08年のオリックスは、5月に大石ヘッド兼内野守備走塁コーチが監督代行に立ち、小松聖の15勝などで2位まで浮上。だが09年、大石が正式に監督に就任すると再び最下位に沈んだ。10年のヤクルトは交流戦9連敗で高田監督が辞任。小川ヘッドコーチが代行に立ち最下位から4位まで引き上げた。だが、11年に監督に就任した小川は優勝確実の状況から中日に大逆転優勝を許してしまった。結局7年務め最下位3度。

 監督途中交代10度の中で成功していると思われるのは、20年のオリックスのみだろう。同年8月20日、借金17の時点で西村監督に代わり、中嶋2軍監督が代行した。さすがに最下位から脱出はできなかったが、来季を見すえた選手起用を進め、山本由伸が最多奪三振、吉田正尚が首位打者のタイトルを獲得した。さらに、高校出1年目の宮城大弥、紅林弘太郎、ファームでくすぶっていた杉本裕太郎を1軍で場慣れさせ、翌年、実に25年ぶりのリーグ制覇につなげたのである。

 日本ハムの新庄監督、阪神の矢野監督は、いったいどれだけ負け続けるのだろうか。143試合制で勝率350と考えれば、単純計算で93敗といった結果になるだろう。そして監督交代については「急場しのぎのシーズン途中の監督交代は成功しない」と過去の例が実証している。まさに「監督交代は危機のとき」なのだ。(新條雅紀)