勝率・281の楽天は、当時136試合で38勝97敗1分けだった。背景には、04年の「球界再編騒動」がある。主にオリックス・近鉄の2軍選手たちの、失礼ながら「寄せ集め集団」だった。そのせいか「100敗するのでは」と危惧される一方、関係者の間では「ほぼ2軍選手でも、他球団の1軍選手たちを相手に約3割なら勝てる」という新たな発見もあった。

 05年のチーム打率・255はリーグ5位だったが、08年のチーム打率・272はリーグ1位だった。当時の野村克也監督は「野球は番狂わせの多い競技だ」と常に言っていた(だから五輪などの一発勝負の試合はハラハラさせられるのだ)。

 阪神時代に野村監督の薫陶を受け、06年に日本ハムの選手として野村監督と戦った新庄監督が、打撃ではなく投手力を含めた守備面や走塁面に注力するのはうなずける。

 新庄監督は阪神在籍11年間で7度最下位という、いわゆる「暗黒時代」を経験している。日本ハムでは「今季限りの引退」を公言した06年に日本一で見事有終の美を飾り、「(球運を)持っている」ことを周囲に知らしめた。

 オリックスは、イチローがメジャーに挑戦した01年から20年間で9度の最下位。21年のオリックス、そしてヤクルトの優勝は「2年連続最下位から奇跡の優勝」だった。日本ハムはヒルマン監督4年目、梨田昌孝監督2年目、栗山英樹監督1年目にリーグ優勝を果たし、「日本ハムは監督が代わってもなぜ強い?」と言われる土壌がある。今後の新庄監督の巻き返しに期待したい。

 一方の阪神は、星野仙一監督就任2年目の03年、続く岡田彰布監督も就任2年目の05年にリーグ優勝を果たしている。だが、真弓明信監督は「2年目2位/3年目4位」、和田豊監督は「2年目2位/4年目3位」、金本知憲監督は「2年目2位/3年目最下位」、そして矢野監督は「2年目2位/4年目の今季は最下位(4月14日時点)」にあえぐ。「2年目2位で優勝を期待させておいて低迷」というのが阪神のジンクスなのかもしれない。

 01年から21年まで両リーグ42シーズンのうち、監督の途中交代(代理)は10度あった(シーズン終盤の交代は除く)。セ・リーグが3度、パ・リーグが7度だ。

【パ・リーグ】03年、オリックス、石毛宏典→レオン(最下位)/06年、ソフトバンク、王貞治(病気療養)→森脇浩司(3位)/08年、オリックス、コリンズ→大石大二郎(2位)/14年、西武、伊原春樹→田辺徳雄(5位)/15年、オリックス、森脇浩司→福良淳一(5位)/18年、楽天、梨田昌孝→平石洋介(最下位)/20年、オリックス、西村徳文→中嶋聡(最下位)
【セ・リーグ】09年、横浜、大矢明彦→田代富雄(最下位)/10年、ヤクルト、高田繁→小川淳司(4位)/16年、中日、谷繁元信→森繁和(最下位)

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