケートでは、「歴代で最も評価する自民党総裁」として安倍氏と田中角栄氏を推す声が突出していた。二人が地方議員から支持される理由は何か。朝日新書『自民党の魔力』(蔵前勝久著)から、一部を抜粋して解説する。(文中の肩書は当時のもの) *  *  * ■自民党地方議員の平均的な考え方  自民党の地方議員の「平均的な考え方」をみていきたい。舞台は愛媛県である。2018年秋の自民党総裁選は安倍首相と石破茂元幹事長の一騎打ちになった。安倍氏が国会議員票の8割以上を得て、圧勝し、3選を決めた。ただ、党員・党友が投票する地方票では安倍氏55%、石破氏45%となり、石破氏の善戦とされた。  なぜ、石破氏は地方票で善戦できたのか。その理由を探ろうと、朝日新聞と東京大学大学院の前田幸男教授(政治学)との共同調査という形で、愛媛県の自民党所属の地方議員にアンケートを行った。愛媛を選んだのは、同県の地方票が、全国平均と同じ安倍首相55%、石破氏45%だったからだ。もちろん、地方票は党員・党友票であり、地方議員と全く同じとは言えない。ただ、地方議員は国会議員より日常的に党員と接することが多く、地方議員の回答は、一般党員の意識をより反映していると考えた。愛媛を「全国の縮図」と見立て、アンケートを取ることによって「自民党の地方議員の平均的な考え方」を探ることにしたのだ。  同県の県議、市町村議のうち、自民党員とみられる人たちに調査表を送り、計214人から有効回答を得た。このうち、総裁選での投票先を明かした193人の内訳は、安倍氏101人(52%)、石破氏92人(48%)で、総裁選で示された党員・党友の意識とおおむね一致していると言って構わないだろう。  アンケートをもとに取材すると、大きく三つのことが浮かんだ。一つ目は安倍氏の支持が厚いのは若年・都市部であること、二つ目は歴代首相でみれば安倍首相より田中角栄元首相への共感が高いこと、三つ目は衆院の小選挙区が嫌悪されていることだった。  一つ目の安倍氏の支持構造について分析していく。地方議員の年代別の投票先をみると、安倍氏への投票は40代以下は14人中13人と93%にのぼったが、50代になると30人中18人と60%に低下。60代(85人)になると、石破氏が52%と逆転し、70歳以上(64人)でも石破氏が55%を得た。  衆院の選挙区別にみると、人口が集中する県庁所在地の松山市がある1区を地盤とする地方議員は安倍氏に投票したとの回答が特に多く、一方、農林漁業が中心産業の4区では石破氏が上回った。都市部・若手の議員が安倍氏を、地方・高齢の議員が石破氏を支持する傾向が明確だった。安倍氏に投票した地方議員の肩書を見ると、県議が16人中12人(75%)、市議が115人中66人(57%)、町議が62人中23人(37%)となった。  県議と市町村議の間に一つの分断がある。かつて取材した東日本の県議の言葉を思い出す。市議時代は自民党員のまま無所属を貫いたが、県議にくら替えする際に自民党公認になった経緯について、「県議選は政党選挙になる。それに県議は、日常的な陳情とかで国会議員や各省庁との関係が出てくる。自民党を名乗っている方が何かと有利だ」。  県議になると、党本部に呼ばれたり、国会議員と直接やりとりしたりする機会が増え、「党人」としての意識が高まる。現職の首相として「選挙の顔」である安倍氏への忠誠心が、県議になると強まるということだろう。 ■「角栄」支持の背景に疲弊する地方  アンケートでは、歴代で最も評価する自民党総裁について尋ねた。有効回答を得た214人のうち、田中角栄元首相を選んだのは79人(37%)。当時現職だった2位の安倍氏と回答した38人(18%)を大きく引き離した。総裁選での投票先で安倍氏を選んだのは若年・都市部という傾向があったが、この設問も同様で、衆院1区の地方議員は田中、安倍両氏を選んだのは同数、40代以下でも田中氏と安倍氏はほぼ並んだ。  角栄氏への共感はなぜ、広がっているのか。角栄氏を選んだ60代の市議には「言ったら実行する力」が魅力的に映る。 「何より人間が正直だ。他人の面倒もみる。頼まれてできることであれば実行する。私も政治家として、正直でありたいと思っているし、頼まれたことは、こなせるならば実現したい」。  合併前の町議になったのは40代。電気設備会社を経営し、政治に関心はなかったが、「地元の部落(町内会)に推されて出馬した」。初当選後、自民党入り。その時に一緒に当選した町議全員が自民党員だった。その後、合併で市になっても当選を重ねてきた。自らの故郷である旧町の衰退が気になる。旧町にあった県立高校は廃校になった。かつて20人弱の町議がいたが、合併後の市議で、旧町出身者は3人だけ。「企業誘致で旧町を活性化したい」と思うが、うまくいかない。総裁選では白票だった。安倍氏の外交は評価できるが、地方が疲弊している中での経済対策に不満がある。  一方、石破氏の安倍政権批判や地方の活性化策には共感できるものの、永田町で仲間を作る努力を怠っており、「本気で総理をめざす気迫が足らない」と感じた。 「石破さんには角栄さんのような行動力がない」。  久万高原町議の日野明勅氏も田中氏を選んだ。中山間地にある典型的な過疎の町だ。「限界集落が消滅集落になっている」。移住者を増やそうとしたが、そう簡単ではない。以前から角栄氏のファンで、『日本列島改造論』をむさぼり読んだ。「角栄さんがいれば、過疎高齢化問題に本腰を入れてくれるのではないか」。田中氏の選挙区だった新潟県長岡市に行った際、立派な道路やトンネルに感動したことを覚えている。「我田引水かもしれないが、素晴らしかった。ああいう人じゃないと、田舎の人の気持ちは分からない」と話した。  一方、安倍氏を「歴代で最も評価する総裁」に選んだ県議は、都市部にある地元の製造業が好調でアベノミクスを評価した。 「田中氏のようなグレーな古い首相は今の時代では通用しない。もう一歩進んだリーダー性が求められる」と語った。  田中、安倍両氏につぐ3位は郵政民営化など構造改革を進め、「自民党をぶっ壊す」とぶち上げて人気を集めた小泉純一郎元首相で19人(9%)が支持した。安倍、小泉両氏はそれぞれ長期政権を築いており、わずか2年間しか首相の座にいなかった田中氏への評価が際立っていた。 《『自民党の魔力』(朝日新書)では安倍政権前から連綿と続く「自民党の強さの秘密」を詳述している。》
「安倍元首相銃撃」の悲劇が起きた理由、宮崎謙介元議員が怒りと悲しみの手記
「安倍元首相銃撃」の悲劇が起きた理由、宮崎謙介元議員が怒りと悲しみの手記 2022年3月にダイヤモンド編集部のインタビューに答える安倍晋三元首相 Photo by Yoko Akiyoshi 安倍首相に教わった国会議員の存在意義  安倍元首相が凶弾に倒れました。この一報を妻からの電話で知りました。電話越しの声が涙声で震えていて、にわかに信じられませんでしたが、ニュースで確認してがくぜんとしました。ネット上の記事で、血を流し路上に横たわる安倍さんの姿をみて、怒りがこみ上げるとともに悲しさで涙が止まらなくなりました。  私は安倍チルドレンの一人で、安倍元首相からいろいろと学ばせていただきました。歴代最長任期の総理大臣として歴史に名を刻んだ安倍元首相のこの痛ましい事件に、心を痛めている国民も多いでしょう。心の底からの怒りと、悲しみをこめて訴えたいと思います。  安倍元首相が以前、私におっしゃったことがあります。「政治は国民の好む耳あたりの良い政治をするだけでは意味がないんだ。意見が二分するような問題提起をして国民の皆さまに考えていただく、議論を巻き起こすことに国会議員の存在意義があるんだ」と。  これは私が政治家として悩んでいたときに、アドバイスをいただいた言葉でした。この時に感じたのは、安倍元首相は政治家として常に戦っているのだ、ということです。  国民を二分する議論を巻き起こすこととは、つまり国民の半分を敵に回した上で、説明し説得し理解を促すということです。  誰だって人にとって耳障りなことは言いたくないし、波風を立てずに過ごせるならそうしたいと願うものです。ポピュリズム政治は国民の声に寄り添っていればいいだけなのですが、そうしているといつの間にかやすきに流れついた結果、国家は弱体化し破滅の道をたどるのは、ローマ帝国の滅亡のように歴史が証明しています。  だからこそ、安倍元首相がおっしゃる「国民の半分を敵に回して議論を巻き起こし、道を切り開く」ということは大変厳しいことであり、つらいことです。よほどの覚悟がないとそれはできないでしょう。「その先に国民の幸せがある」という強い信念がないとできないことでしょう。私はそんなすごみを感じたのです。  その昔、大学生の頃に父と政治談議をしていたときのことを思い出しました。「今の政治家で、命を懸けて国を変えてやろうという気概を持っている人はいるのだろうか」と父は言っていました。父と政治談議をしたことは後にも先にもその一度きりでしたが、父のその言葉が妙に胸に残りました。  それから約10年後に私が国会議員になりましたが、そうした迫力を感じる政治家は数える程しかいませんでした。自分の選挙のことしか考えない議員、いかに金を集めるのかに腐心する議員を見るとがくぜんとしたことを覚えています。  ただ、多くの議員は志をもっていて天下国家のために働くという思いをもっていることは感じられました。しかし、「命を懸けてでも」という気迫を感じた政治家はあまりいませんでした。数少ない気迫を感じたうちの一人が安倍元首相です。 近年の政治への不満を安倍元首相に負わせる風潮  近年は減りましたが、昭和の時代には何度も起きた政治家への襲撃。一歩判断を間違えれば撃たれる、刺されるということは珍しくなかったとベテラン議員からきいたもので、今は平和な世の中になったものだとのんきなことも聞いたことがあります。  平和になったから政治家が変わってしまったのかはわかりませんが、命を狙われるほどのリスクを背負ってまで戦う政治家の姿は見えなくなりました。また次第に、政治家は世の中からたたかれても良い存在のようになり、ネット上では政治家に対する罵詈(ばり)雑言があふれるようになりました。 芸能人は誹謗(ひぼう)中傷で訴訟を起こすこともありますが、政治家はほとんどそんなことはしません。むしろ、それに耐えてこそが政治家だろうという空気さえあります。どんどん政治に関する不信感は募り、挙げ句の果てに起きたのが今回の事件だと私は感じました。  近年の政治の不満を「全て安倍が悪い!」という論調も一部では巻き起こっており、自分たちの鬱屈とした気持ちを安倍元首相一人に負わせるような風潮さえもありました。   安倍元首相を撃った男は一人ですが、そこまでの空気を作った責任の一端は、マスコミやネット、反安倍で沸く人々にもあるのではないでしょうか。政策の不満、政治の不安、そういうものを言論の場ではなく、暴力で訴えるのはあまりにも卑劣です。  一度、体調を崩して総理大臣を退いた安倍元首相は、2度目のチャレンジで返り咲き、長きにわたり日本の発展に貢献されてきました。自身の姿と重ねていたのか「再チャレンジできる社会」をとなえていらっしゃいました。私はこの数年、その意味をかみ締めながら、安倍元首相の姿に勇気をいただきながら、ここで終わるわけにはいかないと、前を向いて生きてきました。最期に安倍元首相は何を感じていらっしゃったのだろう。日本の未来をどのように憂えていたのだろう。またお話しする機会があるならば、ゆっくりと伺いたかったです。  ご冥福をお祈りいたします。 (元衆議院議員 宮崎謙介)
安倍首相の長期政権 2018年に露呈した「1強の害」とは?
安倍首相の長期政権 2018年に露呈した「1強の害」とは? 国会で演説する安倍晋三首相 (c)朝日新聞社  安倍晋三首相に権力が集中する長期政権が続く。2018年は、その悪影響が従来にも増して国会に表れた一年だった。小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』12月号は「2018年の重大ニュース」を特集。その中で内田晃・朝日新聞論説委員が「1強の害」について解説した。 *  *  *  安倍政権では森友・加計学園の問題など、行政府の疑惑や不祥事が後を絶たない。安倍晋三首相は「丁寧に説明している」と繰り返すが、真相の解明には後ろ向きだ。問題の全体像は分からないままで、きちんと責任をとることもしない。  こんな不誠実な対応がまかり通るのも、行政府をチェックする国会で与党が大多数を占め、首相らに異を唱えず賛成ばかりしているからだ。立法、行政、司法が互いに抑制し、バランスをとる三権分立が、あやうくなっているといっていい。 【1強の害(1)】 公文書をこっそり改ざん <森友学園問題>  3月、財務省が、森友学園と国有地を取引した際に作った公文書をこっそり改ざんしていたことがわかった。国有地が約8億円も値引きされて森友学園に売却されたことが国会で問題になったが、このとき議員に示された文書は改ざん後のものだった。削除されたのは、安倍首相や妻の昭恵氏などの名前。当時の責任者は証言を拒否し、真相は未解明のままだ。 【1強の害(2)】 首相が友達を優遇? <加計学園問題>  4月、加計学園による獣医学部新設計画の新文書が愛媛県で見つかった。そこには安倍首相の秘書官(当時)の発言として、「本件は、首相案件」と明記されていた。5月には、学園の理事長が首相と面会したことを記す文書も出てきた。加計学園の理事長は安倍首相の長年の友人で、首相が学園を特別扱いしたのではないかと野党が追及したが、首相は否定している。真相は未解明のままだ。 【1強の害(3)】 不都合な事実が隠された <イラク日報問題>  4月、防衛省は、国会で過去に防衛大臣が「ない」と回答した自衛隊のイラク派遣時の活動報告(日報)が見つかったと発表。1前に見つかったが隠していたという。政府は戦闘に巻き込まれる危険がある地域には自衛隊を派遣しないと説明してきたが、日報には「戦闘」や「銃撃戦」の記述があった。文民統制ができていないことの表れで、深刻だ。 【1強の害(4)】 国民の希望とずれた法案の採決を強行  安倍政権が強い影響力を及ぼすなか、国会では国民が特に望まない法案が、数の力を背景にどんどん採決されている。さかのぼれば2015年9月に採決が強行された安全保障関連法案が象徴的だ。今年は長時間労働を招きかねない働き方改革関連法などが、国民の理解が深まらないまま押し通された。法律の内容も、強引な採決も民意を軽んじている。 ■「おかしい」と思ったら声を上げよう  では、私たち国民が何もできないのかというと、そんなことはない。  首相も与党の議員たちも、いつも世論を気にしている。政権への批判が高まり、選挙で議席を失うことを恐れている。「政治がおかしい」。そう思ったら一人ひとりがきちんと声を上げる。その積み重ねで、政治は動くのだ。  そのためにも、どんな政治が行われているのかを正しく知ることが大切だ。9月の自民党総裁選を思い返してみよう。  首相に挑んだ石破茂・元幹事長は、「正直、公正」をキャッチフレーズに掲げた。森友・加計問題への対応に疑問を投げかけようとしたのだ。石破氏の国会議員票は全体の2割にとどまったが、党員・党友による地方票で45%を得て善戦した。  石破氏の得票は、首相への批判票ともいえる。多くの地方の人たちが、国会議員に流されず自らの判断で疑義を突きつけたのだ。総裁選の直後にあった沖縄県知事選では、政権が全面支援した候補者が敗れて、さらに首相に打撃を与えた。  総裁選と沖縄から上がった声を受け、自民党内では、首相の指導力に対する不安がじわりと広がっている。この先の世論の動き次第で、首相も政治姿勢の変化を迫られるだろう。  政治はひとごとではない。そのことを、多くの人が自覚し行動してこそ、民主主義は健全に機能するのだ。 ※月刊ジュニアエラ 2018年12月号より

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