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一冊の本

11月号作家・東京大学名誉教授 松浦寿輝 Matsuura Hisakiみずみずしい知的冒険
11月号作家・東京大学名誉教授 松浦寿輝 Matsuura Hisakiみずみずしい知的冒険 何かどんづまりまで来てしまったような閉塞感のただなかで、どう変わったらいいのか、われわれの社会はいま途方に暮れている。変わること、本書の著者が使っている言葉を借りれば、われわれの前に立ちはだかる「(不)可能性の臨界」を越えること――今日ほどそれが要請されている時代はないと見えるのに、その具体的な手立ては覚束ない。その理由の一つは、名誉革命やフランス革命のような社会体制の根本的変革を、かつて日本人が内発的・意識的に遂行したためしがないからかもしれない。われわれは「革命」が苦手な民族なのだ。
9月号植物分類学・理学博士 光田重幸 Mitsuta Shigeyuki若冲が描いた花を同定する
9月号植物分類学・理学博士 光田重幸 Mitsuta Shigeyuki若冲が描いた花を同定する 「百聞は一見に如かず」という言葉は、生物の同定(名前を決めること)にはとくに重要である。言葉でどう説明されても、見当がつかないことがけっこう多い。たとえば「花は白色でした」と言われた花も、実物は、蘭の唇弁のような「目立つ花弁だけが白かった」ということもある。写真のなかった時代には、絵描きの集中力やデッサン力だけが頼りで、慣れてくればその絵描きがどれだけの再現力を持っているか、すぐにわかるものである。
8月号地図研究家 今尾恵介 Imao Keisuke『鉄道唱歌』が売れに売れた理由
8月号地図研究家 今尾恵介 Imao Keisuke『鉄道唱歌』が売れに売れた理由 東海道線や中央線がまだ「国鉄」だった頃、特急や急行の車内アナウンスの前によく流れたオルゴールの旋律といえば、多くの人がまっ先に思い浮かべるのが『鉄道唱歌』ではないだろうか。その第一集の冒頭第1番の歌詞「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり……」は有名だが、その先も品川、大森、川崎、神奈川……と線路に沿って延々と続いていく。ちなみに終点の神戸は第65・66番である。
8月号小児精神科医・青山学院大学教授 古荘純一 Furusho Jun―ichi災害弱者としての発達障害者
8月号小児精神科医・青山学院大学教授 古荘純一 Furusho Jun―ichi災害弱者としての発達障害者 今年4月に熊本で震災が発生した。被災された方には心からお見舞いを申し上げる。復旧が早く、すでに報道で取り上げられることも少なくなった。しかし、生活の基盤がまだ回復していない人や、エコノミークラス症候群、大雨による土砂災害、心的外傷後ストレス障害などの二次被害に悩まされている人がいることも忘れてはならない。

この人と一緒に考える

7月号ミュージシャン 小宮山雄飛(ホフディラン) Komiyama Yuhiカレーの履歴書
7月号ミュージシャン 小宮山雄飛(ホフディラン) Komiyama Yuhiカレーの履歴書 本業はミュージシャンながら、年間200軒のカレー屋巡りと、家でも200食近くカレーを作る僕ですが、カレーとの出会いはちょっと変わっています。というのも僕の家にはいわゆる「おうちカレー」がなかったのです。うちの母は家族の健康を考えて、食卓においてできるだけ自然の素材にこだわり、いわゆる「できあい」のものを使わないというポリシーを持っていました。なので、うちではレトルトや缶詰のカレーが食卓に上がることはなく、カレールゥすら使わない主義でした。といって、インド料理の知識があるわけでもない母が、ルゥを使わずに一からスパイスを調合してカレーを作るなんてのは不可能。その結果、母はカレーに関してとてもシンプルな結論に達しました。
6月号作家 市川拓司 Ichikawa Takuji「障害」を進化的戦略と考える
6月号作家 市川拓司 Ichikawa Takuji「障害」を進化的戦略と考える 前作『壊れた自転車でぼくはゆく』から一年半ぶりの新刊です。今回は小説ではなく初めての新書。けれど思いは一緒です。傷むほどに感じてしまうために「弱者」と呼ばれ、独自の価値観で生きているために「間違っている」と糾弾されてしまう者たちの真実。それをフィクションではなくノンフィクションで描く。ぼくの中では、あまり違いはありません。ぼくの小説を読んだ方なら、「ああ、わたしは彼を知ってる」と思われるかもしれない。すべての小説に登場する主人公や脇役たちの原型がここにある。彼(すなわちぼく)は『いま、会いにゆきます』の巧や佑司であり、『そのときは彼によろしく』の智史であり、『壊れた自転車でぼくはゆく』の寛太でもある。ぼくはなぜ、あのような主人公たちの物語を書いたのか? というより、書かざるをえなかったのか? その理由が徐々に明かされてゆきます。執筆しながら新たに学んだこともたくさんありました。すべては無意識のなせるわざですが、その背後には「コンプレックスPTSD(心的外傷後ストレス障害)」という深い心の傷がありました。発達障害であること、アスペルガーやADHD(注意欠陥多動性障害)であることと同じくらい、ぼくのパーソナリティーに大きな影響を与えた子供時代の体験。病弱な母がまとう死の影に怯えながら暮らした日々。それが、いずれはパニック障害を引き起こし、数々の心身症を引き起こす原因のひとつとなっていく。けれども、この日々はまた、ぼくに別の感情も与えてくれました。母の身体を深く気遣うことで、ぼくはいたわりや共感の心を育むことができた。ぼくはこの感情をとても大切に感じています。気遣い、いたわること。あまりにもその感情が強すぎるために、実際以上に相手が脆く儚(はかな)い存在のように思えてしまう。愛した瞬間から喪失の予感にとらわれ、一秒たりとも無駄にはできないと思うようになる。それこそ傷むように感じるわけです。この激しい感情に促されるようにしてぼくは小説を書き始めました。治癒行為としての執筆。今回の本の中で、ぼくは全体の三分の一ほどをさいて、そこまでの道のりを詳しく綴っています。ぼくを生んだことがもとで身体を壊し臥(ふ)せりがちになってしまった母。そんな母とほとんど二人きりで送った奇妙な幼年期。あまりの多動多弁に、担任の先生から「三十年の教師生活で一番手の掛かる子」と嘆かれた少年期。勉強ができずクラスメートたちから「バカ」とあだなされた思春期。奥さんと出会った高校時代、そしてパニック障害を発症。様々な不具合を抱えながら過ごした青年期。奥さんの妊娠を機に小説を書き始め、それがやがては『いま、会いにゆきます』のミリオンセラーへと繋がっていく。さらには、ぼくの書いた小説が世界の様々な国で翻訳出版され、人種や国境を超えて愛されていったこと。本書の中で、ぼくはこう書きました。「このあまりに攻撃的な世界で、生きづらさを感じている人々。戦うための拳を持たない、生まれながらの避難民たち。弱い者、拙い者。ひとと違っているために、『間違っている』と責められ、自分を信じることができなくなっている者。(中略)そういうひとたちのために、ぼくの小説はあるんだと思います」。それこそがぼくの小説が世界中のひとたちに受け入れてもらえたことの理由なんだと思います。どの国にもぼくの「仲間」はいます。彼らがぼくの小説を求めてくれた。
5月号漫画家 細川貂々 Hosokawa Tenten親と子はそれぞれ別の人間
5月号漫画家 細川貂々 Hosokawa Tenten親と子はそれぞれ別の人間 この本のモデルは私です。この本の内容はずっと生きにくいなあと感じていた主人公が一番追い込まれていた時に聞こえてきた「声」を頼りに、自分の生きにくさの原因が何だったのかを知る物語です。去年、私の仕事が無くなった時に実際に経験したことを下地にして作品を描きました。
5月号福島県立医科大学理事長 菊地臣一 Kikuchi Shinichi安静にしても、腰痛は治らない
5月号福島県立医科大学理事長 菊地臣一 Kikuchi Shinichi安静にしても、腰痛は治らない 昨年の夏、あるテレビ局で放送された腰痛の番組の監修に携わった。慢性腰痛(3カ月以上の腰痛)の85%は原因がわからない特発性のもので、その治療法として世界的に脚光を集めているのが、切らない腰痛治療「認知行動療法」である、という内容だ。

特集special feature

    4月号居酒屋評論家 太田和彦 Ota Kazuhiko居酒屋通い30年の集大成
    4月号居酒屋評論家 太田和彦 Ota Kazuhiko居酒屋通い30年の集大成 会社勤めをやめてフリーになった40歳過ぎころから意識的に居酒屋通いを始め、もちろん酒好きゆえだが、そのうちそのことを本に書くようになった。名店ガイドやら、流儀やら、珍道中やら、手を替え品を替え30冊ほども書き、もう書くことはなくなったと思っていたがまだあった。

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