

大友博
プロフィール
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中
大友博の記事一覧




第61回 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』スティーヴ・ウィンウッド
家族に捧げるアルバム『バック・ホーム』をようやく仕上げ、長年の夢でもあったJ.J.ケイルとの共演作『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』を理想的な形で完成させたあと、クラプトンは、2006年のワールド・ツアーに向けて動きはじめた。前回のコラムでも書いたが、ギターは、クラプトン、ドイル・ブラムホールⅡ、デレク・トラックスとのトリプル編成。あらためて紹介しておくと、ドイルはジミ・ヘンドリックスやスティーヴィー・レイ・ヴォーンの流れを汲む男。デレクは、運命的にドゥエイン・オールマンとつながる男。もちろん、彼らは単なるクローンやコピーではないのだが、これもまた、一つの大きな夢、やり残したプロジェクトの実現と言えるだろう。

第60回 『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』J.J.ケイル&エリック・クラプトン
本連載の第20回目でも書いたことだが、ファースト・ソロ『エリック・クラプトン』に取り組んでいた24歳のクラプトンは、プロデュースを依頼したディレイニー・ブラムレットから、オクラホマ出身のJ.J.ケイルというシンガー・ソングライターを教えられている(リオン・ラッセルやベース奏者カール・レイドルとは同郷)。当時はまだ無名の存在だったが、なにか、とてつもなく大きな閃きのようなものを感じた彼は、ケイルの《アフター・ミッドナイト》をそのアルバムに収めた。結局、クラプトン版《アフター・ミッドナイト》は彼にとって初ヒットとなり、結果的にそれが、ケイルにメジャー・デビューの機会を与えることともなったのだった。



第57回 『セッションズ・フォー・ロバート・J』エリック・クラプトン
はじめてロバート・ジョンソンの作品群と正面から向きあった『ミー&Mr.ジョンソン』の発表からわずか3カ月後ということになる2004年6月、エリック・クラプトンはテキサス州ダラスでクロスローズ・ギター・フェスティヴァルを主催している。幅広い分野から50組近いアーティストを招き、コットン・ボウル・スタジアムと隣接する公園を会場に、3日間にわたって行なうという大規模なものだった。自ら設立した更生施設をサポートすることを目的とした企画ではあったが、彼がそこで伝えたかったのは、ギターという楽器の本質的な魅力と可能性、そして、そのシンプルな楽器によって結ばれたミュージシャンたちの絆だった。

