
一冊の本



4月号京都学園大学人文学部教授 山本淳子 Yamamoto Junko政敵の書、『枕草子』が生き延びた理由
『枕草子(まくらのそうし)』を初めて知ったのは、幼稚園児の頃だった。祖母と一緒に寝ていた私は、毎夜寝物語をせがんだ。そんな私に祖母が聞かせてくれたのが「香炉峰(こうろほう)の雪」の話だったのだ。千年前の宮廷。天皇の第一の后(きさき)に仕える清少納言(せいしようなごん)。雪が高く積もったある日、后が彼女に謎のような言葉をかける。「清少納言、香炉峰の雪はいかに」。実は長じて『枕草子』本文を確認すると、この祖母の言葉は少し違っていた。だが、それはよしとしよう。后の声掛けに、清少納言は御簾(みす)を高々とあげる。祖母はそれをポーズ付きで演じ、これが中国の詩に基づく教養溢れるやりとりなのだということも教えてくれた。『枕草子』は私の心に、優雅な宮廷生活を綴った書物として焼き付けられた。



2月号福祉ジャーナリスト・元NHKキャスター 町永俊雄 Machinaga Toshio「当事者発信」という認知症の人の力
「認知症にはなりたくない」、本音としてはかなりの人がそう思っているだろう。ワタシだとて、自分の物忘れに不安がよぎることを告白しておく。だからこの本音を封殺するつもりはない。ただ、この「なりたくない」の危うさは認知症への想像力の一切を遮断してしまうことにある。認知症は高齢化リスクだから、長生きすればかなりの確率で「なる」のである。そのときに「なりたくない」の方へ自分の持ち札全部を賭けてしまっておくと、精神的にも身ぐるみ剥がされ、不安と混乱の中に落ち込んでしまうだろう。誰であれ老いは防ぐことは出来ない。しかし備えることは出来る。その意味で本書は、まずもって認知症には「なりたくない」と言う人々に読んでいただきたい。
特集special feature


1月号龍谷大学農学部教授 伏木亨 Fushiki Tohru本物のだしをあじわうことは教養である
京料理の著名な老舗料亭10軒のご主人に、京都大学の学生に向けてお店の一番だしを披露してもらうイベントがある。この文章のタイトルはそのキャッチコピーである。2日間にわたるこの催しは、もう10年ほど続き、銀杏の色づく頃の大学の定番行事ともなっている。 グルメブームとやらで情報ばかりが行きかっており、ネットを賑わせる料理店の評価や口コミブログもなにやら胡散臭い。そんな実態の薄い現代の食の中で、老舗料亭が屋号の誇りをかけて引いた日本文化の真髄とも言えるだしを実際に舌で経験する。これこそが、日本を牽引する将来が期待されている人材の教養というものだ、と感性の磨きを鼓舞する意味もあった。 教養という響きに秘かにコンプレックスを抱いているらしい現代の京大生には、殺し文句といえる効果があった筈である。ネット募集への応募者は、たちまち2日間の定員200人をこえ、会場として借り切った学内のイタリアンレストランは、連日の大盛況となった。実は、私自身も名店のだしを飲み比べるなどという大それた経験はない。最も期待に震えたのは私であったかもしれない。 昆布は京料理御用達の利(り)尻(しり)産の大ひね一等級で揃え、各店が自前の鰹節や鮪節を持ち込み、学生の前で解説しながら引いた。途中のステップで何度か試飲が入る。参加した学生は男子が大半を占めており、各店のブース前に散っている。昆布だしに鰹節が入った途端、それを飲んだ学生たちは「うおおっー」と一斉に地鳴りのような声を響かせた。柚子の皮の小片が入った椀を最後に口にした時にもまた、同様のどよめきが起こる。伝統に磨かれただしは想像を超える味わいなのである。会場の誰もが未体験の味であった。 ざわめきが静まった後、各店のだしの飲み比べに移って、ふたたび驚いた。お店ごとに、味わいが全く違うのである。華やかな香りを前面に出しただし、うま味に力を込めただし、ひたすら淡く静寂を求めるだし。いずれもお店の得意な料理に関係している。ご主人たちとは旧知のおつきあいなので、失礼ながら、性格もよく存じているつもりだ。面白いことに、各店のだしの味わいは、だしを引くご主人たちの性格を反映しているのだ。華やかなだしにはご主人の華やかな性格が見える。静かなご主人は静寂なだしを引く。アグレッシブな味はどなたの技かと納得もできる。 味わいの性格を最終的に決めているのは、ご主人たちの感性なのである。完成されただしの美味しさは、厳しく吟味された食材に、料理人の感性が色どりを添える。だしには奥深い神秘があると気づいた一瞬であった。これを詳しく知りたいとずっと思い続けていた。 日本のだしの味わいは日本の料理の精神にも通じている。日本料理は引き算の料理と称されることが多い。日本料理のコースは長い道のりをただトボトボと歩き続けるような料理であるという海外のシェフの感想もある。大きなインパクトもない日本料理に対する率直な感想として面白い。対極にある海外の料理は、ソースや調味料を足すことで食材の欠点を消し、完成する。この間に料理人の独自の個性が際立ってくる。 一方、日本料理は、だしから余計な味わいを可能な限り削り取り、さらに食材のもつ過剰な癖を削ることによって、食材本来の好ましい個性を活かす料理である。料理人の個性は表には出にくい。しかし、何もしないで食材任せにしているのではない。食材の吟味とそれを引き立てる洗練のだしによってはじめて可能となる熟練の技なのであると知った。 日本料理は、インパクトや個性の強さを目指さないで、「障りのなさ」を大事にする精神が行き届いている。「障りのなさ」とは、欠点が見当たらないという意味であるが、細部にまで目を光らせて障りを処理しながら全体の調和をはかることによってはじめて完成する。そのためには、気の遠くなるような手間のかかった個々の食材の下処理が必要になる。全体としてみると引き算の味わいなどといわれる静謐な味わいに落ち着くのであるが、実は料理人の感性と卓越した技術の集合体なのである。 日本料理の独自の精神とだしの味わいが育まれてきた背景には、アジアモンスーン地域という不安定な気候風土への恐れと諦観の混ざった自然への畏敬の観念、肉食の禁止と精進料理の歴史、油脂にも砂糖にもあまり依存しなかった料理の発展、昆布と鰹節の偶然の出会いによって洗練を深めただしのうま味など多くの要素が関係しているように思う。このような環境で磨かれてきた日本のだしには、数奇とも言える様々な歴史が潜むのである。このことに想像をめぐらせながら本物のだしを味わいたい。本書で伝えたかった私の思いである。

1月号聖路加国際病院リエゾンセンター長 保坂隆 Hosaka Takashi「心のあり方」が予後に直結する
二人に一人が、がんになる時代。そう言われて久しくなります。 親族や知り合いの誰かががんになる、そんな経験を誰もがしているでしょう。そして、その「誰か」が自分になる可能性もあります。がんは決して他人事ではないのです。 そんな身近な病気でありながら、「がんになったら人生はおしまい」「苦しみながら死んでいく」といった恐ろしくマイナスなイメージが社会に定着しています。 それは、メディアによる「壮絶ながんとの闘い」や「過酷な闘病生活」といった扇情的なコピーのせいかもしれませんが、現在のがんの治療現場はまったく違います。 すぐれた検査機器の登場で早期発見・早期治療が可能となり、日帰りでがんの手術を受けられるケースも増えています。治療の選択肢も多数ありますし、何より、本人の希望する治療を受けられる時代です。 患者さんがもっとも恐れる「痛み」に関しても、99%コントロールが可能です。 そして、日本人の死亡原因のうち、がんが占める割合は約30%。つまり、がんになっても半数近くはがんで亡くなってはいません。このように「がん=死」というイメージには根拠がないのです。 とはいえ、こうしたポジティブな情報はなかなか広がらず、がんになると、ほぼすべての人が「死」を意識し、精神的に打撃を受けてしまうのです。 私が専門とする精神腫瘍科は、「がんで落ち込んでいる患者さんの心を元気にする」のがミッションです。そして、このミッションにはとても大きな意味があります。 それは、患者さんの心のケアをすることが、がんの予後を左右するという研究結果が出ているからです。 つまり、心の状態とがんは密接な関係があり、心の状態をよくするのは、がんの治療にはとても重要といえます。 そして、精神腫瘍科では、「薬を使わずに心を元気にする」方法をたくさん持っています。 それを紹介したのがこの本です。運動する、瞑想する、ストレスを上手に逃す、ネガティブな考え方を変えていくなどの「心を元気にする方法」を精神論ではなく、科学的な根拠に基づいてわかりやすく解説しています。 また、私のもとを訪れた多くの患者さんのエピソードをまじえて紹介しているので、より一層リアルに感じられるでしょう。 がんの標準治療は、手術、抗がん剤、放射線治療ですから、「治療は医師任せ」という人もまだまだ多いのが現実です。しかし、「心を元気にする治療」は、自分自身でできることがたくさんあります。病院で一方的に治療を受けるのではなく、自分の体を自分でよくすることができる、それは素晴らしいことだと思いませんか。本のタイトルにもなっている、「がんでも、なぜか長生きする人」は、自分の心を元気にするさまざまな習慣を実践しています。 本書では、その方法をしっかり伝えているので、患者さんご本人はもちろん、患者さんを取り巻く方にとっても、参考になるでしょう。 そして、がんの治療でもう一つ大切なのは、「がんは慢性疾患である」と理解することです。 病気は、「完治する病気」「完治しない病気」に大別できますが、風邪や虫垂炎などは前者で、がんは後者に分類されます。しかし、完治しないという点では、高血圧や糖尿病、関節リウマチなども同じです。 良い状態をキープし、コントロールしていくことで気長に一生つき合い続ける病気。そう考えると、がんが慢性疾患であるのがわかるでしょう。 慢性疾患では、それまでの生活を見直し改めることが求められます。がん患者さんが、思い切って仕事のスタイルを変えてみたり、食生活を根本的に変えたり、ストレスをためない生活を心がけるようになると、がんに変化を与えるだけでなく、その他の生活習慣病も防いで健康になっていく例を、私はたくさん見てきました。 命を脅かす病気のリスクは、急性心筋梗塞、脳卒中などさまざまです。それらも含めて予防できるのですから、こんなにうれしいことはありません。 そして、がんは私たちに「生きる意味」「自分の与えられた役割」をあらためて考えさせてくれるチャンスです。 つまり、この本には、がんになった人のためだけではなく、あらゆる人が心身ともに健康で生きるためのエッセンスがぎっしりつまっているのです。 一人でも多くの方に手に取っていただき、より良い生き方のお手伝いになることを、心から願っています。


12月号社会学者 岸政彦 Kishi Masahikoもう少し希望を
沖縄研究という仕事柄、那覇によく出張して、タクシーにもよく乗るのだが、沖縄のタクシーのおっちゃんはみんな本当に面白い。おっちゃんと喋るのも出張の楽しみのひとつだ。こないだ乗ったタクシーで、今年の夏は台風が少なくて、サンゴが白化してるらしいですねと、おっちゃんが話しだした。そうだなあ、かわいそうやなと答えて、しばらくサンゴの話をしてると、だんだん会話が変な方向に走ってしまい、サンゴもだらしないのではないか、と言いだした。これまでも雨の少ない年ぐらい何度もあっただろうに、何万年も進化してないし。サンゴも自助努力が足りませんよね。ほんまやな。確かにそうだわ。ぜんぜん過去に学ぼうという姿勢がないよね。南の海にいるくせに温度に弱いのはわがままだ。サンゴは生ぬるい。亜熱帯だけに。
