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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第64回 『プレイ・ザ・ブルース』ウィントン・マルサリス&エリック・クラプトン
第64回 『プレイ・ザ・ブルース』ウィントン・マルサリス&エリック・クラプトン 2010年秋発表の『クラプトン』には、多彩な顔ぶれのゲストが参加しているのだが、そのなかにウィントン・マルサリスの名前もあった。ニューオーリンズ・ジャズからクラシックまでさまざまな場で経験を積み、ジュリアードをへて、80年、本格的な活動を開始。音楽を大切な文化遺産としてとらえながら創作活動をつづけるその姿勢が評価され、すでに9つのグラミー賞を獲得している音楽家だ。『クラプトン』では、《ハウ・ディーブ・イズ・ジ・オーシャン》と《マイ・ヴェリー・グッド・フレンド・ザ・ミルクマン》で個性的なソロを聞かせている。
第61回 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』スティーヴ・ウィンウッド
第61回 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』スティーヴ・ウィンウッド 家族に捧げるアルバム『バック・ホーム』をようやく仕上げ、長年の夢でもあったJ.J.ケイルとの共演作『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』を理想的な形で完成させたあと、クラプトンは、2006年のワールド・ツアーに向けて動きはじめた。前回のコラムでも書いたが、ギターは、クラプトン、ドイル・ブラムホールⅡ、デレク・トラックスとのトリプル編成。あらためて紹介しておくと、ドイルはジミ・ヘンドリックスやスティーヴィー・レイ・ヴォーンの流れを汲む男。デレクは、運命的にドゥエイン・オールマンとつながる男。もちろん、彼らは単なるクローンやコピーではないのだが、これもまた、一つの大きな夢、やり残したプロジェクトの実現と言えるだろう。
第60回 『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』J.J.ケイル&エリック・クラプトン
第60回 『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』J.J.ケイル&エリック・クラプトン 本連載の第20回目でも書いたことだが、ファースト・ソロ『エリック・クラプトン』に取り組んでいた24歳のクラプトンは、プロデュースを依頼したディレイニー・ブラムレットから、オクラホマ出身のJ.J.ケイルというシンガー・ソングライターを教えられている(リオン・ラッセルやベース奏者カール・レイドルとは同郷)。当時はまだ無名の存在だったが、なにか、とてつもなく大きな閃きのようなものを感じた彼は、ケイルの《アフター・ミッドナイト》をそのアルバムに収めた。結局、クラプトン版《アフター・ミッドナイト》は彼にとって初ヒットとなり、結果的にそれが、ケイルにメジャー・デビューの機会を与えることともなったのだった。
第58回 『リユニオン・ライヴ-アット・ロイヤル・アルバート・ホール2005』クリーム
第58回 『リユニオン・ライヴ-アット・ロイヤル・アルバート・ホール2005』クリーム ようやく手にした幸せな家庭、若い妻と幼い娘たちに捧げるアルバムは、構想と方向性こそ明確ではあったものの、ロバート・ジョンソン・プロジェクトを終えたあとも、思うように進んでいなかった。2004年は、クロスローズ・ギター・フェスティヴァルを実現させただけではなく、かなり密なスケジュールでツアーをつづけ、並行して、なんとか満足のできる内容に近づけていったようだ。具体的には「娘たちが大きくなってからも聴いてくれる」アルバムということである。
第57回 『セッションズ・フォー・ロバート・J』エリック・クラプトン
第57回 『セッションズ・フォー・ロバート・J』エリック・クラプトン はじめてロバート・ジョンソンの作品群と正面から向きあった『ミー&Mr.ジョンソン』の発表からわずか3カ月後ということになる2004年6月、エリック・クラプトンはテキサス州ダラスでクロスローズ・ギター・フェスティヴァルを主催している。幅広い分野から50組近いアーティストを招き、コットン・ボウル・スタジアムと隣接する公園を会場に、3日間にわたって行なうという大規模なものだった。自ら設立した更生施設をサポートすることを目的とした企画ではあったが、彼がそこで伝えたかったのは、ギターという楽器の本質的な魅力と可能性、そして、そのシンプルな楽器によって結ばれたミュージシャンたちの絆だった。
第56回 『ミー&Mr.ジョンソン』エリック・クラプトン
第56回 『ミー&Mr.ジョンソン』エリック・クラプトン 「60年代のはじめにブルースと出会ったころ、あの音楽について理解している人はほとんどいなかった。イギリスではジャズの一部のように思われていたのかもしれない。ロックやポップもすべてブルースのあとから生まれたのだということはよく知られていなかった。僕の場合は、ジミー・リードを聞いてギターの基礎を学び、それから、ロバート・ジョンソンがじつは何十年も前に同じことをやっていたと知った。僕たちが今聴いている音楽の原点として存在した、とても美しい音楽だということを、そうやって知ったわけさ」
第55回 『コンサート・フォー・ジョージ』エリック・クラプトン他
第55回 『コンサート・フォー・ジョージ』エリック・クラプトン他 2001年の晩秋、エリック・クラプトンが大規模なワールド・ツアーの締めくくりとして日本各地を回っていたとき、ジョージ・ハリスンが亡くなっている。長くコンサート活動から離れていたジョージをきちんとした形でステージに立たせることを目標に(そして、彼自身が悲劇から立ち直るために)行なわれた91年の日本公演から、ちょうど10年後のことだった。

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